第3話 トラブル


 探索者会館の中はその人数の割には随分と静かで、口を開いているものはほとんどいなかった。よく見てみると事務的な手続きをしに来た人が大半のようで、多くの人は窓口で一分ほど何かのやり取りをしたらすぐさま会館を後にしていた。

 私もその流れに身を任せるようにして窓口の待機列に並ぶと、すぐに一つの窓口へと案内された。そこで待っていた受付嬢は私をちらりと見ると軽く微笑んだ。


「本日はどのようなご用件でしょうか」


 探索者登録に来ました。と素直に言えればよかったのだが、私の口はそうは動いてくれなかった。

 私は素直に驚いていたのだ。その受付嬢の洗練された態度と、頭の上に生える大きな耳に。

 そんな私を見て、受付嬢は少し眉をひそめた。私がその大きな耳に釘付けになっていたからだろうか。もしかすると失礼なことだったのかもしれないと慌てると、私は慌てて口を開いた。


「その、探索者登録に来たんですけど……」

「探索者登録ですね?かしこまりました」


 失礼なことだったのかもしれないというのは私の思い違いだったのか、受付嬢は私の目を見てニコッと微笑んだ。


「それでは、お客様の個人情報を登録いたしますので、お名前、住所、種族の方をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「わかりました。名前はロザリーで、住所は……宿の名前でいいんですか?」

「はい」

「それなら、オードルージュの宿です」

「オードルージュの……」


 受付嬢は独り言のようにそう呟くと、一瞬だけ浮かべていた笑顔が水に溶けるように消えていった。


「ええと……観光客の方でしょうか?」

「いえ、ここで暮らす予定です」

「なるほど……かしこまりました」


 さすがというべきか、その受付嬢は物申したそうな雰囲気を残しながらも停止していた手続き作業を再開した。

 一瞬戸惑ってしまうのは無理もないだろう。あの宿は観光客向けの中でも高級な宿なのだ。普通に考えれば、住処するような場所ではない。


「それで、種族はエルフです」


 私がそういうと、受付嬢は再びその手を止めた。

 そして数秒の沈黙が訪れた後、受付嬢が振り絞るように声を出した。


「エルフ……でございますか」


 困り顔の受付嬢。

 そんな受付嬢の心の声を代弁するように、隣の窓口にいた男が声を掛けてきた。


「おい、お前……ロザリーっつったか?」

「……何か用ですか?」


 その男の見下すような態度に、私は反発するように返事をした。

 するとその男は私の態度に感じるものがあったようで、わかりやすく頬をひきつらせた。


「あのなあ、ここはてめえみてえなガキが来るところじゃねえんだよ」

「ガキ?私が?」


 私のことをガキと呼ぶそいつに、私は思わず鼻で笑ってしまった。

 他人への口の利き方もわからないくせに私をガキ呼ばわりとは随分なものだ。そう思って哀れみの視線を送ると、その男は乱雑に机を叩いた。

 その音に館内を支配していた流れのようなものは止み、そこにいたほとんどの人がこちらに顔を向けた。その男は少し間を置いて邪悪な笑みを浮かべると、周囲の人々に聞かせるように声を張り上げた。


「てめえみてえな探索者をナメてるやつがどういう目に合うか、教えてやろうか?」


 その言葉と共に、その男は腰にぶら下げていた得物に手を付けた。

 その仕草を見て、私は茫然とすることしかできなかった。

 挑発されたので反発してみたが、いったい何がというのが素直な気持ちである。私からしてみれば探索者をナメた覚えはないし、なぜこの男に絡まれているのかもわからない。というか、この男は誰なのだろうか。

 とはいえ、注目されてしまっている以上下手に出たくはない。私は頭に浮かぶ疑問を無理矢理振り払うと、対抗するように声を出した。


「こんな場所で剣に手を掛けるなんて、頭おかしいんですか?」

「頭がおかしい?」


 その男はおどけて私の言葉を繰り返すと、喉をクツクツと鳴らした。


「頭がおかしいのはてめえの方だろ?……まあいい。それじゃあ、また会おうぜ」


 そう捨て台詞を吐くと、その男は素直に探索者会館を出ていった。

 それに伴って、止まっていた周囲の流れも再び動き出す。それ確認した受付嬢が、小声で語りかけてきた。


「ロザリー様……大丈夫なのですか?」

「大丈夫って、今のやつですか?」

「はい。先程のお方……『初心者狩り』で有名なデイビットという方なのですが……」

「初心者狩り?」


 聞きなれない言葉を聞き返すと、受付嬢はコクリと頷いた。


「はい。迷宮内では証拠が残らないが故に殺人行為も黙認されておりますので……中級以上の探索者が成果を奪うために初心者を狙うといった行為が後を絶えないのです」

「それは……」

「彼はよくこの探索者会館に足を運んでいて、彼に目を付けられた探索者は迷宮に入ったが最後だと探索者の間では有名なのですが……」


 なるほど。だから、また会おうということか。

 デイビットの不可解な言葉に納得すると同時に、私は顔をほころばせた。


「ロザリー様……?」

「いえ。わざわざありがとうございます」

「……やはり、迷宮には行かれるおつもりなのですね」

「もちろんです」


 どうやらこの受付嬢は随分と人好しなようで、本当に心配そうな顔をしていた。

 おそらく、私ではそのデイビットとやらに勝てないと思っているのだろう。たしかにそうかもしれない。私はデイビットの実力も何も知らない。だが、何がどうあろうとデイビットは初心者狩りなんてする程度のやつだ。そんな人にすら勝てないなら、私はその程度だったという話。それだけだ。

 自暴自棄のような考え方かもしれないが、少なくともそんなやつに負けたくない。屈するような人にはなりたくないというのは、紛れもない私の本心だった。


「かしこまりました。……もう一度確認しておきますが、名前はロザリー、居住地はオードルージュの宿、種族はエルフということでよろしいですか?」

「はい」


 私は長寿のエルフなので、年齢に対しての成長が遅い。あのデイビットとかいう男は私をガキだと馬鹿にしていたが、きっと私の方が年上だろう。


「探索者カードは個人を認証できるシステムになっているので、一応居住地以外は虚偽でも構わないのですが……」

「虚偽じゃないですって!」

「しかし……あの、本当にオードルージュの宿でよろしいのですね?後日こちらの方で確認いたしますが……」

「……はい」


 それを言われては、私も答えづらいものだ。常識的に考えれば、あんな観光者向けの高級宿泊施設に泊まっている人が探索者登録に来るはずなどないのだから。


「……かしこまりました。居住地が変わりましたら、迷宮に入る前にお越しくださいね」


 納得したのかしていないのか、受付嬢はそう念を押すとプラチナに輝く探究者カードを渡してきた。そこには何も書かれておらず、このカードと私をどう関連付けているのかはさっぱりわからなかった。これも、迷物というやつなのだろうか。


「迷宮を出入りする際は、入り口の役員にそれを提示してください。迷宮の更新時までに出場が確認されなかった場合、迷宮内で死亡という扱いになります」

「迷宮の更新……ってなんですか?」


 私がそう聞くと、受付嬢は驚いたような顔をした。


「ご存じないのですか?」

「はい……」

「ええと……迷宮のことはどこまでご存じなのでしょうか?」

「あー……ほとんど何も……」


 どう考えても探索者登録に来る人の返答ではなかったが、私のような人も少なくはないようで、最初こそは少し驚いた様子だった受付嬢も小慣れた口調で迷宮の説明を始めた。


「迷宮というのはですね、言えば宝探しのようなものなのです。中にはこの世のものとは思えないような敵や物が眠っており、探索者というのはそれを探す人たちのことですね。そして、迷宮は十日ごとに一日、入ることができなくなります」

「それが更新ということですか?」

「はい。更新した後の迷宮はまるっきり姿を変え、中の敵や物も新しいものになるのです」

「そうしたらまた探索をする……ということですか」

「その通りです。ただ、更新後数日間はほとんど戦争のようなものなので、初心者の方は……いえ、たとえ知識や実力があっても、小数での入場はおすすめできません」

「そうですか……」


 戦争と言われてもピンとこなかった私は、微妙な反応しかできなかった。


「迷宮都市は、どんな種族でも、どんな国からでも来るものを拒んでおりません。そして、その誰にでも迷宮を開放しております。それ故に迷宮内で手に入る物資を狙って、迷宮都市で名を上げた強者たちが集っている『クラン』や国を挙げて迷宮に挑む『軍隊』まで、さまざまな組織が日々動いております。先程申し上げたように、迷宮内での殺人行為は黙認されておりますので……特に更新後数日間は、迷宮内で人に出会ったら戦闘の合図だとまで言われているのです」


 受付嬢のいうこの都市の情勢や暗黙の了解的なものは言われただけで全てが理解できるものではなかったが、つまり私は迷宮の更新直前に迷宮に潜るべきだと言いたいのだろう。

 実際に国の軍隊やなんやと言われると私程度ではどうにもできないし、私はそのアドバイスに二つ返事で頷いた。


「わかりました。気を付けます」

「本来ならこの探索者会館で仲間を見つけるのを推奨するのですが……」


 受付嬢がその先を言い淀む。

 きっと、先程の事件を見てなお私と組みたがるような酔狂は居ないと言いたいのだろう。もちろん、そんなことは私もわかっている。


「大丈夫です。迷宮のことはわかりませんが、腕には自信があるので」


 私とて、伊達に三十年も森の奥で暮らしていたわけではない。

 母と二人きりの生活ではあったが、むしろそれ故に獲物を狩るという技術は磨かれ続けてきたのだ。宿の部屋では、私の愛弓が出番を待っている。


「……わかりました。迷宮内では奇襲や罠などもありますので、十分にお気を付けくださいね」

「はい」


 短く返事をすると、私は探索者カードを握りしめて探索者会館を後にしたのだった。


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