えんきりくん えんゆいさん 伍
希代の霊能力者との呼び声が高かったために『本家』に婿入りを求められたじい様。
これだけ聞くと血筋のための政略結婚というように思えるが、夫婦仲はかなり良かったようだ。
俺が一歳の頃に亡くなった『本家』の娘であるばあ様は、じい様が霊能関係の依頼を請け負っていた際も、それ以外の時も、常にじい様の側に寄り添っていたそうだ。叔母さん――樹の母に言わせると『ママがベタ惚れ』状態。
まあわかる。じい様は格好良くてお洒落で知的で紳士的だ。夢中にもなる。
ともあれ『本家』の娘は霊感は強いが、祓ったりなどの能動的な技能はないのが通例なのだそうだ。
樹もそうだ。自分の周囲の心霊的な厄介ごとを引き付けるだけ引き付けて、直接対応はせず、後始末をこちらにポイっと投げてよこして後は安全圏だ。叔母さんもそう。
だが、意外なことにばあ様は、今の俺のポジションのような、じい様な相棒めいたことをしていという。
とにかくじい様の側にいたい、というのがその理由だったそうだ。
『本家』の跡継ぎである、自分の娘を放り出してでもじい様に付き添おうとしたため、叔母さんが小学生になるまで、じい様は自身が直接出向かなければならないような依頼を断っていたとか。
そんなばあ様が、遺したものがある。
『本家』にではなく、生まれたばかりの『分家』の俺に名指しで。
それを、大学の部室棟の近くに停めたロードスターのトランクから取り出し、肩に担ぐ。
ずっしりとした重みに肩と腰が軋んだ。
4キロほどの無骨な金属の塊が先端に繋げられた、一メートル弱のステンレス製の柄。
スレッジハンマー。
解体現場なんかで使われる、大型のハンマーだ。
人間の頭なら一撃で粉砕する、殺傷力抜群なこいつは、ばあ様が愛用していたものらしい。
写真を見る限り、ばあ様は可憐な女優顔の楚々とした細身の美人なのだが――じい様によると、ばあ様はてこの原理と全身のばねを駆使して、このハンマーを自在に操っていたらしい。愛のなせる業というものか。
ばあ様から俺に受け継がれたそのハンマーがやることは、今も昔も変わらない。
粉砕する。
ハンマーにそれ以外の用途はないだろう。
ばあ様が遺したコレと遺言状を受け取ったのは中学生になってからだが、まだ幼児だった俺に宛てられた遺言状には、こんなことが書かれていた。
『魑魅魍魎どもがこちらに障り、害せるのならば、こちらも殴殺できるのが道理。躊躇は無用である。粉砕せよ』
どれほどの修羅場を経験したものか、痺れるほどに武闘派なその文言の末尾に小さく添えられた、『どうか、私の代わりにあの人を守ってあげて』という可愛らしくも切実な懇願に応えるにはまだ精進が足りていない。
ただ、ばあ様の遺した言葉は真実の一端であると俺は思っている。
あちらは障れて、こちらは触れない。
そんなわけはない。
干渉されるならば、干渉できるはずなのだ。
あの黒い影も、おそらく人型に収束している時ならば、叩いて潰せるはずだ。
だが、今、これを持ち出したのは、それが目的ではない。
もし『怪異』に――黒い影にこのスレッジハンマーが通用しなくとも、人間は――確実に殺害できる。
「さて……」
すでに日付が変わろうとしているが、部室棟の窓は暗くなっているところの方が少ない有様で、酔っ払いどもの笑い声が陽気に響いている。
よくもまあ学生課はこの惨状を放置しているものだと個人的には思うが、この辺、大学側の方針は明確だ。『部所属者の留年率が一定水準以下なら、少々のヤンチャは不問とする』だ。就職率が含まれていないのは温情か。
ともかく、単位が足りていない学生は割とガチ目に周囲から追い込まれるため、我が母校の留年者はこの五年間ゼロ、だそうだ。
留年を免れそうにないやつは自主退学させられるとかいう、黒い噂もあるにはあるが……
そのくらいの方が、今日一人学生が姿を消して結果的に除籍になることのめくらましになるか。
『オカルト研究部』
ドアノブを掴んだところで、
「やあやあ、要。お早いお着きだね。正直、早くとも明日だと思っていたんだけどな」
室内から設楽の余裕たっぷりの声。
無施錠の扉を無言で開けると、ソファに座っていた設楽が優雅な所作で立ち上がる。
肩から下ろしたハンマーのヘッドで床を削りつつ、俺は後ろ手に扉を閉める。
素早く室内――特にトイレとバスルームに繋がる扉の奥に人の気配がないことを確かめる。
「心配しなくていいよ、要。誰かを潜ませていたりはしない。ああ、ついでに逃げるつもりもないよ」
日中に顔を合わせた時と同じ、目に眩しいほどの白い衣服に身を包んだ設楽は優雅に微笑んで両手を広げた。
信用できるものか。
今着てるそれ、死出の白装束にしてやるからな。
「設楽」
「要、要が知りたいことはわかっているよ。どうして、私が『えんきりくん えんゆいさん』を第一文芸部発と偽って広めさせたのか、知りたいのだろう?」
こちらの言葉にかぶせ気味に放たれた言葉に俺は首を振る。
「そんなものはどうでもいい。興味もない。藤沢さんと、俺にかけた『呪い』を今すぐ解け」
一瞬だけ、きょとんとした表情を浮かべた設楽は、次の瞬間には満面の笑みを浮かべていた。
「要、要! ちょっと拙速すぎないか! 少しは私の話に興味を持とうじゃないか!」
「うるせえよ。俺が何を持ってるか、見えないのか? ついでに俺は、誰も近寄らないような険峻な山岳地帯――死体投棄に適したスポットをいくつか知ってる。脅しじゃないのは、わかるだろ?」
殴りかかるなら、殴り返される覚悟はあって当然だ。ましてや、呪いなどと。
ハンマーのヘッドで床を叩く。
「床ドンじゃなくて、私は壁ドンがしてほしいんだけどなあ。要は、もっと私に優しくすべきだと思うよ? そう、要が望むなら、ちょっとくらいはサービスしてあげても……いいんだよ?」
豊かな胸を押し上げつつ蠱惑的な眼差しを向ける設楽に向けて、嘆息一つはいて無言で床ドン。
それを一瞥した設楽は大げさに肩をすくめて見せる。
「スマートじゃないと思うけど、それが要の流儀ならば仕方がないね。そうだな……私の話を聞いてくれたら、藤沢春香と要にかけた呪いを解くよ。約束する」
やっぱりかよ。このクソ女。最後の確認のカマかけに正面から乗ってきやがった。
高校の部室棟――陸上部の上は第一文芸部の部室だ。
設楽は――設楽にそそのかされた七原さんは――藤沢さんを呪い、害そうとした。
加えて、俺も。
こちらの表情から内心を読んだのか、設楽は口元に手を当てて、鈴を鳴らすような笑い声をあげた。
その優雅な所作と美貌は、場違いなほどに、まさに、映画のワンシーンのようで。
見てくれだけはほんとにいいんだよな、こいつは。
「私との『縁切り』を望んだのは要だろう? 見ていたよ、要が部室棟の裏手に赤い紙を埋めるところを、ね」
楽しくてしようがないというように、設楽は微笑む。
「もう要は気づいているのだろうけれど、私たちの母校に蔓延する『えんきりくん えんゆいさん』は、でたらめだからね。あれでは効果を発揮しない。だから、きちんと呪いを行ってあげた。感謝してくれていいんだよ?」
「するわけねえだろ」
俺が設楽との『縁切り』を願って『えんきりくん えんゆいさん』を行っていたのを設楽は気づいていた。
それで、改めて呪いなおした。『縁切り』ではない、『呪い』を。
目的は、妨害か、単なる嫌がらせか。まあ、多分後者だ。
「ああ……それにしても、傷ついてしまったな。私は、疎遠になってしまった今でも、要のことが大好きなのに」
俺は……嫌いになったんだよ。中学時代からの友人だった設楽は……好意を向けるに値する人間ではあったのに。
「要に関しては一種のお仕置きだね。『さよならだけが人生だ』なんて言葉もあるけれどね? 私との縁を切ろうだなんて、そんな大それたこと、もう考えてはいけないよ? 縁遠くなるのは、まあ、そういう時期もあるだろうと思うよ? でも絶縁は、『縁切り』は駄目だよ。許容できない。だから、ちょっと熱めのお灸をね?」
お前は何様……まあ、設楽様、神楽様と崇められていれば、このくらい自意識が歪んでいてもおかしくはないか。
まあ、それはいい。いや、よくはないが、樹には害が及ばないことがはっきりした。それは朗報だ。
『えんきりくん えんゆいさん』ではない――この『呪い』の術者は設楽。知識も素養も、動機もあることがそれを裏付ける。
樹が行った『えんきりくん えんゆいさん』は……まあ、現時点では大きな影響はなし。
あとはどう始末を着けるか、だ。
「まだ、第一文芸部を……嫌っているのか?」
かつて、気の置けない友人であったことが脳裏をよぎったせいで、うまい言葉が思い浮かばず、凡庸な表現になった。
文芸部を割った設楽。
『オカルトがやりたい』
そんな馬鹿げた理由とは裏腹に、そこにはおそらく、大きな覚悟というか決意があったのだろうと思っている。
当時を知らない人間は誰も信じないが、中学時代の設楽は、今とは似ても似つかぬ野暮ったい姿だった。
髪をぼさぼさに伸ばし、明らかにサイズの大きい制服を着て、長身の背を丸めて小さな声で話していた。
設楽と親しくなったのは、中学校の図書室の隅の方で『消えるヒッチハイカー』を読んでいる姿を見かけて、俺から声をかけたことがきっかけだった。
アメリカの都市伝説をまとめた古典を読む同級生。『怖い話』『オカルト』が好きな人間はいても、そこからさらに知識を積み上げていこうという人間は少ない。
だから、少しだけ話をしてみたいと思った。
その時設楽はすぐに脱兎のごとく逃げて行ったのだが、その後も何度か図書室で会い、野生動物と交流を深めるような慎重な接触を経て少しずつ会話をするようになった。
交友を深める中で、設楽は小学生時代に老若男女様々な変態に付き纏われた経験があり、特に男性恐怖症であるということをきいた。
妄想狂の虚言癖かと最初は思ったが、偶然目にした、顔のほとんどを隠すような前髪とオーバーサイズの制服の奥に隠された美貌と中学生とは思えないスタイルを目の当たりにしてしまえば、信じざるを得なかった。
それで俺は、オカルト好きの同志として設楽を変態から護ってやろうと、中学生っぽい、安い正義感を抱いたのだ。
特異なセンサーを持っているのか、それとも設楽のおどおどとした態度が悪いのか、誘蛾灯のごとく設楽を目当てに寄ってくる上級生や、時には教師、その辺のサラリーマンどもを追い払うために――自分で言うのも恥ずかしいが――獅子奮迅し、警察沙汰になることもあった。
『……ありがとう、要君。迷惑かけて……ごめんね』
申し訳なさそうに、嬉しそうに、呆れるほどに伸ばされた前髪の下ではにかんだ設楽が変わったのは、高校に入学し、文芸部に入部してからだ。
中学時代に『貞子』とあだ名される原因となった髪を切り、タイトな制服に身を包んだ『王子様』へと、設楽は突如変貌した。
そして文芸部を二つに割り――俺はあまり、設楽と話さなくなった。
これまで隠そうとしていたはずの、自らの身体的魅力を前面に押し出し、我欲を通した設楽。
俺の背に隠れて、おどおどしていた設楽はいなくなった。それと同時に設楽のグラビアアイドルも裸足で逃げ出す容姿ゆえに俺に絡んでくる輩も増えた。
設楽の周りに人が増えた。俺はもう必要ないだろう。
そんな理由で俺は設楽から離れ、それを察したのか、設楽も俺には事務的なことでしか話しかけなくなった。あの時、もっと踏み込んで確認しておけば、今日の面倒ごとは避けられたのだろうか。
「要、そういう問題ではないんだよ。いや、第一文芸部が嫌いかと問われれば、嫌いと答えるけどね。そういうことでは、ないんだ」
どこか悄然とした様子で俯いた設楽は、すぐに顔を上げ『王子様』スマイルを浮かべて見せた。
「要、第一文芸部と第二文芸部が和解・統合する空気が醸成されているのは、おかしくはないかな?」
おかしくはない。文芸部を引き裂いた設楽は卒業した。設楽のファンクラブに所属している生徒がまだいる以上、設楽の影響力が完全に排除されたわけではないだろうが――
「……もう、いいだろ」
文芸部が、健全な状態に戻るときがきた。そういうことだ。
『呪い』まで行う必要はない。
「違うよ。それは違う。違うんだよ」
つかつかとこちらに歩み寄り、人差し指で俺の鳩尾を柔らかく突く。
「何が違う。七原さんの恋心を利用して、藤沢春香――第一文芸部部長を呪い、精神的に追い込んだ。文芸部統合を御破算にしようとしたんだろう」
まだ学内には知られていないが、第一文芸部発の『えんきりくん えんゆいさん』で、第一文芸部の部長である藤沢さんが実害を被った。これが明らかになれば混乱は避けられない。文芸部の統合は覚束なくなるだろう。
「文芸部は統合しては駄目なんだ。なんとしてでも、文芸部の統合を防ぐ必要があったんだ。それに……これは意趣返しでもある」
「意趣返し……お前、いまさら、そんな馬鹿馬鹿しいことを……」
「いまさら、だから、なんだよ」
こちらを見上げる、やや青みがかった綺麗な瞳を長いまつ毛が縁取る。設楽の笑顔は天使の微笑みのようでいて、小悪魔的でもある。
「いまさら、だと? 見損なったぞ、設楽。お前は……陰湿、卑劣という言葉とは無縁な、素直な人間だと思っていたが、間違っていたな」
一瞬、きょとんとした表情を浮かべた設楽は、次の瞬間にはこちらの胸倉を掴むようにして身を寄せてきた。
「両親にも、私は素直なのが取り柄で美徳だと、常々言われているんだ! あはっ! やっぱり、要は私のことを理解してくれている! 私のことが大好きだな! それが確認できて嬉しいよ! 要は私が大好き!」
何を言ってるんだこの狂人は。
「要は、中身を見てくれる。私の容姿ではなく、そのうちに包まれた人間性を」
トーンと視線を落とし、呟いて、設楽はくるりと身を翻して背を向けた。
肩越しにこちらを見た設楽は伏し目がちで、どこか寂しげに見えなくもなかった。
いや、その上で見損なったって、言ってるんだよ。理解しろよ。
「嘘だね! 今ちょっとグッときて、私のことを背後から抱きしめたくなったはずだ!」
なってねえよ。
本当にこいつは話にならない……そこで俺は設楽の意図に気づいて舌打ちする。
益体もない話で、時間稼ぎか。
俺にかけられた呪いは解かれていない。
そのうち……あの影が来る。
「設楽、いい加減にしろ。俺に『秘密の場所』を使わせるな」
リスクを取るのに躊躇はないが、取らずに済むに越したことはない。
「そういう拙速なところが、駆け引きを好む女子学生に疎まれるのだろうね! 私にはその方がいいけれど!」
うるせえ。これ以上引き延ばしを図るようなら……
「要、『今さら』の話ではあるけれど、どうして文芸部は二つに分裂したのだと思う?」
?
「それこそ……『今さら』だろう。お前がオカルトをやりたいがために部員を引っ張って、分裂を主導した」
「それはね、半分正解で、半分不正解だ」
設楽はソファの背に腰かけ、唇の端を吊り上げて笑った。
「要は、当時の――私が入部した時の文芸部の状況をどれほど知っているのかな?」
「……いや、あまり知らない」
考えて、正直に答える。即座に結論が出る程度に、興味はなかった。
高校生になったことで、俺の行動範囲は格段に広がった。じい様も、出席日数と成績に問題がないなら調査に同行するのを暗に認めてくれるようになった。
授業が終わったならば、すぐにじい様のところに行くか、金銭的にじい様を頼らないですむように『遠征費』を稼ぐためにバイトに行くかしていた俺は、正直、オカルト方面以外の学内事情には疎かった方だ。
高校に入学してあまり間を置かず、設楽が『王子様』化したことで疎遠になっていたということもある。
思い返してみれば、俺のキャパシティの低さゆえか、高校時代の同級生とはそれほど交流がなかったように思う。色々と余裕ができた大学時代の今の方が、同窓生との交友関係が広いかもしれない。
「だろうね。要は知らなかっただろうけれど、当時の文芸部は部長の方針もあって、ホラーやミステリは低俗・低劣で読むにも値しない、便所の落書き扱いされていた。おっと、汚い言葉を使ってしまった。ただ、こんなことで要は私を嫌いにならないよね? 弘法も筆の誤りというやつだ」
いいからさっさと話せ。
「そんな中、何も知らない新入部員が自己紹介で『ホラーが好きです』なんて言ったらどうなると思う?」
それは……
「吊るしあげられるよね。私はね、自己紹介が中間の方だったんだよ。だから雰囲気を察して自衛できた。でも、ホラーやミステリ好きを公言した部員への攻撃は……それはそれは、苛烈で、陰湿だったよ。正座した新入生を先輩部員たちが取り囲んでの人格攻撃。退部も許されず、放課後になったら無理やり部室へと引っ張っていかれホラー小説やミステリ小説の『文学として劣る点』を列挙させられる」
「……そんなことが起きていたのか?」
それなら、誰かが……
「当時の部長は狡猾でね。外には絶対に漏れないよう、細心の注意を払っていたよ。攻撃されている生徒も委縮してしまって、親や教師たちに助けを求めるなんて考えられもしないような状況だった。あれはカルトの洗脳に近かったかもしれない。わかるかな。理不尽に叩かれ続ければ、人間は、叩かれる自分が悪いと、そう思うようになるんだよ」
文芸部は、その活動上『お堅い文学』を好んでいた。ゆえに、『大衆文学』は低俗と見下され、排除の対象になっていたということか。評価の高い部活動は、顧問が放任気味であったことも影響したのかもしれない。
単にやんわりと文芸部とは方向性が違うことを伝えればいい――と単純に言えない事情がある。
「そう、部員数は維持しなければならない。内申点の為に。大学推薦の為に。」
ソファから立ち上がった設楽は、両手の拳を握り締めた。
「要」
振り下ろされた拳が俺の胸を叩いた。
だが、それは、酷く力ないものだった。
「すべての文学を愛すべき文芸部で! 私欲のために弾圧が! 焚書が行われていた! 信じられる? だから、私は抵抗することにした。反旗を翻すことにしたんだ!」
……そんなことが、あったのか。
「表向きはともかく、ジャンルで文芸作品に優劣をつけるのを内心では嫌がっていた部員も、実は多かった。『設楽のファンだから』という理由を与えてあげれば『転んで』くれたよ。嫌な思い出しかない、この容姿が役に立つのなら、と思ったんだ。『第二文芸部』としたのは、まあ、嫌がらせみたいなものかな」
そんな事情があったことを……俺は知らなかった。
設楽が何も言わなかったから、と責任転嫁はできない。
当時の俺はオカルトを語れる設楽のことを、無二の、得難い友人だと思っていた。
思っていたが、俺はもう設楽を護る必要がない、と断絶した――いや、疎遠にした。設楽には俺はもう必要ないと判断していたのだ。
自分が忙しいということを言い訳にして。
設楽は――戦っていたというのに。
「……設楽」
「何だい?」
「誤解があったようだ。そこは謝罪する」
「要のそういう潔いところ、私は好きだよ。私は受け入れるよ。この胸に飛び込んできてもいいんだよ?」
適当に誤魔化して生きていくのは俺の主義じゃないんだよ。あと、飛び込まねえよ。
「だが、何故、今なんだ?」
遺恨はあるだろう。
だが、第一文芸部と第二文芸部の融和。
それは、ホラーやミステリが第一文芸部に受け入れられたということではないのか。
部員数の問題という現実的――下世話な理由はあるが、悪い話ではないだろう。部長などではない一般部員でも、部員数の多い部活に所属していたことはそれなりに内申点に影響がある。
上目づかいで一瞥した設楽は、こちらの襟元を絞殺せんばかりに握りしめた。
「私たちと同学年で、三年生の時第一文芸部の部長だった崎島さん、どういう人か覚えてる?」
「崎島か……」
設楽の卒業を前に文芸部の対立が再激化・最激化し、第一文芸部側の急先鋒が崎島だったことは覚えている。
「その従妹が藤沢春香」
――ああ、そういうことか。
いまさら……ああ、いまさらだな。
第一文芸部は、第二文芸部を統合した上で、かつてと同じことを繰り返そうとしていた、ということか。
文芸部が分裂しているがために、文芸部への入部者の数は陰りが見える。
ならば、一度文芸部を一つにしてしまえばいい。
設楽のようなカリスマは学内にいないから再分裂の危険はない、或いはそれを防ぐ手立てがある、というところか。
だから、統合後、オカルト好きは追い出してしまえばいい。
その後どうなったところで、知ったことではない。
「第一文芸部にも、私のファンはいる。見過ごすことは、できなかった。だから『えんきりくん えんゆいさん』を流行らせた。カモフラージュとして」
設楽はただ、理不尽な理由で虐げられていた生徒、虐げられる可能性がある生徒たちを守ろうとしただけだ。
今も、昔も。
だが、ほかに手段はなかったのか?
「ああ、あったかもしれないね。そこは否定しないよ」
だけどね。
「かつての分裂騒動は憶えているだろう? 精神的に追い込まれ、退学してしまった子もいた。今は高認を取得して大学受験を目指しているけれど、あれは間違いなく私の落ち度だった。同じ轍を踏むわけにはいかない」
第一、第二文芸部の対立の渦中で、優しさ或いは弱さ故にドロップアウトした生徒もいた。
それは、知っている。知っている、けれど――
不意に、言うつもりのなかった言葉が、喉元にせりあがった。
「なんで、俺に相談しなかった?」
意識しての発言ではなかったせいか、思っている以上に怒気に満ちた声が出た。
俺にも、何かができたはずだ。
卒業後の三真坂西高校に俺は影響力を持たない。
だから、思わず発したこの発言の趣旨は、かつての――あの時のことになるのだろう。
設楽が前髪を切って、背筋を真っすぐに伸ばした、あの時。
事態の収拾もそうだし、設楽に悪評が集まらぬよう、何かができたはずだ。
どうして、俺に相談してくれなかった。
俺は……設楽のことを、得難い友人だと、そう思っていたのに。
「それは……」
いつの間にか開けられていた部室の窓。そこから吹き込む風を受けながら窓枠に腰かけた設楽。
物憂げに視線を落とし、呟いた。
「要の隣に――いや、要に失望されたくなかったのだと思う」
設楽の長い睫毛が、室内灯と月光を浴びて儚げに輝く。
「中学生の頃、要はいつも私のことを守ってくれた。コミュ障で、可愛げのない私を。怪我をしたこともあっただろう?」
設楽に目を付けた柔道部の変態豚野郎とやり合ったときは、こちらの不手際で直接対決することになり肩を脱臼したりもした。だが、それは俺が望んでやったことだ。
「私は要みたいになりたかったんだ。だから、前髪を切って、背筋を伸ばした。震えて守られるだけではなく、震える誰かを守れる人間になりたかった。要が、私にしてくれたように」
それで、やったのが誰かを守るために、誰かを呪うことか。
「要はいつも、『敵』への対処は徹底的だった。私はそれを見習っただけだよ」
一度恐怖に屈服した人間は、二度と恐怖に逆らえなくなる、立ち上がれなくなる。
お手軽に恐怖を振るおうという人間に、私はそれを思い知らせてあげただけなんだよ。
その声音は、俺の知る設楽らしくなく、悪意に満ち満ちていた。
「設楽!」
叫んで、何を言おうとしたのだろう。
そんなお前は見たくない、とでも言おうとしたのだろうか。
続く言葉もなく、息を呑んだ瞬間、ばつん、と音がして部屋の照明が落ちた。
「要、私は逃げないと言ったな。あれは嘘だ!」
一転して、悪ふざけのように明るく叫び、
「さあ、要! そろそろアレが追い付いてくるころじゃないか?」
かり
暗闇の中、背後で響く、擦過音。
「!」
反射的に、本能的に、振るったハンマーは、ずどんと部室棟を小さく揺るがし――
「要、約束通り、2人への呪いは解いておくよ」
囁くように残された言葉。
「設楽!」
ハンマーを放り出し、駆け寄った窓枠の外――月明かりに照らされたキャンパスに、設楽の姿はなかった。
――そうして設楽は、その夜を境に、消えた
翌日、かつての同級生を辿り、また現役生である樹、七原さんから情報を集めた結果、文芸部を取り巻いている、取り巻いていた状況は設楽が言っていたことでほぼ間違いはないようだ。
俺たちが一年生だったころの文芸部の状態を薄々察していた人間もごく少数ながらいたようだが、設楽が『自分が何とかするから』と周囲に話した上で口止めしていたらしい。
あの晩以降、もはや黒い影が俺のところに訪れることはなく、藤沢さんは未だ自宅療養中のようだが、極限まで遠巻きに確認したところ、自宅付近からあの黒い影は消えていた。
設楽は藤沢さんと俺にかけていた呪いを約束通り解いたと思われる。
ただ、崎島は進学先でストーカー被害に遭って今は引きこもっているそうで、第一文芸部部長を経験した生徒たちも、あまり順風満帆と言える状態にはないらしい。
当時の設楽の行動は称賛されるべきかもしれないが、今回『呪い』という手段を用いていたことについては、是非もない。
それに、設楽が俺と藤沢さん以外を呪っていたかどうか、もう確認する術はない――
そう思っていたら、姿を消した3日後に設楽はファンクラブの面々とともにキャンパスを闊歩していた。
「設楽、お前、なあ……」
10人ほどの女学生を両脇に従えた設楽は、何もなかったように、正気を疑うレベルの快活な笑みをこちらに向けた。
「やあやあ、要! 久しぶりだね、元気にしていたかい!」
ああいう意味深な消え方しておいて、しれっと帰ってくるなよ……
一言どころか万言の悪罵を並べ立てようと口を開いたものの、そこから出てきたのは小さなため息だけだった。
言ってみれば、今回の出来事は第一文芸部の過去の行為の清算だ。
藤沢さんも学年的に第一文芸部と第二文芸部の対立に関わっていたのは確実だと言質がとれている。
これは、報復だ。報復だが、それは因果応報に過ぎない。
殴りかかれば、殴り返されるのだ。
真相を知った今、心情的には――俺はすでに設楽寄りになってしまっている。
ただ、悪意を持って『呪い』を行ったことを見逃すわけにはいかない。
『本家』の跡取りである樹の住まう三真坂から、危険人物は排除しなければならないからだ。
踏ん切りがつかず煩悶する夜を過ごした末に、やっと連絡のついたじい様に事の顛末を話して相談したところ、じい様はこう応えた。
『神楽ちゃんは、要の友達なのじゃろう?』
分かっていた。設楽が、私欲の為にその能力を悪用するような人間ではないことは。とうの昔に、知っていたことだ。
まったく……
「久しぶり、じゃねえだろ。たった三日前、感動的な別れをしたばかりだろうが」
握りしめた拳で、設楽の肩を軽く叩く。
「私にとっては耐え難く長い時間だったよ!」
んなわけあるか。冗談もたいがいにしろ。
ううん。そんなことないよ。
ああ、中学生の頃も、こんなふうに笑っていたな。無理やり前髪をかき分けないと、笑顔が見えないのが難点だったが。
ファンクラブの面々が目くばせを交わし、俺はちょっとビビる。
大丈夫だよな? ちょっと小突いただけだ。こいつら、暴徒化しないよな?
設楽に近づく男には容赦なく牙をむき、血祭りにあげてきたファンクラブはその武勇伝に事欠かない。高校時代、設楽に付き纏った男に十三人がかりの闇討ちを仕掛け、囲んで棒で叩くことまでやって見せた剛の者ぞろいだ。正直、勝てる気がしない。
だが、設楽と会話する俺には寛容な様子というか、生暖かい笑みを浮かべて見守る態だ。
……これは、三日間の調査で知ったことなのだが、どうも、
『要は中学時代からの友人で、ゆえに、その極度のヘタレ具合は筋金入りで無害だ! 安心してくれていい!』
などと、高校時代から設楽が陰で吹聴していたらしい。
その上で報復を計画しない、俺の紳士的な対応は賛美されてしかるべきではないだろうか。
「まあいい。設楽、訊いておきたいことがある」
何を訊かれるか予想済みだったのか、口を俺の耳元に寄せて、囁いた。
「誓って、藤沢春香以外には何もしていないよ。まあ、歴代第一文芸部部長は性格が悪かったからね、嫌われてもしようがないような人たちだったよ。我が身優先の人間は、そういうものだろう」
往時の情報を集めた俺にとってもそれは同意できることではあった……いや、実はもう、設楽の呪いとは『ほぼ』無関係であることの裏付けはとってあるのだ。
崎島は告白してきた男性のプライドを傷つける形で手ひどく振ったせいで男がストーカ―化したという話だし、他の部長経験者に関しても身から出た錆だと考えて問題ない。
唯一藤沢さんだけが被害者だが、文芸部を統合の上、元第二文芸部へ行おうとしていた仕打ちを考えれば、同情の余地もない。
他人に安易に悪意を向ける人間は、それ相応の人間でしかない。
「……もうむやみに、誰かを呪うなよ」
ないとは思うが、一応言い含めておく。
「大丈夫だよ、要! 二人で……二人っきりで過ごしたあの情熱の夜が、私を変えたんだ! 私はもう要に付き従う下僕のようなものだ!」
こちらを遠巻きに見ていたファンクラブの面々に、ざわりと、殺気立った空気が伝播する。
そういうの、やめろよ、まじで。俺は電柱に吊るされるのは嫌だぞ。
「よしっ! 熱帯夜に水分補給は大事だからな! 熱中症にならないように、今後も気をつけろよ! あと、お前の冗談はつまらないな! また機会があったらオカルト談議に花を咲かせよう! いやあ、都市伝説って、楽しいなあ! それじゃあな!」
軽口を大声で言い捨てて駆けだす、この敗北感。
「ありがとう……要くん」
事の真相――『えんきりくん えんゆいさん』を隠れ蓑に藤沢さんを呪ったのが設楽であったこと――を、俺が広めていないのを、そのネットワークで知っているのだろう。
かけられた声は、中学生の頃の設楽のように優しく、柔らかで――
だからと言って、こちらを見つめる女学生たちの眼差しに混じった底の知れぬ敵意が緩和されるでもなく、暴走するファンが現れませんようにと願って駆ける俺の後姿は、どれほど滑稽だっただろう。
こんなことで恨まれて、呪われてはかなわない。
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