~染川有紗~映画デートに行ってる時、彼女は
~染川有紗~
昼下がりの土曜日、藤丸と香恋が浦和まで映画鑑賞に出かけている時、有紗は鴻巣市内にある国道沿いのファミレスで船見真由とランチを取っていた。ランチと言っても、ワンコインで一皿食べられる値段設定で提供されているので高校生には有難い。
有紗はカルボナーラを注文したが、そのフォークを持つ手が進まないようである。
「そんなに気になるなら、今からでも浦和に行けば?」
有紗を煽る真由はナイフとフォークを使って優雅にハンバーグを食べた。
「そんなの……行ける訳ないでしょ、それに行ったところで、現場を見てしまったら私は倒れる自信がある」
有紗は今日藤丸と香恋で映画館に行っていることは現場を見ていたから知っている。
「なら、ここにいる時間を楽しもうよ、貴方の寂しさを紛らわすために私が呼ばれたんだから」
2人がデートしている時間に一人で家にいるのが有紗には耐え切れなかった。
「そうだけど……考えちゃうの、今頃何しているのかなって」
「気持ち悪ッ」真由は有紗の思考を突っぱねた。
「私だってそう思っているよ……」
「有紗はいつも一緒に通学したり、仲良く話しているんだから、一日くらいいいじゃない」
今にも涙が溢れそうな有紗の顔を見て真由は、面倒な顔をしながらも庇っている。
有紗が真由と出会ったのは2人が高校一年の時だった。その頃から有紗は常に味方になってくれているようで、厳しいことも言ってくれる。そんな真由にいつも恋愛相談をしていた。
「私はどこに行くとか、集合場所とかを決めて、デートをしていることが羨ましいの。私は藤丸とそんなデートしたことない」
蛍光色のソファーに持たれながら、有紗はぶつぶつと小言を垂れた。
一緒に登下校をしたり、帰りにどこかに寄ったり休日に藤丸の家に押しかけたりすることはあった。しかし、デートの約束を取り付けられたことは一度もない。
有紗にとってデートとは誰かとどこかに行くことを約束して会うことが何より大事だと思っている。その時間を迎えるまで、じわじわと心が焦がれていく気持ちを自分自身で味わってみたいのだ。
「そうなんだ——都地さんは意外にやり手だね、でもなんで小鴨なんだろうね」
真由は紙ナプキンで口を拭きながら呟いた。彼女も転校して一か月も経っていない香恋が何故藤丸をデートに誘ったのかが気がかりである。
香恋が藤丸にデートの誘いをして、いとも簡単に約束を取り付けた木曜日の休み時間を有紗は思い出す。
教科書で顔を隠して、有紗はその様子を見た。気づいた時には香恋は藤丸の机の横にいて、藤丸は照れながらも楽しそうに笑っていて、それを見ている事しかできなかった。
元アイドルの香恋がどうして藤丸に接近したのかは分からない。彼女にとって藤丸は自分の経歴を知る数少ない人間であるから、あまり関わり合いたくないはずである。有紗も転校初日のあの一件以来、席が前後であるが香恋とはほとんど話していない。
だとすれば彼女の過去は関係ない、都地香恋の事情があるのではないか。
「都地さんは藤丸の事が気になっている……もしそうなら私は絶対に敵わない」
不安に陥る妄想は止まらなかった。
「そんなこと…………ないとは言いきれないけど、私としては有紗VS都地さんを見てみたい気もするね」
真由はその戦いの構図を頭で思い浮かべたのか、クスリと笑った。
「戦いたくないよ——」心から有紗はそう願うしかない。
「戦わないと勝てないよ、あとは……他の人に乗り換えるしかない。そもそも、有紗があいつにこだわる理由が分からないよ。苗字のとおり鴨みたいにいつもぷかぷかとしている奴じゃん」
有紗と一緒にいれば楽しい生活を送れると思える様なカリスマ性があり、男子生徒からの根強い人気もある。有紗が藤丸の事が好きであるというのは周知の事実であるが、どうして藤丸に惚れているのかは誰も分からない。
「分からなくていいよ、浮かんでいる水の下では必死で足をバタバタしている事を私だけが知っていればいい」
彼女はにやにやと頬を赤くさせている。
藤丸に拘る有紗は執念そのものであった。
桶川の住宅街に同じ時期に引っ越してきたのが、有紗の家族と藤丸の家族だった。
幼稚園が同じで、毎朝バスの集合場所でよく2人の母親が話をしていたことがきっかけで家族ぐるみで付き合いがあり、2人が知り合ったのもそこからであった。
昔から有紗は活発な性格で高いところに登るのが好きだった。木や塀にジャングルジム、なんでも空に一番高い場所を目指した。そこから見える眺めが好きだった。藤丸はあまりそういったところが好きではなかったので、下から彼女を落ちないように心配しながら見ていたというのが有紗と藤丸の共通認識。
時はしばらく流れて、小学6年生の修学旅行のある出来事をきっかけに有紗は藤丸に恋をする——
修学旅行2日目、有紗達は神奈川県小田原市を散策するためクラスで班を作り、有紗と藤丸は同じ班になった。
有紗達の班は一通り観光を済ませると、予定通り集合場所の小田原駅へ向かった。しかし有紗が途中ではぐれてしまう。
有紗は弟のために、アニメのキャラクターがデザインされた蒲鉾を買ってあげようといつの間にか班行動を忘れて、立ち並ぶお店を片っ端から見回っていた。無事それを買うことは出来たが、有紗は一人街中を彷徨っていた。
その時の観光グループの班長は藤丸であったので、有紗は彼に任せれば安心だろうと、地図も読んでいないし、集合場所がどこであるのかも知らなかった。
不安に駆られたが、皆で行った小田原城に戻って、天守閣に登れば誰かを見つけられるのではないかと単調なアイディアを閃いた。
子どもらしい事を思いついた有紗は、駆け足で小田原城に戻り城内にいるスタッフの心配を振り切って天守閣へと登った。天守閣からの眺めはやはり良いものであったが、当然誰かを見つけられることは出来ない。
有紗は落胆すると、街中蒲鉾を探した疲れや、知らぬ地ではぐれてしまった孤独感がここにきて押し寄せてその場で崩れる様に座り込んでしまう。天守閣に飾られている小田原城の城主だった人の肖像画がその時の有紗には睨んでいるように見え、高い所が好きなはずなのに、その時は怯えていた。そんな不安がピークに達した頃であった。
班長の藤丸が天守閣に現れた。有紗に近づき、息を切らしながらも呆れた顔を浮かべる。
「小鴨……君?」
突然現れた藤丸に有紗は驚きを隠せない。
「ここにいると思ってたよ」
うんざりとしながらも藤丸は優しく声をかけた。
昔から高い所に登るのが好きであることを知っていた藤丸だけが、有紗を見つけることができた。藤丸は駅に到着してクラスと合流した後は先生の制止を振り切って、彼女を迎いに行くため迷わず小田原城へと走ったのであった。
歴史上、難攻不落と言われたその城にいる少女を救い出すために、藤丸は全力で駆けて、登った。
藤丸が手を差し伸べて有紗がその手を取ると、そのまま手を繋いで駅まで歩いた。有紗は駅までの帰り道、夕日に照らされた彼の横顔をずっと見つめながら、初恋を実感していた。
有紗はフォークを持っている手を見つめた。あの時不安で冷たくなっていた手が、少しずつ藤丸の手で温められるその感触が今でも忘れられない。
それから、藤丸と一緒にいるために近づいた。好意を隠さずに近づく有紗は時折周りに馬鹿にされながらも自分の想いを貫いた。
中学時代、部活ですれ違うようになっても、有紗の方が早く終わる日は彼を待っていて2人の時間を作ろうとしていたし、高校も藤丸が行きたいところが第一志望だった。
そんな有紗が告白をしないのは、藤丸の拒絶がくる可能性を考えると怖くなるから。
彼に振り向いてもらえなくても、またいつかこの手を握ってもらえることを信じて、有紗は恋をしている。
もしかしたら、有紗はその思い出に囚われて、ただ恋をしている自分が好きなだけかもしれない。それでも彼女は諦めることはできない。
「たとえ誰が相手でも、負けないし、負けたくないし、負けられないことなの」
「転校したての都地さんをずいぶん敵視しているね」
「私はずっと見てきたから」
「え?」
香恋の事を因縁視している有紗の事情を知らない真由にとって彼女の発言は謎である。
しかし、その執念はともかく少しだけ前向きになった有紗に真由はほっとした。
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