~都地香恋~赤いリボン

 ~都地香恋~


 6月下旬のある日の朝、香恋は学校に行く途中コンビニに寄った。祖父母と3人暮らしで、毎日朝から祖母にお弁当を作ってもらうことは申し訳ないと思っており、さらに自分自身は料理ができないので、週に2回くらいはこうして登校前にコンビニでお昼の分を購入することや、学食で済ませている。


 香恋はお気に入りのメロンパンと、糖質オフと表示されているツナパンを手に取った。


 その後、なんとなくぐるりと店内を見ていると、雑誌コーナーに並べられている一冊の雑誌が目に入り手に取った。

 青年向けの月刊雑誌であった。その雑誌の右上に『彩色マーメイド特集』と書かれているのが見えて手に取ってしまった。


 ページをめくり、笑っているメンバーの集合写真を真顔で見つめていると、自分がいなくなった今でも、こうしてグループとして続いている事に気付かされて悔しいと感じてしまう。


 『彩色マーメイド』は香恋が引退した後も活動は続いており、認知度は段々と上がっていることを香恋もよく分かっていた。

 そんな事実を突き付けられても、ここまで逃げてきて経歴がばれることなく普通の高校生活を送れている事には満足している——つもりである。


 香恋はアイドルを辞めたら、普通の女子高生としてやりたいことが2つあった。


 1つ目は時間やカロリーを気にせずに友達と話をして、美味しいものを食べることだ。

 有紗達と授業でダンスの発表した日、約束通りアイスを食べに行った。香恋はアイドルをやっていた時では考えられない3段タワーのアイスを注文した。

 結局食べきれず有紗や真由にも手伝って貰ったが、そうやってスプーンをすくい合った時もまた楽しかった。お店側にとって迷惑かもしれないがアイスを食べ終わってもお店に居座ってレッスンや仕事の時間を気にせずに、力尽きるまで話したことは新鮮であった。


 2つ目は、男の人とデートに行くことであった。小学校の頃からアイドルを目指していた香恋にとって男性と付き合ったことはない。時には異性を意識してしまうこともあるし、男性からデートを誘われることもあったが、憧れのために男性と遊ぶことは問答無用で断っていた。だからデートというものをしてみたかった。


 転校して、いざデートをする方法を検討すると、誘い方も分からないし、誘われやすくなる方法も分からない。そう悩んでいると、朝霧静から映画のチケットを貰ったので、これで藤丸を誘おうと考えた。

 選んだ理由は、自分自身の経歴を知られているからこその、相手の手の内は見えているという安心感があったのと、そもそも男子でまともに話したことがあるのは藤丸くらいであったからだ。それと、彼の事が好きな有紗の前でデートに誘ったらどうなるのだろうと、少しだけ悪戯心があったのかもしれない。香恋は藤丸をデートに誘うとき後ろからものすごい殺気が漂っていることに気が付いていたが、香恋はそんなのも高校生らしくていいのかもしれないと小悪魔のような思考を持っていた。


 デートいうのは思った以上にドキドキして、楽しいものだとアイドルをやっていた頃では知ることができない感情を芽生えさせることができた。最初はデートができれば誰でも良いと思っていたが、今では藤丸を誘って良かったと、すっかり彼に惹かれている自分がいる。

 しかし、2つのやりたいことが達成されたと同時に、ステージに戻りたいと心の奥がざわざわと騒ぎ始めている。もしかしたらそれは、授業で本気でダンスをした時かもしれないし、その前からずっと隠していたからかもしれない。


 憧れるのをやめることはこれほど辛いものだとは思わなかった。そんな羨ましそうに雑誌を見る目に変わってしまった自分が嫌になり、雑誌をパタンと閉じた。


 コンビニに寄って学校に登校した香恋は、いつものように自分の机の脇に鞄を引っかける。

 すると香恋はあることに気がついた。キーホルダーやパスケースを取り付ける、鞄のリングの場所に香恋は紐をつけている。それが今日は少し緩んでいた。


 その紐はツルツルとした赤色の紐で幅は1cmほどあり、リボン結びで鞄に取り付けられている。

 周りから見ればどうしてそんなものを鞄に取り付けているのかと気になるところであるが、彼女にとってそのリボンはとても大切な宝物である。

 この紐はアイドルの天河かぐやから貰ったものだからだ。


 彼女が身に着けていた衣装の一部を抜き取って、香恋の髪の毛をその紐で結ってくれた。


『彩色マーメイド』を辞めるまで、アイドル活動中はポニーテールの髪をずっとその紐に巻き付けていて、辛い時や緊張した時はそれを指先で触れていた。それを触っていると憧れのアイドルに出会ったことを思い出して、前を向かせてくれる心の着火剤であった。


 アイドルを辞めた後は、必要ないから捨てようと考えてはいたが、結局捨てきることが出来ず、今はお守りとして鞄に取り付けている。

 香恋は鞄を一度机に上げて紐を解いた後、もう一度結び始めた。


「香恋、おはよう。なにしてんの?」

 香恋と有紗はダンスの発表の日、そのメンバーとアイスを食べてから、下の名前で呼び合う仲になっている。

 紐を結びなおそうとした時、前に座っている有紗が登校して声をかけてきた。香恋の行動が気になったようである。

「有紗おはよう、なんでもないよ……」

 鞄に付いている繊維がほつれて、年季が入っている紐を大切に扱っている理由を香恋は聞かれたくない。誤魔化すように慌てて鞄を机の脇に引っかけて、愛想笑いを浮かべた。


 結び方が甘く、もう一度しっかりと結びたいと思っていたがこれ以上リボンの事を気にしている余裕はないと諦めるしかなかった。


 香恋のいる2年2組はその日、移動教室が多かった。化学の授業で実験をするため理科室に行き、美術室で美術の授業を受けた。そんな教室にいる少ない日だったので、香恋がそれから鞄についているリボンを気にしている時間はなかった。


 ようやくお昼休みになり香恋が教室に戻る。

 学校へ来る途中に買っておいたパンを取り出そうと鞄に手を伸ばした時に、香恋はまた鞄の異変に気がついた。


 赤い紐がない——

 香恋の顔が一瞬で真っ青になった。

 教室には人がいる、香恋は床に落ちてしまったのだと一旦落ち着きながら、机のまわりを探した。しかし、それは見つからない。鞄の中や机の引き出しの中も探していたが見つからず、宝物を無くした香恋は言葉を失った。


「お待たせ、なんか探しているの?」

 学校の購買でおにぎりを買ってきた有紗が、袋をプラプラとさせて教室に戻ってきた。

 こんな精神状態ではお昼ご飯なんて一緒に食べることができないと、有紗に相談することにした。


「紐を見なかった? 赤色のよくプレゼントの箱に巻かれてそうなやつ。私の鞄についていた物なんだけど……」

 香恋が取り乱しているのは有紗から見ても明らかで、それを察した有紗はおにぎりの入った袋を机に置くと体を低くさせ、躊躇せず膝をつけて机の下まわりを探した。


「鞄にいつも付けていたやつね。あんまり気にしてなかったから覚えてないけど探してみるよ」


 そうして2人で教室内の床に何か落ちているのかを探し回った。けれども、教室内のどこにもそのようなものはなく、有紗と香恋は頭を抱えた。

「今日は教室にいる時間少なかったからその間にどっかにいったのだと思う。探してくれてありがとう、もう諦めるよ」

 香恋は俯いたまま、自身を納得させようとしたが、目ではまだどこかに落ちていないか探している。


「誰かが盗んだとかないかな」

 香恋の耳元で有紗はそう囁いた。

「だれもあんなの盗まないよ。ただの紐だもん」

 香恋は自傷気味に笑っていた。有紗はその姿を見てられなくなったのか、香恋に背中を見せて教室内から姿を消した。

 有紗は紐ごときで落ち込んでいる自分に引いて逃げてしまったと思った。しかし有紗はすぐに教室に戻ってきた。今度は藤丸を連れて。


「隣のクラスでご飯を食べていた藤丸も連れて来た。なんか役に立つかなと思って」

 有紗に連行された藤丸は、まだ事情を聞かされていないようで困った顔をしている。

「ごめんね、昼休み中なのに、でも大丈夫だから……」

 香恋の弱弱しい声を聴いた藤丸は、素直に戻るわけもなく「何事かと」聞くと有紗は説明する。


「藤丸、香恋の鞄についていた赤い紐に見覚えある? 教室中探したけどそれがなくて……どこにあるか探すのを手伝ってほしい」

 藤丸は有紗が指さした何も飾りがついていない鞄をみると、目を見開いていた。

「鞄に付いていた紐って、もしかして以前髪に留めていたやつ?」

 藤丸にもその紐の価値が分かっている様である。香恋は嬉しくて大きく頷いた。


「そう……」

 実際は憧れのアイドルから貰って、幼いころからつけていたその紐の本当の意味を知る者は香恋1人であるが、彼女のファンであった藤丸は、過去に香恋がいつも髪の毛にその紐を巻いていたものと同じものと気がついていた。


 今の香恋にとってはそれだけを理解してくれているだけで十分だった。

「そうか、今日学校にきてから鞄を教室の外に持ち出した?」

「ううん、登校した時に紐が緩いなと思って、結びなおしたのは覚えているから、それまでは確かにあった。でも、今日は移動教室が多かったからそれからは分からない……」

「もう一度私達は教室から探すから、藤丸は他を探して」

「そうしよう。でもゴミ箱にあるかも知らないから先にそこから探してみる」


 藤丸にそんなことまでさせられないと、香恋は制止しようと思ったが彼はすでに教室に置いてあるペールから混沌としたゴミ袋を取り出して、廊下へ飛び出していた。

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