~小鴨藤丸~くるりと一回り
~小鴨藤丸~
映画が終わり、天井に明かりが灯ると場内は騒がしくなった。皆一斉に立ち上がると、2つしかない出入り口へと向かう。ほぼ満員であったこともあり、中央にいた藤丸と香恋は劇場からまだ出られそうにないので、座ったままでいた。
「映画面白かった?」
香恋はこの時間を使って映画の感想を藤丸に訊ねる。
「うん、面白かったよ。出番は少なかったけどちゃんと朝霧さんが出ているのが分かった」
上映中、同じ姿勢で座ったままであったので藤丸は気持ちよく背伸びをした。
2人が見た映画は青春スポーツ物であった。朝霧静は主人公が所属している部活動にいるマネージャーの1人であったので出番はほとんどない。
「うん、私も面白かった」
香恋は朝霧静の事には触れずにそれだけを無表情に言った。
ようやく人も捌けてきたので、2人は立ち上がった。歩きだそうとするが、藤丸はこの後の行き先はまだ香恋から聞いていない。
「都地さん、浦和で行きたいとこがあるって言っていたけど、どこに行くの?」
香恋はそれを伝えるのを忘れていたようではっとした。
「そういえば言ってなかったよね、浦和にある百貨店に行きたかったの」
「なるほど——それは鴻巣にはないね」
納得して頷くと2人は駅反対口にある百貨店に向かうため劇場を後にした。
香恋と藤丸は百貨店の婦人雑貨コーナーついた。藤丸は綺麗で規則的に並べられている商品や、売り場ごとに待ち構えている店員の雰囲気を見て、自分には敷居が高いと感じる。
「私ね、この学校に来たのはおばあちゃんとおじいちゃんが鴻巣に住んでいたからなの」
香恋は陳列されている商品の一つを手に取りながら、鴻巣に引っ越してきた理由を話し始めた。
「じゃあ、今は3世帯で住んでいるの?」
香恋は麗しげに煌めくブローチをうっとりとした表情で眺めていたが、タグについていた値段が目に入るとそっと置いてあった場所に戻す。
「両親は東京にいるから鴻巣には私と祖父母だけ。両親はまだ東京で仕事をしているからこっちで住むと何かと不便だし」
話しながら歩いている最中も、香恋は店内に目配りながら、なにか探している様だが彼女自身何を買うのかを決めていないように藤丸は見えた。
「何か探しているの?」
「来週おばあちゃんの誕生日で何かプレゼントしたいけど、私はあんまりこういう所には行かないから、何を買おうか迷っていて……何か良い物はないかな小鴨君」
藤丸自身もこんなところ滅多には行かない。困惑しながらも香恋の役に立とうと、彼女のおばあちゃんが喜びそうなものを探した。すると、藤丸はあるものを見つけた。
「僕もあんまり来たことないから分からないけど、もうすぐ夏がくるしあっちの方は?」
『初夏の特設コーナー』と大きな文字で書かれている看板を見つけた藤丸はそれを指さした。
「今年の夏は特に暑いらしいから、それいいかも」
香恋は微笑むとその看板の方へ足早に向かった。
特設コーナーは店内の一角に出来ており、扇子や風鈴といった夏らしい商品のみを扱っているため、涼しさを感じることができた。
藤丸はそこにある金色の鯉が描かれている扇子を広げ、感銘を受けたが、流石一級品を扱っている百貨店である。高校生が気軽に買える値段ではない。
「この日傘とかどうかな——」香恋は白い花柄の傘を持って藤丸に見せた。
「どうぞ、良かったら広げてみてください」
すると彼女の様子を見ていた店員さんが声をかけて来た。それは折り畳み式の傘で、畳まれた状態で収納袋に入っている。
香恋は嬉しそうに傘を広げると、柄の部分を手に持ち、伸びた棒を肩に乗せてみる。
「可愛いですね——それに軽いから持ちやすい」
「はい、雨の日でも使用できますので、邪魔にならないと思いますよ」
藤丸は傘を開きながら店員さんと話している彼女を見ていた。白い傘であるがしっかりと日の光から守ってくれそうで、香恋の顔にも陰がかかっている。そんな彼女も魅力的に感じた。
「都地さんにすごく似合うと思う」
「ありがとう——でも自分で使う用じゃないけどね」
香恋は戸惑いながらも、照れている表情を浮かべた。すると、香恋に対してあるお願いをしてみた。
「都地さんそのまま、くるりと回ってみてくれない?」
「え? ここで、まあいいけど」
広い通路の方に出ると香恋は右足を軸にして、顔を切り時計まわりで回って見せた。
彼女と傘が綺麗に回ると、スカートも後から追うようにふわりと舞いながら回る。両足をつけると、見覚えのある笑顔を藤丸に見せた。
そんな彼女を、藤丸だけでなく彼女に話しかけていた店員も「おお」と感嘆としながら見惚れていた。
「すごく良いものが見られたよ、ありがとう」
香恋がアイドルとしてダンスをしていた時を一瞬思い出してしまい、興奮を隠せない。
「じゃあ、あともう一回だけ見せてあげる」
彼女自身も楽しかったのか、そう言うと次の左足を軸にして、時計反対周りで回ろうとした。
また華麗なターンが見られると皆期待したが、最後の方で足がつっかえてしまう。香恋は態勢を前の方に大きく崩してしまう。
「「あ——」」
お互い声を上げる。
香恋の身の危険を感じた藤丸は足を踏み出して、香恋に駆け寄った。両手と胸を前に出すと、ちょうどそこに彼女が飛び込んできて、受け止めることができた。
急な出来事であったため、加減ができなかった藤丸は彼女の体を自分の腕で過保護なくらい囲って抱きしめている。
香恋は何が起きたのか分からずきょとんとした顔を浮かべていた。そして、彼女が顔を上げるとすぐ近くに藤丸が心配そうな顔をしていたのが見える。香恋はようやく事態に気がつくと顔に紅潮を浮かべていた。
2人の目が合うと藤丸は慌てて、彼女の体を包んでいた両腕を離した。
香恋は両足をしっかり地面につけてゆっくりと後退した。
「ごめんなさい……ちょっと調子に乗っちゃって、小鴨君のお陰でけがしないで済んだかも——」
香恋は頬を赤らめながら乱れた髪を直した。
「僕も余計なこと言っちゃったから、ごめんね。足とかひねってない?」
「うん……体はなんともないよ——私これにするね。買ってくるからちょっと待ってね」
日傘を丁寧に収納すると、藤丸を置いて足早に店員とレジに向かった。
香恋が戻ってくると手には百貨店の紙袋が握られている。藤丸はさっきの事がまだ恥ずかしくて、そのチェック柄の紙袋を見ていた。
「今日はありがとう、おばあちゃんに良いものがあげられるよ……喜んでくれるかな」
「おばあちゃんきっと喜ぶと思うよ」
ようやく香恋の顔を見て話し始めた藤丸であったが、まだ少しぎこちなさが残っている。
「そうだよね、ずっと応援してくれたおばあちゃんにお礼をしたかったから、これでやっと恩返しができる……」
満足げな顔で香恋は紙袋をぎゅっと握りしめた。
「おばあちゃんも天宮香恋のファンだったんだ」
あえて藤丸は昔の名前で言ってみた。彼女にその名前を出すのはダメだと分かっていても、彼はあの華麗なターンを見てからは、抑えられずにはいられない。
「その名前を言うのは卑怯だよ……でも私がそれになる前からずっと応援してくれていた。だからおばあちゃんは私の最初のファンだったの」
「天宮香恋になることを辞めても、ずっとおばあちゃんは君を応援してくれているでしょ」
藤丸はそう訂正する。
天宮香恋の名前を何度も出したからなのか、自身がアイドルだった時を思い出したのかは分からないが、香恋は俯く。
「——正直に言うとね、辞めたことは後悔しているよ。あの時を忘れた時なんて一度もない。けどね、叶わない夢なんて沢山あるでしょう、それに今の生活には満足しているの、もちろん今日の事だって」
香恋は照れながら、藤丸の顔を見つめる。
正直な想いを聞けた藤丸は少しだけ香恋との距離が近づけた実感できたが、彼女の言葉はとても重く感じてしまった。
「僕も忘れてないよ……」
「——もうこの話は終りね。楽しかった一日ももうお終い、だから帰ろう小鴨君」
「そうだね……僕も今日凄く楽しかったよ、夢みたいな一日だった」
香恋が言ったことが真実ならまだ彼女の中でアイドルをやりたいという気持ちが残っているという事になる——
そう思っても、辞めた事自体は彼女自身の選択であるし、なにより今の生活には満足している様だ。
それに天宮香恋がずっとアイドルをやっていたら、今日みたいにデートする日なんてなかっただろう、彼女の体を受け止めることもなかっただろう。だから、自分自身の人生にとって間違いなくプラスであることも分かっている。
それなのに藤丸は都地香恋と話すたびに心の中のモヤモヤは濃くなっていた。
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