23. 藍色と青
都心から外れた街でもやはり夜は明るく、空に見える光は月ばかりだ。ひかるは言った。
「ぼくはね、年上っていうものには敬意をもって接するべきだと思うんだ」
それを聞いたジークは、呆れ果てたというような声色で「あなたはひどく前時代的な頭の持ち主だ」と言った。ひかるは彼の目をじっと見る。ふとその顔が微笑した。
「ハクタク先生の教育の賜物だよ。ぼくはそれを誇りに思っている」
そう言うやいなや、その手に持ったスマホから『ハクタクではない、シラサワだ』という不機嫌極まりない声が聞こえ、直後に通話の終了を示す機械音が鳴った。絶句するジークに向かって、ひかるは肩をすくめてみせる。
「足止めすればいいのはぼくだけだと思ってた? だったらきみ、ちょっと警戒心が足りないんじゃないかな。ねえ、本当にぼくが沿島くんに電話をかけてるって、そんなにぼくが信用できる人間だって、そう思ってたの? お人好しが過ぎるよ。もっと疑ったほうがいい。ああ、まあ、国文学科の先生方は、目の前の机が机であるのかどうか疑えだとかそんなことおっしゃらないんだろうから、しかたないのかなあ。いや、うらやましいよ……前島くん。きみ、院生だろ。ぼくより年下のはずだけど、違ったかな」
口調こそ学生と相対するときと同じように穏やかなものだが、その眼差しはいつになく鋭い。もともと決していいとはいえない目つきがさらに険しくなっている。
「なぜ……なぜだ……」
ジークと名乗っていた男——前島は、呆然としてそうつぶやいた。
「御月様はすべてをご存知のはず……それなのに……」
それを聞いたひかるは苦々しい顔をする。
「あのさ、悪いけどぼく、そういうものにあんまり優しくできないんだよね。嫌いなんだ。伝統宗教の真似事のくせして、大きな顔で信仰を振りかざす、きみのような人間が。くだらない。くだらないよ」
吐き捨てるようなその言葉に、前島は拳を握りしめた。
「この……ッ!」
ひどく怒りに震える彼を見ても、ひかるは依然として落ち着きはらったままだ。
「物騒だなあ。愛はどうしたの、愛は。まあ、ぼくを殴りたいなら殴ったらいいよ。それでなにを守れるのか知らないけど、きみにとっては大事なものなんでしょ、きっと」
前島は今にも殴りかかろうと拳を振り上げる。ひかるは唇の端を曲げて笑った。
「でも、そんなことより自分の保身を考えたほうがいいかもしれないよ。学校には戻らなくていいの? きみたちの大切なケシの花畑、今、どうなってるだろうね?」
しんと静まり返った深夜の街に、ふと遠くからパトカーのサイレンが響き出すような気がした。前島は愕然として膝を落とす。
「あんた……あんたは……白澤函そっくりだ」
「そう?」
憎々しげな表情の前島に、ひかるは快活な笑顔を見せて「光栄だなあ」と言った。周辺に潜んでいた無数の気配はいつのまにか消え去っている。地面の一点を見つめて動かない前島に背を向け、ひかるは中泉如駅へと歩いていくことにした。
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