指切地蔵 壱
最近、三真坂市内の女子高生の一部で、こんな噂が密かに流行っているのだそうだ。
三真坂の森自然公園のハイキングコースを少し外れた四つ辻の奥に小さな洞窟があり、その入り口に赤い前掛けをした地蔵が祀られている。
地蔵の小指と自分の小指をからめて願い事をいい、最後に『指切りげんまん、願い事かなえてくれないと針千本のーます。指切った』と地蔵と指切りをする。
そうすると、針千本飲まされたくない地蔵が願い事をかなえてくれる。
『三真坂の森自然公園』は、三真坂市北東部に位置する県立公園だ。
植物園、陸上競技場、テニスコートなどの施設を備えているが、その面積の大半を森林地帯が占めている。その森林地帯はハイキングコースとしてそれなりに整備され、週末はハイキング、トレッキングを趣味とする人たちで賑わうらしい。らしいというのはパンフレットの受け売りだからだ。
パンフレットに記載されたハイキングコースに、『願いを叶えてくれる地蔵』の記載はない。
益体もない噂に乗っかるほどミーハーなわけではない――ということではなく、おそらく、公園側はこの噂についてまだ認知していないのだろう。
『要、君とお爺さんが好みそうな案件を仕入れたのだが、興味あるだろう?』
市内で興信所を営んでいる縁戚から一報が入ったのは昨日のことだった。
関東の名門私立大学を卒業した後、就職せず三真坂市の実家に戻って引きこもりニートを続けていたところ、かつて親族がやっていた興信所を無理やり継がされたという
結城家は法曹や警察の関係者が多く、市内の『怪異』の情報を集めている俺やじい様にとって有益な情報を提供してくれることがままある。
俺やじい様では捕捉が難しい、警察が関わる――つまり事件性のある『怪異』の情報だ。
『昨今、市内を跋扈している通り魔に関わる事柄だ』
メールとともに送られてきたURLは、地元の地方新聞のウェブサイトのものだった。
『連続通り魔か。帰宅途中の女子高生また襲われる』
そんな見出しの記事はこう続く。
『19日20時頃、西三真坂駅の近くで女子高生が倒れているのを、犬の散歩をしていた主婦が発見した。女子生徒は軽傷。帰宅途中、近道の為に路地を通ったところで襲われたが、犯人の顔は見ていないと証言している。最近同様の事件が市内では続いており、連続通り魔とみて、警察は巡回を増やすとともに注意を呼び掛けている』
さすがに俺でもこの事件のことは知っている。
1か月で4人と、かなりハイペースな犯行は、市内の人間を震え上がらせている。
この通り魔事件を受けて、付近の小中学校では集団登下校や有志による見回りが行われたりと、結構ぴりぴりした空気が街中に満ちている。
高校に通う従妹の帰宅が遅くなる時は叔父さんとローテーションでその送迎をしているため、それなりに他人事ではないし。まあ、従妹と過ごす時間が長くなったことを喜んだりは――していないぞ。不謹慎だ。
『公権力の犬たる家人どもは、早々に解決せよと市民たちから煽り倒され右往左往で愉快極まりないが、未だ犯人逮捕に至らないのは彼らの無能だけが理由ではないようだ』
公僕一族の中にあって悠馬さんは反権力思想が強い。逆に、だからこそ、なのかもしれないが。
『被害者たちが妙な証言をしていると、兄上殿がこちらに情報を流してきた』
それが、『指切地蔵』と呼ばれている噂話。
被害者たちは例外なく、その噂話に従って『おまじない』を行ったのだと、証言しているのだそうだ。
通り魔とおまじない。脈絡がないように思える。
だが、そこに意味があるのだとしたら――
『マスコミへは公開されていない情報』だとの前置きの後に記されていたのは――
『被害者は全員地蔵に襲われたと証言し、指を1本無惨にも切断されているのだそうだ』
『指切地蔵で地蔵に襲撃され指切とはいかにもなことだが、笑止の沙汰と見逃せばそれはそれで別の問題を招きかねない』
『秘密の暴露』を目論んでの非公開ということもあるのだろうが、『指切地蔵』と通り魔事件が関係する可能性にマスコミが目を付けたら、女子高生の間でパニックが起こりかねないということも危惧してのことだろう。
願いを叶えた代償に、指を切る地蔵。
『家人どもは本家案件の可能性もあると判断したようだ。ただ、直截に助力を乞うのは体裁が悪いゆえ、要からそれとなく、とのことだ。仕入れたなどと虚言だな。権力の狗と成り果てた我が身を滑稽と笑ってくれていい』
実をいうと、俺は悠馬さんと直接の面識はない。ないが、面倒くさい人なんだろうな、というのはこれまでのやり取りからなんとなく察している。
ともあれ『本家案件』となれば、何らかの『怪異』が関与している可能性が高いという事だ。
ならば、常人に解決するのは難しいと考えて専門職に投げてしまうのは悪い判断ではない。
専門職――そう、この場合は霊能力者という事になる。
いかにも胡散臭くはあるが、それを生業としている人間も現にいるのだ。
例えば、俺のじい様のような『本家』の人間だ。
とはいえ、霊能力者と言えるのは『本家』の人間だけ――結城家が期待しているのは希代の霊能力者として高名を轟かせた『本家』のじい様であって、『分家』で『零』能力の俺ではないだろう。
だから、俺はじい様が昨日から老人会の慰安旅行で四国に向かったことは黙っていた。
この三真坂市には俺の大事な従妹がいる。
その従妹に危害を加える可能性のある『怪異』が市内を徘徊しているのならば、それは何としてでも排除しなければならない。
言い方は悪いが利用させてもらう――悠馬さんならじい様が市内にいないことくらいは把握していそうだが――まあ、じい様は後詰として、とでも考えているのだろうか。
『難儀で滑稽だ。だが、とうが立っているとはいえ、僕の事務所にも若い女性がいる。純朴で愚鈍の故に、益体もない風説に騙されないとも限らない。良しなに頼む』
というのが昨日の悠馬さんとの主なやりとりで、さすがに夜遅かったので翌日、土曜日の朝を待って調査に乗り出したわけだが……
『指切』で『指切』か。
3人並んで歩ける程度の石畳の道。その両脇の木立が作るアーチをぼんやりと眺めながら独語する。
色々と『怪異』に関わっていると言葉遊びとも言えない、稚拙な語呂合わせのようなものに遭遇することもある。
たとえ児戯のように思えても、『怪異』には『怪異』のルールがあるから、これを無視することは得策ではない。
……まあ、まずは調査だな。
霊能力者として当代随一の評価を恣にし、『比肩するものなき』『不世出』などとファンタジー世界の英雄のような冠詞を戴いたじい様ですら、『『怪異』と真正面からやりあうなどというのは愚策もいいところだ』と常々言っているのだ。
特に『零』能力である俺は『怪異』に直接対抗する術を持たないから、綿密な調査は欠かせない。
孫子も『彼を知り己を知れば百戦危うからず』――事前調査は大事だよ、みたいなことを言っている。
とりあえずハイキングコースの入り口まで来たものの、どう手を付けるべきか頭を悩ませる。
調査方針はいくつか考えてはいたのだが、決めあぐねてここまできてしまった。
ハイキングコースを分け入って直接『指切地蔵』のところへ行っても危険はないか?
……おそらく、現時点ではない。
俺は未だ『指切地蔵』とは接点を持っていないからだ。
ただ、一度関わりを、『繋がり』を持ってしまえば、次からはそうはいかない可能性が高い。
『通り魔事件』の被害者は4人。全員が市内の高校に通う女子学生だ。
全員が指を切り落とされ――切断面は切れ味の悪いハサミで何度も刃を入れたように潰れていたそうだ――そして、誰も犯人の顔を見ていない、という事になっている。
『地蔵に襲われ、指を食いちぎられた』
この証言は恐怖によって錯乱し幻覚を見た、或いは記憶が改ざんされた、と警察では判断されているそうだ。まあ、普通はそうなるだろう。
『指切地蔵と指切を行った女子高生のところに』
『指切地蔵が指を切りに来た』
どうやって?
どうやって、というのはどのように被害者を特定したか、ということだ。
『指切地蔵』の作法を見るに、名前などの個人を特定する情報は必要ない。願いを告げて指切をするだけ。例えば学校の片隅にあって『テリトリー』内の生徒だというのならば、まだ納得もいく。
だがハイキングコースの、さらにコースを外れた場所だ。そこからわざわざ被害者の元まで来るというのだから、関わった時点で『マーキング』される、『認識』されると考えるべきだろう。
それを辿って、『指切地蔵』は来る。もしくは『《憑いて》』来る。
……ダメだ。まだ時期尚早だ。一度きりの機会かもしれない。まず、外堀からだ。
悠馬さんからの情報によると、『指切地蔵』の被害者は今のところ2つの高校に限られている。
私立三真坂南女子高校。市立三真坂商業高校。
市内では『
ともあれ南女、三商のどちらかから『指切地蔵』の噂が流行り始めた可能性が高い。それもごく最近に。
先頃の事件の教訓から、高校生の中にネットワークを構築しようと腐心しているが、まだ成果は出ていない。昨今の世情を考えれば迂闊なことをすると、『通り魔事件』の犯人ではないかと疑われる危険もある。
まあ、情報を集める手段がないではないが――それは最後の手段だ。高い『手数料』が必要になるかもしれないから。
となると、まずはこの公園の管理事務所の人間にそれとなく当たってみるか。『指切地蔵』の由来、誰が設置したのか等々を知りたい。
次に、やはり当事者から話が聞きたい。噂の調査も必要だが、できれば『指切地蔵』と指切を行ったという生徒から生の情報が欲しい。
うーん、今まさに『指切地蔵』と指切してきましたという風情の頭の弱い女子高生とか出てこないかな。
このタイミングで『指切地蔵』の話を持ち掛けたのなら、いきなり警察を呼ばれるということはないだろう。記者か都市伝説系Youtuberか何かを装ってもいいし、場合によってはちょっと怖がらせてもいい。
なんて都合のいいことはないか――未練がましくハイキングコースをのぞき込んだところで――
入り口から30メートルほど入ったところに小さな広場があり――そこの木立の隙間から二人の人間がハイキングコースに飛び出してきた。
遠目に見た感じ、若い女性のようだ。
笑い合いながら互いの服についた葉っぱを叩き落としている。
目を凝らすと――2人が着ているのは制服だった――しかも小柄な方の制服は俺の母校でもある三真坂西高校のそれだ。
こんなご都合主義なことってあるか? 俺の日頃の行いがいいから――ということでもないだろうが、この好機を活かさない理由はない。
どう話しかけるか頭の中でまとめていると、小柄な方の少女がこちらに顔を向けたかと思うと右手をぶんぶん振りながら、こちらに向かって走り出した。
「――ん?」
左右に豪快に揺れるツインテールと、モデルのごとき小さな顔についた、猫のような大きな瞳。毛先と違って、走っても胸は微動だにしない。
「―――んんんんー?」
「要にい! 要にい! どうしたのこんなとこで! キグーだね!」
慎ましやかな肢体に、極上の笑顔を乗せた少女は――見間違えるはずもない――我が愛しの従妹だった。
……は? 樹? 何でここに?
「要にいっ!」
混乱する俺に、勢いのままに樹が飛びついてくる。
「うぉっ?!」
約30メートルの助走からの、後先考えない渾身の踏み切り――その運動エネルギーたるや――だが、頼れる従兄としては樹を受け止める以外の選択肢はない――一受け止めきれずぶっ倒れるなどという醜態をさらすわけにはいかない。
だが、不意を突かれたせいもあって踏ん張りが効かない――
全国の従兄の……威信にかけて……っ!
樹の背中に両手を回し、抱きしめたままくるりと回転して勢いのベクトルをそらす。
「わっ!」
耳元に樹の楽しげな声を聴きながら、バレエダンサーのように1回転、2回転――さすがに足元が覚束なくなってきたところで運動エネルギーは消費し尽くされたらしく、なんとか樹をお姫様抱っこ状態で抱えたまま、幸運にも道の脇に設置されていたベンチに軟着陸。
「いいか、樹、もう子供じゃないんだから……」
お説教してやろうとして樹を見ると、まるで子供のようなきらきらした瞳でこちらを見上げていた。
「要にい! すっごいんだよ! ラピュタみたい! とっても楽しかった!」
こんな曲芸、あんな崖っぷちでやるのは御免だぞ。
だが、まあ、こちらの胸元に縋りついている樹の笑顔を見たら、それも――いや、出来ないぞ。全世界の従兄の威信をかけてもたぶん出来ない。無理無理。身の程を知る、それは大事なことだ。
「樹ちゃん、急に、どうしたの? 知り合いの、人?」
樹を追って駆けてきたのか、声を弾ませ――声以外のものも弾ませながら、セーラー服の女子高生が戸惑いがちにこちらを見た。
白セーラーに赤ネクタイ――私立三真坂南女子高校の制服だ。
長い黒髪を三つ編みにまとめ、今時どこで売っているのか、野暮ったい黒縁メガネの、いかにも優等生然とした少女なのだが、小柄な割にはグラマラスで、胸の豊満さは樹と同じ高校生とは思えないほどだ。
うーん、ギャップがすごい。
こちらが胸を見ているのに気付いたのか、三つ編みの少女は両手を組んで胸元をしっかりガード。ついでに軽蔑も露にこちらを見下ろしてくれた。
……ああ、なんか、ごめんね、つい。君に興味はないんだけど、反射的にね。ただ、年をとったら見つめられるのも悪くない、ってなるって叔母さんが言ってたよ。
言い訳にもならない言い訳を心の中でしつつ、無邪気にしがみついてくる樹を強引に膝の上から下ろして立ち上がる。
「樹、お友達?」
よっと、という小さな掛け声とともに地面に降り立った樹は三つ編みの少女の手を取る。
「うん! 南女の篠塚雪ちゃんだよ! 最近お友達になったの! 雪ちゃんは凄い子なんだよ!」
「……はじめまして、篠塚雪、です」
軽く会釈してくれたものの、こちらを見る目が、完全に不審者に向けるソレ。
「それで、雪ちゃん、こっちが要にい!」
「《カナメニイ》さん……変わった名前、ですね」
明らかに日本人に対して使うべきではないイントネーション。
どこの国の人だよ。
しかし、いきなり毒吐いてきやがったな。そんなに胸を見られたのが気に障ったか。
まあでも、わからなくはない。人より、平均より秀でたものを持っている人間は、好意と好奇と、時に悪意や嫉妬にさらされ――それを許容できない人間もいる。
友人に――知人にそういう人間がいたから、理解はできる。だが、
「カナメニイ、デス。ドゾ、ヨロシク」
あえて『カナ↑メニイ↓』みたいな発音で言ってやると、一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、さっと頬を朱に染めてこちらを睨み付けてくる。
「あっは! 2人とも何言ってるの! カナメニイは名前じゃないよ! 要にい、だよ!」
まあ、樹が口に出す分には響きで違いが分からないのだが。
そういう迂闊なところも可愛いが、俺がそう思っていることを樹に悟られてはいけない。
「樹、親族の紹介くらいきちんとできるようになってくれ。要にい、じゃわからないだろう。『従兄で大学生の朝霧要さん』、ほら言ってみな」
樹は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、相好を崩して俺の手を取った。
「雪ちゃん、従兄の要にいなんだよ!」
……今日も樹は可愛い。
篠塚さんと俺の手を握った両手を高く掲げ、
「これで雪ちゃんと要にいも友達だね!」
うーん、天真爛漫。
樹の宣言に篠塚さんは一瞬『無』の表情を浮かべてから、小さく微笑んだ。
「そう、だね、お友達、だね」
俺と友達になったことが嬉しいわけでは決してないだろう。
だが樹の微笑ましい姿を目の当たりにすれば誰だって頬がほころぶ。俺だってほころぶ。
いや、ともかく、最優先で確認しなければならないことがある。
悪い予感――どころか最悪の結果しか想像できないが、目を背けて後回しにするわけにもいかない。
「樹、なんでこんなところにいるんだ?」
首を傾げて、それから何かに合点がいったかのように樹は頷いて、微笑んだ。
「あのね、要にい、『指切地蔵』って、知ってる?」
――事情聴取だ。
「樹、お前馬鹿じゃないんだから、学習しろよ。いや、やっぱり馬鹿なのか?」
公園併設のレストラン――というか食堂?――で樹の口から事情を聴かされた俺の第一声はそれだった。
馬鹿というやつが馬鹿、ではないが、周囲からこいつこそ馬鹿なんじゃないかと思われかねない頭が悪そうな発言だが、それ以外に言いようがないのも確かだった。
いやほんと、馬鹿じゃねえの。
「お父さんが言ってたんだよ! 馬鹿っていうやつが馬鹿だって! だから要にいが、馬鹿! 要にいの馬鹿、馬鹿!」
上目遣いにこちらを見つめ『馬鹿、馬鹿!』ときゃんきゃん吠える小型犬のように繰り返す、いつもの愛らしい姿に、にんまりとほころびそうになる口元を引き締める。
あまり、樹を甘やかしてはいけない。それより何より、実は俺が、最愛の従妹である樹を甘やかしたくてしようがないということを悟られてはならない。
だから俺は、ごほんと咳払いしてから、樹を怒鳴りつける。
「どっちが馬鹿だ! この前、どうしようもなく下らない願いをかなえてもらおうと胡散臭いものに手を出して、結果的にじい様にこっぴどく叱られたばかりだろうが!」
当時の苦労を思い出したせいだろうか、思った以上の声量が出てしまった。今度は樹が慌てたように周囲を見回した。
「ちょっと、ちょっと、要兄。声が大きいよ、店員さんに怒られてデイリキンシにされちゃうんだよ……!」
周囲をうかがうように声を潜め、長いまつ毛に彩られたアーモンド形の目の奥、やや青みがかった瞳で上目遣いにこちらを見つめる樹。
先刻注文を取りに来たおばちゃん店員が訝し気にこちらを見ているが、言うべきことは言っておかなければならない。
「『変なおまじないには関わるな』って、何度もじい様に言われてるだろうが」
樹は『本家』の跡取り娘だ。同時に希代の霊能力者との評価を不動のものとしているじい様の孫でもあり、その才能を無自覚ではあるものの、文句なく受け継いでいる。
樹が関われば、益体もないおまじないでも効果を発揮する可能性があるし、もし、『本物』に関わったならどうなるかなど何をか言わんやだ。
『本家』は長女が継ぐ、そして女児は一人しか生まれないという特殊な事情があり、誰もが――特に男衆は樹に甘く、それゆえか樹はどれほど諌言しても、おかしなおまじないに自ら突っ込んでいくことをやめない。
その後始末をする筆頭が、じい様と俺だ。
いや、俺は望んでやっているから別に不満はないのだが――内容が問題だ。
「で?」
興味津々な様子でこちらを窺うようにしながら飲み物を置いていったおばちゃん店員が離れたところで樹を促す。
「あのね、この間、佐野君との縁を結んでもらったから、今度は……そのね、あのね……佐野君ともっと親しくなれるようにって、お付き合いできるようにって『指切地蔵』にお願いしたんだよ!」
サノ、サノサノサノ……サッノオオォォォッ!
またしてもその名を聞くことになろうとは――
陸上部に所属しているが足の速さはそうでもない、真面目だけが取り柄らしい、サッノオオォォォッ!
とっくに樹に飽きられ、打ち捨てられていると思っていたがそうではなかったらしい。
ならば、改めて鉄槌を――佐野に与える鉄槌が必要だ。
しかし、樹が恋愛事には奥手らしいというのはつい最近知ったことだが……怪しげなものを頼るなよ。
それも、実害が出ているようなものを――いや、樹は知らないのだろうからそこは責めるべきではないか。
小さく嘆息して改めて樹に問いかける。
「自分でお願いしたんだな?」
「うんっ!」
元気いっぱい頷く樹に、また嘆息。
佐野の野郎には幼馴染で先輩の想い人がいるらしいが、樹の魅力にころっと転倒する可能性もある。
もし、今後樹と佐野の野郎と付き合うなどというおぞましい事態になった場合、『指切地蔵』は樹のところに来るだろう。
それまでに、『指切地蔵』の始末をつけなければならない。
――ああ、いや、佐野を物理的に排除してしまうのが一番簡単じゃないか? そうだ、そうに違いない。
実力行使の計画を練り始めたところで、アイスコーヒーを前に地蔵と化している篠塚さんに視線をやった。
「篠塚さんも『指切地蔵』と『指切』を?」
さっと耳まで顔を赤くした篠塚さんは、眉根を寄せる。
「私は、そういう目的でここに来たんじゃありません」
なんか沸点低いなこの子。
よくよく見ると黒縁眼鏡の下は彫の深い派手めの造作で、怒っている表情も絵にはなるが、ヒステリックな女とはあまりお付き合いはしたくない。情報を適当に聞き出したらさよならだな。
「雪ちゃんはね、南女で『不思議研究同好会』のカイチョーをしてるんだよ!」
不思議研究同好会――変わった名称だ。
「オカルト研究部みたいなもの?」
俺の母校である三真坂西高校にも『ミステリ研究部』という名の、オカルトもやっている部活があるが、
「そう、ですね。会長と言っても、私一人だけの同好会ですけど」
恥じ入るような小さな声で俯きがちに言う。
「イッコクイチジョウのアルジなんだよ! すごいね、要にい!」
樹の言葉に篠塚さんは驚いたように目を見開いた後、小さく微笑んだ。
「そう、かな……ありがとう、樹ちゃん」
すぐに他人を褒める言葉が出てくるのは樹の美徳の一つだ。
「そうだな。すごいな」
誇らしげに思いつつ適当に相槌を打つとまた篠塚さんに睨まれる。まあ、もう気にしないけど。
「ということは、『指切地蔵』の調査に来たの?」
そうだとしたら、俺にとっては都合がいい。情報源として利用し倒してやろう。
こちらの視線を受けて、逡巡する素振りを見せた後、篠塚さんは頷いた。
「はい。西校のミステリ研究部の人と情報交換をしていた際に、樹ちゃんが『指切地蔵』と『指切』をしようとしてるという話をきいて、じゃあ同行させてもらおうと思ったんです」
「そうなんだ。熱心だね」
「……そうじゃないと、同好会をやっている意味がありませんから」
赤面症のごとく顔全体を赤く染めた篠塚さんに睨まれつつ、おそらく、篠塚さんは市内の通り魔と『指切地蔵』を結び付けていないと判断する。
いかにも優等生然として、嘘をつけなさそうな篠塚さんがそのことを知っていたら、樹を止めてくれただろうからだ。
俺は自分の人を見る目は信用しないが、樹のソレには信頼を置いている。樹が側に置こうという人間ならば、その人間性を疑うべきではない。
――佐野は別だが。
ともかく、篠塚さんの行動はオカルトに興味がある人間でも2つの事柄をまだ結びつけていないという事でもある。情報の隔絶があるから、それは当然のことかもしれないが。
ともかく、俺の母校である西校も『指切地蔵』の噂は把握しているようだ。
「樹、ここに来る前にミス研に話を聞いたんだな? 『指切地蔵』について何か言ってたか?」
タピオカジュースを極太ストローで吸い上げていた樹は、何かを思い出すように目線を泳がせていたが、
「ミス研は、三商の子から聞いたみたいで、調査のジュンビチューって言っていたんだよ!」
間が悪い。
おそらく樹は三商から西校に『指切地蔵』の情報が伝わった直後に、『指切地蔵』の事を知った。
だから、ミス研は大した情報を持っていない。
「西校ではいつから流行ってるか、ミス研は把握していたか?」
『指切地蔵』の出所を辿ることは、その対処方法の解明につながる。
「うーん、つい最近? って言っていたような気がするんだよ!」
つい最近。まあ、確かにそうなのだろう。西校に被害者はまだ出ていない。4人目の事件が起こったのは一昨日だ。
ああ、もう……なんでこういうことに限って樹は行動が早いのだか。
樹ならばそんなものに頼らずとも……ああ、いや、その魅力を前面に押し出されても困る。痛し痒しだな。樹の側からゴキブリどもが死に絶えれば苦労はないのだが。
「あ……」
何かを言いかけて篠塚さんが口を閉じた。
「篠塚さん? 何?」
話すなら話す。口を噤むなら噤む。中途半端はやめろ。
非難を含んだ目を向けるとまた顔を赤くしてぷいと横を向いた。ご機嫌ナナメか。怒りん坊さんか。
まあ、こういう時は樹を頼るに限る。
「雪ちゃん! カクシゴトは体に良くないんだよ! さあ、キリキリ吐いちゃうのがいいんだよ!」
満面の笑みの樹と顔を見合わせて、篠崎さんは小さな笑みをこぼした。うむ。樹はいい仕事をした。
「『指切地蔵』の出所……いえ、拡散源は南女、です」
俺からは露骨に目をそらしつつ、樹の方を向いて言う。
南女か……
私立三真坂南女子高校は所謂お嬢様学校で、祖母、母、娘と三代で通う生徒もいるようなところだ。まあ、富裕層の娘が多い、というだけでもちろん全員がそうというわけではない。
どうも、こういうおまじないとは雰囲気がそぐわない気もするが、篠塚さんの口調には彼女なりの確証があるようだった。
「誰が、最初に『指切地蔵』の話を始めたのかも分かっています」
え……本当に?
「え……本当に?」
脳が働いていないと、思考は直接言葉になる。
ともあれ――『指切地蔵』の由来に一足飛びに近づけるという事だ。
意外とあっさり解決できるかもしれない。
「篠塚さんが調べたの?」
「……不思議研究同好会の会長ですから」
そうか。そうだな。こういう調査で、どこを押さえるべきか――その『急所』を知っているという事か。いいぞ、いい情報源だ。からからになるまで搾り取ってやろう。
心の中でにんまりしていると、樹が立ち上がった。
上機嫌の時――夕飯が鶏の唐揚げだった時――の、笑顔で高らかに叫ぶ。
「あのね、要にい、チョーサもカキョーだけど、私そろそろ行くね! これから佐野君たちと映画を見に行く約束なんだよ!」
は……?
「……はあああぁぁぁぁっ?!」
何言ってんの? 何言ってんの、樹? 映画館なんかに行ったら、ピンクモンスター・サノに暗闇に紛れて手を繋がれたり、アレやコレやされちゃうだろ!
「『ドラゴンと天然パーマのプリンセス』を皆で見に行くんだよ! 雪ちゃん、要にいのチョーサに協力してあげてほしいんだよ!」
「いや、いやいやいや、男と映画なんて、樹にはまだ早い! 10年早い!」
俺の魂の叫びなどどこ吹く風、
「要にい、雪ちゃんは男の子に慣れてないんだから、イタズラしちゃダメなんだよ!」
スカートの裾を翻し、伝票を置いたまま駆けだした。
「ま、待て! いいか、樹! 俺以外の男は皆、狼だ! ゆめゆめ油断するんじゃないぞ! あと通り魔の件もあるから、帰りは叔父さんに連絡するんだぞ、いいな!」
「はーい! じゃあ、雪ちゃん、要にい、またね!」
食堂の扉が無情にも閉まる音を聞きながら、樹が口にした衝撃的な内容を反芻する。
ゆ、許すまじ……サノ、許すまじ……! 末代まで、祟ってやる……! いや、お前が末代だ……!
……ぐ、ぐぬぬ……
……まあ、いい。脳みそピンクの男子高校生とはいえ、今日の今日でどうこうということもあるまい。
ともかく今は、『指切地蔵』だ。
業腹なことだが、樹は『佐野と付き合いたい』と『指切地蔵』に願った。そして、複数人でとはいえ、一緒に映画を見に行く関係にある。
『指切地蔵』が自分に都合のいいように解釈して、樹を襲いにやってくる可能性もゼロではない。
『本家』の跡取り娘は、何をおいても護らなければならない。
他の何を犠牲にしてでも。
現時点での犠牲筆頭――不思議研究同好会の会長である篠塚さんを見やると、完全な『無』の表情。斜め前方に視線を落とし、彫像のごとく眉一つ動かさない。
これは、あれだな。共通の知人がいなくなった後の、気まずい空気だな。
だが、そんな ことを気にしている場合ではない。
「篠塚さん」
ピクリとも反応しない。
「あの……篠塚さん」
無反応。マジか。え、重度のコミュ障? いや、樹がいるときは人並みの対応をしていたし、それなら『指切地蔵』の調査の為に樹に同伴したりはしないだろう。
こっちを見てないので逆に遠慮なく観察させてもらうと、篠塚さんは頬をやや赤く染めて、よく見なければ分からない程に肩が小刻みに震えている。
――ああ、樹が言っていたな。
「篠塚さんは、初等部から南女なの?」
今度は反応があった。ぱっと顔を上げてこちらを見て、目線があった瞬間、視線を落とした。
「はい。うちは祖母の代から南女です。女の子は皆そうで、お姉ちゃんも南女卒で……」
こちらを窺うように上目遣いにこちらを一瞥したかと思うと、また顔を伏せる。
樹が同席していた時とは大違いだ。
多分、篠塚さんは親族以外の男とあまり接触したことがない。おそらく、こういった状況で男と二人きりになったことがないのだろう。
俺がその隆起した胸を見ていた時の塩対応から察するに、そうやって男を遠ざけてきた。
だから、今こうして俺と二人きりで面と向かって会話をせざるを得なくなって、どうしていいかわからなくなって硬直している、というところか。見ず知らずの他人ならともかく、友人である樹の親族の俺を放り出して去るわけにもいかない。
じい様とともに、様々な調査に赴いてきた俺には、情報を引き出すための人間関係構築のノウハウが一応ある。敬愛するじい様ほどではないにしろ。
「へえ、まあ篠塚さんのことはいいや。それで、さっきの話なんだけど、誰が『指切地蔵』の話を始めたのか、教えてもらえるかな? 南女発なんだよね?」
『男が苦手あるいは不慣れ』――こういうタイプの、初対面の女性とコミュニケーションをとって、短期間で友好関係を築くための方法論は2つに1つだ。
すなわち、『愚直に誠実に、褒めて褒めて相手がこちらに疑心を抱かなくなるまで褒め倒す』か『異性としての興味は皆無で、知的好奇心を探求する同志として認識していると明確に示す』か、だ。
褒められて悪い気がするわけがない、というのは全ての人間に当てはまるわけではない。世の中には褒められると逆に居心地の悪い思いをする人間もいる。俺みたいな控えめな性格の人間に多いと思う。
男慣れしていない女相手の手管は前者でいいが、後始末が面倒になる。幸いなことに、篠塚さんはおそらく後者が有効なタイプの可能性が高い。
篠塚さんのような『多くの異性に興味を持たれていて、それに対して困惑あるいは煩わしさを感じる』女の場合、素っ気なく、むしろ事務的に接した方がいい。下心がないという事をきちんと伝えることができれば良好な関係を築くことができるだろう。それで友好関係を、一時とはいえ、築けた事例もある。
図に当たったのか、何を言っているんだこいつは? 私を口説いてこないのか? セクハラしてこないのか? とでも言いたげな、ある意味傲慢ともとれる驚愕の表情を浮かべた篠塚さんは視線を左右に泳がせてから頷いた。
「笹原ひびきさんという同級生……が、『指切地蔵』の話を南女で最初に始めた人、です」
笹原ひびき……
記憶の中にはない名前だ。
『指切地蔵』の被害者は順番ごとに――
波多野五月。南女2年。
藤野洋子。南女2年。
立花恵子。南女3年。
杉野祥子。三商1年。
この4人。
ニュース等で氏名は公表されていない。ネットで被害者の個人情報を探る動きはあるが、まだ突き止められてはいないようだ。まあ、そう長い猶予はないだろう。
誰がどの指を落とされたかという情報は悠馬さんからのメールにはなかったが、それはおそらく意図的に隠されたものだと思う。
『秘密の暴露』の一部として『指が切られている』ことを明かせても、『どの指か』までは知らせられないという慎重な姿勢の表れだ。信用されていないともいえるが、今のところ、『どの指か』は重要ではないから、追及するつもりはない。
ともあれ、落とされる指に法則性――例えば、右手の子指から順番に――があれば、最悪5本目、他の誰かの右手の親指が落とされるまでやり過ごせば樹は無事でいられるかもしれないと考えたりもしたのだが、そこまでわかりやすければ、さすがに情報開示があっただろう。
「笹原ひびきさんは、どういう人なの?」
『指切地蔵』の話を最初に始めた人間。
であれば当然、その由来を知っている可能性が高いことになる。
「笹原さんは南女の1年生で『課外活動部』に所属している人、です」
「課外活動部?」
「海岸のゴミ拾いとか介護施設への慰問とか、そういう活動をしている部活です」
「所謂ボランティア活動をメインにしている部活ってことかな?」
「はい……そういう認識で問題ないと、思います」
考える素振りをした後、篠塚さんは慎重に頷いた。
「調査でお話を聞かせてもらいましたけど、明るくて快活な人です」
「その笹原さんが『指切地蔵』の噂を広めた?」
頷いて、すぐ首を横に振る。
「はい。いえ……広めたというよりも、慰問で行った介護施設のおばあさんからこういう話を教えてもらった、と雑談の中で話したら課外活動部を中心に拡散したという感じで……意図的ではなかったのではないかと思います」
さっき『拡散源』と訂正したのは、そういう意味か。
その拡散が意図的であったかどうか、判断する根拠は今のところない。
人は嘘をつくからだ。
笹原ひびきさんが、自分が発信源であることを隠したかったなら誰かから聞いたという体裁をとるだろう。
そう、『友達の友達から聞いた話』だ。
「笹原さんはオカルトとかに興味がある人?」
「……いえ。多分、人並み以上ではないと思います。本人に『指切地蔵』を信じている様子はありませんでしたし」
なら、拡散は偶発的だったと考えるべきか。
ただ少なくとも、その介護施設のおばあさんに話を聞きに行く必要はある。
「その介護施設の名前はわかるかな?」
「『緑陽園』という名前です。『指切地蔵』の噂は南女では結構広まっているので、不思議研究同好会の調査活動の一環として課外活動部の顧問の先生にお願いして、訪問の許可をもらいました。それで、今日の午後に緑陽園に行く予定なんですが……あの、なんです、か?」
怪訝な表情でこちらを見上げ、こちらの視線を避けるように篠塚さんは身を縮めた。
そんな篠塚さんをじっと見つめたまま、笑顔を浮かべて見せた。
「篠塚さんは、こういう調査の経験が?」
「あ、はい……いえ、同好会の活動としては初めてですが、お姉ちゃ……姉の手伝いを何度かしたことがあるので、それで」
姉の手伝い? こんな特殊な調査、やる機会というか動機はそうそうないはずだが……
苗字が篠塚で姉……ああ。
「篠塚さんのお姉さんって、隣の県の大学で働いてたりする?」
俺の言葉に篠塚さんは驚いたように目を見開いた。
「あ、はい、そう、です。姉は民俗学専攻で、今は大学で働いています。姉が大学院生だった時はよく、調査に連れて行ってもらっていたので、一応、押さえるべき手順は教えてもらってます。『歴史を辿る』ことが大事なんだと、お姉ちゃん……姉はいつも言っています」
三真坂市は隣県と接している立地なので、そちらの情報もある程度は調べてある。
『現代の魔女』――篠塚怜佳専任講師の綽名だ。悪名ともいえる。
各地に伝承される古い慣習や奇祭の調査を学生時代から一貫して行っているのだが、その標的となるのは『知られざる因習』――つまりは、『《秘祭暴き》』
それまで地元民だけに伝えてきた表に出せない因習を――多くの場合は性的および生死にまつわる要素を含んだものだ――無理やりに白日の下にさらしまくった挙句、殺害予告を送りつけられたり、『研究者の品位を下げる』と学会で槍玉に挙げられ『魔女裁判』と揶揄されたりと、毀誉褒貶ある、話題には事欠かない人物だ。
論文に目を通した限り、調査自体はオーソドックスな手順を踏んでいるので、それを学んでいるのだとしたら篠塚さんは情報提供者として得難い人物という事になる。
「篠塚怜佳さん、だね。悪く言う人もいるけど、俺は敬意を表すべき有能な研究者だと思うよ」
身内褒めは好感度稼ぎの基本だ。特に、評価が二分するような身内の場合は。
俺が姉の名前を知っていたことに驚いたように顔を上げた篠塚さんに、
「優秀なお姉さんの薫陶を受けたからなんだろうね。普通、篠塚さんの年齢でここまで調査の手を伸ばすのは、中々できることじゃない。素直に凄いと思うよ」
追撃の本人褒め。コンプレックスを持っていそうな点を肯定するのも手練手管の一つだが、容姿がいいことを自覚している人間には、容姿以外を褒めるのが響く場合がある。
「あ……ありがとうございます」
頬を朱に染めて俯いた篠塚さん。
これ以上は逆効果になる可能性があるし、褒める点も思いつかないので本題に戻る。
「篠塚さんが手配した緑陽園の調査、俺も同行したいのだけど、大丈夫かな?」
我に返った様子の篠塚さんはしばし黙考した後頷いた。
「……大丈夫だと思います。私一人で行くことになってますから先生は来ませんし、要さんに、保護者……同伴者を装ってもらえれば、多分」
初めて、俺の名前を呼んだ。
効いてる。効いてるぞ、これ。今までと態度が、こちらを見る目が全然違う。多分、信頼度爆上がりだ。
「そうか。じゃあ、運転手を買って出た従兄ということでいいかな?」
「あ、はい。車を出してもらえるのは、嬉しいです」
はにかんだように、篠塚さんは笑う。
まあ、それもしようがないかもしれない。殺害予告を送りつけられるような身内を肯定されたならば、『味方を増やしたい』と思うのは当然の心理だ。多分、とても仲のいい姉妹なのだろう。
「任せておいて。安全安心、全速前進で送り届けさせてもらうよ」
茶目っ気を混ぜて言うと、
「お願いします」
樹がいなくなってから初めて自然な笑みを浮かべた。
よし。同行を申し出た時にこちらの下心を疑う素振りも表向きには出さなかったし、割といい感じで好感度が稼げているのではないだろうか。
大学入学祝いにじい様がくれたSEIKOの腕時計を確認する。今は午前11時過ぎ。緑陽園の場所をスマホで確認すると、ここから車で30分もかからない。
まだ、時間の余裕はある。
「篠塚さん。もしかして『指切地蔵』の写真って、撮った?」
「あ、はい。撮りました」
「見せてもらえる?」
頷いて篠塚さんは通学用と思しきカバンから、女子高生としては珍しくなんの装飾もされていない黒い剥き出しのスマホをとりだした。
「これですね」
差し出されたスマホに映っていたのは、何の変哲もないというか、特筆すべき点は何もない地蔵だった。
つるりと剃りあがった頭に、やや色褪せた赤い前掛け、胸の前で両手をあわせ、その右手の小指だけが独立して斜めに立てられている。
なるほど、この小指で『指切』するわけだ。
背景に目をやれば、祠があるわけでもなく、足首ほどの高さの雑草が生え放題の地面に直置きだ。
祀られている、という雰囲気は一切ない。
それどころか、打ち捨てられているという風情ですらある。
そのことを篠塚さんに伝えると、同意するように頷いた。
「前掛けには、ほつれや小さな穴があったりして、誰かが手入れしているようにはみえませんでした」
こちらを見上げる篠塚さんに、先刻までの、こちらに対するネガティブな感情は一切見受けられない。協力者、もしくは同志としてみてくれているようだ。よしよし、いい感じ。
ともあれ、最初、俺は公園の管理側は『指切地蔵』の噂を認知していないかもしれないと考えたが、これはもしかして公園側は『地蔵自体』自体を認知していないのか? そこも確認する必要がある。
まいったな。
調査しなければならないことは多々あるが、時間の猶予はそこまで長くはない。
樹の事もあるし、いつ『指切地蔵』と通り魔事件が結び付けられるかわからない。
俺一人では手と頭が足りない。
ちらりと篠塚さんを見ると 、ちょうど向こうもこちらを見ていたようで目が合った瞬間さっと目をそらした。
――うってつけなのが、いるんだよな。
早期解決に役立ちそうな、知識と経験があって、もしもの場合『肉壁』として利用できそうな人間。
そうだ。都合のいい人間が目の前にいるのに、放流する理由はない。
「篠塚さん、もしよかったら、『指切地蔵』の調査に付き合ってもらえないかな? 緑陽園以外でも、という意味でだけど」
誠実に見えるように、まじめな顔で篠塚さんを見つめると、一瞬で篠塚さんの端正な顔が真紅に染まった。
同時に俺のスマホが振動する。
篠塚さんを口説き落とす必要があるから、ここでスマホを確認するような無粋はしないが――振動は鳴りやまない。なんだこれ? 壊れたか?
「え? ええ、あ、あの、は、はい……その……」
耳まで真っ赤にした篠塚さんが上目遣いにこちらを見て、俯いて、余所に視線をやるという不審な動作を繰り返す。
小学生から女子高とはいえ、男慣れしてなさすぎだろ。交際を申し込まれているわけでもないのに、挙動不審がすぎる。キスしたら子供ができるとか思ってないだろうな。
だが、背に腹は代えられない。『情報源』『肉壁』『鉄砲玉』……3役こなせそうなこの駒は、確実に手中に置きたい。
これはどっちだ。押すのが正解か、引くのが正解か。
決めあぐねていると、篠塚さんが意を決したように朱に染まった顔を上げた。
「しょ、初対面ですけど、要さんは、樹ちゃんが信頼している人ですし……話してみて、私も信頼できる人だって思いました。だから……大丈夫です」
やや震える声で言いながら、潤んだ瞳で、真っすぐにこちらを見つめる。
「ありがとう。よろしく」
作り笑顔で右手を差し出すと、篠塚さんはやや躊躇した後、自分の人差し指と親指で俺の人差し指を一瞬だけ挟んだ。
「……よろしく、お願いします」
素早く指をひっこめ、顔全体を真っ赤にして俯く篠塚さん。
出会ったばかりの頃の、警戒心は欠片もない。
塩対応だが真っ直ぐ攻められると弱い、張子の虎タイプだったか……
この子、あれだな。進学で東京とかに行ったら一見誠実なコミュ力高めの悪い男に捕まって水商売デビューしてメンヘラ一直線とか、そういう命運の子だな。
まあ、篠塚さんの将来などはどうでもいい。今一番重要なのは樹のことにほかならない。
『鉄砲玉』をゲットしたところで、連続振動が気になったので、篠塚さんに断ってからスマホを確認する。
新着メールが――20通? なんだこれ?
しかも送信元アドレスに覚えはない――というか、アドレスも文面も『辣ァ繧後※縺励∪縺』みたいにすべて文字化けしている。
秒間2通という冗談みたいな不審メールの絨毯爆撃。
ついでに『通知不可能』な電話番号からの着信が1件。
……変なサイトに登録した記憶はないし、するとしてもメインスマホではやらない。
次から次へと面倒な……
まあいい。今は止まっているようだから後回しだ。
物事は一つずつ着実に築き上げていく、と言ったのは坂本龍馬だったか。
俺は決して出来のいい人間ではないが、偉人を見習うくらいは許されていいだろう。
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