第1話 - 2

 遺影と一日に何度も向き合い、庭を眺めては在りし日のおじいさんの面影をみる。普段からあまり口数の多い方ではなかった。静かなことは、それほど違和感はない。静かなほうが、おじいさんは落ち着くかもしれない。

 時間が心の隙間を埋めてくれるようだった。「隙間」というにはあまりに大きい。穴。もっといえば、おばあさん自身、その一部。おばあさんの半分。

 その亡くなった部分が少しずつ埋まっていくよう。傷が治るように。なくなったものが満たされるはずはない。それこそ瘡蓋のように覆いがなされるのだろう。それほど気にならないように。時間が、おばあさんを癒してくれる。

 わたしももうすぐいきますよ。

 そんな気持ちがないわけではない。「あれをやりたい、これをやりたい」というものもない。孫たちは可愛いしこの先どうなっていくか、楽しみではあるが、孫たちにとって「わたし」がどうしても必要、というわけでもなかろう。

 おばあさんの知り合いで、数年前に旦那をなくした女性は、

「寂しくてしかたない、でも生きていかなきゃしょうがない」

 ということをいっていた。

「生きることが面倒になる」

 ともいっていた。

「でも、生きていかなきゃしょうがない」

 おばあさんも、寂しさに苛まれるときがある。独りで部屋にいるとき、おじいさんが好きだったドラマをみているとき、羊羹に楊枝をさして、口に入れいる瞬間、おじいさんが好きだった羊羹を。

 ときどき瘡蓋がはがれて血が出る、膿が流れる。痛みを感じる。そしてまた瘡蓋になる。時間が蓋をする。

 おじいさんが亡くなって一月半ほどが経った。十月になるころ。おばあさんは庭に下り、しみじみと庭の柿の木を見上げる。

「おじいさん、今年も美味しそうな柿の木がたくさん、こんなにたくさん」

 柿の木に触れると、ほんのり温もりを感じるようだった。おじいさんとの思い出は、まさに柿の木と共にある。孫が生まれたあたりからはまさにそうだ。おじいさんは柿の木の近くにいることが多かった。

 実際、部屋に二人でいる時間が一番長かったはずだ。一緒に出掛けたことだって何度もある。二人で伊香保や草津、仙台にもいった。京都や奈良にも。二人の時間といえばいろんな場所にある、いくらでもある。

 でもなぜか、おじいさんの俤を求めるとき、おばあさんは柿の木をみる。部屋で一緒にテレビをみるおじいさん、二人で旅行にいったときのおじいさん、おじいさんとの思い出は、写真のよう。でも、柿の木とともにいるおじいさんは動いていた。話をしていた。笑っていた。おばあさんの話に頷いてくれるようだった。

 

「今度の連休は、温泉にでもいってみるか」

 夕食のとき、息子が切り出す。

「そうね、久しぶりに伊香保温泉にでもいってみましょうよ」

 お嫁さんが答える。二人とも、笑顔で、とってつけたような。

「草津のほうがいいよ」

「どうして?」

「わたし、草津いったことない」

「草津のほうが、インスタとかでイイネ稼げるからでしょ」

「うるさいわね、あんた」

「いて。暴力女!」

「やめなさい、お姉ちゃんも、手出すんじゃないの」

「そうだそうだ」

「あんたも、いい加減にしなさい」

「いて! 母ちゃんも殴ってるじゃん」

 息子たち家族が楽しそうなのは、おばあさんにとっても嬉しいことだった。

「わたしはお留守番してるから、みんなでいってらっしゃいな」

 おばあさんは、屈託のない笑顔でそう答えるのだった。

 

 暫くぶりに、

「外所さんとこにでも」

 いってみようかと思う。柿を、届けてあげよう。玄関にいく。

「鍵」

 が、見当たらなかった。あの鈴のついた鍵が。一通りみたが、やはり、ない。

「しかたないわね」

 おばあさんは、柿の入った袋を抱えて玄関を出る。

「おかあさん、出かけるんですか」

「……」

お嫁さんの声に反応することなく、おばあさんは外に出ていった。おばあさんは歩いて外所さんの家にいった。

それから、おばあさんは、どこか出るときは歩いて出かけた。

おかあさん、出かけるんですか? 乗せていきましょうか?

「……」

 お嫁さんの声が、遠くに聞こえる。

 淡々と過ぎていく。一日が過ぎ、もう一週間、もう一か月。おじいさんが亡くなってから、もう二か月が過ぎ。柿の木が葉を落とす冬になり。

 年が明ける。

 二月に雪が降った。真っ白になった庭が、冬の太陽にキラキラと輝いた。

 桜が咲く春。庭にも色とりどりの花が咲いた。お嫁さんが植えた花。どこかから、桜の花びらが舞い込んでくる。桜が散る。鶯が、柿の木で鳴いていた。

 ゴールデンウィークには、家族で新潟に出かけた。もちろんおばあさんも。

 この年の梅雨は雨が多かった。じめじめが、例年よりも長かった。このまま梅雨が明けないまま秋になるんじゃないかと思うほどに。

それでもしっかり梅雨は明け、また夏がやってくる。暑い夏が。

 七月下旬から八月にかけて。気温は「三十五度を越える」と天気予報のお姉さんはいうが、それほど暑さを感じなかった。

一周忌も終わり。あっけなく一年が過ぎていた。


 朝晩めっきり涼しくなった。風にも空にも秋色が多くみえ始める。カレンダーをみれば、九月も既に終わりが近い。

そんな日の午後五時過ぎ。それは、まるで目覚ましのように。

 

 視界を覆っていた靄がとれるように。意識にかかっていた霧が晴れるように。動きの鈍くなっていた心が再び滑らかに回りだす、まるで錆びついたチェーンに油が差されたように。

 救急車のサイレンが鳴り響く。家の前で、止まった(実際には、この救急車は、この家ではなく、斜向かいの家を訪れたものだった。急性虫垂炎で搬送されたその家の男子高校生は、数日後に無事退院している)。

 サイレンが、おばあさんを一年前の「あの日」に引き戻す。おじいさんが亡くなったあの日、おばあさんの人生が止まったあの日。

 あの日、おばあさんは近づくサイレンを聞いていない。家の中で救急車の到着を待っていない。気持ちを準備するほんの僅かな「暇」もなかった。

あの日は不意打ちだった。

今日は違う。家で待っていた、救急車のサイレンを家の中で聞いていた。あの日とは違う、あの日のやり直し。

 この一年、振り返れば思い出すものはある。記憶、あるいは「思い出」と呼ぶものは、おばあさんの中に残っている。頭に、心に。しかし、なんだろう、その思い出の中に、おばあさんはいなかった。

 まるでテレビをみているかのような。昔みたドラマのような。「おばあさん役」としておばあさんが出ている、そんなドラマをみている。「寒かった」ではなく「寒そう」、「楽しかった」ではなく「楽しそう」。

 おばあさん自身に、汗をかいた不快さも笑った楽しさも、転んだときの痛みも、自分の体験として残っていない。

 まるで「おじいさんがいなくなったとしたら」という、ドラマ。

 おじいさんは、もういない。それはドラマではなかった。そのことが再びおばあさんを襲った。おばあさんの周りは一年分時が流れている。その一年分のずれが、おばあさんの心を「一年後」に引っ張った。心臓が、止まりそうだった。瘡蓋がはがれて血が流れだす、おばあさんの体から噴き出した、涙となって。

 あの日とは状況がまるで違う。気温が違う、時間帯も違う、外の明るさが、全然違う。

それでも。

おばあさんは、縁側に突っ伏して泣いていた。縁側で、柿の木に頭を向けて、思いをぶつけるようにして。

 混乱する意識、入り乱れる記憶、暴れだす自責の念、それらの奥で、それらの上で、それらをかき消すように、おじいさんが笑っていた。ニコニコと手を振って。手に何かを持っていた、おじいさんの手で、なにかが揺れていた、小さいなにかが。

 暫く。おばあさんの心が平静を取り戻す。

 涙は止まった、涙の跡はそのままに、おばあさんは立ち上がり、部屋の中にとって返す。

「これって今年のカレンダーよね」

 去年からめくっていない、ということはない。紛れもなく、今年のカレンダーである。今日は、おばあさんがみている日で間違いはない。庭に目を移す。唖然とする。

「あれまあ」

 軽く絶望、重く呆然。庭は、いつの間にか雑草に覆われていた。

「やだ、おじいさん、なんでいってくれないのよ」

 日没にはまだ時間はあるが、庭は早くも黄昏に染まり始めている。中でも庭のあり様はよくわかる、痛々しいほどだった。雑草に詰め寄られ、柿の木が身を小さくしているようではないか!

「参ったわね。これじゃおじいさんに示しがつかないわ」

 おじいさんがいないから庭が草だらけになった、など、報告できるわけがない。

「明日ね。えっと、明日は、今日は金曜日よね」

 このままでは、今年は美味しい柿が食べられないかもしれない。声を荒げるおじいさんではないが、おじいさんのがっかりした顔など、みたくはない。

 おばあさんは、突き動かされるように部屋を出る、玄関の鍵置き場をひと眺めして、玄関をおりた、

「あれ、おかあさん、今から出るんですか」

 お嫁さんの声にも聞く耳持たず、つっかけをはいて玄関を出た。


「おか」

 つっかけを履いていったらしいことを確認して、

「庭かな」

 お嫁さんもやはり自分のつっかけを履いて外に出てみた。庭のほうにはいない。まさかと思って道路に出ようとする、足を止めて踵を返した、家の横で物音がする、自転車置き場の方だった。

「おかあさん」

 という声は声にせず。静かに、そっと、覗いてみる。


「やっぱりここだったんだ!」

 鍵は自転車に刺さったままだった。あの日から。一年前、おじいさんが救急車で運ばれたあの日、あのときから。ずっとここにいた。

 ずっと待っていたのだ。見付けられることを。おばあさんが見付けてくれるのを。

 いや、違う。待っていたのは見付けてもらうことではなく……。


「今からいくんですか?」

「そう今からいくの」

「自転車屋さんて、あの、国道の交差点のとこですか?」

「そうよ。だいじょぶ、何度もいってるから」

 ここから自転車屋さんまで五分もあれば充分である。自転車に付けっぱなしだったのはバッテリーも一緒だった。電動アシストの充電は切れている。坂道を上る必要もないので、それほど問題にはならないだろう。

「でもおかあさん、その履物はさすがに」

「ああ、そうよね」

 おばあさんはいったん家の中に戻り、スニーカーに履き替える。

「じゃあ、いってきます」

「やっぱりダメですよ。明日じゃダメなんですか?」

 突然前のめりになったおばあさんに、お嫁さんも少したじろいでいる。いったい、どうしてしまったのだろうか。もしかして、ほんとに認知症にでも……。

「明日じゃダメなのよ。明日は、忙しいんだから」

 忙しい、という言葉にもちょっと引っかかったが、今はとにかく、

「一年ぶりじゃないですか。やっぱり心配ですよ」

「だいじょぶですよ、自転車の乗り方は、一度覚えれば忘れないっていうんだから」

「でも」

 年寄り扱いしないで、といわれることをお嫁さんは恐れていたが、それでもここは引けない。

「心配です」

「そう、困ったわね」

 お嫁さんが恐れていたセリフはなかった。すると、おばあさんの本当に「困った」顔が、まるでお嫁さんに「自分がおばあさんに意地悪をしている」ような趣をもたらす。

 お嫁さんの頭にある「セリフ」が閃いてしまった。

「わかりました、じゃあ、わたしもいきます」

「それはダメよ。忙しいのに。じゃあ、諦めようかしら」

 おばあさんはすんなりと「諦める」と口にしたものだ。

 なのに、なぜか。

「いえ、わたしもいきます。ちょうど買い忘れたものもあったし。だからいきましょう、今から、自転車屋さんに」

 沈黙があった。お嫁さんの鳩尾がむずむずするような沈黙だった。

「そういうなら、一緒にいこうかね」

「はい」

 なにか、お嫁さんから誘ったかのようななりゆき。二人はそれぞれ自転車に乗って、おばあさんはおばあさんの自転車に、お嫁さんは自分の息子の自転車に乗って。

 

 自転車が気持ちよかった。午後五時過ぎ、交通量もけっこう多い。学校帰りの高校生や中学生の自転車もよく走っていた。

 一年ぶりに自転車に乗るお義母さんに「心配」だといったお嫁さんだが、本人が自転車に乗るのは一年ぶりどころではなかった。数年ぶり。もし「乗ったけど忘れている」のでなければ十年以上前かもしれない。前に自転車に乗ったときの自分の姿、シチュエーションの記憶を掘り起こすことができなかった。断片すら出てこない。

 多少不安はあった。事実、漕ぎ出した直後は少しふらついた。でも、すぐに感覚を取り戻した。お義母さんのいった通り。

 平日の午後六時。ひっきりなしに行き交う車。学校帰りの学生たち。自転車に乗る、歩くおばちゃんおじちゃんたち。夕方の慌ただしさを肌で感じていた。どれくらいぶりだろう。自転車に乗って。日中は汗ばむほどの陽気だったが、日暮れの自転車は秋の空気の只中だった。

 自転車に乗りたくなってしまった、止めるつもりが。お義母さんと自転車で出かけることなんて、今までなかった。お義母さんを後ろから追いかけている。子どもの頃の自分を思い出すようだった。こんな風に、母親と一緒に自転車で出かけたことなど、あっただろうか。母親の自転車を追いかけたことなど、大人用の自転車に乗る母親を、子ども用の小さな自転車で追いかけたことなど、果たしてあったろうか。

 なかった気がする。娘とも息子とも自転車で出かけたことなどない。

「危ないから、自転車にあまり乗ってほしくない」

 などと思っていたものだ。それこそだ。

 なにか、とても大事な経験をせずにきてしまった気がする。お義母さんの背中をみながら、お嫁さんの目には涙がたまっていた。


「おじいさんがよくそんなのやってた!」

 広くはない自転車屋さんの店内を通り抜けて通りにまで聞こえたおばあさんの声だった。店内にいたお嫁さんは目の周りをこすっていた、思ってもいないほど大きかったおばあさんの声に、恥ずかしさを噛み殺すような笑顔で。自転車に乗ると目が乾くのだ。 

 

 土曜日。起きて外をみるなり。

 障子を開けて空をみる。気持ちのいい朝だった。残暑とはいわないが、少し暑いかもしれない。三十度まではいかないが、二十五度は超えるだろう。

 掃き出し窓を開けて庭をみる。やはり、愕然とする。そこはまるで草原のよう。緑の草原に大きな木が一本立っている。そんなCMなのかドラマなのか、ワンシーンが浮かんできた。目いっぱいの緑が海のように波立ち、木の梢がさわさわと鳴る、爽やかな風に目を細め……、ている場合ではない。

 この週末で、

「やっつけちゃわないと!」

 今日は、おじいさんとやりたかったことをやってしまわないと。草むしり、その前に、もう一つ。

 朝ご飯をいただき、午前十時にはまだならない。

「ちょっと、出かけてきます」

「あれ、おかあさん、出かけるんですか」

「ええ」

「外所さんとこですか」

「はい」

「自転車、気をつけてくださいね」

「ええ、ありがと」

「お昼には、帰ってくるんですか」

「ええ」

「わかりました、気をつけて自転車乗ってくださいね」

「はいはい。いってきますね」

 おばあさんは立ったまま靴を履き、玄関を開いて、外に出ていく。

「あ、スマホ持ちましたか」

 おばあさんは一瞬考えて、手提げ鞄の中をみて、

「だいじょぶ、持ってます」

 おばあさんとお嫁さんの視線が合い、笑顔で一つ頷き合う。

「いってらっしゃい」

「はい、いってきます」

 玄関のドアが静かに閉まると、お嫁さんの元には家の中の音が虫のように這い寄ってくる。

「はぁぁ」

 と大きく溜息を吐いた。お姉ちゃんは高校三年生、弟は中学三年生。それぞれ受験生である。なのに、あの子たちは……。リビングのテレビの音量が大きい。そこにいるのは。朝ご飯が済んでもリビングでだらしなくテレビをみているのは。

 やれやれ、と首を振った。わたしもどっか出かけようかしら、自転車で。

 なにか、違和感を感じていたが、むしろ今日がいつものお義母さんだったといえるのだろう。昨日がちょっと変だった。変ということはないが、いつもと少し違った。今日は普段のお義母さんだった。どこか目を合わさないような、どこか避けるような……。最後にお義母さんと頷き合った。何かを確認したかのように。何を、確認したんだろう……。

 一つ首を傾げると、そこで考えを切り替えた。一番手がかからないのは、結局お義母さんなのだ。失礼ながら。

「はぁ」


 目を合わさない、避けるような。

 それは、お嫁さんの勘違いだ。おばあさんとお嫁さんは、そんな関係ではなかった。もしそういう関係だったというなら、それは最近、ここ一年のことである。お嫁さんの、おばあさんに対する拭えない罪悪感が、お嫁さんにそう感じさせているのだ。

 お嫁さんは、まだ、自分に課した罪から抜け出せていないのだ。

 

 お嫁さんに嘘をついてしまったことに関して、後ろめたさはある。普段と変わらない服で出てきた。外所さんに対しても嘘をついたことになるのだが。

 それもこれも、お嫁さんを心配させないためです。

 よもや、おばあさんの「目的」に感づいているということはないだろうが。

 それにしても、「スマホ持ちましたか」と聞かれたときには「ドキッ」とした。今までそんなことを聞かれたことはなかった。驚いて声を挙げそうだったのを、なんとかこらえた。

 市役所方面へと続く通りに出る。護国神社に一礼しつつ、前を通り過ぎる。おばあさんは自転車にまたがった。充電はばっちりだ。いつか自転車でいってみようと、考えたことなどなかった、つい昨日まで。

 おばあさんは、観音様へと続く坂道を前にしている。

 おじいさんが待っている。なんとなく、そんな気がしていた。

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