40. さらば締稲鉄道
四人はそれぞれに布団を畳んで壁際へ寄せた。嗣形から語られた話に各々思いを巡らせていたこともあり、交わされたのは最低限の会話のみだった。そのうちに三十分ほどが経過し、嗣形が朝食を運んできてくれたが、その傍に奈津の姿はもうなかった。
東京へ帰る電車の時刻を打ち合わせながら箸を進めた。食事を終え、みことの家に戻ろうとする一同を、嗣形はペンションの前まで見送りに出てきた。
「今朝はどうも、個人的な話を長々と失礼いたしました」
いえ、そんな、と言いかけたみことや沿島を制するように、嗣形は続けて「私たちは」と穏やかな声で言う。
「これからも、こうして生きていかなくてはいけません。このことはどうかご内密に、そして……できれば忘れていただけないでしょうか」
そして彼は頭を下げた。風が吹き、木々が揺れ、思い出したように蝉が鳴き出す。もちろんそうします、としか応えられないまま、四人は決して軽くない足取りで歩き出した。嗣形はひとりペンションの前に立ち、遠ざかる彼らの後ろ姿をずっと眺めていた。
家に到着するとみことはすぐ風呂に入り、その間に沿島、白澤、ひかるの三人は荷物をまとめた。乗る予定の電車が発車するまでには一時間ほどの余裕があるものの、のんびりと過ごす気にはなれなかった。
風呂から出てきたみことが簡単な身支度をするのを待ち、四人は駅へ向かった。誰もいない待合室に入ると、壁に貼られた例のポスターがいやでも目につく。
「……剥がしましょうか」
誰に言うでもなく発された沿島の言葉にはっきりとした返事はなかったが、なんとなく同意する空気が流れる。沿島はポスターに近づいていき、四隅を止めている画鋲に手を伸ばした。しかし、白澤がそれを止めた。
「待て」
どうしてですか、と訊く沿島につかつかと歩み寄り、ポスターの隅を指差す。
「妙だ。以前にも剥がされ、貼り直された跡がある」
沿島はそれの何がどう妙であるのかすぐには理解できなかったが、みこととひかるはほとんど同時に気づいたようで「ああ!」と揃って声をあげた。
「確かに、おかしいですね。剥がされたポスターそのものを再び貼ることは、剥がした人にしかできないはずです」
一同は顔を見合わせた。そのときだった。
「あなたがた、よく気づきますね、そんなこと。叔父さんは気づかないのに……」
背後から聞き覚えのない声が飛んできた。四人は一斉に振り向いた。そこに立っていたのは奈津だった。
「城崎、奈津……さん。……どういうことですか……?」
沿島の質問に、奈津はやや目を細めた。微笑んだらしかった。
「叔父さんの言うとおり、最初にこのポスターを貼り出したのは近所の人でした。叔父さんが一度剥がしてまわったあとでまた新しいものを貼ったのもそうです。でもその人だって、そんなことをいつまでもやるほど暇じゃないですよ。半年もしないうちに新しく貼られることはなくなりました。けどね、僕はそれじゃ困るんです。僕はもう、叔父さんのところにしか居場所がないんです。このポスターが貼られ続ける限り、町の人たちは僕を、そして叔父さんのペンションを疎みます。それでいいんです。叔父さんが剥がしてきて捨てたポスターを、僕がこっそりまた貼って、叔父さんがそれを剥がしてきて、……それで僕らは暮らしているんです」
奈津は沿島の顔にじっと視線をやる。大きな目だ。睨んでいるようにも見えた。
「くだらんな」
白澤が吐き捨てるように言った。奈津はまばたきひとつせず「そうでしょう」と応え、すっと踵を返す。そして待合室の扉に手をかけたとき、ふと彼は動きを止め「それ、剥がさないでくださいね」と念を押した。そうやって振り返りもせずにそのまま出ていった。
静まり返った待合室の中で、白澤は不意に「みこと」と言った。
「はい、なんですか」
「おまえはあとどれぐらいここにいる予定だ」
「一週間半はいます。……あ、全部のポスターを剥がせと?」
「いや、違う。あいつの叔父にすべてを伝えろ」
みことは少し驚いた顔をして、そうですね、と応える。沿島とひかるも頷いた。
「まあ、それがいいでしょうね。そんなに悪いことにはならないでしょうし」
それからハクタク研究室の一行は予定どおりの電車に乗った。卯妻駅のホームにはみことがぽつんと立ち、遠ざかる電車にいつまでも手を振っていた。
数日後、白澤のところへみことが電話をかけてきた。言われたとおり嗣形に奈津の話したことをすべて伝えたところ、彼はたったひとこと「知っていますよ」と言ったそうだ。
もうすぐ八月が終わり、八条目大学の夏休みも終わる。夏休みが終われば、二学期の始まりである。
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