第8話

 里穂が好きなのは、草野先輩で景山先輩じゃない。


 それは見ていればわかる。

 でも、私だって里穂と同じだ。


「私も景山先輩のこと好きじゃないけど、私とはするんだ?」


 ベッドにべたりとうつ伏せになったまま尋ねる。


「多香美も私のことを好きじゃないけど、私とするでしょ。だから、多香美とはするの」

「里穂も景山先輩のこと好きじゃなくてもするかもしれないじゃん」

「しないよ」


 景山先輩が淀みなく答える。


「どうして断言できるわけ」

「多香美は、里穂が亜利沙以外を受け入れると思ってるんだ?」

「……思ってない」


 里穂が私のように景山先輩とこういうことをすることがあったら、世界が終わる。それくらい里穂は草野先輩しか見ていない。これは私だけが知っていることではなく、景山先輩も知っていることだ。


「里穂は亜利沙が好きで、亜利沙も里穂が好き。そんなのは見てればわかるし、私たちが入る隙間なんてないじゃん」


 聞こえてくる声は教科書を読んでいるような声で、感情というものがまったくない。私はタオルケットから顔を出して、隣で横になっている景山先輩を見る。


「隙間なんてなくても無理矢理作って入っていきそうなのに」

「できたらしてる」


 景山先輩が珍しく気弱なことを言ってため息をついた。

 ウザくて、鬱陶しくて、人の気持ちなんて考えていないように見える景山先輩にもできないことがあるらしい。


 里穂は、二人の先輩から誰よりも大切にされている。


 それは私が引っ越してきたときから変わらないことで、この先も変わらない。二人の先輩からかわいがられている里穂を妬んだことはないけれど、羨ましいと思うことはある。私にはウザいことばかり言う景山先輩ですら里穂の気持ちは尊重して、できることとできないことを考えて行動するのだから、里穂のように特別な存在になってみたいと考えることはそうおかしなことではないと思う。


 でも、そんな日がくることはない。

 わかっている。


 私は小さく息を吐いて、景山先輩の脇腹をつつく。


「みんな里穂が可愛くて、私のことなんてどうでもいいもんね」


 今までこんなことを言ったことはないけれど、今日くらいは許されると思う。


「多香美のこともかわいいと思ってるし、どうでも良くないよ」


 景山先輩が私の髪を梳き、頭をくしゃくしゃと撫でる。


「そう言っとけばいいと思ってるでしょ」

「かわいいって思ってなかったら多香美としたりしないし、ちゃんと優しくしたでしょ」


 そう言うと、景山先輩は私の頭のてっぺんにキスをして「ほら、優しい」と言い切った。


「優しくない」

「じゃあ、もう一回試してみる?」

「しなくていい」


 私は聞こえてくる弾んだ声に素っ気なく答えてから、景山先輩に背を向ける。


「……私が今日のこと言いふらしたらどうする?」


 今日したことは、私が生きている狭い世界の中ではセンセーショナルなことだと思う。親に話せば怒られそうだし、友だちに話せば拒絶されるか、必要以上の興味を持たれそうだ。


「言いふらすなら、二日前にもう言いふらしてるでしょ」


 景山先輩が軽い声で言って、まるで恋人みたいに私を背中から抱きしめてくる。

 私たちの間にあった隙間がなくなって、体が密着する。


 体温が一気に流れ込んできてエアコンがついていても背中が熱い。でも、その暑苦しさが心地良くもある。


「それに、幼馴染みが困るようなことを言う多香美じゃないって思ってる」


 私の後頭部に声をぶつけるように景山先輩が言う。


 確かに、景山先輩を告発するなら今日という日を待つ必要はなかった。もっと早くこういうことが起こりそうで困っていると誰かに助けを求めることができた。


 そうしなかったのは、ウザいけれど子どもの頃からずっと一緒にいる幼馴染みを困らせたくなかったからで、景山先輩がそれなりに大切な存在でもあったからだ。


 私たちが住んでいるこの小さな町は、人と人が密接に繋がっている。そこがこの町の良いところでもあり、里穂がこの町を嫌いな理由にもなっていると思う。私自身も密接すぎる関係に嫌気がさすことがある。


 この町では些細なことが噂になり、あっという間に広がる。


「そんなに私のこと信じてるんだ?」

「信じてるし、言いふらして噂になったら多香美だって困るでしょ。今日のことは秘密にしておいて、二人だけで共有しておくほうがお互い幸せだよ」

「そうだけどさ」

「多香美がどうしても私と噂になりたいって言うなら止めないけど」

「景山先輩とじゃなくても、噂になんかなりたくない」

「じゃあ、お口にチャックしておいて。田舎にはちょっと刺激的過ぎる話だし、面倒くさいことにしかならないもん」


 そう言うと、景山先輩がくすくすと笑った。

 彼女の言葉は間違っていない。

 この小さな町の強い繋がりは、その輪の中に入らないものを許さない。


 私たちは常識的であることを求められているし、その常識は長い間アップデートされていない。多くの大人が古い常識に囚われていて、同性が恋の対象だと知られたら間違いなく町中に広まる。学校なら受け入れてくれる人も多いだろうけれど、この町に住む大人たちはそうはいかない。


 この場所は、世の中で謳われている自由から遠いところにある。

 世界は広いのにこの町は狭い。


 ときどき思う。

 私たち幼馴染みの関係もこの町みたいに狭くて窮屈で、大好きの行き場がない。


「一生誰にも言わない」


 言えるわけがない。

 今日のことも、草野先輩への気持ちも胸の中に閉じ込めておくしかない。


「そうしておいて」

「そうしておく」

「じゃあ、今日はこれで終わりってことにしようか。次はまた今度ね」

「次はないから」

「と言いながらも、次を期待している多香美であった」


 景山先輩のふざけた口調に、私は体に回された彼女の腕をつねる。


「絶対にないから」

「意見が合わないし、次についてはまた話し合いからってことにしておこっか」


 話し合いをしたって答えは変わらない。

 でも、文句を言う前に背中にくっついていた体が離れて、景山先輩に視線を向けると、彼女はベッドから下りてしまった。そして、ハンガーから制服を取って着始める。私も脱がされてしまったブラを引き寄せて身につける。


「そうだ。私のことは前みたいに百香って呼んでよ。先輩って他人行儀じゃん」


 景山先輩のブラウスのボタンが一番上まで閉められ、リボンが几帳面に結ばれる。


「他人だし、呼ばない」

「呼んでくれないと、亜利沙に今日のこと言っちゃうかも」

「二人だけの秘密なんでしょ」

「じゃあ、二人だけの秘密があるような親密な仲になったってことで、名前で呼んでよ」


 生真面目に制服を着た景山先輩は柔らかな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。意見を曲げるつもりはまったくないように見える。

 私はわざとらしく大きなため息をつく。


「……二人のときだけなら」

「今はそれで納得しておいて、帰ろうかな」


 景山先輩はそう言うと、「送らなくていいから」と付け加えて部屋から出て行った。

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