第2話 決意


「や、やっと着いた……」

「うん。本当に」


 本当に、迷宮都市に着いたのはようやくと言わざるを得なかった。

 馬車での移動というものは初めてだったが、相当につらいものがあった。一日中小刻みな揺れに晒されるというのは、想像以上に体力を消耗する。それに、精神もだ。気を許したとはいえ、初対面の人と狭い空間でずっと一緒にいるというのは気を使う。


「なーに疲れた顔してんダ?」


 そんな中、一人──いや、一匹だけ平気そうな顔をしているくまじろうが、私たちに呆れた表情を向けた。

 私たちはそんなくまじろうの態度に顔を見合わせてため息を吐く。


「おイ、なんだ今のハ!」

「くまじろう、ひどいよ……」

「うんうん」

「なにがだヨ!」


 残念だが、二対一でくまじろうの負けだ。


「それじゃ、くまじろうは荷物持ちね」

「はア!?」

「疲れてないんでしょ?」

「なんだそレ!おかしいだロ!」

「はいはい、文句言わなーい」


 無理矢理荷物を押し付けて、私は大きく息を吸った。

 迷宮都市の空気は森の奥とは違って、随分と曇ったような息苦しさを感じた。そして、食欲を刺激するいい匂いと酒気の匂いが強い。その匂いで、改めて遠いところに来たのだということを実感する。


「それじゃ、宿を探そう」

「泊めてもらうやつの態度カ?そレ……」


 くまじろうの苦言を無視して、私はミーアに視線を送る。


「え、えっと……どうしよう……?」

「うーん……案内板とかないのかな?」

「案内板……」


 きょろきょろと案内板を探すミーアに合わせて、私も周囲を見渡した。

 馬車から降りて数歩も移動していない私たちは、やたらと人がごった返している広場の片隅にいる。ここは馬車の停留所がある手前、言わば都市の入り口のような役割を果たしているのだろう。それ故に管理もしっかりされているのか、清潔感のある街並みといった印象だった。

 近くにはやたらと賑わっている露店がずらりと並んでおり、オープンテラスで酒を煽っている人も多かった。その他には食材を売っている店や武器や防具を見せびらかすように配列している店などが主であり、少なくともここに宿はなさそうだった。


「やっぱり、宿はもっと街中にあるのかな?」

「ど、どうなのかな……」


 どうやら案内板は見つけられなかった様子のミーアが、不安そうにそう答えた。


「客引きとかしてるんじゃねーのカ?そういうのって」

「うーん、そういうものなのかな?」

「わ、わからない……」

「考えても仕方ねーだロ、行こうゼ」


 そう言うと、くまじろうは無計画に街中へと進みだしてしまった。

 本当にいいのかな?と思いつつも、代案を出すことのできない私にはくまじろうの後を追うことしかできなかった。

 それはミーアも同じようで、微妙な緊張感が流れる中、私たちは迷宮都市の内部へと足を踏み入れていくのだった。




 結論から言うと、くまじろうの意見は正しかった。

 迷宮都市には観光客も多いらしく中の構造も観光客に優しいように設計されているようで、広場から大通りを突き進んでいるだけで宿が乱立する地区へと辿り着くことができた。そこでは華やかな女性たちが行き交う人々にせわしなく声を掛けており、まさにくまじろうの言った通りに客引きが行われていた。

 といってもそれは観光客向けの宿であり、常駐するには少しばかりお高い。探索者として成功すればこういう場所に泊まり込める──或いは自分の家を持つこともできるのかもしれないが、私たちにはまだ早い話だ。

 ……と思っていたのは、私だけのようだったが。


「本当にここにするの……?」


 やたらと豪勢な内装が施されたその宿のロビーで、私はぽつりとそう呟いた。

 ミーアが──正確にはくまじろうだが──お金ならあると言っていたが、そこまでだとは想像していなかった。いや、冷静に考えてみれば、ミーアが身につけているゴシックドレスやそれに伴う装飾品は明らかに周囲の観光客などと比べると豪勢だった。私は迷宮都市についた時点でミーアたちの異質さに気づくべきだったのかもしれない。

 今はくまじろうに預けてしまっているが、たしか私が渡された資金は金貨数枚だ。この宿で換算すれば、二日も泊まったらすっからかんになってしまうだろう。

 お金という概念のない世界で育ってきた私でもわかる。この宿は高い。まず建物が異様に大きいし、あの馬車の御者に比べて対応が丁寧すぎる。いや、でもミーアたちもあの馬車に乗ってきたのだし、そういうものなのだろうか?


「おーイ、なにしてんダ?」


 常識のない私が常識を測ろうと躍起になっているところに、くまじろうの声が届いてきた。


「ううん、大丈夫。それより、ここに泊まるの?」

「そうみたいだナ。お嬢が気に入ってるっぽいシ」

「そ、そう……」


 私のなんともいえない反応を見て、くまじろうはにししと笑った。


「驚いたカ?まア、こんなとこ普通じゃ来れないからナ」

「そうなの?……そうだよね?」

「あア。お嬢に感謝するんだナ」

「うん……」


 私の感覚は正しかったのだと安堵すると同時に、安堵している場合じゃないという焦りも感じた。

 ミーアの事情は詮索しないと決めたことなのだが、こうなってくると話は変わってきてしまう。そんなに大金を持っているのなら、迷宮都市でなくてもどこの街だろうが自由に暮らせるはずだ。それなのに、実際には迷宮都市へとやってきている。

 考えられるのは、二つの可能性だ。一つは、ミーアがただ単純に探索者になることを志願しているという可能性。もう一つは、この迷宮都市以外には行けない理由があるという可能性だ。

 この迷宮都市には、誰でも入ることができる。それは、身寄りも身分もない私ですら入れるほどだ。その分、中でやらかした場合は文字通り消されてしまうらしいが。

 いや、しかし、きっと後者ではないだろう。ミーアはこの迷宮都市に来ることを、楽しみだといっていたはずだ。だとすると、前者なのだろうか。


「うーん……」


 じっとミーアの後ろ姿を眺める。

 だが、穴が開くほど見つめても答えは出てこない。


「まあ、乗り掛かった舟だよね……」


 今更考えたところでもう遅いだろう。

 それに、どんな事情があろうとミーアはミーアだ。なんて投げやりかもしれないが、少なくとも私はこれまでのミーアとのやり取りで少なからぬ信頼を寄せている。今はその自分の気持ちに素直になるとしよう。


「あの、お部屋……取れました」

「……ありがとう」


 ミーアの眩しい笑顔に浄化されながら、私はミーアの後を追った。

 やはりというべきかその部屋は中にも豪勢な飾り付けがされていて、私たち三人で使うには少し広すぎるくらいの大きさの部屋だった。


「なんか、眩しい……」


 そんな感想を呟くのは、私の質素ぶりを露見させるだけだろうか。

 しかし、本当に眩しいのだ。色もカラフルで、やたらとキラキラしている。ベッドが蛍光色なのは普通に睡眠の邪魔にならないのだろうか。なんて実用性を考えていること自体が、セレブ観とは程遠いのだろう。


「……ちょっと、街の方を回ってみる!」


 どことなく落ち着けなかった私は、そう伝えるだけ伝えて部屋を飛び出した。

 部屋にいるのがいたたまれないというのはもちろんあったが、それ以上に一人で考え事がしたかったのだ。

 勢いのままに宿を飛び出した私は、来た方とは逆側のさらに街の奥へと続く方へ向かって足を進めながら、ゆっくりと頭の整理を始めたのだった。


 それからしばらく歩いてみたが、やはりミーアたちのことは何一つわからなかった。それも当然で、そもそも森から出るのすら初めてだった私にはミーアたちが何者か推察できるほどの知識は持っていなかったのだ。

 そんな中、ふと一つの建物が私の目に入ってきた。そこには探索者会館と書かれた看板が立てつけてあり、中は多くの人でにぎわっていた。


「……せっかくだし、探索者登録でもしておこうかな」


 探索者というのは、くまじろうから話を聞いてからやろうと決めていたのだ。その理由はいたって単純で、私の名を広めたかったからだ。

 それはただの名声欲とかではない。母に一人取り残された私ができることを考えた結果だ。

 母は突然殺された。そこに意図がなかったとは思えない。あの暴漢たちは何かしらの意図があってわざわざ森の奥までやってきたはずだろう。そして、私を助けたあの男も。

 私は、それが知りたい。母がエルフの村を追い出された理由。殺された理由。そのためにも、私の名を、森の奥にいるエルフたちまで轟かせる必要がある。……きっと。

 本当にそれが必要なのかは深く考えなかったが、とにかく私には生きる目標が必要だった。だから、私は探索者として名を広めるというわかりやすい目標を自分で作りだしたのだ。

 幸い、私が狩りの際に愛用していた弓はまだ手元にある。母から受け継いだ、いわば形見のようなものだ。


(私、頑張るよ……お母さん)


 新たな一歩を踏み出そうとしている私を祝福するように、私の頬を風が撫でた。

 それは、どこか温もりを感じる優しさに包まれていた。


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