~染川有紗~あいつを連れて学食へ行こう

~染川有紗~

 転校生の都地香恋は引退したアイドル天宮香恋であることは間違いない、これに気づいているのは私と、恐らく藤丸だけ——


 有紗は授業中真後ろにいる天宮香恋を見るため一瞬だけ振り返った。彼女は黒板の内容を丁寧に写している。

 もう一度、彼女の顔を確認したくなった有紗は振り返ると、香恋と視線が合ってしまった。


 どうやら香恋の方も有紗のよそよそしい態度には気が付いているようで、有紗を待ち構えていた香恋は怪訝な顔を浮かべる。

「——なにか?」

 話しかけられた有紗は、無視して顔を黒板の方に戻すわけにもいかず、香恋の机の上のノートを見た。


「何か分からないことあったら、言ってね。教えられるかは分からないけど」

 有紗はとりあえず、5月に転入してきた香恋の学習状況を心配しているように見せかけることにした。

「うん……ありがとう。不安だったら聞くね」

 香恋は無垢な笑顔で返す。その笑顔を見た有紗は、転校生は間違いなく天宮香恋であることを確信する。

 もしそれが朝の時点でクラス中にばれていたらもう少し教室は騒ぎになっていただろう。

 だとしたら、藤丸以外のクラスの人たちには都地香恋の正体は分かっていない。


『彩色マーメイド』は有紗と藤丸が中学二年生に結成された今年で4年目のグループであり、テレビでの露出はあまりない。髪をバッサリと切っているため香恋の見た目も変わっている。アイドルオタクで天宮香恋の相当なファンでない限り、気がつくのは難しいのだろうと有紗は分析していた。

 条件が当てはまる藤丸は朝の時点では明らかに驚いていたが、今はもうおとなしい。不自然なくらいに静かであるがその理由は分からない。

 それに彼が周りに都地香恋の秘密を言い漏らすとは到底考えられない。


 そうであれば自分か藤丸が言い出さない以上、都地香恋がアイドルであったことはバレない。自分が広めることが出来るが藤丸を刺激してしまうのは間違いないためそれは選択肢から真っ先に除外した。

 有紗はこの大きなアドバンテージをどうにか活用できないかを探った。彼女自身はアイドルオタクでもなければ天宮香恋を応援していたわけではない。

 彼女は天宮香恋をとことん分析していた。藤丸の好きなアイドルを理解することで、自分に取り込んでやろうという想いから、藤丸ほどではないが天宮香恋には詳しい。だから有紗は天宮香恋をよく覚えていた。


 推しではなく敵として。


 転校生が元アイドルであることを確信することはできたが、疑問が次々と思い浮かんだ。

 香恋自身はアイドルであった過去をどう思っているのか、どうしてこんなところに転校してきたのか、そして藤丸はどう思っているのか。

 いっそのこと、その疑問を一気に解決できるようにしてしまおうと、有紗はもう一度体を回すと後ろにいる香恋に話しかけた。


「都地さん、今日お昼一緒に食べない? 私がついでに学校を案内してあげるよ」

 香恋は突然言われたことに戸惑った表情を浮かべていたが、コクリと頷いた。

「うん……じゃあ、お願いしようかな。お昼一緒に食べてくれる人探していたし……」

「じゃあ、決まりね!」

「そこ、おしゃべりしない」

 有紗の声が大きくなっていたせいか、英語の先生は後ろの席の方を注意すると、教室の生徒の視線が集まった。

 揃って「すいません」言うと、2人は姿勢を直して授業に取り組んだ。


 午前中の授業が終了して、お昼休みの時間になった。チャイムが鳴り終わる頃には、生徒は既に教室や学食に散らばり、好きな場所で昼食をとり始めている。

 有紗は固まった体をほぐすため両腕を上に向かって突き出し、背筋をぎゅっと伸ばした。

「都地さん、もう一人学校案内に連れていってもいい?」

「うん……私はそれまでここで待ってるね」

「すぐ連れてくるから準備しておいてね」


 有紗は財布を持って、藤丸の席に駆け寄った。

「都地さんと学校見学に行って、その後学食でご飯食べるけど行くよね」

 半ば強引のようなその言い方に藤丸は顔をしかめていた。

「僕はいいよ、2人で行きなよ」

 彼の素っ気なく、遠慮している態度を見ていると有紗の勘違いだったのではないかと急に不安になり、まずは事実を確認しようと無知を装って聞いてみた。

「あの子って、天宮香恋に似てない? 下の名前も『香恋』で一緒だし、気になるでしょ。だから行こう」


 すると藤丸は周りをきょろきょろとした後、人差し指を唇に当てた。

「気づいていない訳ないだろ、知っているから行きたくないの」

 声を押し殺しているところから、余程周りに漏れないように気を使っている様子だ。

「やっぱりそうなんだ……」

「そもそも、学校の事そんなに知らないし」

 動揺している藤丸を見るのは有紗にとって新鮮で面白かった。だから、このまま『じゃあいいわ』と見逃してあげる訳はない。

「なにビビっているの、私だって知らないわよ。行かないとあんたの事全部都地さんに伝えるから」

 有紗が脅すと藤丸は大きなため息をついた。堪忍したのか藤丸はのろりと立ち上がり鞄から財布を取りだす。

「分かったよ……都地さんもこっちを見ているし、行くよ」

 藤丸に言われて有紗は香恋のいる方に振り向くと、彼女は自分の席でこちらのやりとりを興味深い顔で覗いていた。


 3人は軽く自己紹介を済ませると学校をまわり始めた。

 教室がある一般棟、理科室や美術室などがある実習棟でこの二つの棟は渡り廊下で繋がっている。

 他には職員室や事務室がある職員棟と呼ばれている建物、体育館に学食堂もあり、学校内は十分に生徒が生活できるものが揃ってはいるが、そもそもの設備は古いので香恋に自慢できる場所はなかった。


 普通すぎる高校であるため、有紗が企画した学校見学はあっけなく終わってしまった。香恋自身は転校してきた学校の事が知れて満足な様であったが、少しばかり大げさに有紗が校舎を案内していた様子を見て藤丸はやれやれとした顔を浮かべている。


 そんなミニイベントが終わると3人はお昼を食べるため学食堂へ向かった。

 お昼のピークは過ぎていて、いつも列が出来ている食券機の前には今は誰もいない、そのため3人はゆっくりとメニューを見ることができた。

「私は塩ラーメンにする、都地さんは何にする?」

 香恋は食券機のパネルの書かれたメニューをまじまじと見つめていて悩んでいた。

「まだ決められなくて……意外とメニューあるんだね……」

「そうでしょ——私も最初は迷ってたよ」


 そんな時、後ろから食券機を覗いていた藤丸は食券機に貼り付けられた、手書きの日替定食の献立を見ていた。すると、あることに気がついたのか、香恋に初めて話しかけた。

「都地さん、今日の定食はクリームコロッケだよ」

「え、うん。ありがとう」

 香恋は困惑しながら藤丸の方に振り向くと、彼はやってしまったような顔を見せてその場の空気が凍った。

 天宮香恋の好物はクリームコロッケであるとアイドル時代に公言していた。それを藤丸は覚えていていたため、気を利かせたつもりで言ってしまった。香恋にそれを勧めたということは、藤丸が彼女の正体に気がついているとアピールしているのと一緒である。


「クリームコロッケ美味しいよね、都地さんも好き?」

 有紗も藤丸の失言に気がついて、慌てて凍てつく空気を変えようとするが、香恋は焦ったままお金を投入してボタンを押す。

「うん好きだよ、でも今日はいいや、きつねそばにする……」

 香恋が先に学食の受け取り口に行くと、有紗は藤丸にだけ聞こえる声で「ほんと馬鹿ね」と呆れていた。

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