14. 授業を終えたぼくたちは
昼下がり、白澤の研究室。窓の外では鮮やかな緑が風に揺れているが、室内では全体的に彩度の低いふたりが言い合いを続けていた。
「おい、ひかる。不当な理由による使用教室変更の件について異議を申し立てに行くぞ。ついてこい」
「まだ言ってる……もう折れてくださいよ、絶対正当な理由での変更ですって。先生が思ってらっしゃるような裏の事情なんかね、あるわけがないんですよ」
呆れ顔のひかるを睨み、白澤はため息をついた。
「そういえばおまえ、先週、妙な紙を持ってきただろう。あれはどこにある?」
「クレーム状のことですか。どこにって、先生が捨てろっておっしゃったじゃないですか。ゴミ箱ですよ」
「そうか。ちょっと拾ってこい」
今度はひかるがため息をついた。しかし文句は言わず、素直に部屋の隅に置かれたゴミ箱へと向かう。白澤の横暴に順応しきってしまった者の悲しき
「……はい、どうぞ」
ゴミ箱から拾い上げた紙のしわを伸ばし、机上に置く。そしてふたりは改めて書面と向き合った。
『本学部一として差し支えない
不要な学問なのは間違いない
実用性の薄いことこの上ない
すなわちこれ意味のない教育
白澤函、我々はおまえの授業
もう限界だと言わせてもらう
役立たずのやつらを作り出し
非生産的であり社会に不必要
時代遅れと言う他ないだろう
会に合わぬ花、そう理解せよ
つまりおまえの授業は迷惑だ』
「ふん。何度見てもくだらんな」
「これがどうしたんです?」
白澤はその質問に答えず、「おまえ、これをどこから持ってきた?」と尋ね返す。
「えっ? ああ、あのですね、ここの一階に掲示板があるでしょう。あそこで事務の人がなにか剥がしてるところに通りかかったんですね。そうしたらその人がぼくを見て気まずそうに剥がしたものを隠したんですよ。まあ当然なにを剥がしたのか訊きますよね。それで渡されたのがこの紙だったんです。事務のほうで処分しましょうかとは言われたんですけど、一応先生に報告しておこうということでもらってきたんです」
「なるほどな。よし、わかった」
そう言うと白澤は紙をしらみつぶしに調べ出し、しばらくして裏面の端にごく小さく鉛筆で書かれた数字の列を見つけた。
「『4・4・9・1・6・1・9・1・3・5・4』。どうだ、ひかる」
「いや、どうだと言われましても……まったく意味がわかりませんが」
それきり白澤が黙り込んで紙との睨み合いを始めたため、ひかるはコーヒーでも淹れようかとマグカップを用意する。するとそこに沿島が入室してきた。
「失礼します、こんにちは」
「あ、沿島くん。コーヒー飲む?」
「いいんですか。いただきます、ありがとうございます」
コーヒーメーカーが立てるコポコポという音を聞きながら、ふたりは向かい合って座る。突っ立ったままで考え込んでいる白澤を見て、沿島は尋ねた。
「……あの、先生はなにをされてるんですか?」
「うん、なんかね、さっきまで教室変更の件で文句言ってたんだけど、急にあのクレーム状を見始めて……黙っちゃったんだよね」
「ああ、一限の教室変わってましたね。なにかあったんですか?」
「いや、普通に受講者数減で変更ってちゃんと通達も来てたよ。でも先生が全然納得しなくてさ」
「それは……大変ですね」
ふたりが顔を見合わせて苦笑したとき、ちょうどコーヒーが出来上がった。
「そういえば麗美ちゃん、大丈夫ですかね。僕、かなり心配で……」
「うーん。どうなんだろうね。三本木先生がうまく説得してくれるといいんだけど。まあ、とりあえず、もうぼくらが巻き込まれるのは勘弁してほしいよね」
「まったくだ」
突然、白澤が口を挟んでくる。
「沿島、おまえ、まさかとは思うがこれ以上この件に首を突っ込むつもりじゃないだろうな。やめておけ。ろくなことにならんぞ」
「わっ、わかってますよ」
沿島は図星を突かれて動揺した。
「で、でも、哲学科の学生が危ない目にあってるんですよ。それに——」
白澤は深々とため息をつき、その言葉を遮る。
「沿島。G.G.H研究会ひいては金鏡会に取り込まれた哀れな学生なんぞ救おうとするだけ無駄というものだ。簡単に連れ戻せるなどと考えて直談判でもしに行った日にはおまえまで取り込まれるのがオチだ。おまえのような気の弱いやつを丸め込むことなど相手方にとっては造作もない。そうなれば迷惑するのはわたしとひかるだ。面倒ごとを増やしてくれるな。いいか、くれぐれもやつらには関わらないように。わかったな」
「……はい」
沿島が渋々ながらも納得した様子を見せたため、白澤はまた手に持った紙へ視線を戻し、自席のパソコンのほうに向かった。
「まあまあ、大丈夫だよ、沿島くん。あっ、ほら、三本木先生がなんとかしてくれるかもしれないしさ。あの人、意外と正義感が強いらしいから……」
ひかるは気落ちした沿島を慰めようとしたが、彼は力なくうなだれるばかりだ。
「……すいません、僕、トイレ行ってきますね」
そう言って沿島は部屋を出ていった。机にはまだ湯気の立つコーヒーが手つかずのまま残される。ひかるは困ったように頭を掻いた。
そのとき、白澤が「おい、わかったぞ」と言いながら歩いてきて、ひかるの隣にどっかと腰を下ろした。
「なにがです?」
「このくだらん紙の意味だ」
彼はそこで一呼吸おき、こう続けた。
「ただの怪文書ではない。これは指示書の役割を果たしている」
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