1.


 E-D-I-T-H. エディト。

 これはわたしが生まれた時につけられた名前だ。燃える炎のように明るく、眩しいオレンジ色。母が好きだった歌手の名前と同じ。もっとも、生まれてからしばらくの間、わたしは歌うどころか喋りもしなかったけれど。幼い頃、心配した両親はひたすらだんまりを決めこむわたしを病院に連れて行ったが、何の異常もなかった。

 ある日、母は子ども部屋から歌声が聞こえてくることに気づいた――母がいつも流している外国の歌をでたらめに真似ている――母が飛んでいってドアを開けると、わたしはぴたっと歌うのをやめた。


 子どもは歌う。子どもはたった一人で歌う。子どもはとても満足している。ある時、子どもは誰かが自分の歌を聴いていることに気づく。子どもは歌うのをやめる。歌は自分のもので、自分だけのもので、ほかの人間のものではないからだ。子どもは声を出さずに歌う。子どもはとても満足している。


 聞きかじった歌より、わたしは絵本の音読が大好きだった。音の繰り返し――つまり韻を踏んでいる文章はプリズムのようにきらきらと輝いて見え、どうしても口に出して言いたくなってしまう。でも、それを誰かに聞かれてはいけないと考えていた。



 J-A-S-M-I-N-E. ヤスミーネ。これが母の名前。濡れた枯葉のような色。

 T-O-B-I-A-S. トビアス。これが父の名前。濡れたコンクリートのような色。

 D-I-E-T-M-A-R. ディートマル。これが兄の名前。濡れた煉瓦のような色。

 湿った一家の中でわたしだけが乾いている。

 N-I-E-S-E-L。ニーゼルというのがわたしの苗字だ。曇り空の夜の色(やっぱり湿っている)。この名前は小さい頃好きだった詩と相性がいい。


 《一匹のイタチヴィーゼル

  小川のせせらぎバッハゲリーゼルの真ん中にある

 一つの砂利キーゼルの上に座ってた》*



 ことばに色が付いていることに気づいたのは、十一歳の頃だった。色自体はもっと前からついていたのだが、そのことをはっきり自覚したのは十一歳の時だった。わたしが特に好きなのは数字と暦だ。

 日曜日は白、月曜日は青、火曜日は黄土色、水曜日は青緑と緑、木曜日は赤とピンク、金曜日は黄色、土曜日は赤茶色。

 一月は白、二月は朱色、三月は萌葱色、四月はピンク、五月は青、六月は水色、七月はラベンダー色、八月はオレンジ、九月は茶色、十月は葡萄茶色、十一月は灰色、十二月は真紅。

 ゼロは透き通った黒、一は白、二は朱色、三は薄緑、四はショッキングピンク、五は青、六は水色、七は紫、八は山吹色、九はチョコレート色。

 わたしが生まれた(と、両親が言っている)日は、わたしの名前と同じ色をしている。

 わたしは日曜日に生まれたが、わたしと同じ名前の歌手は日曜日が嫌いらしい。


 《日曜日は嫌い!

  日曜日は嫌いよ!


 道は何百万もの

  通行人でいっぱい

 うろつき回ってる

  みんな無関心な様子で

 歩き回ってる

  葬式に来たみたいに 

 ずっと昔に死んだ

  日曜日の葬式に。


 日曜日は嫌い!

  日曜日は嫌いなの!》**




 どうしてわたしが人前でも喋ることを決心したのか、思い出せないけれど、その方が好都合だと気づいたからかもしれない。特に敵――兄と喧嘩する時なんかは。

 兄とわたしは、多くのきょうだいがそうであるように常にいがみ合っている。仲は悪いが、それはごくありきたりな仲の悪さだ。ラジオの音がうるさい、ガンガン足音を立てるな、片付けろ、邪魔だ、とくだらない理由で突っかかり、ばかやろう!殺してやる!と言い合っては母にたしなめられるが、もちろん本気で殺すつもりはない。

 兄とわたしは五つ歳が離れている。“5”はわたしが大好きな数字だ。ウルトラマリンブルー、ラピスラズリの原石。わたしの家族も五人。両親と、兄と、わたしと、ネポムーク。


 ネポムークは雄猫だ。路地裏でミィミィと鳴いているところをわたしが拾ってきた。母にはうちじゃ猫なんか飼えないわよ、と言われたが、母は可愛らしいものに弱いので子猫はすぐに家族の一員となった。父が猫についてどういっていたかは……覚えていない。兄にはなんだってそんなキテレツな名前を付けたんだ、と言われたが、それはN-E-P-O-M-U-Kが“5”に近い色をしているからで、N-E-P-C-H-E-N、ネープヒェンと呼ぶのは五の二乗の“25”に色が似ているからだ。

 母親はネポムークの餌を入れる小皿に“ネープヒェンのネープヒェンス小鉢ネプヒェン(Nepchens Näpfchen)” と書いた。わたしはその響きがとても気に入っている。

 ネープヒェンの毛皮は黒地にこげ茶色のまだらがあり、はっきり言ってあまりきれいではない。黒焦げのトーストみたいな色だ。子猫の頃こそ可愛らしかったがすぐに成長してふてぶてしくなった。しかし毛並みはふわふわで緑色の宝石みたいな目をしている。とても賢くてたまにわたしのところにバッタやモグラを捕まえて持ってくる。母も兄も動物の死骸は大嫌いなので二人に気づかれる前に始末しなければならないけれど、そういう時はせっかく獲物を見せに来てくれた彼の気持ちを傷つけないようにする。



 父方の祖父は戦争で行方が分からなくなり、祖母も病気で亡くなった。母方の祖父はわたしが五歳の時に鳴ってしまい・・・・・・、祖母はそのショックで亡くなった。今わたしたちは旧市街の端の、小さな庭のついた母の実家で暮らしている。


 家族という存在がわたしには不可解だ。両親や兄弟、血の繋がりのある人々は自分で選ぶことができない。自分の意思の介入なしに必然的に繋がらざるをえない人々に対してどうして無条件に愛着を持つことができるのだろう。血の繋がりのほかにお互いを結び付けるものは何もないのに。

友だちや恋人、それにペットなら自分で選ぶことができる。



 当然、父と母には血の繋がりなんかなくて好き好んでお互いを選んだはずなのだが、一緒に暮らしていない。家族のうち父だけ別のところで暮らしている。もっと奇妙なのは離婚もしていないことで、本当はお互いに興味がなくなったけれど兄とわたしを気づかって別れずにいるのか、他に理由があるのかわたしには分からない。父は列車で三十分ほどのところにある州都で一人暮らしをしていて、わたしと同じでひとりが好きな人だからきっと恋人もいないのだと思う。

 兄はしょっちゅう父を訪ねていく、父が鳴ってしまって・・・・・・・いないか恐れている。兄は家族を大事に思っているみたいだから。いつも罵り合っているわたしや一向に懐かない猫のことすら。兄は――きっと母も、家族が鳴ってしまう・・・・・・のをとても恐れているようだ。

 わたしはものすごく必要性に駆られない限り父を訪ねたりしないけれど、彼は孤独が好きで無駄が嫌いな人なのだと思う。家にいた時も母の流すシャンソンに文句を言っていた、それは覚えている。父が一人で暮らしている部屋には生活に必要なもののほかには兄とわたしが映っている写真しか置いていない。孤独が好きなのに子どもは大事に思っているらしい、というのがわたしには今ひとつ理解できない。

 父が家を出たのは七歳の頃だけれど、その頃のわたしはまだ自分の世界にしか興味がなくて、それまで父や母に遊んでもらったことがあるかも覚えていない。でも兄やわたしの写真が山ほどあるので両親は子どもたちのことが大好きなのだと思う。


《八番目はアルマジロのグルトを締め、

 九番目の子は生まれゲブルトてすぐに死んじゃった、

  ああ痛ましいヴェーエ

 十番目から十三番目はどうなったのかはっきりクラーしない――

  でもどうなっていようヴァーとも

 彼らは幸せな夫婦エーエだった!》***


 わたしは家族をどうとらえていいか分からない、気づいたら彼らはそこにいた、彼らは備え付けの家具のようなもので、幼い頃のわたしはあまり注意を払わなかった。ネポムークはわたしが家に連れてきた、なぜならわたしは彼と仲良くなれると分かっていたから。



*********



 わたしは人前(たとえ相手が一人であっても)で話すのが好きではない。挨拶をするのも嫌なくらい、挨拶はとても奇妙な儀式だ、どうして用もないのに声をかけ合わなければならないのだろう。わたしは道を歩いていても知り合いに気づかないことが多いし挨拶をされると急にたたき起こされたようにとてもびっくりしてしまう。

調子はどうヴィー・ゲーツ?」と聞き合うのも、そのやり取りをするとわたしは混乱するので「元気グート」と答えるのがためらわれる。しかしそう答えるのがいちばん無難だ。



 小学三年生の時、“有益な話をするために”政府の役人が教室にやってきた。エネルギー不足が世界中で問題になっている、そんなような話をした。

 何とかという国のチームが本に注ぎこまれたエネルギーの抽出に成功したのだという。文学や思想にから得られるエネルギーは相当なもので、一国の安全をも揺るがすものなのだと。

 政府の人間は――よりによって――わたしに向かって、優れた文学や哲学の執筆や、優れた装丁に費やされたエネルギーはどのくらいか分かるかね?と尋ね、わたしは見当もつきませんと答えた。彼は続けて、強力な言葉ほど大きなパワーになるのだと言った。

 君、想像してみたまえ、一冊の本に込められたエネルギーだぞ!

 彼は、これから書籍の管理は政府の管轄となり、本の出版は制限される、と言った。

 その役人が教室を出る前に、わたしは尋ねた。

 つまり、本はどうなるんですか?

 まだはっきりとは決まっていない、と彼は答えた、軍の所有となるか――あるいは、フランスに文句を言われたら、しばらく国連の監視下に置かれるかもしれない。


 それ以来、色んな所から本がなくなった、図書館、学校(今のところ、学ぶのに最低限必要なコピーがかろうじて残されている)。本屋の多くは潰れてしまった。まだ政府は強制的に個人の蔵書を没収してはいないが、自主的に提出するとお金がもらえる。でも人々の家から本が消えるのも時間の問題だろう。今ではまともな本が読めるのは大きな大学図書館くらいだ。



 役人が学校に来た日、家に帰ったわたしはお小遣いを集めて買えるだけたくさんの本を買おうと本屋に行った――しかしお小遣いではぜんぜん足りなかったので、とりあえず自分の家にある本を集め、自分の部屋に隠した。本がなくなっては困る、わたしは色鮮やかな――他の人にはそうは見えないとしても――アルファベットが大好きだから。

 著名な文学、詩集、哲学書、子ども向けの本、画集、写真集。それから辞書や図鑑も、わたしは単語がアルファベット順にお行儀よく並んでいる辞書や、動物や植物がきちんと整理して並べてある図鑑を見るのが好きだ。その年から、わたしは誕生日やクリスマスに本が欲しいと言い続けいて、最初の頃は学者にでもなるつもりかと両親に聞かれた。

 わたしが大真面目に本を集めていることを知ると、母が地下室で埃をかぶっていた古い本をわたしに譲ってくれた、これはおじいちゃんのものだったの、おじいちゃんも本が好きだったのよ、戦争で燃えてしまわなくてよかった、と母は言った。祖父は兄と同じ濡れた煉瓦のような色の名前だった、わたしはそれを知っている、お墓参りをしたとき墓碑に彫られていたのを見たから。祖父の時代のものらしく、活字は古くて読みづらかったしページはすっかり黄ばんでいたけれど、わたしは古い紙が放つ甘い香りが気に入った。


 実のところ、わたしは本を読むことではなく活字を見ることが好きなだけだった。でも強いて言うならわたしがいちばん好きな本はうんと小さい子どもの頃から何度も繰り返し読んだ絵本たちだ。それらはすでに安全な場所にしまってあった。

 ネープヒェンは賢い猫で、わたしの本のコレクションに悪戯をしたりしなかった。そもそも彼は寝るとき以外はわたしの部屋にやって来なかった。彼はいつもわたしのベッドの隅やわたしのおなかの上で眠っていた。


 政府の人間は辞書や図鑑にはあまり興味がないようだった(辞書だけでかなりの数になったのに――スペルチェック、図版、文法、外来語、発音、語源、類語、慣用句、ことわざ)。文学や哲学書を書くのと、辞書を編纂するのだったら、辞書の編纂の方が大仕事なような――つまり、より多くのエネルギーを持っている――気がするけれど。彼らは辞書や統計や電話帳にはほとんど興味がなく、文学や哲学書が大好きで、古い版や豪華な装丁のものほど高値で引き取っていた――あるいは一ペニヒも払わずに「国益のため」持ち去っていった。

 まったく被害を受けなかったのは聖書だけ――バチカンから猛反発が来たから。


 色んな人がものすごく抗議をしている。多くの文化人やコレクターたちの署名活動のおかげで歴史的に価値のある写本などは押収を免れていた。本の次は絵画が押収されるのでは、それからレコードが、写真や映画のフィルムが、と声高に言う人々もいた。あらゆる娯楽が消えてしまうと。


 わたしはたくさん本を集めることは集めていたが、最後まで読んだ本はいくらもなかった。本の終わりに近づくといつも、どうしても我慢できなくなって読むのをやめてしまう。




●注

*“Das ästhetische Wiesel(審美的イタチ)” Ch. Morgenstern

** "Je hais les dimanche" Charles Aznavour

***„Der Nachtschelm und Siebenschwein: Oder Eine glückliche Ehe(夜の道化と七つ豚、もしくはある幸福な夫婦)“ Ch. Morgenstern

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