えんきりくん えんゆいさん 終
「
『祝勝会』という微妙にずれた名目であったとしても、俺が
たとえ、『祝勝会』の会場が前回と同じファミレス、前回と同じグラドルウェイトレスの勤務している時間帯だとしても。
グラドルウェイトレスはどうやらこちらの顔を覚えていたようで、入店時点でこちらに向けて蔑んだ表情を浮かべてくれた。何か、別の意味でぞくりと背筋を駆け抜ける。得体のしれない感覚が。
これは、あれか。新たな性癖の目覚めというやつか。
いや、まあ冗談だが。
「やっぱり、要にいは凄いんだよ!」
上機嫌の樹の声に我に返る。
「そうだね。快刀乱麻って感じだったよ」
対して、なんだかちょっとテンションに違和感のある七原さん。
「今日はブレイコーだから好きに頼んでいいんだよ! 要にいが支払うし!」
「ご馳走になります」
俺が払うのかよ!
まあ、いつものことというか、金銭的な優位は実は望むところではある。
主に樹が頼んだ料理――大半が甘味――が届くのを待つ間に、『えんきりくん えんゆいさん』も含めて、学内の様子を確認する。
『えんきりくん えんゆいさん』は、第一文芸部が流した創作だということが、その理由も含め学内で噂になっているそうだ。『えんきりくん えんゆいさん』を本気で信じていた生徒もいたせいで、割と肩身の狭い思いをしているとか。
「部員欲しさにガクナイフーキを乱したとかで、結構カクホーメンから白い目を向けられているみたいなんだよ!」
「最近藤沢先輩が登校するようになって、少しは収まってきてますけどね。登校前は『雲隠れ』したと思われていたみたいなんですけど、あの憔悴ぶりというか、変貌を目の当たりにして、むしろ腫れもの扱いに変わってきてる感じです」
クールに言い放つ七原さん。
あれ、なんか君、以前と印象が違くない?
「それでね! 第二文芸部は独立するんだって!」
第二文芸部は、文芸部と統合することなく、第二の名前を捨てて『ミステリ研究部』に名前を変えるのだそうだ。当初は『オカルト&ミステリ研究部』にしようとしていたようだが、『オカルト』の文言が学校側には不評だったらしい。ならば『O&M研究部』でどうかと交渉したが、活動内容がよく分からないから駄目、だったそうだ。
ふむ。事態はおおむね、設楽が画策したように推移しているようだ。まあ、ファンクラブの在校生メンバーを使って状況をうまいことコントロールしているのだろう。
中学生の頃ほどではないが、設楽とのメールでのやりとりが増えた。やたらとスタンプ、絵文字が多いのが難点だが――ともかく、設楽から聞いていた事柄ばかりではあるが、複数人への確認は大事だ。
特に、今回は設楽にとって都合のいい情報を吹き込まれていたのだから余計に。
これで、『えんきりくん えんゆいさん』に関しては終わりだな。
迅速な解決で樹の俺に対する好感度は爆上がりのはずだ。
そう、カンストしちゃうかもしれない。限界突破もあり得る。期待に打ち震えたところで――黒蜜をかけたわらび餅を至福の笑みとともに胃におさめた樹がぴょこんと背筋を伸ばした。
「――あ、佐野君から、メールが来たんだよ!」
……は?! はあああぁぁぁっ?!
なに、なに、なんでメールアドレスの交換とかしちゃってんの?! 卑猥な言葉とか画像を送りつけられちゃうだろ?!
心中で叫びつつ、懸念が的中したことに歯ぎしりする。
俺が恐れていたのは、この『事故』だ。
益体もない『お呪い』でも『本家』の樹が自ら行ったなら、効果を発揮してしまうかもしれない。
それだけのポテンシャルが『本家』の娘にはある。
「今日も、陸上部の集まりがあるんだって! お呼ばれされちゃったから、これから行くね!」
いや待て。部活にまじめに取り組まず遊んでばかりいる男なんて、お兄ちゃんは認めませんよ!
「陸上競技場で部内競技会をしたあとの打ち上げなんだって! 佐野君は百メートルで八位、二百メートルで七位だったんだよ!」
短距離ランナーなのはわかったが、何とも評価しづらい順位だな。しかも学内だろ。いや、仮に県大会一位でも褒めはしないけどな。
「頑張ってるけど結果が微妙なところも可愛いんだよ!」
あ、これはダメだ。売れないホストに騙されていると噂の、大学の同窓生の女が口にしていた彼氏評と同じだ。
排除、ハイジョ、ハイジョォ……!
「佐野君は真面目だけが取り柄ですから、おかしなことにはならないと思いますよ」
無表情にティラミスを口に運びながら、七原さんがこちらを一瞥する。
「うん! マジメはビトクだよね! おじいちゃんも神楽ちゃんもそう言ってたんだよ!」
微妙に佐野がディスられていたことに気づかないのが樹の育ちの良さというか、器の大きさというか……いや、そうじゃなくて。
「じゃあね、要にい!」
樹はスカートの裾を優雅に翻した。こうなればもう、こちらへは目もくれない。
……処すしかない。佐野を処すしか樹を護るすべはない。そうだ、そうに違いない。
ふつふつと湧き上がる黒い感情に身も心も飲み込まれそうになった時、樹が振り返った。
「要にい、いつもありがとう! 大好きなんだよ!」
極上の笑顔で言って、店中の注目を浴びたことに気づいて頬を真っ赤に染める。
「ゆ、ゆかりちゃん、また来週!」
「うん、また来週。頑張ってね、樹ちゃん」
「うん! ありがと!」
取り繕うようにはにかんで、樹は足早に店を出た。
「……」
……ふふ、ふふふ……まあ、佐野なんとかも今日くらいは、まあ、生かしておいてやってもいいだろう。慈悲……そう、慈悲というものだ。最後に樹との楽しい思い出を心に刻むことを見逃してやることくらいは、気分がいいからやぶさかでない。
それにしても、店内のおっさんどもから向けられる羨望の眼差しと、グラドルウェイトレスの冷たい眼差しのなんと心地よいことか!
優越感に浸って、ふと気づく。
「七原さんは行かなくていいの? 椎名君もいるかもしれないけど」
ティラミスを片付け、カフェオレを飲んでいた七原さんは、怪訝な表情を浮かべたあと、すぐに合点がいったように頷いた。
「ああ、大丈夫です。私は、別に椎名君のこと、好きじゃないですから。どうでもいいです。私は神楽さま一筋ですし」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
は? 陸上部の椎名君が好きだった七原さんが、その恋心に付け込まれて設楽に利用された……わけではないというのか?
『神楽様一筋』――なんと、違和感と同時に、説得力のある言葉か。
そうなると――事態は反転する。
つまり、七原さんは、単に設楽の協力者であったに過ぎない。
藤沢さんを呪う代行者――ではあるが、利用されたわけではない。
全て納得済み――椎名君が好き、というのは偽装だったわけだ。
最初に設楽のところへ向かったとき、椎名君のどこが好きなのか、そう問いかけた。七原さんが微妙な態度をとったのは、つまり、椎名君のことなど好きでもなんでもなかったから。前準備していなかったから、咄嗟に取り繕えなかったのだ。
「幼馴染の先輩が好きっていうのは、佐野君のことですし」
のちに語った、幼馴染の先輩に想いを寄せているというのは、椎名君ではなく、佐野の野郎だった。
あの時、語られたのは、樹の想いだった、と。
『縁切り』を望まなかったのは樹らしいというか、従兄として誇らしいというか。
まあとりあえず、佐野を処する理由が一つ増えたな。
真面目だけが取り柄と七原さんは言っていたが、そこはピンクモンスター・サノのことだ。一時の情欲に駆られて樹を傷つけた挙句、例の先輩がやっぱり好きとか言い出すタイプに違いない。間違いない。処断すべきだ。
闇討ちの算段を練らねばならない。
ただ、その前に確認しておくべきことがある。
「どうして、樹を巻き込んだ?」
一応、優しく問いかけたつもりだ。目が据わっていたかもしれないが。
対して七原さんは真っ向からこちらを見つめ返す。
「巻き込んだわけでは、ないです。むしろ、協力したと言ってもいいかもしれません」
……は?
「樹ちゃん、天真爛漫でとっても可愛いんですけど、恋愛事には結構奥手な方なんです。ご存じかもしれませんけど」
以前の、俺の知っている、おどおどとした小動物的な七原さんとは明らかに違う。
「佐野君には好きな先輩がいて、しばらくは告白するつもりもない。そのことを樹ちゃんは知ってしまった。樹ちゃんはどうしたらいいのか悩んで、身動きが取れなくなってたんです。だから、背中を押してあげた」
もうそこに、幸薄そうな印象の少女の姿はない。
シニカルで、斜にかまえた、大人びた、子供。
「それに……」
上目づかいにこちらを見る七原さんの、その瞳に宿る昏い光。
「神楽様が、樹ちゃんに協力してあげるべきだと仰ったんです」
設楽が?
「そうすれば、要さんが関わってくるから、って」
え、どういうこと?
「え、どういうこと?」
脳が正常に働いていないと、思考はそのまま言葉になる。
疑うように、本意を探るようにこちらを見ていた七原さんの瞳から、ふっと昏い光が消える。
「私ごときが神楽様の御心を推しはかるなんて、おこがましいことですけれども」
え? ちょっと卑下しすぎじゃない? 神楽信者は思考回路が怖いな、ほんと。
「多分、神楽様は要さんと仲直りしたかったんだと思います」
仲直り?
確かに、設楽が『王子様』になってから付き合いは減った。中学生の頃は、それこそ毎週末、時には樹を交えて会って遊んでいたのが、まったくなくなるくらいには。
ただ、それは仲違いとかではなくて、生き方が変わっただけなのだと俺は思っていた。文芸部に関する設楽の行動についての誤解もあるにはあったが、単に、もう設楽の側に俺がいる必要はないのだと。
いつも俯いていた設楽がその素顔を晒し、顔を上げたのなら、俺はもう必要ないのだと。
……設楽の認識は、違ったということなのだろうか。
「……俺は設楽と仲良くするつもりはないぞ」
思ったより、冷たい声が出た。
そうだ。設楽ファンクラブは、武勇伝には、事欠かない。
下心で『王子様』に近づく男は『何故か』不幸になる。
そんなのは御免だ。そもそも設楽のことを、恋愛的な意味で好きだったことは一度もない。
「ですよね!」
言い放った七原さんは、俺が見た中で一番活力に満ちていた。
「皆にも、要さんがそう言っていたって、伝えておきますね!」
『皆』ってなんだよ。怖えよ。
まあ、それだけ設楽が多くの人と繋がることができるようになったことは喜ぶべきかもしれない。
産まれもった容姿のために人間不信にまで陥っていた設楽が、こうして多くの人間との縁を結べたことを。
ただ……
「七原さんは、そっちが素なの?」
きょとんと七原さんは首を傾げたが、すぐに得心が言ったように微笑んだ。
「ああ、私、演劇部なんです。樹ちゃんに聞きませんでした? 神楽様から『中学生時代の私みたいに、庇護欲を誘う感じが要には効く』ってアドバイスを頂いていたんで、そんな風に振舞ってたんです」
あ? え? ああ……?
初対面の時、樹が『人見知りしてる』と言っていたのは、普段と態度が違ったから、ということか?
「要さんに頭を撫でられたときは正直『気持ち悪っ!』って思ったんですけど、それだけ要さんに『刺さった』ってことだから、何とか我慢できました。でも、安易に頭を撫でればいいというのは、創作の影響を受けすぎだと思いますよ。女の子は、髪型、結構気にしてるんですから」
いや、ちょっと待って。七原さんがさらけ出した本性が、俺には受け止めきれない……
「でも、かつての神楽様みたいに振舞うことができるって、私、とっても嬉しかったから許してあげてもいいです! 神楽様の役に立てて、私、とっても光栄ですし!」
……いやもう、ただ怖いわ。ただひたすら、怖い。
狂信者――
ああ、そうだ――
あの黒い影は藤沢さんの家の周囲を徘徊していただけで、内部に侵入していた様子は――藤沢さんに直接的に危害を加えていた様子はない。俺の場合もそうだ。あくまで、外から脅かすだけ――
――ならば、藤沢さんが『誰かに階段から突き落とされた』と証言したのは、驚いて足を滑らせた藤沢さんの勘違いか、それとも……
深く考えないでおこう。設楽ファンクラブはアンタッチャブル――
樹に害が及ばないならば、俺の知ったことではない。
知ったことではないが――
ポケットの中のスマホが震える。
『要! 今週末は暇かい? 暇だよね! 以前話していた都市伝説談義をしようじゃないか! 場所は部室でいいかな? いいよね!』
「再度の確認なんですけど、要さんは、神楽様に異性としての興味はない……そうですよね? ヘタレなんですよね? 間違いないですよね? 二人っきりで会ったりとか、しませんよね?」
……縁切り神社、行こう。
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