~染川有紗~都地香恋はもう天宮香恋ではない

~染川有紗~

 香恋が転校してきた波瀾の一日が終わる。放課後になると、校内は部活をする生徒の声で騒がしくなった。部活に入部していない有紗はジャージ姿の生徒とすれ違いながら、昇降口へと向かう。先に駅へと向かった藤丸の後を追うため校舎の外に出た有紗は運動部顔負けの走りで追いつく。


 2人の家は鴻巣市の近くにある桶川市にあり、登下校に電車を使っているためこうして有紗が追い付ける時は一緒に帰っていた。

 有紗は藤丸の言動に納得がいかない事を解消しようと、本人に直接聞いてみようと思っていた。それは憧れのアイドルが転校してきて、初日にお昼ご飯まで食べられたのに何故か終始素っ気なくて、口数も少なかったことが気がかりであった。


 藤丸の笑った顔を見られて、お昼に2人を誘って良かったと思っているが、思い出せば笑ったのは香恋がアイドルであったことを漏らさないと約束した時だけである。

 天宮香恋がアイドルを辞めた経緯を自分が知りたかった気持ちもあるが、なにより藤丸の事を想って行動に出てつもりだった。だから、欲を言うとあの時もっと推しの元アイドルが転校してきた現実に興奮して欲しかったのだ。


 有紗は藤丸に追いつき、並んで歩きながら鴻巣駅に向かう途中、その率直な気持ちを聞いてみた。

「ねえ、藤丸。どうして天宮香恋に会っても全然喜んでなかったの?」

 藤丸の横顔を眺めていると、彼は有紗の言葉に訂正を加える。


「彼女は都地香恋さんだよ……もうアイドルの天宮香恋さんじゃない」

「そうだけど一緒でしょ」

「全然違う」

「意味わかんない」

 有紗にはその線引きにこだわっている理由が分からない。


「都地さんが自分で言っていただろ『もう関係ない』って、だから僕もそう思うことにしているんだ」

「じゃあ、藤丸も天宮香恋への熱が冷めたってこと?」

 そうであれば有紗にとってこれほどいいニュースはない、期待して彼の回答を待つ。


 藤丸は歩くのをやめて有紗の方を見た。なにか言いたげであったが、だんまりを決めると、またすぐに歩き始めた。

「何か言いたいことがあるなら話してよ……」

 有紗がわざと藤丸の方に近づいてねだってみると、藤丸は顔を逸らして車道を見つめる。

「——彼女はアイドルの天宮香恋の時と一緒……見た目が変わっても、アイドルを辞めても、僕の気持ちはまだ変わっていないと思ったよ。可愛くて……凛々しくて……見ているだけで心が満たされる」


 その混じりっけのない香恋に対する好意の意思を聞かされた有紗は、その恋心に納得することだけしか出来なかった。

「そっかあ……まあ、可愛いよね」

 香恋の瞳は澄んでいて、笑顔がなにより素敵であった。テレビや写真で見るよりもずっと可愛い。有紗もその魅力を皆まで感じた一日であった。

 そして、藤丸から「可愛い」と言われたことのない有紗は香恋が心から羨ましい。


「都地さんが、アイドルをやめて普通の生活に戻りたいと望んでいる以上、僕はその考えに尊重したい。だから、意識しないようにしたいんだ」

 力強く、自分に言い聞かせるように藤丸はそのセリフを唱えていた。

「それでいいのね」

「もとより彼女が引退したとき、自分の中で踏ん切りをつけたことだ」

 アイドルとして、同世代の異性として、藤丸は香恋が大好きなのだろう。同じ学校の生徒となった今2人が付き合う事だって不可能ではない。だから藤丸が都地さんを意識しないなんて無理なはずである。見た目も、肩書も変わっていても、自分にとっては脅威であることは変わらない。


 天宮香恋として遠い存在としてアイドルをしてくれた方が良かったのではないか——

 そんな事まで考えてしまう。

「でも彼女がアイドルを引退した理由はちゃんと聞かなくていいの? ずっと気になっていたんでしょ」

 有紗は藤丸自身が踏ん切りをつけたことを、掘り返して欲しいと望む。


「それは気になるけど、聞いちゃダメでしょ」

「——もし理由を聞いて彼女がもう一度アイドル方法が見つかったとしても」

「……どういうこと?」

 藤丸は目を丸くしながら、有紗を見ていた。

 都地香恋が再びアイドルを目指してもらえば、藤丸は笑顔に戻れる。自分は振り出しにもどるだけではあるがまた2人きりになることを目指せばいい。


 その考え自体後手に回っている事は有紗も自覚していたが、このまま香恋と藤丸がクラスメイトとして仲良くなってしまい、それ以上の仲になってしまうよりかはマシであった。

「都地さんが廊下で正体を明かしてくれた時、悲しい顔をしていたでしょ。完全に辞める決心が出来て、転校してきたのならあんな顔はしないと思う。彼女自身その選択には、きっぱりと踏ん切りをつけられていないのかも……なんてね」

 無念にも香恋はアイドルを諦めた。その事実を受け入れているが、心の底から納得はしていないのではないかと有紗は思っている。


 有紗が香恋の事をそう思うのも、藤丸が香恋のファンになったことを知った時、彼女には勝てないという現状を認めていた時は自分もあんな風に投げやりな気持ちであったから。

 それでも有紗は天宮香恋について研究をしたり、髪の毛も彼女のように茶色に染めて藤丸の好みに近づけてみることで、天宮香恋になろうとしていた。


 過去の自分と香恋を照らし合わしたことで、まだ彼女も諦めていないのではないかと導きだした仮説を有紗は信じていたい。

「理由を聞いても、彼女が選んだことなんだから納得するしかない。だからこの現状を受け入れる、それに転校してきてくれたことは素直に嬉しいからさ……」

 そんな有紗の考えから言ってみたものの藤丸にとっては、香恋が学校にいてくれるだけで十分である事実を突き付けられる。


「確かにそうだよね——良かったね藤丸」

 香恋はとびっきりの笑顔をつくり藤丸に微笑んだ。

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