第3話
意味がわからないし、わかりたくもない。
私が景山百香と、彼女の言う“えっちなこと”をするなんて、空が落ちてくることがあってもあり得ない。
「そんなことしたら海に沈める。海が嫌なら庭に埋める」
私は断言してベッドの上から枕を投げるが、標的が華麗に避けてしまう。
「わお、不穏な感じ」
随分と楽しげな声が聞こえてくる。
海に沈められたいのか、庭に埋められたいのかはわからないが、景山先輩は私のいうことをきく気がないように見える。
「最低人間はそこにいて」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。私、優しくするよ?」
そう言うと、景山先輩はベッドの端に腰掛けて両手を広げた。
私の胸に飛び込んでおいで!
そういう台詞は言わなかったけれど、頭の中で台詞が彼女の声で再生される。
想像の中でも景山百香は鬱陶しい。
「冗談ならもっと面白いのにしてよ。どうせ景山先輩には、面白い冗談なんか言えないだろうけど」
「ほんっと棘があるよね」
「この状態で棘をなくせって言っても無理だと思うけど。とにかくこっちに来たら一生呪う。ベッドから下りないなら地獄に落とす」
私は体を近づけないように気をつけながら、手だけを伸ばして景山先輩の肩をぐいぐいと押すが、彼女はびくともしない。いや、正確には軽くぐらついたけれど、ベッドから落ちたりはしなかった。
「亜利沙が好きだから、私とはしたくないって感じ?」
にこにこと楽しそうに言うから、腹が立つ。
景山先輩は本当に人の話を聞いていない。
「だから、景山先輩が言うような好きじゃない」
さっき草野先輩に対する“好き”がどんなものか説明したばかりだが、もう一度説明する。
「憧れだって言ってるじゃん。大体、憧れじゃない好きだったとしても景山先輩には関係ない」
「あるよ。知りたいじゃん、幼馴染みが誰を好きかって」
景山先輩が恋の話ばかりしている同級生と同じ声をだして、キラキラした目を私に向けた。
「景山先輩には絶対話さない」
「じゃあ、私としない理由教えてよ。亜利沙が理由じゃないなら、他になにかあるんでしょ」
「理由? そんなの、好きでもないただの先輩と普通はしないから、で十分じゃん」
「えー、私たち幼馴染みじゃーん。ただの先輩じゃないし、好きでもない先輩じゃないでしょー」
語尾がうるさい。
頭に響く。
そもそも、そこまで私としたい理由がわからないし、急にこんなことを言いだした理由もわからない。
ただの先輩ではないにしても、好きでもない先輩ではないにしても、私の中で彼女はそういう対象ではないから、理由がわかってもするつもりはないけれど。
「幼馴染みでもしないから。大体、ずっと一緒にいる幼馴染みにそういう気持ちになる?」
鬱陶しいけれど、景山先輩のことは嫌いではない。
それでも、そういう対象として見ることができないのは彼女が景山百香だからだ。
私は今も子どもだけれど、今よりももっと子どもの頃から景山先輩を知っている。彼女は幼馴染みで、それ以上にはならない。
草野先輩がいなければ、そして、幼馴染みでなければ、景山先輩のことを好きになることもあったかもしれないとは思う。でも、草野先輩は存在するし、景山先輩は幼馴染みだ。それはこの先ずっと変わらない。
「多香美、そういうこと言っちゃうんだ。いいの? 取り消すなら今のうちだよ」
景山先輩がにやりと笑う。
「どういうこと?」
「ずっと一緒にいる幼馴染みの亜利沙を好きになってるのに、そういうこと言ってもいいのかなって」
「何度言えばわかるわけ。そういう好きだって言ってない」
「そういう風に好きなくせに」
幼馴染みでも草野先輩は特別だ。
景山先輩は間違っていない。
彼女は昔から鋭いところがあって、本人もその勘の鋭さに自信を持っているから面倒くさい。
「違うから」
ずっと誰にも気がつかれないようにしていた。
本人よりも、その周りの人たちに。
もう本人には告白してしまったけれど、周りの人たちに気づかれたくないのは今も変わらない。
だから今、認めるわけにはいかない。
気持ちなんて見えないものは認めなければ、事実にはならない。
「じゃあ、そういうことにしておいてあげてもいいけど。えっちなことに興味はない?」
これ以上追求されなくて済むのは嬉しいけれど、そういう方向に進んでもらいたいわけではない。
「ない。あっても百香とは絶対にしない」
きっぱりと、力一杯、全力で否定する。
「あ、久しぶりに百香って呼んでくれた。子どもの頃みたいで、多香美がよりかわいく見える」
「ほんと、ウザい。早く出ていって」
「じゃあ、今日のところは諦めようかな」
さっきまでのしつこさはどこへ行ったのかあっさり引き下がると、景山先輩が立ち上がる。そして、「これ、返すね」と言ってスカートのポケットからゴムを出した。
私はベッドから下りて、景山先輩の手のひらにのっているゴムに手を伸ばす。でも、髪色と同じ黒いゴムに辿り着く前に、彼女のほうからぎゅっと手を握られた。
「ドキドキしたりしない?」
平坦な声が聞こえて、私は彼女の手を思いっきり握り返す。
「今すぐ海に沈めたくてドキドキしてる」
「思ってたドキドキと違うみたいだし、手を離してほしいかな」
景山先輩が繋がったままの手をぶんぶんっと振ってきたから大人しく手を離すと、彼女の手の甲に指の跡がついていた。
「今日はこれで帰るから」
「また来るみたいな台詞なんだけど」
「また来るに決まってるじゃん」
当然のように言って、景山先輩が部屋を出て行く。送るつもりはないけれど、私は彼女の後を追うように階段を下りる。玄関の前までついて行くと、景山先輩がこっちを向いて「じゃあね」と微笑んで背を向けた。
「ねえ」
聞こえるか、聞こえないか。
微妙なラインで声をかけると、景山先輩が振り返った。
「なに?」
「景山先輩が好きなのって、里穂でしょ」
もう一人の幼馴染み。
景山先輩だけでなく、草野先輩にも妹のようにかわいがられている同級生の名前を口にする。
「そうだよ」
驚きもせず、景山先輩がにこりと笑う。
「天使みたいにかわいい里穂を好きにならない人なんて、いないでしょ」
当たり前のように言って私に背を向ける。
言葉からも声からも、彼女が言う“好き”がどういう好きかわからない。でも、次の言葉をかける前に景山先輩の姿は見えなくなった。
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