12. 減少と棚の秘密
「まったく、どういうことなんだ。学長の差し金か?」
「先生、学長を疑いすぎですよ。説明されているように、単純に受講者数の減少が原因であって……」
「それにしては時期が中途半端だとは思わんのか。おまえは物事を疑わなさすぎているぞ。それでも哲学徒か。嘆かわしい。おまえを育てた者の顔が見てみたいものだな」
「どうぞいくらでも鏡をご覧になってください。ぼくをこのような人間に育てあげたのは先生です」
「育ててもらった恩があると感じているならもっとわたしを敬ったらどうなんだ。助手の風上にもおけないやつめ」
週明けの月曜日。八条目大学人文学部の爽やかな朝は、偏屈な哲学徒ふたりによる口論で幕を開けた。なぜこのような言い争いが勃発しているのかというと、
そんなはずはない、と白澤は言うのである。なにか裏があるに違いない、と。はいはい、とひかるは受け流す。
「とりあえず……準備室に置いてある荷物を移動させないといけませんよね。先生も手伝ってください」
「そんなもの助手の仕事だろう」
「だとしても先生の荷物でしょう。あんなもの、ぼくひとりじゃとても全部は運べませんよ。やたら重い哲学書ばっかり何冊も置いて、あれ、一度でも授業で使ったことがありましたか?」
「重要なのはあれを直接授業に使うことではなく、あれから得た学識の積み重ねが授業に反映されるかどうかということだ」
「それなら本自体は研究室に積み重ねておけばいいじゃないですか」
「これ以上この部屋を狭くしてどうする。わたしはここを掃除するおまえのことも考えてやっているんだぞ」
「それはなんですか、ありがとうございますと言えばいいんですか」
「そのとおりだ。恩師への感謝を忘れるな」
そこでひかるが黙ったため、不毛な論争は一応の終結をみた。ふたりは揃って一階へ向かう。
大教室に入り、併設されている準備室の扉を開けると、薄暗い中にかすかな埃が漂っていた。電灯をつけ、壁際に積まれている十数冊の書籍を手分けして持つ。
ふと、室内を見渡していた白澤が疑問を口にした。
「この部屋、窓があったはずじゃないか?」
「えっ? そうでしたっけ?」
ひかるも辺りを見回してみるが、書類などを雑多に詰め込まれた棚が所狭しと並んでいるばかりで、窓らしきものは見当たらない。
「ないですよ。勘違いじゃないですか?」
「おまえはわたしが教えたことをもう忘れたのか。見えないからといって、存在しないと断定することはできない。目に見えない酸素は存在しないのか? 今おまえがわたしに対して抱いているそのうっとうしいという感情は、目にこそ見えないが、存在しないのか? 学部生のころから口を酸っぱくして教えてきたはずだろう」
「いや、まあ、それは覚えてますし、別にぼくは先生をうっとうしいとは思っていませんが……それとこれとは話が違うというか……」
「なにも違うことはない。もっとよく考えてみろ。まあいい、さっさとこれを運ぶぞ」
そしてふたりは準備室から哲学書を運び出し、エレベーターホールへ向かった。
その後ろ姿を、影がひとつ見つめていた。
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