迷宮都市物語
@YA07
嵐の予兆
第1話 迷宮都市
悪夢というのは、いったい何なのだろうか。
文字通り悪い夢だというのなら、私が今見ているものは正しく悪夢だ。
だが、それがもう見慣れてしまったものだとしたらどうだろうか?私は暴漢に嬲り殺される母の姿も、その場から動けずに見ていることしかできない自分も、何度も見てしまっている。それを見るたびにすり減る私の心も少なくなっていき、今となってはもはや冷たくなった自分の心しか感じることはできなくなっていた。
見慣れてしまった悪夢は、もう悪夢ではないのではないのだろうか。
自分が自分でないような感覚の中、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
そんな私の身体を揺さぶるような衝撃が襲った。それに伴い、私の意識も覚醒していく。先程まで目の前にあった母の背中はいつの間にかどこかへと消えてしまっていて、その代わりにそこには奇妙なクマの人形があった。
「なんだア?随分としけたツラの先客がいるじゃねーカ」
そのクマの人形と目が合ってから、そんな甲高い声が馬車内を響き渡った。
信じがたいことにその甲高い声は間違いなくそのクマの人形から発せられたもので、ふよふよと宙を浮くクマの人形は、その無機質な目を私に向けていた。
「……新手の悪夢?」
「悪夢じゃねーヨ!失礼な奴だナ!」
「悪夢じゃないなら、いい夢かな……」
「夢じゃねーっつってんだロ!目え覚まセ!」
私の寝起きの頭に、その甲高い声が突き刺さるように響く。思わず頭を押さえたくもなったが、それは失礼かと我慢をした。
まだうまく回らない思考回路を無理矢理稼働させながら、現状を整理しようとする。そしてそれは、脳内にとどまることなく私の口からぽろぽろとこぼれていった。
「だったら、何者なの?……あ、それは喋るクマの人形か……」
「おイ!勝手に一人で完結するナ!」
「えっと……じゃあ、あなたは?」
「俺はくまじろう!お嬢のボディーガードなのサ!」
「お嬢……?」
クマの人形──もといくまじろうの言ったことの意味はわからなかったが、周囲を見渡してみると確かにお嬢というに相応しいゴシックドレスを身に纏った少女がいることに気が付いた。
年齢にしていえば、まだ十を過ぎたか過ぎていないかくらいだろうか。しかしその少女以外の人は見当たらず、それはその少女が一人でここまで来ているということを指し示していた。……いや、正確には、一人と一匹というべきだろうか。
その少女はじっとこちらを見つめては照れたようにそっぽを向くという行為を繰り返しており、その様子は文句なく可愛らしいものだった。
「そっか。……って、私が知りたかったのはあなたの素性じゃなくて、何者なのかっていうことなんだけど」
「何者オ?そりゃア、迷物ってやつだナ」
「名物……?」
「ちげ―ヨ!迷物ダ!」
聞き慣れないその言葉に眉をひそめると、くまじろうは呆れたようなまなざしを向けてきた。
「おいおイ、これから迷宮都市に行くってのニ、迷物も知らねーのカ?」
「うん。ダメ?」
「ダメってことはねーけどヨ……」
半ば拗ねたようにそう言うと、くまじろうは困ったような声を上げた。
私だって、好きで無知でいるわけではないのだ。森の奥で静かに暮らしていたはずが、気が付いたら迷宮都市などという場所へと旅立たされてしまった。全ては母が死んだショックで茫然としているうちに決まってしまったことだったのだ。だから、私が何も知らないのは無理もない。
……そんな事情を知るはずもないくまじろうが苦言を呈するのも、当たり前のことだが。
「……そんな顔するなヨ。俺が悪いみたいじゃねーカ」
「ごめん」
「まったク……まア、俺のことはどうでもいいだロ。アンタは誰なんダ?」
努めて話題を切り替えるようにくまじろうがそう言った。この人形はそれなりに気も利くらしい。それに免じて、私も素直に素性を明かすことにした。
「私はロザリー。……生き残りのエルフの末裔だよ」
「ふうン、生き残りの……って、はア!?」
素っ頓狂な声を上げるくまじろう。どうやら、クマの人形でもエルフの事情を知っているようだ。
エルフの事情というのは、過去にエルフの血には不老の力があるなどという真っ赤な嘘が流行り、絶滅寸前になるまで狩りつくされたことがあるという話だ。
しかしそれも随分前の話で、それ以降エルフは森の奥で何者にも干渉を受けずに穏やかに暮らしているらしい。らしいというのは、生まれた時から母と二人きりだった私には聞いた知識でしかなかったからだ。母の口からその理由が語られることはなかったが、母はエルフの村から追い出されたエルフだったそうだ。
「エルフの生き残りがなんだってこんなとこにいるんダ!?」
「それは、色々あって」
「色々っつったってナ……」
くまじろうがポリポリと頭を搔く。その一方で、お嬢と呼ばれた少女の方をちらりと見ると、なぜか爛々とした目で私のことを見つめていた。
そしてしばらくすると私の視線に気づいたのか、ハッと何かに気づいたような表情をしてあわあわとしだした。
「えと、その……!」
「……うん?」
「わたし……ミーアっていいます!」
「ああ、自己紹介」
そういえばまだされてなかったな、などと思いながら、私はミーアと名乗った少女のことをじっと見つめた。
この馬車に乗っているということは、ミーアも、そしてくまじろうも迷宮都市を目指しているのだろう。私が言うのもおかしな話だが、迷宮都市というのはこんな年端もいかない少女が一人で行くような場所ではないはずだ。しかも、先程のくまじろうのセリフからすれば初めての訪れとなる。
普通に考えれば観光だが……いや、違う。観光にしても、一人でなんておかしな話だ。
もっと、少女が一人で迷宮都市を───遠方を訪れる自然な理由は……
(私と同じ、かな……)
何かの事情で、迷宮都市に追いやられたと考えるのが一番自然だ。だとすると、ミーアはいったい……
「おいおイ、難しい顔してどうしたんダ?」
「えっ……あ、いや、なんでも……」
くまじろうの声に、私は慌てて答えた。
「なんでモ?」
「いや、ちょっと考え事してただけだから……」
「ふうン……まあいいけどナ。それよリ、ロザリーは迷宮都市に行くのは初めてなのカ?」
「えっ……うん、初めてだけど……なんで?」
「そうカ。いやア、俺たちも初めてでナ。案内でも頼めないかと思っただけダ」
初対面の人にいきなりすぎだと思うのは、私が他人を警戒しすぎなのだろうか。
他人との距離感がいまいちわからない。少女同士だから心理的な壁が薄いのだろうか。そもそも私はエルフで成長が少し遅いだけなので、少女といってもすでに三十は超えているのだが。
そんなことを考えていた私をよそに、ミーアがぐっと立ち上がった。
「あ、あの……!それでしたら、一緒に……なんて……その……」
立ち上がったのは、自分を鼓舞するためだろうか。徐々に声がしぼんでいったミーアは、そのまま言い切ることなく再びちょこんと席に座ってしまった。
くまじろうはその様子にやれやれといった仕草をしており、私も微笑ましい気持ちで苦笑した。
「うん。一緒にいこっか」
「……!お、お願いします……!」
ぱあっと笑顔になったミーアを見て、私も思わず笑みをこぼした。
「でも、本当に私何も知らないよ?」
「そうだろーナ。迷物も知らないみてーだシ」
「だから、その迷物?っていうのはなんなの?」
「うーン……まア、いつかわかるサ」
「ちょっと、なにそれ……」
「っつーカ、迷物も知らないくせに何しに迷宮都市に行くんだヨ」
「何って……生活?」
その質問はむしろ私がしたいくらいのものだ。この先私は何をすればいいんですか?と。
母が死んでから、私はどこぞの騎士団員だという男に助けられた。その男は暴漢たちを倒し、縄につけた。そこまでは良かったのだ。だというのに、その男は私のこともまるで暴漢たちと同じように事務的にしか扱わなかった。私に一握りの金銭と物資を握らせると、この迷宮都市行の馬車に詰め込んでしまった。その手際の良さといったら、称賛に値するほどのものだった。
「無計画なやつだなア」
「私に言わないでよ」
なんてくまじろうに言ったところで、何の話かはわからないだろうが。
そんな私の事情を察したのか察していないのか、くまじろうはひらひらと手をぶらつかせた。
「まア、俺たちも似たようなもんだけどナ」
「似たようなもの?」
「あア、無計画に迷宮都市に移住しようっつー話ダ」
「それは……」
なんで?なんて聞くことはできなかった。
私は自分の事情を話していないし、話すつもりもない。それは向こうも同じだろう。
訳アリな少女が二人。それだけでいいじゃないか。似た者同士で仲良くやっていければいい。無駄に詮索する理由も意味もないというものだ。
そう自分に言い聞かせると、私は今後のことに意識を切り替えた。
「一ついい?」
「おウ」
「ミーアたちはどこまで迷宮都市のことを知っているの?」
「そうだナ……迷宮都市っつーくらいだから、迷宮があるっていうのは想像できるカ?」
「うん」
「さっき言った迷物っつーのは、その迷宮からとれるもんなんダ。迷物って呼ばれるのはどれも摩訶不思議なもんデ、それだけ価値も高イ」
「つまり、迷宮でその迷物をとってきて、それを売って生活するってこと?」
「そうだナ。そういうやつらのことを探索者っつーそうダ」
「ふうん」
いまいち想像はつかないが、聞く限りではたいして大変そうにも思えなかった。
そう思うのは、私が世間を知らないからだろうか。いや、きっとそうなのだろう。身寄りもない私が送られるような場所が、そんな甘い場所のはずがない。
「まア、それよりまずは宿だろーナ。迷宮都市は放浪者が流れつく先だって言われてるシ、安い宿は開いてないかもしれン」
「野宿の可能性が高いってこと?」
「俺たちは大丈夫だけどナ。金はあるかラ」
「……」
自慢かよ。なんてレクチャーしてもらっている身で言えるはずもなかったが、抗議の目だけは送っておいた。
そんな私を見て、ミーアがあわあわと視線を泳がせた。
「も、もしよかったら……ロザリーさんも、一緒に……宿に……その……」
「おいおイ、いいのかヨ」
「だって……!」
なにやら言い争いを始めるミーアとくまじろう。
ミーアの厚意は素直に嬉しかったが、それに甘えてしまっていいのだろうか。
右も左もわからない私には、それすらもわからなかった。そのことに気づくと同時に、私の今までの人生が急に虚しいもののように思えてきた。
別に、不満があったわけではない。母と二人で楽しく暮らしていたし、かけがえのない時間だった。だが、それは何かの役に立つのだろうか。これから見ず知らずの他人と関わって生きていく上で、何か使える教訓はあるのだろうか。
そう考え出すとまるで自分が生まれたての赤子のように思えて、私は胸の内で頭を抱えた。いや、生まれたての赤子の方がまだましかもしれない。素直に他人の厚意に甘えることにすら私は抵抗を感じてしまうのだ。そのくせ、自分では何をしたらいいのかもわからない……
「ミーアさん」
「は、はい!?」
私は無理やり自分の思考を断ち切ると同時に、一つの決意をした。
「その、宿……一緒にお願いしてもいいかな?」
「……!はい!ぜひっ!」
考えてもわからないのだから、まずは他人を信じてみよう。きっと、全てはそこから学んでいくのだ。
それに、私には三十年以上も鍛え上げてきた狩りの腕がある。すなわち、力。他人から身を護る、純粋な意味での力が私にはある。
空っぽな私がだが、一から……いや、零からでも頑張ってみよう。ミーアの笑顔を見ながら私はそう思ったのだった。
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