白凪の束縛心
理性を保つのが精一杯なのだ。
なにせ、後輩の残り湯。それも女子。
この場合、僕はどうすればいいのか。
「男として、だ」
勝手な真似は許されないし、当の本人もまだ気が付いていない。
「…行けるか?」
服を脱ぎ、浴室に入る。
普通に体を洗い、頭も洗う。
問題は全て洗い終わった後だ。
「湯船…」
浴槽。
お湯がたっぷりと入った湯船。
一度、白凪が入った湯船。
雑念を振り払う。
「だめだ。これは、何も考えずに、平常心で」
余計な心を無くして、ゆっくり足を入れる。
湯の温度は40度ほど。
程よく温かい温度だ。
(何も考えるな。)
何度も自分に言い聞かせながら。
肩まで浸かる。
綺麗な透明の湯がー。
(保て、保つんだ。平常心を)
これは早めに出た方が身のためだと思った。
烏の行水のようにさっと出て、リビングに戻る。
「早くないですか?」
時間としてはまだ10分も経っていない。
体感時間は1時間以上だったが。
「いや、のぼせそうになったからこれぐらいが丁度いいかなって―」
真っ赤な嘘だが。顔も真っ赤だ。
「なら、いいのですが」
表情筋一つ動かさずに言う。
「私の残り湯だと思って、早く出たのかと思いましたよ」
―おい、何でバレてんだ?この人も読心術チーター?
「なんですか?図星ですか?」
目が怪しげに光る。ハイソウデスガナニカ。
「いや、そっかー。初めて気が付いたなぁー」
(棒)である。
「そうですか。全く、嘘をつくのが下手ですね」
読んでいた本を閉じ、本棚にしまった。
「あの…僕は…どうすれば?」
この後何をすればいいのだろう。
記憶をなくす前の僕は何をしていたのだろうか。
「さっさと寝たらどうですか?」
「なんかいきなり辛辣じゃない⁉」
さっきから辛口コメが多い気がする。
「いぇ、さっさと寝てもらい寝顔を見たいなんて一ミリも思っていませんので」
「いや、下心見え見えだわ!」
本心が口に出ている。
「なら、他に何をするというんです?」
なんだろう、この人なんかこわい。
とりあえず2階に上がり、寝て言いと言われた部屋に入る。
その部屋にはベッドと机が一つ。
「何の部屋だ?」
次の瞬間、鍵のかかる音がする。
「この部屋⁉」
部屋の内側からかぎが開けられないように出来ている。
「何のつもりだ?」
壁の奥にいる白凪を睨みつけるつもりで、扉を睨む。
「捕まえました」
僕は生徒会の会長とは違い、人の心を読めない。
お風呂を出た時から辛口コメだったのはA計画の失敗を知らせていた。決して寝顔など、どうでもよかったのだ。
「それはどういう…⁉」
大方の予想はついた。下心が見えていたのではない、あれは殺意だ。
「白凪!僕に何をする気だ!」
扉を強く叩く。
「捕虜ですよ」
この部屋に脱出口は一つ。
天井にある小窓。
開くようだが、そこまで行くことは出来ない。
「ッ。完全に閉じ込められたか」
手遅れというところだろう。全ての予想は大体わかるが―。
「これで先輩は私だけのものです。あんな生徒会長に渡しなんかしない!」
扉の外から聞こえる白凪の声。
(これは俗に言うメンヘラだ…面倒なことになったな…)
メンヘラは付き合うのが極度にムズイ。そもそも、価値観が分からない。
「捕虜だと?僕を捕虜にしてどうする気だ?」
返答がない。おいおい、監禁だよ。ゆっくり寝ていられる状況ではない。
「とにかく開けろ!」
扉をガンガンと叩くが、向こうからの返事はない。
一息ついて、部屋の中を見渡す。
どうにかして、扉を壊せるものはないだろうか。
「バール!」
クローゼットの中にあったバールを取り出す。
「このっ!」
振り下ろしたバールが扉に突き刺さる。
バキバキという大きな音を立てながら、扉を破壊した。
「随分、強引な方法ですね」
バールを捨てて、白凪を睨みつける。
「お前の目的は―」
言いかけたとき、足の力が抜けていく。
「なんだ…眠く…」
急な睡魔が襲う。
「夕飯に睡眠薬を仕込ませてもらいました」
小さな小瓶に入る白いカプセル。溶かされていたなら気が付くはずもない。
「なんのために…」
「本来はお風呂で寝て、さっさと捕まえてやるつもりでしたが…効果が遅かったですね…」
つまり、彼女の予定を壊したことになる。
「部屋はここ以外にもあります。さぁ、眠っていてくださいね…可愛い先輩…」
紫色の殺意が、僕をしっかりと捕えていた。
そのまま新しい部屋のベッドに寝かされ、意識が飛ぶ。
白凪の笑みは、恐怖へと変わって行った。
翌朝、目が覚めた。
相変わらず、部屋に閉じ込められたままだ。
「何なんだよ…」
いまいち状況が読めない。
とにかく助けてもらわねば。
やはり、この部屋も天井近くにある小窓が唯一の光の道だ。
「―。あそこまで行ければだが…」
そこへ行く道は一つもない。
大体、ここがどこの部屋かも分からない。
「―どうすれば…」
クローゼットの中にバールはない。
ポケットに固い感触がある。
「ん?」
小石だ。
そういえば昨日、海琴に家族構成を聞かれた時があった。
そこで恐らく入れたのだろう。
「あの人はほんとにすごいよ‥」
翌日の出来事も読めるのか。ってか、そろそろ読心術とかいう部類ではない。ただの予言だ。
この部屋にある物は、洋服とロープ、後は工具が置いてある。
「ロープ…そうか!」
ロープの先に意思を括り付ける。
「てりゃッ」
思いっきり小石を投げ、小窓を割る。
「でも、どうやって出れば…」
割れた小窓からインターフォンの音がする。
「白凪さんいますか?」
目切れもない海琴の声。
「いますが、何の用です?」
ここからでは、会話を聞くことしかできない。
「唯希君、あなたの家に泊まっているんでしょ?一緒に学校行こうかと思って」
そういえば今日は金曜日。
今日もしっかり登校日だ。この状況で言うほどの事でもないが、遅刻する。
「先輩なら先に行きましたよ?」
このまま、海琴を先に登校させる気だ。
「そうか、窓を開けた理由」
海琴は、昨日の時点でこの展開まで予測していたのだ。
僕は思いっきり息を吸い―。
「ここにいまーす!!!」
町中に響き渡る声を出したつもりだ。運動会の応援合戦でもこんな大声は出した事が無い。
「この声は、唯希君ね。まだこの家にいるんでしょ?」
あとは、海琴に任せるしかない。
「いや、どこかで騒いでいるのでは?」
「今、動揺したね?」
海琴は一瞬の油断を見逃さなかった。
「瞳孔が縮んだ、そして呼吸が早くなる。手を後ろに回して、扉のノブを握る」
彼女はこれらの情報から全てを読み取ったのだ。FBIの捜査官みたいだな。
「動揺なんて…」
白凪は意地でも僕をここに残す気だ。まぁ、束縛者なんだし隠そうとするのも当たり前か。
「いないなら、家の中に入っても?」
このままなら行けるか?
「ええ。いないのは事実ですもの」
中に入ったのだろう。会話が途絶える。
階段を上ってくる音。
そして、この部屋の前で止まる。
「そこの部屋は―!」
白凪の悲鳴が聞こえた。
外側からなら容易に鍵を開けられる。
「いま、助けに来たよ」
全てを見通す生徒会長が姿を現す。その目は、完全に全ての打開策を編み出した目だった。
「さて、話をしましょうか」
海琴は崩れる白凪を上から目線で睨む。
「話って?」
「―。何故、唯希君を監禁したのか」
朱桜の声いつもより一オクターブ低い。海琴にも思うところがあったのだろう。
「それは―」
白凪の口元がニヤつく。そして、昨夜と同じような殺意と束縛心を振りまいて―。
「先輩は、私の物だから!」
嫉妬と羨望が入り混じる目で、海琴を睨み返す。
白凪はその場にあった―。昨日僕がドアを破壊した時のバールを拾う。
「私は、しっかりと相手に意思を伝えない貴女よりよっぽど思いを伝えてるし、家にも来てもらった!優先順位は私の方が高いの!あなたがいつまでも先輩を放っておくからこうなったんですよ!残念でしたね!このまま貴女さえ来なければ、私は先輩とイチャイチャできたの!わざわざ邪魔しに来てくれてありがとうございます!」
そう、長ったらしい文章を喋り終えて、白凪の優しい目が、殺意へと変わった。
「ここがお前の墓場だよ!」
そう叫んで、バールを振り上げる。
「私を殺す気?」
随分余裕だ。まぁ、この人の隙を見つけるなんて容易いことでないことぐらいわかる。
相手からは殺意が伝わってくるというのに。
「あなたなんかに唯希君を取られはしない」
海琴は、いつか告白の返事をすると言った。僕の仕事はそれを待つこと。それまで僕は気を曲げない。
「先輩だって私のことが―」
―これは、戦略だ。
話が唯希に回ったとたん、バールを振り下ろす。
「隙あり!」
殺意という名の甲高い声が響き渡る。
バシッ、といういい音がする。
身構える海琴に怪我はない。
何故なら、僕の手が、バールを受け止めたからだ。
「いってぇー…」
じんわりと、振動の痛みが伝わってくる。。骨を伝って振動が全身に…痺れる。
「海琴に触れるな…」
殺意に殺意で返す。
「は?なんで、なんで先輩が守るのよ⁉」
殺意を通り越した怒りだ。
「隙なんて、この人にあるわけないでしょ…」
ゆっくり後ろを振り向けば、海琴が微笑んでいる。
僕に守れらることまで想定済み。
「どのみち、お前の戦略は失敗だ」
バールを投げ捨てる。
「なんで…」
白凪がポケットから取り出したもの。
スタンガンだ。このままだともう一度白凪に捕まってしまう。
「許さない!」
ビリビリと嫌な音がする。
「私の先輩なの!あなたには取られ―」
思いっきり、白凪の手首を蹴り上げた。
スタンガンは宙を舞い、また一回に落ちていく。
怯んだ白凪を床に押し付ける。
「これでお前は、詰み《チェックメイト》だ」
後ろから小さな拍手が聞こえた。
その日の午後、事情を全て説明する。
海琴のおかげで、大半は聞き入れてくれた。
「ありがとうございました」
生徒会室で、海琴に頭を下げる。
「まだ、やることがあるでしょ?」
やること。
身に覚えがないのだが。
「土曜日、ゆっくり話し合う」
まさかこの人、全て知っていたんじゃ…
「それは…もちろん伺いますけど…」
この人には謎が多すぎる。その謎を解き明かすのは随分先になりそうだが。
「なんで、あの時からこうなると?」
小石まで準備したということは、それ以前から気が付いていたということだ。
「あの子、一目見ただけで、心の中が黒かったもの」
この人やっぱ怖い。
「じゃぁ、今僕が何を考えているのかも?」
朱桜は、僕の目をじっと見てから答える。
「―。そんなイヤラシイ展開。あるわけないでしょ」
何故か上機嫌にそう言った。
「おい!待って!誤解誤解!」
「しぃーらなぁーい」
走って逃げる海琴を急いで追う僕。
―土曜日にも災難が起こるなんて、海琴でも想像していなかっただろう。
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