第4話 ジェシー
探索者会館を後にした私は、予想外にも声を掛けられていた。それも、その相手は顔がまるまる覆いかぶさるようなフードを被った謎の少女だった。
「───なので、私と手を組みませんか?」
「……」
その見た目に加え、突然の勧誘という話の内容からも漂うあまりの怪しさに絶句していると、その少女がしびれを切らした。
「あの、話を聞いてますか?」
「……はい。ただ、あまりにも怪しくて」
「それは……そうですよね」
その少女はそう言うと、きょろきょろと周囲を確認してから一瞬だけフードを外した。
その顔には斑模様の獣耳がぴょこんと生えており、瞳は多くの人間とは異なる縦に長い瞳孔をしていた。
「ごめんなさい。あまり顔を見られる訳にはいかなくて」
「……」
「怪しいのはわかっています。事情をお話したいので、どこか落ち着ける場所でお話を聞いていただけませんか?」
この迷宮都市では、どんな前科持ちでも住むことができる。この迷宮都市内で犯罪行為を行わなければ、罰されることは一切ないのだ。
だというのに顔を見られる訳にはいかないというのは、なにやら面倒な気配を感じる。そう思って断ろうとした時、その少女がさらに口を開いた。
「……私は探索者です。それも、もう五年になります。あなたにとって有益な情報なら、私が知る限りいくらでも教えて差しあげます」
思わぬ言葉に、私は動かそうとした口を閉じた。
それがもし本当なら、私にとってはかなり有意義だ。しかし、それだけの対価があるこの少女の目的とは一体何なのだろうか。
いや、そんなことは考えてもわからないだろう。考えてもわからないなら、私は……
「わかりました。いいですよ」
まずは信用してみる。私が決めた一つのルールのようなものだ。
私のその返答を聞くと、その少女はわかりやすく緊張を解いた。
「ありがとうございます!……えっと、どこに行きましょうか?」
「どこでもいいですよ」
というよりは、私はあの宿と探索者会館以外の場所を知らないだけだが。
「それなら、私の知人がやっている食事処でいいですか?」
「わかりました」
私の了承を確認すると、その少女はそそくさと歩き出した。
私もその後を追って歩き出す。その少女が通った道は大通りとは異なり、狭く入り組んだ路地だった。人通りもまばらで、偶にすれ違う人は皆煌びやかとは程遠い物静かな空気を醸し出していた。
やがてその少女に案内されたのは、肉料理を専門としている食事処だった。
店主らしき男とその少女が数言会話をすると、私たちは奥の個室へと案内された。
「ふぅ……やっと脱げますね」
そう呟いてフードを取った少女は、照れくさそうにはにかんだ。
「これ、結構暑いんですよね。大変でした」
「どうしてフードを?」
その話題に反射的にそう聞いた私は、少しだけ後悔をした。たしかにその話をしにここまで来たのだが、些か早急すぎただろうか。
しかしそんな私の思いとは裏腹に、その少女は躊躇うことなく事情を語り始めた。
「私の行動をバラしたくない相手がいて……さっきロザリーさんに絡んでいたあの男なんですけど」
「ああ、あの……」
「はい。協力っていうのも、あの男を殺すことが目的です」
柔らかな印象を醸し出していたその少女がなんの気もなしに殺すという言葉を吐いたことに、私は少なからぬ違和感を覚えた。
しかし、それは私がおかしいのだろう。少なくとも、この迷宮都市は殺人という行為に免疫が高い。あの見ず知らずの私を心配してくれるような受付嬢ですら平然と殺人の話をするくらいには、日常の出来事という訳だ。
「それで……って、そういえば自己紹介がまだでしたね」
その少女は思い出したように話を切ると、ポーチから私が持つ探索者カードと同じものを見せてきた。
「私はジェシリネア。ジェシーって呼んでください。見ての通り、獣人族の探索者です。迷宮に潜る時は斥候としてやっています」
「斥候?」
「罠や宝、敵の察知をする人の総称ですね。戦闘は無理っていう斥候もいますけど、私はそちらもいけます」
そう言うと、ジェシーは懐から小さなナイフを出した。
「これ、迷物なんですよ」
「ふぅん……」
そうは言われても、私の目にはただの小さいナイフにしか見えなかった。
「もう、反応薄いですね……迷物って結構レアなんですよ?当然特迷物よりは劣りますけど」
「うーん……」
そんなことを言われても、わからないことはわからないのだ。くまじろうほどわかりやすければ驚きもするのだが。
そんな私を見て、ジェシーは耳を垂らした。
「本当にすごい物なんですよ……」
落ち込むジェシーを見ていると、なんとなく悪いことをしたような気になってしまう。
とはいえかける言葉も見つからずにしばらく黙っていると、ジェシーは一人で勝手に機嫌を取り直した。
「そうだ、迷物の凄さならこれで証明できますよ!」
そう言ってジェシーが取り出したのは、中央が透けた四角い物体だった。
「これは物でも人でも、対象の魔力量を測れるものなんです。私がロザリーさんに話しかけたのも、これでロザリーさんの尋常じゃ無い魔力量を測ったからですよ。いったい何者なのかと……」
様子を窺うようにこちらを見るジェシー。しかし、私が何も語らないのを察するとすぐに話題を切り替えた。
「……まあ、今はロザリーさんの事情はいいんです。この迷物で私のことを覗いてみてください」
言われるがままにその迷物の透けている中央部分からジェシーのことを覗いてみると、ジェシーがほんわか紫掛かって見えるようになった。
「……紫色に見えますね」
「やっぱり紫ですか……」
落ち込む表情を見せたのもつかの間、ジェシーはその意味を語り始めた。
「えっと……それは正確には魔力濃度を測るものでして、その濃度次第で色が変わって見えるんです。私は前見てもらった時も紫で……成長はなしですね……」
そもそも魔力量というのは変わるのだろうか、という私の疑問はさておき、たしかにそれは画期的なものだった。
「とにかく、迷宮にはこういう凄いものがいっぱい埋まってるんですよ……って、話がズレちゃいましたね」
ジェシーがそう仕切り直すと、話は本題へと移った。
「先程も言った通り、私の目的はデイビットを殺すことです。でも私だけでは危険なので、協力者を探していたんです。協力者というか、囮役なんですけど……」
「囮役、ですか」
「はい。……その前に、私のことを話しておいた方がいいですよね」
ジェシーは一枚の紙を取り出すと、私に渡してきた。
「これは……殺害依頼?」
「そうです。お金をもらって人を殺すってお仕事ですね」
ジェシーは何気なくそう言った。
「……そんな公に言っちゃっていい仕事なんですか?それ」
「もちろん秘密のお仕事ですよ!って、私は別にそれを本業にしてるわけじゃないんですけどね」
「じゃあなぜ……?」
「事の発端は私の探索者後輩の頼み事で……簡単に言えば、その後輩もロザリーさんみたいにあの男に目を付けられちゃったんですよ。それで、どうにかできないか色々探ったらこの依頼と出会ったみたいで」
「それでジェシーさんに頼ってきたと」
「そうなんですよ。プライドの高い子だから、素直に頼るのは気後れだったんでしょうね。やれやれです」
そう言いつつも、ジェシーは優しい顔をしていた。
「……でも、それでなぜ顔を隠す必要があるんですか?」
「あの男はあれでも結構狡猾なんですよ。私とあの子が繋がっていることくらいは知っているはずなので、私が動いてると気づかれたくなかったんです」
「……ジェシーさんって、そんなに有名な人だったんですか?」
「いやいや、そうじゃなくてですね……あの男は元々私と同期くらいのやつで私も面識ある相手だったんです。……でもある日、あいつは運よく特迷物を手に入れちゃったんですよ」
「特迷物っていうのは?」
先程は流れで聞き逃したが、今度はそうもいかなかった。
「特迷物っていうのは、一回の更新ごとに一つだけ現れる特別な迷物のことです。特迷物は迷宮内でしか使えなくて、さらには最初に手にした人しか使えないっていう制約があるんですけど……その分とても強力なんですよ。まあ、ほとんどは初日に潜ってるような最前線組が持ってちゃうんですけどね」
「……」
胡散臭すぎる話だが、ここで嘘をつく必要もないしきっと本当にそうなのだろう。
「それで、その特迷物が問題で……その特迷物を手にしてからデイビットは初心者狩りに重きを置くようになったんですよ」
どこか過去を想うようなジェシーの声音に、私は言葉を挟めなかった。
「あの男の特迷物は召喚石って呼ばれてる物で、魔力を籠めることで何かを召喚できる石なんです。何が召喚されるかはその召喚石次第なんですけど、あの男のやつはスケルトンでした。……スケルトンっていうのは迷宮によく出てくる人骨型の敵で、ただ刃物を振り回すだけの雑魚なので初心者でも苦戦することはほとんどないですね」
「その召喚石はハズれだったってことですか?」
「うーん……外れと言い切るのも微妙で、最初こそはあの男もそう思って落ち込んでたんですけど……ある日召喚できるのがスケルトンだからか、消費する魔力量がとても少ないってことに気づいたらしいんです」
ジェシーはそこまで話すと、ハッと何かに気づく素振りを見せた。
「……?どうかしましたか?」
「どうかしましたか?じゃなくて!私ペラペラと情報話してたけど、まだロザリーさんの協力取り付けてないじゃないですか!」
「ああ……」
我ながら、言われてみればそうだったと思ってしまった。
そもそも最初から信じてみるつもりでついてきていたので、私の中ではもう協力する前提でいたのだ。
「いいですよ。断る理由もないですし」
「本当ですか!よかったです……」
私の返答を聞いて、ジェシーはほっと緊張した面持ちを崩した。
「それでさっきの話の続きなんですけど、あの男は一度に大量のスケルトンを召喚できることに気づいたんですよ。でも迷宮の奥地ともなると敵も大量の相手に対する突破口を持ち合わせているので、大して意味なくて……それでも、どうしても特迷物を使いたかったんでしょうね。最終的にあの男がたどり着いたのが、初心者狩りだったんです」
手に入れた珍しいものに固執する気持ちもわからないでもない。わからないでもないが、そうなってしまっては意味がないだろう。
ジェシーも思うことがあるのか、小声で何かを呟いてから小さく首を振った。
「……とにかく、それであの男の囮役をこなせる人を探してたんです。あのスケルトンの軍勢に負けないような初心者を。それで探索者会館を張っていたらちょうどすごい魔力量を持ってたロザリーさんを発見して、しかもあの男に喧嘩まで売られていて、これはちょうどいいなって」
「そうだったんですね」
スケルトンというのがどの程度のものなのかは想像できないが、話を聞く限り私が手こずるような相手でもないだろう。それに、大勢の相手というのは私とはそう相性が悪いわけでもない。
「……私がそのスケルトンを誘き寄せて、その間にジェシーさんがデイビットの相手をするってことですか」
「はい。スケルトンさえどうにかしていただければ、デイビットは私が討ちます」
私的にはデイビットに恨みがあるわけでもないし、私たちがデイビットを討ち取ったという結果だけがあればいい。ジェシーがその役を買って出てくれるというなら儲けものだ。それに、探索者の実力を拝めるチャンスでもある。
「わかりました。こちらもそれで問題ありません」
私が作戦に同意すると、ジェシーは安心したように息を吐いた。
だが、私はそういうわけにもいかなかった。これから私はデイビットを──一人の人間を殺そうとしているのだ。そう、あの暴漢たちと同じように。
母の時とは状況も場所も違う。それも事実なのだろうが、人を殺そうとしているという点ではあの暴漢たちと同じだということもまた事実だ。
私はどこか胸が詰まるような感覚を覚えながら、いつの間にか用意されていた肉をただ胃袋へと押し込むのだった。
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