~都地香恋~アイドルに憧れた日

 ~都地香恋~


 都地香恋にとってアイドルは憧れであった。憧れ始めたのは香恋が幼い頃のある小さな事件だった。その時あるアイドルに助けてもらわなければ、そしてあるものを受け取らなければ彼女自身『アイドル』という特別な存在になりたいと思わなかっただろう。


 香恋が小学1年生の頃、東京に住んでいた香恋の家族は、お盆の時期に鴻巣に住んでいる母方の祖父母の家に帰っていた。お盆という行事の意味をまだ分かっていない香恋にとってはまだ、大好きなおじいちゃんやおばあちゃんに会えるイベントとであると認識していた。

 そんな小学1年生の夏休み、祖父母を含めた家族と東松山にあるショッピングモールに行った時であった。香恋は人生で初めて迷子になった。


 お盆で混雑していたモール内で香恋は気がつくと母や父の姿を見失っていた。香恋はモールの通路で立ち尽くしていたが、誰一人その迷子の少女に話しかけることもなく、モールで働くスタッフの姿も見えなかった。

 そんな時、どこからか音楽が流れていることに気づいた香恋はその音のする方へ向かうと、小さなCDショップがあった。様々な音楽が店内から流れて、あちこち店内を見渡していると、小さなブラウン管を見つけた香恋はそこに映し出される映像を見始めた。


 テレビには4人の女の子が歌って、踊っている。それぞれが違う色の衣装を身にまといながら、広いステージを自由に駆けている映像を見ていると、香恋も自然と真似をするように小さな体を動かしていた。


 そうして夢中になっていると、横から女の子が現れた。高校生から大学生くらいの見た目の彼女は、ビデオの動きを真似している香恋の事をじっと見つめる。


「あなた、すごい可愛いね。でもこんなところで一人じゃ危ないよ、迷子?」

 香恋は体を動かすのをやめて、彼女の方を見た。その彼女の言われた『迷子』意味が分からず、香恋は首を傾げている。


「自分の状況を分かってないな、私が迷子センターに連れていくか……時間はないけど。あなたの名前は?」

「かれん」

 大きな声で堂々と答える姿に彼女はぎょっと驚き、少し笑った。少女は香恋を迷子センターに連れていこうと手を引こうとしたが香恋は拒否をした。


「お姉さんについてきてよ」

「まだ見たい」と呟き、香恋は再びブラウン管に映るライブ映像を見る。


 呆れた彼女は「アイドルが好きなの?」と聞いてみたが「知らない」とビデオを見ながら答えた。香恋は親とはぐれてしまっている状況すら忘れてビデオに夢中になっている。


 香恋を見ていた少女は腕時計で時刻を確認すると、覚悟したように香恋を抱きかかえて走り出した。

「今から本物のアイドルに会わせてあげるから私を信じて掴まって」

 香恋は突然、抱きかかえられて驚いていたが、叫ぶことなくしっかりと彼女に掴まることにした。


 そうして香恋はどこに行くのか分からないまま少女にしがみついていると、1階の一番広い通路に設けられていたイベント会場に連れていかれた。これからなにかイベントが始まるようで、会場の周りにはすでに人が押し寄せ、3階まで吹き抜けになっている通路にもたくさんの人がステージを見降ろしている。


 彼女と香恋は人混みを抜けると、ステージ脇にあるパーテーションを4方に囲んで。急ごしらえで作ったような個室に飛び込んだ。

「ごめーん、ウィンドウショッピングしていたら遅れちゃった」

 彼女が部屋に飛び込んだ時にそこにいた人が全員彼女を見た。焦っている人、ぴりぴりしている人、心配している人がいたが、そんな中できらきらした衣装を着た彼女と同じ年代くらいの人たちが駆け寄ってくる。


「かぐや、お客さんみんな待っているよ。てゆうかその女の子は」その一言で、状況を理解できていないで固まっている香恋に注目が集まる。

「天河かぐやさん、まさか隠し子?」


 スーツを着た女性が動揺しながら、香恋の顔を確認していたが、天河かぐやと呼ばれるその少女はへらへらと笑っていた。

「そんな、違いますよ~」

 周りが女性しかいないせいか天河はその場で勢いよく着替え始めた。Tシャツの上から赤いスパンコールのついた衣服を身に着けた後、その場でズボンを降ろして、フリルのついたスカートを履こうとする。すると色違いで同じ衣服を身に着けていた3人の少女は慌ててその姿を周りに見えないようフォローをしている。


「もう、ちゃんと着替えてから来てよね」

 天河を囲っている少女が呆れていたが、彼女自身は気にせず淡々と着替え続けている。

「迷子だからとりあえずここで預かろうかなって、あとこの子CDショップで私たちのライブ映像見ていたの、だから一番いい所で見せてあげよう」

 あっという間に衣装を身に着けると、それを体に馴染ませながら、堂々と香恋の前にその姿を見せつけた。


「香恋ちゃん、どう? ビデオで見ていたのと一緒でしょ?」

 天河かぐやは香恋が見ていたライブ映像に出ていたアイドルグループの中の一人であり、今日そのショッピングモールで開催されるイベントはそのアイドルグループの特別ライブであった。


 ここまで連れてきてくれた人が、CDショップでビデオに写っていた女の子で、同じ衣装を着ている。そんな、魔法のような出来事に香恋は呆然とした。香恋は控室にいたスタッフに身柄を預けられると、4人の女の子が光差すステージに出ていくところを後ろから見ていた。

 思わず後を追うように走り出して舞台袖から様子を見ると、4人の少女が光差すステージで歌って踊っていた。

 香恋はこの光景を忘れない様に4人の生パフォーマンスを黙って見つめていた。

 アイドルがステージを沸かせている。彼女たちは可愛くて、かっこよくて、会場の空気を4人で包み込んでいるような雰囲気に彼女も一緒に飲み込まれた。


 そのステージを見ている観客は老若男女問わず、笑顔で心から楽しんでいると幼い香恋でも分かる。

 香恋は手から自然に湧き出る汗を握り、ゆっくり唾を飲み込んだ。


 1曲目が終わると会場はすっかり熱気に包まれる。すると、天河かぐやは一度舞台袖に戻って、ステージを見ていた香恋の手をそっと握るとステージまで連れてくる。


 観客は小さな女の子がなぜステージに出てきたのかを理解することができず、辺りは一度静まったが、かぐやはその時が来るのを狙って香恋を抱えた。

 突然、大勢の人の前に立たされた香恋であったが、かぐやと一緒にいると不思議と安心できる。彼女にはそんな心地よさがある。

「この子は香恋ちゃんです。たぶん6歳から8歳くらいです。CDショップで迷子になっていました。香恋ちゃんのお父さんやお母さんはまだ必死でこの子を探していると思います。ここにいますので、いつでも迎えに来てあげてください。それまでは私達とスタッフが責任を持ってお預かりして、香恋ちゃんに私たちのステージをたくさん見てもらおうと思います。もう一度言います——」


 天河はマイクを握りしめて、今日一番の大声でそう叫んだ。すると観客はそのサービス対応に喝さいをして、周りにいたスタッフも慌てて迷子の子どもを探しているような両親がいないか探し始めた。


 かぐやは、その後ライブを続けるために香恋をもう一度舞台袖に戻すと、2曲目を続けた。その後も香恋は両親が来る間ずっと袖から彼女たちのステージ見ていた。


 ライブの途中で、香恋の両親は会場に現れ、彼女の無事を確認すると、涙ながらに抱きついていたが、香恋自身は迷子になっていたことなど忘れているかのように笑顔であり、そんなことよりも一時も目を離さずに最後までライブを目に焼き付けようとステージを見ていた。


 幼い香恋はアイドルになりたいという好奇心が芽生えて、天河かぐやみたいなアイドルになりたいと憧れた。

『天宮香恋』という名前も憧れの『天河かぐや』から勝手に一文字貰ったものである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る