2.


 わたしは友だちが多くない。わたしはひとりでふわふわと漂っていて、人の声がちゃんとわたしの心に届くことは少ない。誰の声もわたしの頭には届くのだが、わたしが誰かの声に応えたいと思うことはめったにない。しかし心惹かれない声にも返事をしないわけにはいかないので、人の声を聞く努力をしている。



 小学校に入ると友だちと呼べそうな子ができた。ラーラというおとなしい女の子、L-A-R-A、月の光のような優しい名前、わたしと上手くやれるということは人気者ではないということだ。ほとんどの子どもの声はわたしに届かなかったが、彼女の声は捕まえることができた。

 二年生の時、ラーラは彼女の誕生日パーティにわたしを招いた。


「ねえ、エーディト……来週わたしの誕生日なんだけど、あなたが来てくれたら嬉しいな」


 誕生日当日は、ほかにも何人か控えめな女の子たちが来ていた。彼女の家はとても上品だった。白い壁紙、黒くつややかな家具、すずらんのような照明、美しく整えられた植物、アンティーク調の置物。上品そうな両親は上品にわたしを迎えてくれた。ラーラの母さんが、あなたの話は聞いているわと言ったので、いったいラーラはわたしについて何を話したのだろうと思った。

 彼女の一つ年下の弟は鳴ってしまって・・・・・・・いた。


 ご馳走もケーキも何から何まで上品だった、白いふわふわのクリームがたくさん乗ったケーキは子どものわたしには甘みが足りないように感じられた。

 彼女は絵を描くのが好きなようだったのでわたしは綺麗な色鉛筆のセットをあげた。彼女は控えめに喜んだ、彼女は優しくていつも控えめなので本当は何を考えているのか分からない。

 ラーラはファーフニルという大型犬を飼っていた。F-A-F-N-I-R. わたしの母がこんな色の口紅を持っている。彼女は白い毛並みで目と鼻が真っ黒のシロクマみたいな犬だった。ピンク色の舌を出し、わたしの手をぺろっと舐めた時に立派な犬歯が見えた。彼女が尻尾をパタンとしただけで、ネープヒェン(その頃はわたしが引き取ったばかりで、大人の手で包み込めるくらい小さかった)なら吹っ飛んでしまいそうだった。

 わたしがファーフニルにぎゅっと抱きつくと、彼女はおとなしい犬なのでじっと我慢していた。彼女は日なたの匂いがした。


 ラーラの家から帰ると、ネープヒェンが胡散くさそうにわたしの匂いを嗅いだ。犬の匂いがついているのだろうか、なんだか気に入らなそうな目でわたしを一瞥するとソファの上で毛づくろいを始めた。


 《猫ちゃんは窓際フェンスターに座って

  自分の上着シュペンツァーを洗ってる》*


 お風呂に入ってパジャマに着替えるまで彼はわたしに寄りつかなかった。



 その年の誕生日に、家に呼びたい子はいるかと母に尋ねられたわたしは誰もいないと答えた。だが、あらでも少し前にラーラが誕生日パーティに呼んでくれたでしょう、こちらも呼んであげなきゃ失礼よ、と母が言うので仕方なく彼女を呼ぶことにした。

 ラーラを呼ぶのが嫌だったわけではなくて、わたしは誕生日パーティが大嫌いだった、いったい何のためにそんなことをしなきゃならないのか分からなかったし、楽しそうなふりや感謝しているふりをしなきゃならないのもちやほやされるのも嫌だった。

 いつも、本当にわたしのことを考えていてくれるなら放っておいてくれたらいいのにと思っていた。

 ラーラはわたしにジグソーパズル(P-U-Z-Z-L-E、溶けたバターのような黄色)をくれた。ご馳走やケーキを食べてしまうと、わたしとラーラはわたしの部屋で――その頃わたしはまだ本の収集をはじめていなかった――一緒にパズルをした。


 三年生の時、ラーラは別の州に引っ越してしまった。彼女は何通か手紙をくれ、わたしも返事を書いたが、あまり長つづきしなかった。何を書いていいのか分からなったのでかなり素っ気ない内容になっていたから、彼女も飽きてしまったのかもしれない。


 同じ年に、わたしと同じ名前のシャンソン歌手が亡くなった。ラジオでそのニュースを聞いた母はひどく悲しみ、家では二週間以上蓄音機がシャンソンを流すことはなかった。

 ある夜、わたしは母が歌を聴きながら泣いているのを見た。


《鐘が鳴る、鐘が鳴る

  風に揺られて

 とめどなく朗々と

  それは生きる者に知らせる

 「怯えるな、信心深き者よ

  神が汝に徴を授ける

 彼の庇護のもとに

  汝は永久の命を得る

 不滅の愛を」》**


 この頃、わたしは本の収集という新しい趣味を見つけた。



*********



 わたしは歩くのが好きだ。同じリズムで進んでいくのが心地よい。わたしは靴にこだわる。かかとは石畳を歩いた時にコンコンとちょうどいい音をたてるものでなければならない。固すぎてカツカツいってはだめだし柔らかすぎで音がしないのもいけない。

 わたしは歩く時、自分の足音だけを聞く、そして一定の速さで後ろに流れていく地面だけを見る、石畳、コンクリート、マンホール、アスファルト、橋、土、砂、草、石、水たまり、くぼみ、割れ目、葉っぱ、アリ、ナメクジ、ゴミ。


 《奇人が進む、どたんパルダウツばたんパルダウツ!(pardauz! pardauz!)

  雪が解け、夜が明け、沸き立ち、空は晴れわたるブラウツ!》***


 母が好きなシャンソン(****)に “パダム、パダム、パダム” という擬音語が出てくる。P-A-D-A-M。足音を表しているらしい。どんな足音もそんな色はしないけれどわたしもこの歌が好きだ。

 歌詞の意味は知っていたが、フランス語はたくさんアクセントが付くので色が分かりづらい。もっとも、アクセントのせいだけではなく、わたしがこの言語をあまり理解していないから色が付かないのかもしれない。英語を勉強し始めた時もぜんぜん色が付いていなかったが、今ではほとんどドイツ語と同じくらい鮮やかに見える。

 ドイツ語が油絵なら英語は水彩画のような色合いだ。


 ネープヒェンは靴の入っていた箱が大好きだ。箱を捨てようとすると必ず、包装紙と一緒に中に納まっている。無理に引っぱり出すととても嫌な顔をするので買い物袋や羽ばたきや毛糸の靴下でおびき出さなければならない。


 《猫ちゃんに何を持ってきたの?

  毛糸玉、毛糸玉、わたしの宝もの!

 グレイのウールの毛糸玉ヴォレンフラウス

  まるでちびのネズミマウスみたい!》*



*********



 アーガトンは嫌なやつだった。A-G-A-T-H-O-N、固まった血のような鈍い赤。彼は一年生の頃から嫌なやつでラーラのようにおとなしい子の髪の毛を引っ張ったり足を引っかけたり泥を投げつけたり水たまりにつき飛ばしたりしていた。

 五年生で実科学校に進んだ時、彼は同じ学校の同じクラスになったわたしに目を付け、わたしのロッカーに腐った魚を入れたりわたしに色のついた水をぶちまけたりした、そうすると周りのみんなも面白がって囃し立てた。

 この時に、わたしはいじめというものがどんな性質のものかを理解した、それは標的以外にとってはただの娯楽なのだ。誰かが誰かを殴ったり突飛ばしたりし始めると、なんでもない時間がサーカスに変わる。

 さあリン・インス楽しもう・フェアグニューゲン!みんな刺激が欲しいのだ。もしかすると多少の後ろめたさはあるかもしれない……でも残酷であるほど見世物は観客を興奮させるし、なにより誰も自分が生贄になることは望ましない。

 アーガトンは他にも、わたしに猫の餌を食べさせようとしたり待ち伏せして殴ってきたり色んな手で楽しもう・・・・としたけれど、わたしだってそこまで馬鹿でも弱虫でもなかった。ついに我慢の限界が来たわたしは彼に向かって椅子をぶん投げ、彼は怪我をして頭を七針縫った。


 わたしは一週間の停学処分を食らって母を激怒させた。停学中は兄とたくさん喧嘩をした――小さい頃こそ取っ組み合いをしたが、この頃の兄との喧嘩はいつも、どちらがより大きな声を出せるか勝負しているみたいだった。最後の方はただの罵り合い。

 まぬけドゥムコプフばかイディオートあばずれザウメンシュゲスやろうラーベンアース

 この罵詈雑言の応酬は、母にやめなさい!と怒鳴られてもなかなか収まらなかった。これ以前にも兄はしょっちゅうわたしについて、あいつは頭がおかしい、もっとちゃんとしつけなきゃだめだ、と母に愚痴っていた。そして母は決まって、あの子はあなたとは違うのよ、覚えてるでしょ、小さい頃は一言も口をきかなかった、でも今はちゃんと学校に通えるようになったじゃない、長い目で見なくちゃ――そう言ってわたしを庇っていた。

 しかしその母もアーガトンに怪我をさせたことについてはひどく気を揉んでいたので、わたしは暴力に訴えてはいけない、ということを学んだ。

 学校に復帰するとわたしはものすごく怖がられるようになっていた。でもおかげで平和に過ごすことができた。



 わたしは実科学校へ進んだものの、先生に勧められて六年生からギムナジウムへ通うことになった。成績は足りていたし、なによりも、そうすればアーガトンにも会わずに済む。

 彼に椅子を投げつけて以来それほどわたしにちょっかいを出すことはなくなっていたけれど、彼がそばにいる時はいつも気を引き締めていた。なぜなら彼がその気になったらいつでもわたしをいじめることができるのだ――彼は昔そうしたように再びわたしをいじめることができる・・・


 友だちがいないことを、わたしはあまり気にしていなかった。誰と一緒にいても何となくちぐはぐな感じがして、居心地が悪くなってしまったから。彼らがごく普通の、良い人だということはわたしにも分かっていたが、親しくなればなるほど彼らが得体の知れないもののように感じられてしかたがなかった。

 それに彼らには色鮮やかな活字が見えなかった。


 ギムナジウムではフランス語の授業をとった。フランス語にはドイツ語ほどはっきりとした色はつかなかった。しかし(英語がそうだったように)勉強して理解できるようになるにつれてこの言語も色づいてくるだろう。

 今のわたしに分かるのは、フランス語はパステル画のようだ、ということ。




●注

* „Schnauz und Miez(口ひげと猫ちゃん)“ Ch. Moegenstern

** "Les Trois Cloches" Bert Reisfeld

*** „Bundeslied der Galgenbrüder(絞首台同盟歌)“ Ch. Morgenstern

*** „Padam, Padam, Padam“ Lyrics by Henri Contet, Music by Norbert Grandzberg

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