~小鴨藤丸~都地香恋とデートをする

~小鴨藤丸~

 天宮香恋が転校して来てから3週間が経っていた。今日は木曜日で週の折り返しが過ぎているため、生徒も先生も少し疲れた顔をしていた頃である。


 藤丸もさっきまでの授業が苦手な英語だったこともあり、授業で分からなかった英単語の意味を疲れ切った顔をしながら電子辞書で調べていた。そんな時、彼の後ろから香恋がそろりと近づいた。


「小鴨君、いまちょっといい?」

 香恋は藤丸の机の横につくと彼だけに聞こえるよう、膝を折って中腰の態勢となり耳元に向かって話しかけた。

 藤丸はその距離間に驚きを隠せず、距離を取ろうと窓際の壁へ逃げる様に体を引いた。

「なにか——僕やりました?」

 突然ピンポイントで自分に話しかけられたことに、彼は不都合なことを言われる予感がして思わず質問を質問で返してしまう。


「そういうわけじゃなくて……普通に話したいだけ」

「そうだよね……ごめん、ちゃんと聞きます」

 藤丸がほっとして香恋の方を見ると、切り出すのを躊躇しているような恥じらいの表情を見せていた。

「今週の土曜日空いている?ちょっと行きたい場所があるんだけど……」

 彼女からの思いがけないお誘いに藤丸も顔を赤くした。


 教室を一旦見渡すと、周りの生徒が何人かこちらを見ていることに気がついて、必死で冷静を装う。

「空いているけど……どうしたの?」

「映画を観に行かない? チケットを貰ったから、行く人がいればなって……それで小鴨君なら興味がありそうだなって——」

 香恋は藤丸の反応を伺うように顔をじっと見つめている。


「それって、誰か行くの?」まだ浮かれるには早いと藤丸は着実に話の方向を見定める。

「2人分しかないから、私と誰かになるかな、無理なら他の人を誘うけど」

 頭は混乱していたが、これは単純なことであると気がつく。推していたアイドルに映画に誘われている。しかも2人きり、断るわけがない。

「行きたい、映画ってなにを観に行くの?」

 香恋は「ちょっと待ってね」と言い残し、一度自分の席に戻った。


 鞄の中にある封筒から、さらにその中のものを取り出すと、もう一度藤丸の席に向かった。

 彼女が持ってきたものは2枚の映画のチケットであった。藤丸はその前売り券に書かれている映画のタイトルを見ると何か察したようで、視線を香恋に戻す。

「もしかして貰ったっていうのは、朝霧静さんから?」

「そう……貰ったからには観に行かないといけないと思っているけど、2枚あるから——」

 朝霧静は香恋が所属していた『彩色マーメイド』のメンバーの一人である。前売り券に書かれている出演者の中にしっかりとその名前が記載されていた。

「いいよ、僕も行きたいと思っていたから」

 藤丸は『彩色マーメイド』のメンバーはもちろん全員把握していたが、メンバー全員が好きである、『箱推し』という訳ではなかった。だから天宮香恋が引退してからの情報はあまり知らないし、興味もそれほど無い。しかし、香恋と映画に行きたいため興味があるように言ってみた。


「じゃあ、決まりね。別の用もあるから浦和の映画館でもいい?」

「あ、うん」

 香恋は埼玉県の浦和で映画を観ることを指定した。藤丸はてっきり、近場の鴻巣にある映画館に行くのだろうと決めつけていたのでそれが意外であった。


「じゃあ、13時上映の回を見ようと思っているから、それまでに浦和シネマのロビーで待っていてね。席は私がネットで取っておくから、ゆっくりでいいよ」

「そこまでしてもらっていいの?」香恋に計画から準備までしてもらうことになった。

「うん、私が誘ったんだし、なんかあったら連絡してね」

 藤丸は頷こうとしたが、あることに気がつく。

「都地さんの連絡先分からないから……教えて貰ってもいい?」

 女の子に連絡先を聞くのは慣れていないが、勇気を振り絞って聞いてみた。

「あ、そういえば私まだ、スマホ変えてなかった」

「うん?」その意外な香恋の回答に間抜けな声を出した藤丸であった。

 連絡先まではまだ教えてくれないか——


 自信を喪失しかけたが、香恋は気まずい顔で答える。

「東京の人から連絡がくるのがいやだったから捨てたきりで、私まだ携帯買ってない」

 天宮香恋引退に関する重要な手がかりを打ち明けられた気がしたが、このまま何か聞こうとすると香恋がNGとしているアイドルの話になることは避けられないため、聞き逃す。

「——そうなんだ。まあ大丈夫だよ、僕は必ず行くから」

「うん、そうだよね——私も必ず行く、約束ね」2人で苦笑いを浮かべる。


 予定が決まったところで、藤丸は自分の席に戻る香恋の背中を見つめていた。その時香恋の前に座っている有紗が教科書で顔半分を隠しながらも、しっかりとこちらを見ていた。


 藤丸と香恋が映画を観に行く週末の土曜日がやってきた。浦和駅前にある様々な商業施設が入ったビルに映画館も併設されている。

 藤丸は12時には映画館のロビーに到着していた。香恋と集合時刻を正確に決めていなかったので彼女が何時に来るのかは正確には分からず、早く来てみたものの、流石に早くて少しの時間本屋や雑貨屋で時間を潰した。


 12時半頃になると、再び薄暗い映画館のロビーで待ち始めた藤丸は何度もスマホで時間を確認して、落ち着かない様子であった。

「タグとかついてないよな——」

 全身新品の洋服に藤丸は身を包んでいる。デートに相応しい洋服を揃えようと、前日の放課後、駅前にある洋服屋へバイト代を握りしめて挑んだ。普段自分の意志で服を買わない藤丸は、店内に並べられた洋服を見ても、イメージが掴めず、結局マネキンに着させられている洋服一式を自分のサイズに合わせて買っている。


 藤丸は髪の毛も気にした。藤丸は普段寝癖を直すくらいしか自分の髪型を気にしないが、今日ばかりは友達に貰ったワックスを久しぶりにつけた。ナチュラルにまとめられている印象であったが、彼自身は整髪料の匂いが気になっている。

 そうして10分程経つと、映画館の入口から香恋が現れた。自動ドアが開いた瞬間藤丸は彼女に気づいて手を振った。

 ぎこちない動きでロボットみたいであった。


「おまたせ——待たせちゃったね」

「ああ、うん。大丈夫、大丈夫」

 そんな浮ついた返事をしたのは、香恋の私服に見惚れていたから。淡いピンクのワンピースにブルーのカーディガンを羽織っている彼女は普段の制服とはまた違う雰囲気があり、女の子らしさ全開の服装で藤丸を魅了していた。

「ネットで座席を予約しておいたから、ちょっと私発券を済ませてくるね」

 彼女は発券機の元へ向かった。藤丸も一緒に行こうとしたが、夢見心地な気分から醒めることができずに、その場で立ち尽くしていた。


 香恋が事前に席を予約しておいてくれたおかげで、映画は公開初日という事であったが、劇場中央の席に座ることができた。

 薄暗い劇場の雰囲気は映画が始まる前の期待感を高まらせる。2人は入場する前に買っておいたチュロスを食べながら、映画が始まるのを待っている。


 藤丸は今日の香恋についてとある変化に気がつく。

「今日は眼鏡をしないんだね」

 香恋は普段学校かけている赤い眼鏡を今日はしていなかったので素顔を晒していた。

 そして、眼鏡がないだけで以前の天宮香恋にぐっと近づいている。

「今日は大丈夫かなって……やっぱりコンタクトの方が楽だから——変かな?」

 恥ずかしそうに問いかける香恋は横に座っている藤丸をちらりと見た。


「いや、変なんて……どちらも似合うよ……なんか久しぶりだなって」

 天宮香恋であった時は、茶髪の長い髪を後ろに束ねて赤いリボンで結んでいる。その姿が藤丸には今でも脳裏に焼き付いている。

 都地香恋としての今は髪をバッサリと切っていて、それも似合うと思いながらも、普段は意識しないようにしているつもりであった。しかし、こうして眼鏡を外した彼女を見るとやはり過去を思い出してしまう。


「もう、そういうこと言うのはダメだって……」

 香恋としては、やはりあの時の自分と比べられるのも嫌みたいで顔を逸らした。

「小鴨君は朝霧さんもファンだった?」

 今から鑑賞する映画に出演している『彩色マーメイド』の朝霧静の話題を香恋自身が振ってきた。藤丸は香恋単推しであったが、それを直接言うのはまずいと、朝霧静について分析した。


「——どうだろう。演技は上手いと思う、深夜番組の時のユニットで作っていたミニドラマも一番役にのめり込んでいたような感じがするし……」

 以前『彩色マーメイド』彼女達だけの冠番組が放送されていた。午前1時スタートの深夜番組ではあったが、藤丸は毎週欠かさずにリアルタイムで見ていた。その番組はメンバーが様々な企画にチャレンジするもので、彼にとって朝霧静といえばその時の企画でやっていたミニドラマが印象的だった。


「あの番組ちゃんと見てくれていたんだ——流石だね」

 藤丸の冷静な番組評論に思わず感心する香恋であった。

「そういえば、引退直後にあの番組も終わっちゃったよね……でも今度は別のテレビ局で番組が始まるんだっけ——」

「え……うん」とスカートに落ちたチェロスにまぶされているシュガーを強く振り払った。


 藤丸は何気なく番組の終わりについて語ったつもりであったが、香恋としてはこの話は、これ以上掘り下げられたくない様であり、そのことを察して話題を朝霧に戻した。

「朝霧さん、先月くらいにもなんかのドラマにも出演していたよね。見てないけど、ネットニュースで話題になってた」

「うん。私も見てないけど……知ってる」

 彼女自身は『彩色マーメイド』を脱退しても、メンバーの活躍には目を通している。

「——そうなんだ。チケットを貰った朝霧さんとはまだ仲が良いの?」

「ううん、全然仲良くないよ」

 香恋は真顔でそう答えた。映画の半券を取り出すと彼女は冷たい目でそれを眺める。

「多分これは逃げた私への当てつけなんだよ。チケットもご丁寧に今住んでいるところに送って来た。貰ったからには私は観に行くしかないと思ってしまう私の気持ちを読んで送られてくるの——」


 悲しい声であった。香恋が所属していたメンバーのことをそういう想いを持っていたことが、メンバーで仲良く一緒にいる姿しか知らない藤丸にとっては想定外である。

「そういうものなんだ……僕には分からないや……」


「ごめんね、今のは忘れて……もうそろそろ映画始まるね——」

 彼女の言葉を忘れられることなんて藤丸にはできない。それでも、薄明るい劇場の照明が落ちて、予告が始まると肩に力を抜いてスクリーンを見つめ始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る