第3話 - 4

 お台場では深夜のバラエティ番組の収録だった。

 アイドルとの仕事もいいが、お笑い芸人同士でわいわいやる番組はやっぱり楽しい。

 出演者はほとんど同世代の芸人たち。好き勝手暴れまくった。

 本番中は相方のことを散々いじられたが、収録が終われば「がんばれよ」とみんなが励ましてくれた。

「ハルならピンでも全然やってけるだろ」

「なあ。サイコよりもうけるって。間違いねぇよ」

 サイコとはサイコ・口。「さいこ・くち」というピン芸人。辮髪で独特の語り口を持つ芸人で、麻薬常習者的なコアなファンを持つ。今のところ、深夜以外ではみれまい。

「俺に勝ちたいならマッスルスパーク覚えてからこい、この野郎」

 こいつらにはほんとに救われる。

 それで、話をほどほどに引き上げてきた。次の収録の入りまでにはまだ時間があるが、あの場にい続けたら自分の現在位置を見失いそうで逆に恐くなった。

 まだ暫くは不安の中にいなければならない。


 クイズバラエティ番組の収録は無難にこなした。

 相方のことはみんな知っているだろうが、収録中に触れられることはなかった。

 というか、始まる前も終わってからも、その話題はあえて避けられているようだった。

「ハルくん、打ち上げ行くけど、どうする?」

 一緒に出ていた先輩芸人に声をかけられた。

「すんません、今日はちょっと帰ります。すんません」

 体力的に限界ということはない。が、終わったとたんに糸が切れたようだった。ここまで誰かに操られていたのか……。 

 暫くぶりで自分の足で立つと、こんなにも体が重かったのか。

 さらには、マツケンは収録が始まるのを見届けて事務所に帰って、明日からのスケジュール調整をするということだった。

 二十二時をとっくに過ぎて、もう二十三時になろうとしている。まだ事務所で電話やメールをしているのだろうか。

 携帯に北村情報が送られてきていないということは、その後なんの進展もないということだ。

 そんなマツケンの姿を思い出すと、ノコノコ打ち上げという気分はさらに減衰する。

 誘ってくれた先輩は、それ以上しつこく誘うことはなかった。気を遣ってのことであろうが、軽く苛立ち、軽く惨めでもあった。


 局の入り口に晴彦が待っていた。

「飯でも食いにいくか?」

「はい。どこがいいすかね。肉すか。今日は自分も疲れました」

「明日も同じようなもんだぜ。肉もいいけど、実は、ちょっと誘われちゃってさ」

「あれ、打ち上げ班はさっきいきましたよ。ザビさんが、ハルさんはいかないって言ってたんすけど」

「打ち上げじゃないよ。うーんとね。ま、いってみるか。新橋だって」

「はい。でも、大丈夫すかね」

「大丈夫だべ。かちあったりしねぇだろうよ」

「あと、マツケンさんのこと」

 確かに、みんなでワイワイという気にはならない。しかし、これからいこうとしているのはそういうのとはちょっと違う。厳しい明日のために、きっと活力になるだろう、そう、明日のために……。

「よし」

 局から外に出て。

「事務所どっちだ。五反田あっち? マツケンさん、ごめんなさい」

 割と大きな声ではっきり言って、事務所のある五反田に向かって頭を下げた。晴彦もそれに倣った。

「これできっと届いただろう。よし、いくべ」

 晴彦も連れていくというメールを返信して、相手からの了解を得ていた。

 共犯者が欲しかったわけではない。晴彦が明日からも仕事頑張るように、だ。

 マツケンに対する引け目のようなものも、きっと仕事を張り切るための逆説的な材料になるだろう、という計算もあって。

 新橋まで出るゆりかもめの中は、ガンガンに効いている暖房の暖かさとはまた別種の温もりで溢れていた。

 正月の微かな余韻と冬の寒さをびっしりと詰め込んだコートの暖かさ。誰もが当然のように身にまとう中で、二人にはむせかえるほど、コートを脱ぎたくなるほど、ただただ暖かかった。


 駅から路上に出ると、足元から寒さが上ってくる。コートに完全に心を委ねると、やっと人並みだった。

 少し歩くと、見えてきた。お酒も飲めるパスタ屋さんということだ。

「あれ、ちょっと待ってください、ハルさん。あれって……、まさか」

「ん? ああ、ああ、うん。そう、だと、思う」

「マジっすか、いや、ほんとっすか、ハルさん、いつの間に!」

 晴彦の余りに大袈裟な興奮の仕方に、ひょっとしたらどっきりか、とも頭を過ぎる。逆に仕込まれたかなぁ。

 とはいえ、例えどっきりだとしても、芸人が、ここで引くわけにはいかない。

「こんばんは。お疲れ様。まさかこんなにすぐラインくれるなんて思わなくて、びっくりしちゃった」

「お疲れ様です。仕事終わって疲れてるかなと思ったけど。迷惑じゃなかったですか?」

 朝一で見た笑顔を、一日の終わりにまた見ることになるとは。

 夜の光に浮かぶ早苗ちゃんは、一層輝いて見えた。彼女の唇が動くたび、下半身が熱くなる。かなり疲れているようだな。この、変態!


 冷たい風が強かった。加えて、雲が出てきたらしい。昨日あれほどきれいに見えた星空が、今日は街の灯りに空を覆う雲が浮かび上がっている。

 アパートに帰り、郵便受けを開けると、一通の封筒。

「関口……?」

 誰だかはっきり思い出せないまま、取りあえず部屋の中に入った。着替えて炬燵に潜り、開けてみた。

 宛名は「直江春一」になっているから、間違いってことはないだろう。

 不思議なもので、中の便箋を取り出す瞬間、ぱっと閃いた。

 差出人は関口裕美。夫関口満男、「がずあるがずえる」、えるさんの奥さん……。


『突然の手紙、申し訳ございません。ご迷惑とは思いましたが、あるさんにハルさんの話を聞いてどうしても一言お礼がいいたくて手紙を書きました。

 先日は寒い中、遠いところまでわざわざありがとうございました。主人もきっと喜んでいることと思います。

 最近は芸能界の人たちとの付き合いもほとんどなくて、口には出しませんでしたが、本人も寂しかったと思います。今となってはわかりませんけども。

 あの人も疲れたんだと思います。短いながらも波乱に富んだ人生でしたから。好き勝手なことやって、周りの人にたくさん迷惑かけて、そんなどうしょもない自分に疲れたんだと思います。

 あの人が生きている間、私は栃木の実家には一度も帰ってきたことがありませんでした。

 今回、初めて実家のほうにきてみてわかりました。あの人は、私に見せたくなかったんです。自分がこんな田舎で生まれたってことを。

 そういう人だったんです。馬鹿みたいに体面にこだわって、カッコ悪いとか、田舎とか、大嫌いな人でした。

 口ではそんなことばかり言ってましたけど、でも本心は違ってたんだと思います。

 今、漸く心の整理がついてきて、思うんです。あの人は本当は帰ってきたかったんだって。

 飛び降りたのも、飛んで栃木に帰ろうとしたんです、多分。酔うとよく言ってました、「鳥になりたい」って。

 本当は誰よりも故郷が好きだったのに。

 こういう形でも帰ってこれて、きっと、あの人はこれでよかったんだと思います。

 新年早々、縁起の悪い話を長々と申し訳ございませんでした。

 どうぞ、栃木にくる用事があったらいつでも寄ってください。これからもハルさんのご活躍をテレビで応援しています。失礼します。』


 きれいな女性の筆致で。

 あるさんに以前、「えるさんのこと一番理解しているのはあるさんです」と言ったが、もう一人いた。

 しかもこの人は「全然わかってなかった」なんて泣き言は言わない。

 さんざ一人で泣いたに違いない。「全部わかろうとしていた」人と、「ただ受け止めていた」人の違い。

 この手紙を読んで、はっとした。

 えるさんと「相方」がかぶる。体面にこだわって、融通が利かなくて。

 違うのは、芸人としての絶頂を味わっていないことと、奥さんがいないこと。

 えるさんと自分がかぶる。故郷を隠すように生きていること、故郷が好きなこと。

 違うのは、多分だけど、えるさんにとっての故郷は「心の故郷」であるが、自分にとっては現実に「前に進む力」をくれる場所であるということ。

 かけがえのない仲間がいること。

 手紙を炬燵の上に置いて、横になった。灯りが暗い。交換しなければと、少し前から思っていた。

 ――飛びたい。

 窓ガラスがガタガタ鳴っている。風が強い。

 同じように、炬燵で横になって天井見上げている相方の姿が浮かんだ。

 あいつは実家にいるんじゃなかろうか。

 マツケンが実家に電話したときは「知らない」と言っただけだったそうだ。

 実家のこと詳しく聞いたことはないが、「お笑い芸人目指して東京に出る」とか言う息子を笑顔で送り出す親はそうそういるものではない。地方の田舎なら特に。

 が、心配しない親もいない。言葉は悪いが、「匿っている」ことだって考えられる。そんな相方を、罵り責める気にはならなかった。

 炬燵から出て立ち上がった。窓の方へ近寄っていき、閉めてある薄緑の汚いカーテンを開けた。

 さっきまでは窓ガラスが激しく鳴っていた。

 今も鳴っている。しかし、さっきほどじゃない。

 窓ガラスが、部屋の明りを取り込んで鏡のように自分の姿を映していた。ガラスに映る自分を一睨みして、静かに窓を開けた。


 そこは、実家の窓だった――。

 バァッと吹き込んできた。風と、白いもの。雪が降っていた。

 驚きはしたが、「やっぱり」という感触もどこかにあったらしい。

 降り始めたとこで、道路にはまだ積もっていない。降りが結構強い。時おり吹く風に、吹雪のように横に流れた。

 それは雪の日特有の静けさだった。雪が、無駄な音を吸収する。

 かさかさと雪が屋根に当たる音。車の音は常よりも遠い。この静けさが、「やっぱり」と思わせたんだろう。

 この静けさが、相方と故郷を結びつけた。心を冬色に染めた。心をセンシティブにしたに違いない。

「手紙」が、この「冬」を呼んできたのだ。

 何歳かはわからない。ある年の初雪は夜だった。

 家の誰かに言われたのか。それとも、今日のようになんとなく呼ばれるように窓の外を覗いたのか。夜の闇に舞う初めての雪を、寒ささえ味方にしてじっと眺めていた。

 いつしかそれは、えるさんの葬儀の後、のぼった城跡から眺めた光景になっていた。

 ――手紙、手紙だ。あっちゃんからの手紙……。

 窓を閉めた。本棚の上、無造作に置かれた手紙。親父の手紙。母親は、泣いちゃうから電車の中で読むなと言ったが、書いてあったのはほとんど世間話と家の近況だった。

「あった」

 あっちゃんからの手紙と、書きかけの返事。それとレポート用紙を持って再び炬燵に入った。

 あっちゃんからきた二通目の手紙を一読して、自分の書きかけの返事をじっと見つめる。それをぐしゃっと丸めてゴミ箱に捨てた。

 新しいレポート用紙を一枚はいで、さっと一筆啓上仕り。折り畳んで封筒にしまった。

 すぐまた炬燵を出て、窓に映る自分を睨みつける。

 ――飛べ! この雪の中を、飛んで見せろ!

 窓を開ける。ぶつかってくる寒さに顔を背けず、向き合った。街灯に、白くなりかけた道路が浮かんでいた。

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