第2話 - 4
葬儀は静かなものだった。まさしく、「しめやか」という言葉そのまま。
えるさんの実家近くの葬儀場で、いったとき、五十人は入るだろうというハコに、十人に満たない列席者、会場の前方に並んだ身内親戚筋の人たちは十四、五人はいたろうか。
落ち着かない中で、故人に言葉をかけることもできず、お焼香をして遺影に頭を下げて帰ってきた。全くカタチだけ。
マツケンはそのときいなかった。最前列の一番前に座っていたのが、多分あるさんだったろう。
外に飾られた大きな花輪は四本。所属している(いた?)大手事務所の社長、残り三本はよくわからないが、そのうちの一人は政治家か、確か栃木出身だったか。残り二人もそんな感じかと思った。
時刻は午後三時過ぎ。太陽は早くも光を黄色に変えている。住宅地をちょっと離れた田んぼの中に、葬儀場はある。
風はさほどないが、空気の乾燥具合と冷たさ、鼻を抜ける「冬の匂い」が故郷を思い出させた。
雪は全くない。遠くの山が白く化粧をしている。西に見える山はどこか見覚えがった。裾野は長し赤城山、か。
青空の下を大小取り取りの形をした綿雲がゆっくり流れる。建物がなければ、それはそれで長閑さ満点の冬景色だが、角ばった建物が、冬枯れの野に横たわる白骨のよう。
すぐには帰らず、ちょっと町をぶらついた。
そもそもくるつもりはなかった。起きた次の瞬間から、葬儀にくる準備を始めていた。
北に向かって歩くと、上り坂になり幾らか景色に木々の茶色や緑が増えてきた。途中の電信柱、「関口家」の案内。
「せきぐち……」
関口満男。えるさんの本名だ。電信柱の張り紙にちょっと触れて、また坂を上った。
コートを手に持ち、黒いネクタイも外している。汗ばむほど歩いてしまった。知らな~いま~あ~ちを、あるい~て~み~た~あ~い、ど~こ~か~と~お~く~へ、いき~い~た~あ~い。
単なる気まぐれとも言えない。昨日の夜、寝る前の時点で、くることになるような気はしていた。北村との喧嘩がその気持ちを作ったと言えそうだった。
お笑い芸人「がずあるがずえる」。『芸人の頂点』、『時代の寵児』『カリスマ』『二十一世紀のやすきよ』『水戸ホーリーホック応援団長』etc.……。
これでもかと飾りつけ担ぎ上げ、祭り上げ、落とす。マスコミとは言うまい。世間の常套手段だ。
逆に、「がずがず」はまんまと祭り上げられてしまった。
潮が引けたらあっという間に、ポイッ。実力で勝ち取ったはずのものを、まるで消費者金融で「借りたもの」よろしく奪い取られ、身包みはがされ、冬の枯野に捨てられる。
小学校を通り過ぎたところにあった標識をみて、何気なく登ってきてしまった。
城跡だという小高い丘の上。建物はなく、屋根付の休憩所と案内板があるだけだった。
なにもない、と言ってもいいその場所から、町が、えるさんの町が、がずあるがずえるの町が一望できた。さっきまでの晴れ間は気紛れだったか。町に灰色の雲が覆いかぶさる。
携帯で確認した天気予報によれば、むしろこれが本来だ。
がずがずの二人も、きっとここから天下を見下ろしたに違いない。見渡す景色に向かって掌を突き出し、拳を握ったに違いない。末は信長か秀吉か。地元に全く縁はないが、まあ、ここは気にすまい。
彼らは一度は天下を握ったと言ってもいいだろう。他の数多の芸人たちの頂点に、一度は立ったと言っていいだろう。
そして一気に落ちていった。そのとき、自分たちを信長の悲劇と重ね合わせたかどうか。
落ちていった二人、食うに食えない生活の中で、「一人を活かすためにもう一人が犠牲になった」と考えるのは、突飛に過ぎよう。
変な考えを振り払うように一度足元に目を落とし、地面を蹴った。今頃マツケンが葬儀にきているような気がした。なんとなく近くにいるような気がした。北村も。
「くればよかったのに」
皮肉ではない。二人でここに上ったら、なにかが変わるんじゃないかと思えた。
「ちゃんと謝らないとな」
不思議だった。哀しさ重苦しさは微塵もない。不埒なほど、心はすっきりとしていた。
ここんとこのもやもやが晴れていく(爽快感は一時的だろうが)。体を約九十度に折り曲げて、葬儀場の方に向かって頭を下げた。
そのまま目を開ける。ハッと、上空を見上げた。
「うぉぉぉ!」
叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。
空から白いものが落ちてくる。ふわりふわり、風に流され、空気に舞いながら。町に降り立つ、無数の。白骨を美しく覆うように。
――きっとそんなには積もらないだろうが。
降ってきた。灰色の空から揺ら揺らと落ちる、雪。揺ら揺ら、揺ら揺ら、雪。
予想に反して、帰りの電車に乗った時には本降りになっていた。
すっかり日は暮れて、太陽が沈むと寒さはひとしおだった。髪の毛が濡れている。すぐ止むと思って余裕こいてた。
けっこう雪にあたってしまった。在来線の車窓から、外をのぞく。ガラスに映る自分の向こう、闇の中、電車の明かりに照らされて、雪がドカドカ降っていた。
雪、冬、ゲコ、公民館、大人たち、あっちゃん、御雪舞……。
そうだ、あれは小学校五年生のときだった……。
時刻は夜の八時を過ぎていた。
「さみー。あっちゃん、帰ろうぜ」
「しっ! 静かにしねぇと見つかる」
「あっちゃん、おれしょんべんしてくなってきた」
「うるせ! もう少しがまんしろ」
そこは町の公民館。三人は窓から中の様子をじっとのぞいていた。じっと、と言っても、実際じっとしていたのはあっちゃんだけだったが。
窓から漏れる明りがすぐ近くに積もっている雪を黄色く照らしている。その上に、さらに新しい雪が降り落ちていく。しんしんと微かな音を立て、雪は辺りを埋めていく。
中から聞こえてくるお囃子。踊るのは町の青年部の人たち。
その周りを、指導役のおじさんたちが取り囲んで踊りの様子をじっと見ている。となりんちのトシ兄、酒屋のたいすけ、役場のひかりさん、山田のカズちゃん、……。
二十歳前後の男たちが、曲に合わせて動き出す。それはお世辞にも決まっているとは言い難いが、それでも、いつの間にか三人は踊りに見入っていた。
「これ! おめたち! なぁにやってんだ!」
咄嗟に振り向いた。そこには頭から雪を被った雪男! じゃない、雪おじさん!
「あ!」
と言ってみなが一散に逃げ出す。
「待て!」
「ガッ!」
ドサッ。後ろで変な声を出して転んだのは、あっちゃんだった。見捨てて逃げるわけにもいかず、三人、諦めて縛についた。
「まったくおめぇらは! 親に黙ってこんなトコきたらダメだろうが!」
正座させられ、こっぴどく怒られた。
子どもが家にいないということで親たちがここに電話をしてきた。終わった後近所のもんに送らせるということで話がついたらしい。
「そこ座って見てろ。邪魔すんじゃねぇぞ」
暖かい部屋の隅っこで、三人は体育座りでその様子をじっと見ていた。本番での舞は今まで何回か見ているが、その練習を見たのはこれが初めてだった。
大人たちはみんな普段見たこともないような真剣な顔をしていた。
親しみ易い近所のお兄ちゃんたちが緊張感を漲らせ、なんだかメチャクチャかっこよく見えた。
そんな彼らと同じ空間で、同じ時間を共有し、同じ空気を吸っているということが、とても誇らしかった。
指導役のおじさんの大きな声、お兄ちゃんたちの掛け声が、熱気のこもる部屋に響き渡る。みんなの顔が汗でてかてかしていた。三人の掌もいつしか汗を握り締めていた。
「よーし、いっぺん通していくべ」
会場全体が息を呑む、太鼓の奏者の腕が上がる、動き出し、その瞬間!
息を吐き出した瞬間、自分の体が動いていた。
頭の中は真っ白。いや、視界の情報は覚えている。
しかし、頭で道筋立てて動いているわけではない。耳から入ったお囃子が体を巡り、手足が勝手に動いている、後から思い返して、感覚を無理矢理言葉にしたら、そんな言い方しかできなかった。
曲が止まり、フーッと一息はく。額に浮いた汗を上着の袖で拭った。
はっとして我に返る。
周りを見ると、お兄ちゃんからおじさんから、そしてあっちゃんとゲコも、みんなぽかんと口を開けてこっちを見ていた。
「おめ、なにした?」
間の抜けたおっちゃんの質問とそのときの顔。
質問と表情の意味がわかったとき、体を電気が走った。
今まで様々ないたずらを成功させてきた。運動会で一位になったこともあった。この快感は、全てを遥かに凌駕した。
自分より何倍も歳をとったおっちゃんたちをそんな風にしてしまったことが、たまらなく誇らしかった。
その日から、公民館通いが始まった。
「誰にも言うなよ」
「言わねぇよ」
怒ったように答えたあっちゃんの横で、ゲコが何度も頷いていた。
改めて踊ってみろと言われると、体はそう易々とは動かなかった。やはり、流れを頭と体でしっかり身に付ける必要はあった。
しかし、覚えるのにかかる時間はこれまでの「大人たち」と比べて格段に短かったそうだ。
本番はお面を被るが、それは練習では使えない、なんかお面を持ってこい。そう言われて、前の年に祭りで買ったカンダムのお面を被って必死で練習した。
センスだけではなかったはずだ。舞いにかける真剣さ、集中力でもその「これまでの大人たち」に倍していたに違いない。
祭りの本番は大成功だった。
当日、始まるまでなんにも知らなかった学校のみんなは当然驚いたし、次の日から学校中の人気者になった。
大人たちからも、その後暫くは「町始まって以来の天才」、「神童」などともてはやされた。十一歳にして早くも人生の絶頂期を迎えつつあった。
あのときに人生が決まったと言っても過言じゃない。みんなに注目されて、それがメチャクチャ気持ちよくって。あれから自分をはっきり意識しだした。
上手にできたときの嬉しさ、それを見て周りのみんなも喜んで褒めてくれて。そして本番の緊張感、えもいわれぬ興奮、そして拍手、みんなの笑顔。
今の自分は間違いなくあのときの「ハル」であり、あの瞬間、「ハル」は生まれた。芸能人「はるまげどんのハル」が生まれた……。
いや違う。
目覚めたんだ。そのときはまだ漠然とだけど、進むべき道が見えた。
皮肉にも、その年の秋、長雨と台風で稲から果物から農作物が大凶作に見舞われた。
自殺者も含めて「一人も死人がでなかったのが不思議なくらい」と大人たちが言うほど、歴史的な大雨と大凶作だった。
秋以降、公然と「御雪舞」の話をする人はいなくなった。
年明けの祭りは中止。敢えてやろうと言う人もいなかったらしい。以後十数年、祭りは途絶えた。
子どもなんかにやらせるから……。
そんな話を直接聞いたわけじゃないけど、子どもながらに責任は感じていた。
「不作なんだったら余計やりゃいいじゃねぇか!」
「いいじゃねぇか!」
「みんなハルのせいにして、大人はヒキョウだ!」
「ヒキョウだ!」
あっちゃんとゲコのいった「ヒキョウ」という言葉が、そのときの二人の表情とともにとても印象的だった。
祭りは俺が絶対に復活させてみせる!
そうデカデカ書かれた年賀状が、あっちゃんから高校を卒業するまで毎年届いていた。
今でも実家にとってあるだろうか。今年、あっちゃんはその夢を叶えた。
――夢。これがあっちゃんの……。
夢、だったのか。あの、帰りの車の中でゲコがいってた、あの町だからこその、夢……。
あっちゃんの夢、ゲコの夢、みんなの夢。
――そして俺の夢……。
目を開けると、駅で止まっていた。
慌てて駅名を確認する。「高崎」。乗換えだ。
雪は降っていなかった。寒さは大差ない。
電車から出たところで、ブルッと震えた。
両毛線で高崎経由上野行き。小山経由のほうがはるかに時間はかからない。ちょっと遠回りをしたくなった。
高崎発だっために席に座れたが、乗客は六割ほど乗っているだろう。
電車は嫌いじゃない。線路によって「つながっている感」。電車に乗るときはいつもワクワクした。未来と、過去とつながっている。
様々な思い考えが巡る。ホームと電車の中では明らかに空間が違っている。
見送る者と見送られる者。残る者、出発する者、帰ってくる者。
電車に乗ることは、そのまま未来だ。電車に乗る限り、「後退」はない。乗り込む「覚悟」をした者の、漠然とした期待と不安の入り混じった「シート」の匂い。
二度目の車内アナウンスが流れ、電車はゆっくり動き出す。プラットフォームを置き去りにして、人々は加速する。
窓の外に、山の上にそびえる大観音様が黄色いライトに浮かんでいる。アレを見ると、込み上げる可笑しさとともに心がほっとした。
顔が火照ったように温かくなる。
観音様が見えなくなりシートに背中を任せると、すっと眠りに落ちていった。
落ちる直前、観音様に頭の中で一言かけた。その一言は意識とともに落ちていき、深く落ちていって目が覚めたときには言葉をかけたことさえ思い出すことはなかった。
アパートに帰って一息つくと、そこから動けなくなってしまった。顔が熱い。まさか!
「あるさんの、呪いか」
なんとか着替えて風邪薬を飲んで横になる。横になって目をつむると、部屋がグルグルと回り出した。
――こいつは本格的にやばいな。
こんなとき、独り身ということの悲哀を殊更に感じたりする。彼女でもいればいろいろと世話を焼いてくれるだろうに……。
熱に炙り出されるように現れた、かつての彼女、「ササミチ」の顔、温もり、柔らかい感触。大きな目、可愛い唇、柔らかい胸……。
――まったく、こんなときでもそこだけは元気なのかよ。
悲しいかな、男の宿命……。脇に挟んだ体温計が、ピピッ、と鳴った。三十九度八分。
そういえば昔、相方が、「風邪ひいたとき熱なんか計ったらアカンやろ。体温計なん見たら負けやぞ」て言ってたな。
なるほど。体温が四十度弱であるということを認知したことが、いったいここでなんの助けになるというのか!
実際の体温より二度くらい低い温度を表示する体温計があったら売れるかも。そんなことを考えた。じきにそんなことも考えられなくなった。
うなされるようにして一夜を越した。翌日、病状はいよいよ悪し。
天気晴朗なれども熱高し!
頭痛、発熱、下痢、吐き気。起き上がることもできず、布団の中で体を丸めてガタガタ震えていた。
――やばい、明日仕事大丈夫かな、つか、このまま死ぬんじゃねぇか……。
明日からずっと仕事入ってるから、このまま死んでも腐乱する前には発見されるだろうな……、て安心してる場合じゃない。
正午近く。蒲団にくるまって震えていると、ティーシャツがたっぷり汗で濡れた。
着替えようとなんとか上半身を起こす。汗をかいて体が少し軽くなったようだ。
着替えに立ったついでにトイレにいって出すものや出すものを出して、冷蔵庫を開ける。手を洗ったかどうかは定かではない。
コーラを飲んで、買い置きしてあったブロックチョコをかじった。ランチは終了。蒲団にもぐった。
その時、ブブー、ブブーと枕元の携帯が踊った。布団から手を出してやっとの思いで電話を取った。
「もしもし」
「おはよ、松沢です」
マネージャーのマツケンだった。後輩からだったら出ていない。
「おはよぅございぁす」
「昨日は……、あれ? どうしたの、なんか元気ないみたい」
「風邪ひいて死んでます」
「うそ! やばいじゃん!」
声が割れて聞こえるほどの大声で叫んだ。思わず耳から電話を離す。
「明日仕事、だいじょぶかい?」
「たぶん、大丈夫だと、思います」
点滴しながら出演している自分の姿を思い浮かべる。アリっちゃアリだ。
「ちょっと待って! 今からいくから!」
――だから、声でかいって。頭に響くんだよ。……、いくから?
「いや、だいじょぶっすよ、マツケンさん……、あれ」
電話は既に切れていた。フーッ、と一つ大きく息をはいて、再び布団に潜った。
マツケンのあのテンションは正直「高すぎ迷惑」なものではあったが、しかし。
――ぶっちゃけ、助かる。
それで少し体に力が蘇ったようだ。ほんのちょっとだが。
マツケンが心配してくれる、心配してくれる人がいるという安堵感と、逆に、きたとき少しでも元気にみせて心配させないようにしないと、という責任感が、からっからの体を少しだけ潤した。
何か欲しいものがないか、自問してみる。
真っ先に浮かんだのは下ネタだった。ラインしようかどうしようか、スマホを持ったまま悩んでいると、ブブー、とまた電話。
マツケンが、あっちからリクエストを求めてきたかと一瞬思ったが、知らない番号だった。迷うことなく、通話ボタンを押していた。
「はい」
「もしもし」
――誰、だろう。
「もしもし?」
「あの、はるまげどんのハルさん、ですか?」
「はい、そうですけど……」
「いきなりごめん」
相手が名乗った瞬間、熱に侵されていた脳みそが一瞬で飛び起きた。ガバッ、と上半身が起き上がった。
疑う気持ちは全くなく、四十度近い熱も吹き飛ばして電話の声に集中した。熱で浮き上がっていた頭の中で、電話の相手はじっとこっちを見詰めていた。
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