第4話

 夕方になっても暑いものは暑い。

 学校を出てからだらだらと歩いているせいか、家がやけに遠く感じる。


 白いセーラー服に紺色のスカート。


 夏服は涼しげだけれど、涼しそうに見えるだけだ。歩いていると汗だくになる。夏だからと言われたらそれまでだが、日陰が少ない海辺の町を歩いていると家に帰り着く前に心がくじけそうになる。


「あー、海で遊びたい」


 道路の端を歩いているより、すぐそこにある海に飛び込みたいと思う。


「私はプールのほうがいい」


 隣から素っ気ない声が聞こえてくる。


「えー、海あるし、わざわざプール行かなくていいじゃん」

「私、海嫌いだもん。べたべたするし、砂もくっつくし」


 同い年の幼馴染み――山野里穂がうんざりしたように言う。


 ぱっちりとした目に桜色の唇。

 長い髪はふわふわの天然パーマ。


 色素が薄くて人形のような里穂は、テレビでよく見るアイドルよりも人目を引く。生まれつきだという茶色い髪のせいでよく先生に怒られているけれど、里穂に声をかけたくて怒っているのではないかと思ってしまうくらいかわいい。


 昨日、景山先輩が言っていた通り天使のような女の子だ。

 私の自慢の幼馴染みは、景山先輩からも草野先輩からも妹のようにかわいがられている。


「海なんてあってもいいことないし、引っ越ししたい」


 里穂が地面を蹴る。


「いいじゃん。海綺麗だし、のんびりしてて」

「のんびりじゃなくて、退屈でつまらないの間違いでしょ」


 里穂は、海と言うよりこの町自体を嫌っている。

 でも、私はこの海しかない町を気に入っている。


 少しお節介なところがあるけれど、町の人は陽気で優しい人が多い。海は明るく開放的な気分にさせるエメラルドグリーンではないけれど、濃い青色ですべてを忘れさせてくれそうに思える。視線を遮る高い建物がないから見晴らしが良くて、海の青が良く見える。べたついた風は嫌になることもあるけれど、大きな欠点ではない。


 それでもこの町に不満がないわけではなくて、それは里穂がこの町を嫌いな理由でもあると思う。


「ねえ、多香美。時間ある?」


 里穂が歩くスピードを緩めて言う。

 まだ帰りたくない。

 さすがに今日は来ないと思うが、景山先輩が昨日のように待っている可能性がないとは言い切れない。


「あるよ」


 里穂の用事がどんなものであっても、景山先輩からろくでもないことを言われるよりはいいはずだ。


「一号店寄ってかない?」

「いいね。アイス食べたい」


 私たち、と言うより、町の人たちから一号店と呼ばれているそこは、町で一番最初にできたコンビニだ。私と里穂の待ち合わせ場所で、朝は一号店の前に集合して一緒に学校へ行っている。二号店もあるけれど、離れた場所にあるから私たちは一号店にしかいかないし、三号店はない。


「ハーゲンダッツ食べたい」


 隣から私にとっては高級なアイスの名前が聞こえてくる。


「お金持ちだ」

「今のは希望。パピコ、半分こにしよう」


 急に現実的なことを言って、里穂が大きく一歩踏み出した。チューブ型の容器が二つくっついたようなアイスは、ハーゲンダッツより値段が手頃だし、ぱっかりと容器が二つに割れるから半分にしやすい。


「いいよ」


 私たちは太陽に焼かれながら一号店へ向かう。


 校則では寄り道が禁止されているが、律儀に守っている子はあまりいない。と言っても、それほど寄るような場所があるわけではないから、生徒が集まる場所は決まっている。たとえばそれは二号店で、一号店には同じ中学の生徒があまりいない。


 里穂と歩調を合わせて十分も歩かないうちに一号店に着く。

 自動ドアの向こう側、店内に入ると冷えた空気に汗が引いていく。私たちはパピコを一つ買って、浜辺へと降りる。


「多香美、はい」


 パピコの片割れが手渡される。


「ありがと」


 頭の部分をちぎって、容器の先端をガジガジと噛む。甘くて冷たいものが口の中に広がって、気持ちが良くて美味しい。このままここでずっとパピコを食べていたくなる。


 今日もまた家の前にいたりするんだろうか。


 思い出したくないのに勝手に景山先輩が頭に浮かんで、ついでに「待ってたんだから早く帰ってきなよ」という声まで再生されて、私は小さくため息をついた。


「パピコ、違う味が良かった?」


 白いパピコを片手に里穂が私を見る。


「ううん、白いのでいい。あのさ、里穂。最近、草野先輩と会った?」


 昨日、景山先輩と会ったことはわざわざ話すようなことでもないから、つい最近聞いた草野先輩のことをもう一度聞いてみる。


「この前、彼氏と一緒にいるところ見たって言ったじゃん」

「彼氏って、生徒会長さんだよね?」

「そう。真面目そうな人だけど、亜利沙ちゃんの趣味じゃないからすぐ別れるかもね」

「すぐそういうこと言う。別れないかもしれないじゃん」

「本気でそう思ってる?」

「思ってない」


 草野先輩は美人だし、優しいし、当然モテる。子供の頃からよく告白されていて、二股しているだとか、誰かの彼氏を取っただとか噂になっている。でも、噂はただの噂で事実ではないはずだ。恋人がいるのに他の誰かと付き合ったりするような人ではないし、誰かの恋人に手を出すような人でもない。


 ただ、長く彼氏と付き合えるとは思えない。

 草野先輩が付き合うべき相手は他にいる。


 私はパピコをくわえて、容器をぎゅっと握る。

 甘くて冷たい塊が溶けて口の中に広がるけれど、さっきよりも味が薄い気がした。


「あー、ここじゃないところに行きたい」


 里穂が大きな声を出す。


「それってどこ?」

「とにかくここじゃない場所」


 ここじゃないところに行ったら、草野先輩に会えなくなるかもよ。――とは言わないでおく。


「草野先輩と同じ高校行かないの?」


 今、高校二年生の草野先輩とは、一年だけだけれど同じ学校に通うことができる。


「……まだ決めてない」


 里穂がぼそりと言って、パピコをくわえる。

 彼女のふわふわした茶色い髪が太陽の光に透ける。


 夏になっても里穂の白い肌は白いままで、日に焼けていない。草野先輩も毎年、日に焼けないようにしていた。昔は草野先輩が里穂に日焼け止めを塗ってあげているところをよく見た。


「多香美、そろそろ帰ろうよ」


 里穂が空になったパピコを私に見せてにこりと笑う。

 子供の頃から変わらない里穂の笑顔を見て思い出す。


 ここへ引っ越してきたばかりの頃、彼女はコバンザメみたいに草野先輩にくっついていた。今は昔ほど一緒にはいないけれど、彼女は昔と同じように、いや、それ以上に草野先輩に懐いている。


 二人は姉妹のようだと思う。

 そこにある感情は姉妹のようだとは思えないけれど。


「そうだね」


 私たちは二人で一号店まで戻って、ゴミ箱にパピコの抜け殻を捨てる。


「じゃあ、また明日」


 里穂が手を振る。


「うん、また明日」


 私も手を振り返して、家へと向かう。

 里穂と二人で歩いていたときに比べると足が重い。


 家に近くなればなるほど歩くスピードが落ちる。それでも永遠に家に着かないなんてことはなく、歩いた分だけ家に近づいて見慣れた建物の前に辿り着く。


「多香美」


 家の前、景山先輩に声をかけられて、私はくるりと彼女に背を向けた。


「おーい、花口多香美はなぐちたかみさーん」


 鼓膜が破ける。

 人の家の前で出す声量ではない。

 これ以上名前を呼ばれたら近所の人が外へ出てきそうで、私は景山先輩のほうを向いた。


「フルネームで呼ばなくても聞こえてる。なんでまたいるの? 昨日来たばっかりじゃん」

「また来るって言ったじゃん」

「来てもいいとは言ってない」

「まあまあまあ、中に入れてよ。暑いし、お土産もあるから」

「お土産?」

「そう、のしいか持ってきた」


 延ばしてぺらぺらになったイカ。

 駄菓子だったり、お父さんのお酒のおつまみだったりするもの。


 甘くて美味しいけれど、お土産というにはチープだ。


「渋すぎる」

「かわいい私が渋いお土産を持ってくるっていうのもいいよね」

「よくないから」

「とにかく中に入ろう」


 家の中に入れてもらえると思っているらしい景山先輩がにこりと笑う。


 家の前で騒がれたくない。

 昨日のことは気になるけれど、きっと、あれは本気じゃなかった。幼馴染み相手に何度もあんなことをするとは思えない。


 もし、またあんなくだらないことをするなら叩き出そう。


 私は、高校生になってまで駄菓子をお土産に持ってくる幼馴染みのために玄関のドアを開けた。

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