~都地香恋~夢を棄てること

 ~都地香恋~

 

 香恋と有紗は残りの昼休みを使って、教室にいた生徒にも探し物の紐について聞いて回ったが、皆首を傾げるばかりであった。


 香恋が教室にはもうないだろうと思っていた頃に藤丸は教室に戻ってきた。

「廊下にも落ちてないし、落とし物BOXも見たけどなかった」


 落とし物BOXは教室棟を出て職員棟の職員室の前に設置してあるもので、香恋は丁寧に紐一本をあそこまで届ける人はいないであろうと確認していないが、藤丸は香恋のためにそこまで行ったようである。

「そこまで見に行ってくれたんだね……」

「それで一応ゴミ袋の中も確認したよ、なかったけどね——それに、もしあってもつけられないよね……」

 藤丸は考えなしにゴミ箱を漁った事を後悔する。


「ごめんね私のために。もう諦めるよ——」

 自分にとって大切なものであるが、どこを探しても見つからないし、何より藤丸や有紗をこれ以上心配させたくない。

 これを解決する方法は諦める以外ないと、香恋は笑って見せた。

「でも……あれは君にとって大事なものだろ……また放課後に探そうよ」

 簡単に捨てさせてくれない彼のやさしさが今はただ辛かった。


「そうだけど……もういいの、今は鞄につけるくらいで使い道がないし、ずっと私も引きずっているみたいで嫌だった。だから、私の代わりに捨ててくれて良かったのかもしれない、小鴨君もそう思ってよ」


 少しずつステージにまた立ちたいと思ってしまう欲望も、あの紐がなければ、自然と消滅するのではないかと期待すると少しばかり楽になれる。自分がステージに立つことをいつも密かに期待しているのだろう藤丸には悪いと思うが、これで本当に普通の高校生活が送れるような気がした。


 そんな、自分の事のように心配をしてくれる藤丸を愛おしく彼の顔を見つめた。

「今の都地さんを見ていると、やっぱり諦めている様には見えない」

 藤丸は諦めていない。彼が自分を諦めている様には見えないのは、紐を探していることなのか、アイドルになりたいという気持ちなのか、香恋にとってはどちらの意味にも捉えてしまった。

 香恋はどちらも中途半端な気持ちだった。だから、そこまで気持ちを理解してくれる藤丸が少しだけ嫌で、天宮香恋もろとも振り払う。


「私はもうすべてを捨てて諦めたいの——ぜんぶなかったことにしてしまいたいの——」


 藤丸は俯いてしまい、諦めるかと思ったが、悲しい表情を浮かべながら顔を上げた。

「そんなこと言わないでくれよ——僕は……」

 教室にいた人は藤丸の上げた声に驚きこちらを見ていた。


 彼はその後も何か言いたげであったが、そんな状況であったため口を噤んで自分の席に戻ってしまった。

 すると、有紗が足音を大きく立てて香恋の前に立った。

「ひどい……全部香恋のためにやってくれているんだから、藤丸にあんな悲しい声を上げさせないで」

 有紗は至近距離で香恋を強烈に睨みながら言い放つと、自分の席に座った。


 香恋は紐だけじゃなくて、何か大切なものまでなくしたような気がした。けれど昼休み終了のチャイムが鳴り、藤丸や有紗に対して釈明する時間は残されてはいなかった。


「まずはトイプードルとか作ってみるかね、簡単だよ」

 真由は香恋の顔色を窺いながらも、器用に手を動かしてフェルトのマスコットを作る。

 それはパンダのようなフェルトのマスコットを作成していた。


「私はこういう細かい作業苦手だから見ているだけでいいよ……真由の作っているそれ、すごく可愛い」

 放課後になると香恋は手芸部が活動を行っている家政科室に訪れていた。手芸部に所属している真由から「部活に来てみない?」と誘われたからだ。


 そのまま入部する気は当然なかったが、帰るのも嫌だったのでそこで時間を潰していた。

「有紗から聞いたの……大事な紐の事。それはここにはないけど、似たような紐だったらここならいくらでもあるから好きなだけ持って行っていいよ」

 家政科室には様々な手芸用具や資材が集められている。だから真由はここへ誘った。

「みんな優しいね——だけど私は迷惑かけてばっかり」

 あの時の自分はあまりにも醜かったとお昼の言動を反省していた。


「私は優しくないよ。ここに誘ったのは有紗にあなたを慰めて欲しいと頼まれたから、私にはそういうことは出来ないし、やりたくないから……でも、紐くらいならあげられるかなって」

 真由が香恋を家政科室に連れて来たのは、彼女の意志ではなかった。藤丸を傷つけたことに有紗は火花を散らして怒ってはいたが、香恋を見放してはいない。

「有紗と小鴨君には謝らないと——真由も気を使わせちゃってごめんね。紐少しだけ持ち帰ってもいいかな? 鞄に何かつけておきたい」

 真由は嬉しそうな顔をして、フェルトを置いた。

「こっちにあるから来て。困っている人には何かしたいと思うのは、手段は違えど当たり前のことなんだよ、そして何かしてあげたら謝られるよりも『ありがとう』って私は言って欲しいかな」

 真由は立ち上がって、家政科室の資材が入っている棚の方へ向かい、扉を開けた。


「そうだね、ありがとう真由」

 香恋も立ち上がり、棚の中を覗きに行こうとした時であった。

 突然ドアが勢いよく開く音が聞こえた。


 驚きながらドアの方に振り向くとそこには藤丸が立っていて、彼のその手には色あせて少しほつれたリボンが握り締められている。

「どうして……」

 失くしてしまい、諦めたはずの紐が確か藤丸の手にはあった。どこにそれがあったのか、どうやって見つけたのかは分からない。しかし、彼のやり遂げたその顔とズボンの裾に付いた土を見ると放課後も諦めずに探してくれたことは彼女にも理解できた。

「真由今日はありがとう、今日はもう帰りたい……また来てもいい?」

『アイドルになりたい』この気持ちはもう叶わない。だけどその紐を見るだけで香恋は安心するし、人と繋がれている気がした。

「見つかったみたいで良かったね、また暇なときはいつでも来ていいから」


 真由はにっこりと笑ってくれた。その笑顔に背中を押されたような気がして、藤丸の方へ走り出す。

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