第6話 迷宮


 それから三日後、私たちは初めて迷宮に足を踏み入れていた。

 迷宮内部の情報は既にジェシーから受け取っており、今回はほとんどが森林地帯という構造だった。今はその森林地帯の一部をミーアたちとともに歩いるのだが──


「暑すぎんだロ!」


 くまじろうがそう叫ぶのも何回目だろうか。しかし、それに苦言を呈するほどの元気すらない。何故か。それは無論、暑すぎるからだ。

 迷宮に入って早一時間。もう更新から八日目ともなる迷宮では敵もほとんど残っておらず、私たちを苦しめるのは蒸し暑さのみだった。

 地下だと言うのに上空に浮かぶ太陽の日差しは、これまでに感じたことがないほどに熱を帯びている。氷魔法でも放てば多少は涼しくなるだろうが、私はもちろんミーアも氷魔法は習得していないようだった。


 そもそも更新前を選んで迷宮に来たのは、デイビットに力を見せないためだ。

 更新直後が激戦なように、更新から時間が経つにつれて探索者は減っていく。そして力に自信の無いものは更新直前の残りカスしかないような迷宮を這い回るのがセオリーだ。敵もいなければ宝もほとんどないが、死ぬよりはマシということだ。それなら他の仕事をすればいいのではとも思うが、きっと人それぞれの事情があるのだろう。

 なんて、今の私が言えることでもないが。


 とにかくそんな残りカスのような迷宮を這い回ること数時間。ようやく私たちは目的の場所へとたどり着くことができた。

 そこは森の中に位置する泉で、ここだけは木々が生えていない。


 ───つまり、スケルトンの軍勢を扱うデイビットにとっては絶好の位置だというわけだ。


 私は周囲に気を配りながら、休憩をするフリを開始した。もしデイビットが私たちをつけているなら、間違いなく今が好機だと判断するはずだ。


「しかシ、本当に来るのカ?こんなあからさまでヨ」

「……さあね」


 あれからデイビットに関して集めた情報から推察したのは、デイビットは間違いなく一人ではなく何かしらの組織として、もしくは何かしらの組織と協力して動いているということだった。これはデイビットが更新前には迷宮に籠って初心者狩りをしているにもかかわらず、目を付けた探索者が迷宮に入るとそれを知っているかのように確実に仕留めているという事実から推察したことだ。

 しかし、そのデイビットの仲間というのが何者なのかというのは掴めていない。それに、そもそも実行役がデイビットだけなのかなどといった疑問も多数もある。正直わかっていないことだらけだ。不安がないといったら大嘘もいいところになってしまう。

 そう思いながらもその時を待っていると、カランコロンという硬いものがぶつかり合うような音が私の耳に入ってきた。


「……来た」


 私のそのボヤキに応えるようにして、不快な笑い声が響き渡った。


「無駄な抵抗ご苦労様だなぁ!ロザリーちゃんとそこのクソガキィ!」

「……!」


 クソガキ。そう名指しされたミーアがビクンと肩を跳ね上がらせた。

 私とくまじろうがそんなミーアを庇うようにしてデイビットに対峙する。するとそこには予期していなかった光景が広がっており、私は思わず息をのんだ。


「おいおい……こいつらを前にして声も出ねえのか?」


 挑発的に言うデイビットの後ろには、まさに大量と言うに相応しい数のスケルトンがいたのだ。しかし、それだけならば驚きも薄かっただろう。私が息をのんだ本当の理由。それは、その中に紛れ込んでいたジェシーの話では耳にしたこともない腐った死体のような者たちの存在だった。


「クッハッハ……お前、ジェシネリアのやつと手を組んだらしいなぁ。……俺の手内はスケルトンだけだと、そう思ったか?」


 何も言わない私を見てニヤニヤと笑うデイビットは、まるでこちらの考えは全てお見通しだと言わんばかりの顔をしていた。


「残念だったな。俺だって伊達にこの都市で生きてきたわけじゃねえ。お前みたいなガキを相手にするには有り余る力と伝手があんだよ」


 その頼れる伝手があの動く死体というわけだろう。


「この都市じゃあ一歩間違えるだけで終わりだ。力は出し惜しまねえ。つまりな……お前には寸分の希望も残されてねえってことだ!」


 こちらを恫喝するようにして吐かれたその言葉は、ビリビリと身体を揺さぶるように響き渡った。

 それに委縮してしまったミーアが怯えるように私の裾をつまむ。ちらりと後ろを見ると、不安げなミーアの瞳と目が合った。


「……大丈夫。たいしたことないよ」

「でも……」

「あんなの、ただ叫んでるだけだから」


 その言葉はミーアを落ち着かせるために発された言葉だったが、結果的には自分の心を落ち着けることにも有効だった。

 弱い犬ほどよく吠える……というのは、この場面では少し相応しくないだろうか。デイビットがああやって叫んでいる背景には、少なからず私たちへの恐怖が混ざっているはずだ。もしも私たちのことを赤子の手をひねる程度にしか思っていないのなら、何も言わずにさっさと襲えばいい。

 そう。私がデイビットのことを知らないように、デイビットもまた私のことは知らないのだ。知らないから、怖い。当然の話だ。だから、こうやって相手を脅す。抵抗するだけ無駄だと思わせる。相手に恐怖を与えて力を削ぐ。そのことに気づいた時、私の心は落ち着きを取り戻していた。

 つまり、デイビットの言葉に耳を貸す必要なんてない。


「まあ安心しろ。お前は綺麗に殺せってあいつに注文されてんだ。苦しませずに一瞬で───」


 下品な言葉を連ねるデイビットを無視して、私が愛弓───魔法弓を構えると、デイビットは鼻で笑った。


「なんだそりゃ?デカすぎてろくに構えられてすらねえじゃねえか」


 嘲笑うようなその声音も無視して、私は矢を引く。

 たしかにデイビットの言う通り魔法弓は大きい。それも、私の身長ほどのものだ。魔法弓は矢に魔力を込められるという機能を果たす以上大きくなってしまうのは仕方のないことなのだが、その中でも私は特に大きいものを使用している。

 そして当然私の身長ほどもある弦を引くのは私にとっては無理難題で、全力で引いても弦は少ししか引けなかった。


「おいおい、戦場を舐めてんのか?隙だらけだぞ?」


 デイビットの言うことはご尤もだ。もしデイビットがその気になっていれば、私はこんな簡単に魔法弓を構えることはできなかっただろう。だが───


「……戦場を舐めてるのは、どっちだか」

「はぁ?」


 ようやく紡がれた私の言葉に、デイビットが苛立った声を上げた。

 私は矢に魔力を込めながら、ゆっくりと口を開く。


「エルフを見るのは初めてかな?」

「まだそんな寝言を……」


 徐々に増していく魔力量の異常さを察知したのか、デイビットの顔からは先程まで浮かべていた笑みが消え去っていた。


「生き物は平等じゃない。生まれながらにして持ってるものが違う」


 魔力をさらに一段と込めると、デイビットはようやく自分が窮地に立たされていることに気づいたようだった。


「ッチ……!」

「エルフの魔力量は、人間の百倍はあるらしいよ?」


 その言葉を合図に、私は矢を放った。

 弦はろくに引かれていなかったにも関わらず、その矢はデイビットに目掛けて一直線に飛んで行った。


「──クソッ!てめえら!壁になりやがれ!」


 デイビットが指示を出すと、デイビットと矢の間に文字通り壁を作るようにしてわんさかとスケルトンが召喚された。


「残念だったな!これで──」

「──無駄だよ」

「何ッ!?」


 だが、私の魔法弓はその程度では止まらない。

 魔法弓は魔力を込めれば込めるほど威力が増す。爆発するようになるわけでも、火が出るわけでもない。威力が増すだけだ。

 ただ、それだけ故に強い。純粋に高められた力は、猪口才な全てを消し去る暴力と化す。


「クソが!聞いてないぞ!こんな力───」


 デイビットの断末魔もそれを最後に、矢に射抜かれた。

 いや、射抜かれたと表現するにはあまりにも暴力的すぎる。もしこれが狩りだったら、間違いなく失敗だ。射抜かれたデイビットの身体は、その衝撃でまさに爆発四散してしまったのだから。


「……やるじゃねーカ。さすがエルフ様だナ」


 そんな私とデイビットの戦いの一部始終を見ていたくまじろうが、茶化すように声を出した。

 その声で我に返った私は、熱が冷めてきたような感覚に襲われた。勢いで何か恥ずかしいことを口にしてしまっていないだろうか。いや、それよりも……


「……人を……」


 殺してしまった。

 その事実が、私の心に重くのしかかった。血の気が引き、恐ろしい寒気が私を襲う。

 いや、最初から覚悟していたことだ。私は今日、人を殺しに迷宮へとやって来ているのだと。


「おいおイ、どうしたんダ?ボーっとしテ」

「……なんでもない」


 むりやり思考を振り払った私は、矢の弾道から免れたスケルトンも消滅していたことを確認して一息ついた。

 しかし、休んでいる暇はない。デイビットは倒したが、デイビットの協力者がどこかにいるはずだ。そして、デイビットは私とジェシーが手を組んだことも知っていた。十中八九、今はその協力者とジェシーが対峙しているはずだ。

 しかし、私の心配も他所にそれはすぐに達されることとなった。なぜなら、ジェシーは慌てて駆けるようにこちらにやってきていたからだ。


「……あ、ジェシーさん」


 私がそう呟くと、ジェシーは大声で叫び始めた。


「ロザリーさん!!何ですか今のは!!」


 怒っているような興奮しているような、そんな様子のジェシー。

 こちらまで駆け寄ってくると、早口でまくしたて始めた。


「エルフってあんなに物騒な魔法使うんですか!?って、それより不味いですよ!さっきの攻撃に巻き込まれて、ゲースまで死んじゃったんです!」

「ゲースって誰ダ?」


 ジェシーの話を聞いてたくまじろうが口を挟む。


「えっと、デイビットが助っ人に呼んでた人です。私はそいつに足止めをされてたんですけど……」


 となると、あの動く死体を使役していた人のことだろう。あの攻撃の巻き添えになるなんて、大した奴ではなかったようだ。


「それで、そのゲースが所属してるクランが問題なんです!」


 クランとは、受付嬢が言うには探索者同士が集まったチームのようなものだったはずだ。それがいったい、何だというのだろうか。


「あのクランはすごく陰湿だって有名で……多分ゲースをやったのが私たちだっていうのもバレると思いますし、デイビットどころの騒ぎじゃないですよ!」

「陰湿って……報復に来るってことですか?」

「報復……かどうかは微妙ですけど、目を付けられたら最後、地獄の底まで追いかけてくるなんて言われてるんです」


 ジェシーは頭を抱えた。


「どうしましょう、まさかこんな大事になるなんて……」


 ジェシーは大事というが、私にはいまいちそうは思えなかった。


「面倒なラ、全員を消しちまえばいいんじゃねーカ?」

「え……」


 くまじろうがそう口にすると、ジェシーはポカンと口を開けた。

 そして、いやいやと激しく首を振る。


「そんなこと……!」

「他所からの攻撃に巻き込まれる程度の連中の集まりなラ、何人集まったところデ───」

「それは甘いです!!」


 くまじろうの言葉を遮って、ジェシーが声を張り上げた。


「迷宮では、相手がどんな手を隠しているのかがわかりません!今回だって、相手がロザリーさんを甘く見ていたから簡単に勝てただけです!強者が寝首を刈られるなんて、迷宮じゃ日常茶飯事なんですから!」

「ふム……」


 納得するように考え込むくまじろう。それもその通りで、ジェシーの言うことは尤もだった。

 現に、先程もデイビットが油断していなければあんなに簡単にはいかなかっただろう。

 だが、それでも……


「私もくまじろうと同じ意見ですね。どの道、戦わなければいけないなら戦うだけです」

「それは……そうですけど……」


 ジェシーは困ったようにそう言った。

 そして暫く考え込んでから、私の手を取った。


「わかりました!だったら、また私と協力しましょう!というか、してくれないと私が困ります!私一人ではクラン相手なんかに太刀打ちできませんし、死ぬのは御免ですから!」


 有無を言わせぬその勢いに、思わず苦笑してしまう。

 しかし元はと言えば、たまたまとはいえ私がゲースを矢に巻き込んで殺してしまったことが原因なのだ。

 それに、ジェシーにはまだ教えてもらうことがある。


「迷宮の歩き方、次は教えてくださいよ」

「……!もちろんです!」


 冗談めかしてそう言うと、ジェシーは大きく頷いた。

 自分の名を売る。迷宮都市に来てからはそのことばかり考えていたが、この時私の中には別のものが芽生えていた。

 誰かと一緒に居る。ただそれだけでも心は満たされていくのだということを、私は思い出し始めていたのだった。

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