~都地香恋~手を抜くかどうかの葛藤
~都地香恋~
季節は6月に入った。まだ雨の日は多くないものの、湿度が高くて、体にまとわりつくようなぬるりとした空気が漂っている。
そんなある日の2年2組の体育の授業のことであった。体育は基本男女でやることが違うので、今日は校庭で男子がサッカーをやって、女子は体育館でダンスの授業を行っている。
ダンスの授業はクラス内の女子で3人~4人のグループを作り、50分授業の2回と半分の時間を使って練習をする。そして残りの時間で皆の前でステージに立ち練習の成果を披露するといった感じである。ステージと言っても体育館前方の校長のスピーチなどで使われる場所であった。
仲のいい女子グループを作ることができれば、練習中はおしゃべりし放題であるし、パフォーマンスをちゃんと体育の先生が審査できるわけもない。なので、ダンスの授業中はどちからというと緩い雰囲気で行われていて、発表前最後の練習をしていた。
しかし、都地香恋はダンスの授業があると知った時、これをどう乗り切ろうかと真剣に考えていた。
元アイドルとしてステージに立ってきた香恋は、幼いころからダンスの練習をしてきた。
研修時代では事務所にステージに立たせてもらえるように、ライバルに負けないように、厳しいレッスンを乗り越えて来たのでダンスは自信を持っているし、実際に技術は一般の高校生とは一線を画しているのは間違いない。
しかし、今その技術を存分に振るってしまえば、目立ってしまうのは確実である。手を抜いてはいけないという元アイドルとしてのプライドはあるが、今は手を抜く時と判断した香恋は周りに合わせようと、1回目のダンスの授業からは手を抜くことをだけに集中した。
香恋と一緒に踊るメンバーは染川有紗と船見真由、その2人の友達の畑中恭子。
ダンスの演目を決めたのは真由だった。真由は最近流行っている男性ヒップホップダンスグループの曲を踊ろうと一回目の授業で提案した。
男性パフォーマーが踊っているその楽曲は、ダンスの内容は激しく難易度も高い。運動が苦手の恭子が猛烈に反対したが結局、発表時間を周りより短めにして覚える箇所を少なくすれば大丈夫だという事になり、4人は今日まで練習してきた。
発表前に香恋は軽く体を動かしている。
「香恋ちゃん大丈夫? 無理しないでね」
真由は香恋を気遣っていた。彼女が心配するのは香恋が4人の中では一番細い体型をしているので、彼女にハードなダンスをやってもらうのは申し訳ないという気持ちからである。
筋肉質の男が踊っているダンスは、眼鏡をかけたひ弱そうな香恋には踊れないと、彼女の過去を知らなければ誰もがそう思ってしまう。
香恋の方はメンバーの中で足を引っ張らない程度に踊ることが出来れば良いと練習をしてきたが、そんな気遣ってくれている真由に、申し訳ないと思いながら微笑む。
「……うん、なんとか——足を引っ張らないように頑張るね」
「私の心配もしてよ真由ちゃん。もうゾンビ役でいいかな私?」
「スリラーじゃないんだから、この曲にそんなの出さないでよ」
真由はボケる恭子のフォローも忘れない。
3人で話していると、4人目のメンバー有紗が寄って来た。
「私は余裕だよ、もうフルでも踊れるかも」
さっきまで1人で踊っていた有紗はタオルで汗を拭きながら香恋の方に近づいてきた。
有紗の言っている事は決してハッタリではないと香恋は分かっている。そのダンスの技術は香恋から見ても天晴というべきものである。
4人が授業で披露するものはヒップホップダンスと言われるもので、アイドルが踊るダンスとは遠いものであったが、香恋はダンスの種類に関係なく基礎を身に着けていた。だから大抵のものは踊れる。しかし、香恋でも最初は本当に苦労してしまうほど荒々しくてタフなダンスである。
それなのに、有紗のダンスはミュージックビデオに映るパフォーマーに引けを取らない力強さを感じて、研修時代仲間とダンスレッスンした日々が脳裏によぎる。
何より踊っている有紗が自由に見えて羨ましいと思った。
「染川さんすごいよね……相当な難易度なのに……」
「有紗はこういうところ天才だから」
自分の事のように自慢げな顔をして真由は話している。
「染川さんは何か運動部に入っているの?」
「いや、なにもやってないよ。昔はバスケ部だったらしいけど」
「もったいないよね——今は力を余らせている運動神経抜群の馬鹿だよ」
有紗について語りたい恭子もストレッチをしながら参加をして盛り上がった。
「ちょっと言い過ぎじゃない?」
好き勝手に言われた有紗は眉をひそめる。
「有紗は夢中になるものを見つければ、なんでもできるような気がするのに」
「でももう高校2年生だし、今更やっても意味ないよ」
香恋はなんでもない日常会話を輪の中に入って聞いているのが楽しかった。
アイドルとして活動をしながら高校生活を送っていた1年前、芸能人として周りから認識されながらも、人気はある訳ではなかったので、周りからは腫れ物に触るような扱いをされることもあった。だから、自分自身も仲間の輪に入っている感覚が新鮮で心地いい。
少し離れた所でそんな会話を聞いていると有紗が近づいてきた。
「都地さんももう少し上手に踊れるんじゃない?」
心からリラックスしていた香恋だったが、突然有紗から試すような目で問われた。
「そんなことないよ……」
香恋は動揺して少し顔を逸らす。
「本当に? 別に遠慮しなくていいのに、なんだか踊り辛そうだよ今の都地さんは」
「ちょっと有紗、いきなり何言ってんの? 香恋ちゃんを無理させないでよ」
香恋の過去を知らない真由からすれば、有紗の発言は香恋をいじめている様にも見える。
「染川さんは完璧に踊ることが出来るから、きっとそう思うんだよ」
「私は踊れるよ。でも香恋も踊れるよ、私は本気の貴方とステージに立ちたいな……なんてね」
本気で踊らせようと煽る有紗に少し腹が立った香恋であるが、逃げているのは事実であるし、有紗を見ていると負けたくないという思いもふつふつと湧き上がってきてしまった。
ちょっとだけなら……楽しんでもいいよね——
香恋は手を胸に当てて、深く呼吸をする。その後、後頭部まで指先を伸ばして、普段結んでいた赤いリボンを触ろうとするが——今はそれがなかった。
その動作は彼女がステージに立つ前には必ずやってきたことである。
『踊り辛そう……』有紗の言葉をもう一度思い出すと、天宮香恋だった頃の記憶が呼び起こされて眼鏡を外す。
「上手に踊って見せるから、染川さん覚悟しておいて」有紗だけでなく真由や恭子の目の前で堂々と宣言した。
「うん、私に貴方をちゃんと見せて」
炎が燃え広がるようなオーラを放ちながら2人は発表の順番を待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます