~小鴨藤丸~気になって仕方がない
~小鴨藤丸~
体育館で2年2組の女子生徒がダンスを披露している中、同クラスの男子生徒は体育館の隣にある校庭グラウンド内で、ゴールポストを設置してサッカーをやっていた。
男子生徒は皆、サッカーの試合に熱中して女子生徒がダンス発表をしている体育館に気を留めるものはいなかった。
小鴨藤丸を除いては。
藤丸はボールを足で扱うのが苦手だった。足のどこの部分で蹴ればどこにボールが飛んでいくのかが分からず、授業はサッカー部主導で試合が進んでいたので、おとなしくその試合を見ていた。
体育館で女子はダンスをしているのを気がついていたが、体育館の開いている脇の扉から女子の授業風景を見ることに対して罪悪感があり、退屈はしていたが見ることはしなかった。
しかし、香恋のグループの番になった時どんな発表なのか、香恋は踊るのかという好奇心が勝り、そのダンスを見てしまった。
天宮香恋がステージで踊っている——
藤丸は目を輝かせながらそのダンスを見ていた。見とれすぎて、コート外に出たボールが藤丸の方に転がってきても気づかないくらいであった。
見られないと諦めていた天宮香恋のダンスがこんな形で見られるなんて——
発表を外から見ていた藤丸は、やる気がみなぎった。その熱意で試合に出たものの結局役立たずであったが、試合が終わると清々しい様子であった。
体育が終わると、男子生徒は更衣室で制服に着替えている。その時、藤丸の隣のロッカーを使っていた同じクラスの和久井充が話しかけてくる。
藤丸と和久井充は高校1年生の頃から同じクラスであった。充は根っからの真面目気質であり、高校一年生から生徒会幹部に立候補して生徒会副会長となっている。
藤丸は天宮香恋引退以降、クラスでは孤立していたものの充は今でも友達でいてくれている。
「みんながサッカーやっている時体育館の方に釘付けになっていたけど、何を見ていたんだ?」
「女子生徒がダンスの発表をしていたんだよ、それを少し釘付けになって見ていただけ」
藤丸は何度もその光景を思い出して、思い出しすぎて、おかしくなっている。
「気持ち悪いなあ、そういうの本当にやめとけよ。どうせ最近お気に入りの都地さんを見てたんだろ」
「お気に入りって言い方するなよ」
それは図星であるが、素直に正解とは言えない。
「お前が好きだったなんとかって言うアイドルが引退した時は元気がなかったけど、今はもうすっかり元に戻ったよな、それも都地さんのおかげか?」
充は藤丸が昔好きであったアイドルの名前をもう覚えていない様である。
もし充が覚えてくれていれば、その絶望した原因となる人がこの学校に転校してきているのだと分かってくれる自信があった。
「僕の好きなアイドルの名前を覚えてないお前に話すことなんてない」
「意味が分からないわ、それにお前には染川さんがいるじゃないか、どっちが好きなんだよ」
突然有紗の名前が出てきて藤丸は思わずドキリとした。有紗とは登下校が一緒だったり、お昼を時々食べるので、周りからもその仲を認知されている。だから普段の藤丸は有紗との仲を聞かれてもあまり動揺しないのだが、今回は香恋と有紗が好意の対象として天秤にかけられたような言い方をされて意識してしまった。
「有紗は幼なじみだよ……正直に言って都地さんが好きだ」
藤丸は正直に天秤で図って言ったつもりであったが、その時少し自分の心に何かがグサリと刺さったような、そんな気分がした。
「そう言えば、船見さんも踊っているのを見たぞ」
話をこれ以上、掘り下げられたくない藤丸は、話題を変える方法をとっさに考えて充に浴びせた。
「船見さんのダンスが見られたのか……まあその話はいい……」
充は先程まで藤丸が授業そっちのけでダンスを見ていたことを責めていたこともあり、興味はあったが踏みとどまった。
藤丸はなんとか乗り切ったと、充の反応を見て胸を撫でおろした。
充が真由に対して好意を抱いているのは藤丸から見ても明らかである。
1年生の頃充が生徒会の仕事を押し付けられて廊下を右往左往していた。その時、充のブレザーに付いているボタンは不格好に垂れ下がっていたが、彼自身それを気にしている余裕もない程忙しかった。するとたまたま廊下を歩いていた真由がそれに気が付き、彼女がいつも持ち歩いているポーチから裁縫セットを取り出して充のブレザーを瞬く間に直したのだ。
藤丸が充の綺麗に直されたボタンを指摘すると嬉しそうにその出来事を話していたことを覚えている。
実際2年で同じクラスになってから、充の視線が何度も真由に行くのに気付いていた。
「女子の話で固まるのは俺だけじゃないぞ」
藤丸は皮肉を残して、更衣室を先に出た。
その日の夜10時頃、藤丸はお風呂から上がり自室へ戻るとスマホからある人物に電話を掛けた。
「依織ねーちゃん、突然ごめんいま平気?」
「うん、大丈夫どうしたの?」
その返事を聞いて藤丸はホッとした。電話の相手はいとこの唐沢依織である。
藤丸には2人のいとこがいて姉の方が依織、弟の方が大悟であり、一人っ子の藤丸にとっては姉や兄のような存在であった。
東京に住んでいる2人と幼い頃はよく遊んでいたが、今では正月と、お盆くらいしか会う機会はなくなってしまい、他に話す機会と言えばこうして電話で連絡を取り合うくらいである。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「今事務所にいる、外に出るから待ってて」
しばらくすると、スマホの向こうからドアを開ける音がした。ドアが少しさび付いているのか、ギィーとう音が藤丸の耳にも届く。
そうしてしばらく待っていると「いいよー」と彼女の呑気な声が聞こえた。
「単刀直入に聞くけど、天宮香恋が引退した理由って何、円満なものだったの、それともなにかよくない話とか聞いた事ある?」
藤丸が今日香恋のダンスを見てから、疑問が彼の頭に芽生えて離れなくなった。
どうして、あんなに楽しそうに踊る都地香恋がアイドルを諦めてしまったのか、東京で何があったのか——
この疑問を決して詮索してはいけないことは藤丸も分かっている。しかし、今日の授業で香恋が楽しそうに踊っているのを見たとき、興奮と疑問が同時に湧き上がってきた。
藤丸にはその真相を知っていそうな人物には心当たりがある。それが藤丸のいとこ唐沢依織であった。
どうして依織なのか、それは彼女がテレビ局に勤めていたことがあるからだ。
唐沢依織は大学を卒業して東京にある「テレビべんてん」というテレビ局に去年の3月まで勤めていた。首都圏を中心に地上波で放送されているそのテレビ局に入社した彼女は、報道部に配属された。
配属先に全く不満はなかったらしく。むしろ、自分は期待されていると藤丸には話していた。しかし、常に職場にはピリピリと緊張感が流れていて、何か事件があると昼夜を問わず、すぐに現場まで取材に駆り出される仕事内容は覚悟していた以上に体が堪えた。
仕事を辞める前の正月に藤丸が依織と会った時は顔色が優れていなかったのが一目で分かってしまった。
そうして、1年もしないで彼女はテレビ局を退職した。
その後は報道部にいたディレクターから芸能事務所の仕事を紹介してもらい、彼女はそこへ転職した。
「——悪いけど、私からその件については話したくないなあ」
「話したくないってことは、依織ねーちゃんの耳になにかは入っているってこと?」
藤丸が食いつくように聞くと、電話越しからライターで火をつける音が聞こえた。
依織は外で煙草を吸っているようで、一吹きする間は無言が生まれた。
「私は前にいたテレビ局の報道部の知り合いから天宮香恋が事務所を辞めたなんとなくの経緯を聞いただけだよ。だから、それを藤丸に伝えることは出来ない。広めるような話ではないからね」
依織はテレビ局を辞めた後も、マネージャーとしてテレビ局の出入りは多く、短いテレビ局勤務であったがそこで働いている知り合いは多かった。
「それはつまり、何かが起きたから天宮香恋は事務所を辞めた。それはやめたくなるほどのショックがあったっていうこと?」
詳しく話したがらない依織に、藤丸は天宮香恋の身に何かあったのだと確信した。しかし、高校生である藤丸にはその大きさが分からない。
「まあ……彼女の問題で事務所を去ったというより、私が聞く限りでは追い出されたという方が近いかな。おっとこれは言い過ぎたね」
藤丸はひやりと背中から汗をかいた。
ずっと彼女が自ら引退を選んで今に至っていると思っていたが、どうやらそうではないと思い始める。
「そこまで言うのなら教えてくれよ」強張らせながら依織に問う。
「芸能界というのは怖い場所だからねえ、小さな事実だったものが余計な噂話がくっついてとんでもない話になっていたりするんだよ。だからまだ子どもの藤丸には教えてあげられない。天宮香恋のファンだったのなら猶更だよ」
依織の方から煙草を吐くような音がした。それは芸能界というものに落胆しているため息にも思えた。
「わかった。そこまで言うのなら諦める……」
「どうしても知りたいのなら本人の口から直接聞くしかないね、そんなことできないだろうけど」
笑いながら冗談交じりを言っているようであるが、今の藤丸にはそう簡単ではなくても、不可能なことではなかった。
「やっぱりそうするべきだよな」
「え……? まあいいや。これからラジオ生放送の同行だからそろそろ行くね」
「教えてくれてありがとう、僕はもう寝るから深夜ラジオは聞けないけど頑張って」
こんな時間からまた仕事に行くのかと驚きながら、切電ボタンを押した。
結局真相について聞くことは出来なかったが、香恋にとって良くないことが起きて、芸能界から去ることになったという推測だけは立てることができた。
もしそれが本当なら、あんなに楽しそうにダンスをしている香恋から誰かがその場所を奪ったのだとしたら許すことは出来ないと、藤丸は怒りが込み上げてベッドに沈み込んだ。
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