二人の飛べない鳥
増田朋美
二人の飛べない鳥
夏が行って、秋の到達する季節がやってきた。杉ちゃんたちの着物も、絽から単に変わっていって、黒や茶などの落ち着いた色に変わっていった。それでもまだ残暑が厳しくて、しばらくは夏着物を着ていたい、気持ちがしてしまうのだけど。
杉ちゃんとジョチさんが、公園に散歩に行ったときのことであった。秋と言ってもまだ暑いなあと言い合いながら、公園の中を移動していると、
「杉ちゃん、理事長さん、こんにちは。ごせいが出ますね。」
と、いきなり声をかけられた。見てみると、公園の池で、男性がカヌーを漕いでいるのが見えた。
「ああ、そういえば先日お会いしましたね。あの、パラカヌー大会で、優勝された方ですね。名前は確かえーと。」
「はい。福山大輔です。お二人は影山杉三さんと、曾我正輝さんでいらっしゃいましたよね。お久しぶりです。」
ジョチさんがそういうと、大輔くんは、にこやかに笑った。
「そんなあらたまらなくてもいいんだよ。杉ちゃんでいいんだ。気軽に声をかけてくれればそれでいいから。」
杉ちゃんがカラカラと笑うと、
「いいえ、ご挨拶はご挨拶ですもの。ちゃんとしなくちゃ、まずいですよ。今日はお二人でどこかお出かけですか?」
と、大輔くんは聞いた。
「まあそういうことだ。おまえさんはまた、パラカヌーの練習ですか?」
「ええ、カヌー大会は一回限りではありません。来週、須津川で試合をしなければならないんです。」
杉ちゃんがきくと、彼は答えた。
「須津川ですか。暴れ川で難易度の高いところですね。大変だと思いますけど、頑張って試合をしてください。」
「それにしても。」
ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんがいきなり言った。
「お前さん、なんかおしゃれになったみたい。あのとき、新聞でとりあげられたから、服装変えるように、親御さんに言われたの?」
確かに、彼の服装はあのときとはちょっと違っているようだ。ジャージもプーマのジャージになっていたし、髪も黒から茶色になっている。
「いやあ、そういうことではないんですけどね。ただ、付き合い始めた女性から、もう少し派手にしてもいいのではないかと、言われてしまいまして。」
「女性と付き合い始めたの?」
杉ちゃんはびっくりしていった。障害者が異性と付き合い始めたという例は、なかなかないので、驚いてしまうのである。
「よろしかったら、どんな女性なのか、聞いてもよろしいですか?」
と、ジョチさんがきくと、
「大橋ゆうかさんです。杉ちゃんみたいに、おしゃれに敏感な方でとてもおもしろい方です。」
と、大輔くんは答えた。
「そうなんですか。女性はおしゃれが好きな方が多いですものね。それであなたの髪の色も変えられたわけですか?」
ジョチさんが、ちょっと心配そうな顔でいった。
「ええ、彼女が、もう少し華やかでもいいと言ったものですから。不思議ですね、そんなこと何も興味がなかったのに、彼女と付き合い始めたら、やってみたいなんて思い始めてきて。」
と、大輔くんは答えた。
「でもどういう経緯で、二人が付き合うことになったのかな。大橋ゆうかさんといえば、僕たちも本当に扱いにくい人で。」
と、杉ちゃんが言う。
「製鉄所では面倒を見きれなくて、影浦先生に保護してもらったはずだったんだけどな?確か、あの日、墓参りに一緒に行くとかで、彼女はお母さんと一緒に生きたかったようだけど、それを断られて、大暴れして。」
杉ちゃんの言うとおりだった。そのことは、口に出して言いたくはなかったけど、苑とおりのことだったのである。ジョチさんもあのときは、止めるのに大変だった。
「仕方なく、影浦先生に電話して、連れて帰ってもらったんだよね。その後、彼女はどうなったかは、僕たちは知らないけれど、その後どうしたのかな?」
「ええ、影浦先生は、あのあと彼女を入院させることはせず、薬を飲ませて自宅に返したそうです。入院させてしまうと、それまで獲得してきた生活能力も失われるからって。知り合ったときは、驚きでした。僕はここでいつもどおりカヌーを漕いでいましたが、彼女がふらりと現れて。また乗せてくれって言うものですから。」
はああ、なるほど。なんだか映画にでも出てきそうな出会い方だったけど、二人はそういうふうにして付き合い始めたのだ。
「で、大橋さんは今どこに?」
「ええ、自宅にいます。時々、僕の家に遊びに来てくれます。彼女はお母様のことで揉めそうになったときは、自宅を離れたいと言っていましたので、それなら僕の家に来ればいいということにしたんです。」
なるほどねえ。と、杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。
「いいじゃないですか。仲良くお付き合いをしてくださいよ。」
と、ジョチさんは、にこやかに笑った。
「で、どうなの?結婚とか、考えてるの?」
と杉ちゃんがきくと、
「いやあ、どうですかねえ。それは、わかりませんが、とりあえず彼女が僕のことを慕ってくれている間は、付き合おうと思っていますよ。」
と、彼は爽やかに言った。普通の人から見たら、あまりにもサバサバしすぎていて、本当に彼女のことを好きなのかわからないくらいだった。でも、そうやって彼女を思っている人がいれば、あれほど死にたいと叫んでいた大橋ゆうかも、変わってくれるかもしれなかった。
その日は、じゃあ、試合も頑張ってくれよと言って別れた。それから数日が経ったある日。
「こんにちは。杉ちゃんいますか?」
製鉄所の入り口で聞き覚えのあるこえが聞こえてくる。ちょうど、水穂さんにご飯を食べさせようとしていた杉ちゃんは、こんな時間に誰だろう、と首をかしげていると、
「すみません、大橋です。もしかして、いらっしゃらないのかな?」
と、今度は女性の声も聞こえてきた。
「いいよ、今手が離せないからさあ、入れ!」
と杉ちゃんが言うと、
「こんにちは。できれば理事長さんもいてくれればいいなと思ったんですけど、いらっしゃらないんですか?」
と、大輔くんが、四畳半に入ってきた。同時に大橋ゆうかさんも入ってくる。
「ジョチさんなら、国会議員さんと会食に行って、夕方まで帰ってこないよ、それがどうしたの?」
と、杉ちゃんがいうと、
「そうですか。それは残念ですね。良い知らせをしたくて、できれば理事長さんにも話を聞いてもらいたかったんですけどね。」
と、大輔くんは言った。
「いやあ、予定を急に変えることはできないのでねえ。一体何があったの?」
と杉ちゃんが言うと、
「はい、実は、昨日須津川でまた試合をやりましたが、そこで自己ベストのタイムは出せなかったものの、優勝することができました。それで、その記念に、僕たちは、一緒に住もうと言うことにしました。」
大輔くんはにこやかに笑った。
「そうか。飛べない鳥に勇気は要るか?と聞かれて、お前さんたちも勇気を出したんだね。それは良かったな。もちろん誰か、手伝ってくれる人は居るんだろうな?」
「ええ。僕の母も一緒に暮らしていますよ。やっぱり僕が、歩けないので誰か手伝い人が必要であることは、仕方ないことなのでね。そこは彼女もよく承知しています。」
杉ちゃんが変な問いかけをすると、大輔くんは答えた。
「でも、彼女も、どこかで働きたいっていう気持ちがあるらしくて、近所のお花屋さんで働き始めました。やっぱり、どこかに働き口があったほうがいいでしょうからね。居場所があったほうがいいと言うのは、僕もよく知っていますから、彼女が働きたいと言ったとき、直ぐに承知しました。」
「はあ、そうなのね。働けるってのもまた幸せだな。そうか。楽しくやってくれ。毎日が楽しいことが、何よりの幸せだよ。」
と、杉ちゃんがでかい声でそう言うと、
「それはどうでしょうか。」
と、ご飯を食べないでいた水穂さんがそういうことを言った。
「確かに、表面的には楽しそうに見えるのかもしれないですけど、どちらか片方が犠牲になって、それの上に成り立つ幸せだったら、それでは、幸せとはいえないんではないでしょうか。大輔さんは、好きなパラカヌーの試合に打ち込めるけど、彼女は、花屋で働いてって、自分のやりたいことを発揮できない状態が続けば、また変わってくるのではないかと。」
「水穂さん、新婚さんにそんな縁起の悪いことは言わないほうがいいよ。そういう事は、ちゃんと、わかって一緒に住み始めたんだろうし、それに、彼女の事をこれから、一番わかる状態になって行かなくちゃいけなくなるんだから。それに、彼女のことだって、ちゃんと見られるやつになっていくさ。」
「そうですけど、、、。」
水穂さんはまだ心配そうだ。
「そんなこと、気にしないほうがいいんじゃないか。人間だもん。完璧に相手のことがわかるというやつはいないと思うよ。」
「でも、、、。」
杉ちゃんが明るく言うと、水穂さんはため息を付いた。
「デモじゃないよ。大丈夫だよ。この二人は、ちゃんとやっていけるさ。ふたりとも飛べない鳥だけど、勇気を出して一緒になれば、飛べるってことは知ってるんだからな。それさえわかっていれば大丈夫。」
「ありがとうございます。本当は理事長さんにもいてもらいたかったですよ。実は、不動産屋さんでも紹介してもらえないかとお願いしたかったんです。何しろ、母と二人暮らしだったアパートでは、三人で暮らすのにはちょっと狭すぎまして。」
大輔くんは、にこやかに笑った。
「そうか。そういうことか。それなら、僕が言っておくわ。それはジョチさんのほうから、電話でもしてもらうように言っておくね。お前さんたち、お昼を食べてないだろう?今からカレーを作るから、ちょっとまっていてくれるか?」
と、杉ちゃんが言うと、二人は、じゃあお願いしますと言った。杉ちゃんはすぐに食堂へ移動した。大橋ゆうかさんも、杉ちゃんを手伝うと言って、急いで食堂に行く。あとには、水穂さんと、大輔くんが残った。
「本当に、彼女を愛しているというか、そばに置いて起きたいと思っていますか?」
と、水穂さんは、大輔くんに聞いた。
「ええ、そのつもりです。彼女も、幼いときに、お父さんを亡くされて、そこが僕も共通していましたので、そこで彼女と馬があうというか、そんな感じになりました。それで、僕は結婚してもいいかなって。そう思ったんです。」
大輔くんは明るく答える。
「そうかも知れませんが、あなた方は、杉ちゃんの言葉を借りて言えば、二人とも飛べない鳥です。杉ちゃんは、二人で力を合わせれば飛べると仰ってましたけど、それは、僕はどうかと思うんです。もしかしたら、もっと大きな力というか、そういうものに頼らないとやって行けないんじゃないかと思うことだって有るのかもしれません。」
水穂さんがそういうと、
「ええ、飛べない鳥に勇気は要るかと杉ちゃんは聞きましたが、もうそういう時代は、終わったのではないかと思います。もう、飛べない鳥も、いろんな援助を受けて、飛べるようになる時代になったんじゃないかな。そう思いますけどね。」
大輔くんは、若い人らしくそういうことを言った。
「そうですか。若い人は、いいですね。僕たちみたいに、余計なことを心配しなくていいんだから。」
と、水穂さんは、ちょっとため息を付く。
「ええ、きっと何があっても、なんとかなるんじゃないかって、そう思っています。」
まるで、卒業式にでも出ているような顔で、大輔くんは言った。確かに、そういう式典に出ると、何でもいろんなことができるような、そんな気がしてしまうのである。それは障害があってもなくても同じだろう。水穂さんは、其の事はあえて言及しないことにした。
そうこうしているうちに、杉ちゃんがカレーを作ってくれたので、大輔くんたちは、食堂でカレーを食べた。時間短縮のため、キーマカレーであったけど、とても美味しかった。
それからまた数日後、富士川でパラカヌーの試合が行われた。杉ちゃんとジョチさんは、大輔くんたちから招待を受けて、試合を観戦させてもらうことにした。二人が、観客席に行くと、大輔くんのお母さんと、奥さんになった、大橋ゆうかさんがいた。
「今日は、試合を見に来てくれてありがとうございます。新しいアパートは、まだまだ見つからないんですけど、車椅子ですから仕方ないですよね。まあ、そこはしばらく我慢しなければならないですね。でも、今日も大事な試合ですから、頑張ってもらわねば。」
興奮しやすい福山さんは、にこやかに笑ってそういうことを言った。そうなんでも、答えてしまうお母さんに、ゆうかさんはちょっと残念だなというような顔をしている。
「それでは、レースを開始いたします、本日の出場者は、一番、増村さん、二番、森田さん。」
選手の名前が読み上げられ、一番最後に、福山大輔くんの名前が呼ばれた。彼の名を聞いて、皆一瞬だけ、黙った。そして、号砲と一緒に、選手がスタートした。大輔くんは、勢いよく川をカヌーで漕いでいく。それは、ゴール地点まで衰えることなく、圧倒的な強さでゴールに到着した。すごいな、三連覇だと周りの人が言っている中、お母さんの福山さんは、手を叩いて喜んでいた。その近くで、彼女、ゆうかさんが写真をとっているが、彼女はあまり嬉しそうではなかった。
「いやあ、すごいなあ。なんか戦国武将みたいだ。豊臣秀吉みたいな大出世だよ。」
と、杉ちゃんもジョチさんも顔を見合わせた。
「素晴らしいですね。今、一番油の乗った選手かもしれません。」
「ああ。ありがとうございます。本当に来ていただいてありがとうございました。まさか三連覇できるとは、思いませんでした。」
と、お母さんの福山さんは、嬉しそうにそう言っている。
「福山さん、息子さんのことで、二三点ほど、お尋ねしたいことがあるのですが。」
と、報道関係らしい女性が、お母さんに声をかけてきた。杉ちゃんたちは、インタビューの邪魔しちゃ悪いかなと帰ろうとすると、
「待って!」
と、彼女、ゆうかさんが言った。
「どうしたの?悩みが有るなら言ってくれ。」
杉ちゃんが言うと、彼女は肩を震わせて泣き始めた。それは、多分、お母さんの福山さんに嫉妬しているのだと思う。福山さんが、報道陣にインタビューされて、息子さんのことを根掘り葉掘り聞かれているのが、悔しくてならないのだ。
「そうですか。僕は、妻を持ったことがありませんので、あなたの気持ちがどうなのか、理解できませんが、奥さんと、母親を同じにしてはいけませんよ。そうではなくて、お母さんにしかできない質問があるんだくらいに軽く考えればいいんじゃありませんか?」
ジョチさんはとりあえず答えを言ったのであるが、それはあくまでも経験のない人の意見なので、あまり効果的な説得ではなかった。彼女は
「でもやっぱり、悔しいです。彼とどこへ行くときも、お母さんがついてきて、彼の手伝いは私ではなくて、お母さんが全部するんですから。それで、私はなんでここにいるのかとか、思ってしまうことがあります。」
と、言って泣きじゃくるのだった。
「まあねえ。それもしょうがないよ。そういう事は、障害のあるやつを配偶者に持てばよくあることだくらいに考えておけばいいじゃないか。」
と、杉ちゃんが言うと、
「私は、単にお金の製造マシーンしか見られてないんですよ。あの家では。だって私は、彼のそばにいてあげたいと思うのに、彼と来たら、花屋で働いているから居場所は有るんじゃないかとか言い出して。彼の世話は全部、お母さんだし。確かにお母さんでなければできないことがあるかもしれないけど、私の役目が何も、、、。」
と、彼女はそう言って泣いた。杉ちゃんもジョチさんも返事をなんて返したらいいのか困ってしまった。ふたりとも配偶者というものはいなかった。
「まあねえ、家の敬一もよく喧嘩してますけど、何も言わないで黙っているよりは、喧嘩したほうがいいと言っていますよ。一度、あなたの気持ちを、お母様に言ってみたらいかがですか?そうすれば、お母様だって、少しは変わってくださるかもしれませんよ。何も言わないで黙っている方が、良くないのではないでしょうか。それとも、そういうことを言わせてもらえない雰囲気があるんですか?」
ジョチさんはとりあえず弟の夫婦のことを言ってみた。それでも彼女は泣きじゃくったままだった。
「確かに、ご主人が障害を持っていらっしゃると、どうしてもとっつきにくいことはありますよね。」
と、ジョチさんは効果ないセリフを言っている。
「お前さんな、飛べない鳥に勇気は要るか?」
と、杉ちゃんがちょっときつい口調でいった。
「もう一度考えてみてくれ。飛べない鳥に勇気は要るか?変わるってのはな、時にはものすごいことが必要になることも有るんだよ。そんなちっぽけなことで泣いてばっかりいたら、この先やっていけなくなっちまうよ。それよりも、なんとかしてさ、自分を伝えようってことに重きを置いてみたら?」
杉ちゃんの言葉は、たしかに乱暴な言葉なのであるが、どこかに、真実のようなものを含んでいた。
「そうです、、、ね。」
彼女はちょっと、考えるような口調で言う。
「変えたいんだったら、言葉で言わなくちゃだめだい。そして、それだって、勇気を出さなければできないぜ。」
杉ちゃんは口笛を小さく吹いた。
その間にも、三連覇を成し遂げた大輔くんと、彼を育てた母親へのインタビューは続いている。確かに、二人は長年結びついてきているから、彼女がそこに介入することは難しいだろう。でも、今は、そうではなく、新しい家族が一人来ているのだ。そこを忘れないで、彼女にも居場所がなければ。そうでないと彼らは飛べない鳥から永久に卒業できなくなってしまう。そして、大事なのは、飛べない鳥もいつかは世代交代する日が必ず来ると言うことだ。
報道陣たちは、ただ、大輔くんとお母さんにまとわりついていた。誰も、そのことを聞く人はいなかった。
二人の飛べない鳥 増田朋美 @masubuchi4996
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