えんきりくん えんゆいさん 肆

『えんきりくん えんゆいさん』

 あれは、なんだ?

 効果はない、はずだ。第一文芸部が、第二文芸部との融和の為に画策したでたらめ――『共通の話題』に過ぎないはずなのだが、藤沢さんの家の状況を見るに、あれは『本物』であるように見える。

 つまり、呪いとして機能している可能性が高い。

 第一文芸部が創作した、与太話に過ぎないというのに?

 いや、今気にするべきはそこではない。

『えんきりくん えんゆいさん』において、害を被っているのは『縁切り』の方で、現時点では藤沢さんだけということになるが――

 そうだ――藤沢さんの事例は『えんきりくん えんゆいさん』を行った人間の中でも零点五パーセント――だから偶然だと結論したが、逆に、そうだからこそ、特別な理由があると考えるべきだったのか。

『えんきりくん えんゆいさん』の全容が明らかになっていない以上、いつきのもとにアレが現れる可能性もゼロではない。

 それは、駄目だ。

 絶対に、看過できない。

 であるならば――

 ――『えんきりくん えんゆいさん』を、あの影を、排除しなければならない。

 どんな手段を用いてでも。

 俺の身など省みる必要もなく。




 そろそろ営業時間を終える道の駅の駐車場にロードスターを停め、考える。

 すぐに思いつく可能性はいくつもない。

 設楽の調査が間違っていた、というわけではないだろう。

 多くの設楽ファンクラブネットワークの人間が動員されたであろう調査だ。誤謬があれば、情報が集まって照らしあわされたときに焙りだされるはずだ。適当な情報を報告したならば、それこそ『火炙り』にされかねない。

『えんきりくん えんゆいさん』の発端は、第一文芸部。これは、間違いない事実として考えるべきだろう。

 ならば、何故第一文芸部は、呪いとして機能する『えんきりくん えんゆいさん』を流布させたのか?

 ……いや、違うか?

 第一文芸部はオカルトには詳しくない。これは間違いない。俺が在学中もそうだった。分裂以後、オカルト好きは第二文芸部へ。第一文芸部は『耳嚢』も『ゴーストハント』も読んだことのない部員ばかり。

 だが――黒幕、というと大仰な言い方になるが、誰かオカルトに詳しい人間が裏で糸を引いていなければ、実効力のある呪いなど行えるものではない。

 そうなると、考え方を変える必要が出てくる。


 何故、藤沢さんの場合だけ『えんきりくん えんゆいさん』は『呪い』として機能しているのか。


 七原さんの話を聞いた限り、彼女が行ったのは他の人間が既に行った作法に則った『えんきりくん えんゆいさん』だったようだ。

 そこに嘘がないのなら、やり方が問題なのではなく別の要因があるということだ。

 実は七原さんは潜在的に霊能力が高く、雑な構成の『えんきりくん えんゆいさん』でも効果が出た、とか。恋敵である藤沢さんのもとに生霊を飛ばしている、とか。

 ただ……『零』能力の俺にはわからないが、じい様や『本家』の樹ともなると、そういう人間はなんとなく察せられるらしいので、今回の場合は樹が自覚なく言及しているはずだ。樹は七原さんに対して『普通の友人』として接していた。ならばそういう可能性はないと断言できるくらいには、俺は樹を信用している。


『えんきりくん えんゆいさん』の処方自体には問題はない。

 七原さんにも問題がない。


 ならば、何故、藤沢さんのもとに、アレがいる?

 どこかに、間違いがあるのだ。

 まだ、見えていない間違いが。


 俺は、良好な人間関係を構築することが得意ではない。

 こちらでは好意をもって接しているつもりなのだが、それが理解されないこともままある。

 何が言いたいかというと、こういう時に信頼できる情報源がないことが悔やまれるということだ。

 もっと情報を集める必要があるが、その情報源に心当たりがない。

 樹に頼むのはダメだ。これ以上『えんきりくん えんゆいさん』に近づけるわけにはいかない。

 三真坂西高校内に、信用できる情報提供者がいれば……ああ、いや、それより先に樹に確認しておかなければ。

『樹、きちんと本宅で大人しくしているか? もう遅いし、今夜は霧雨だから小腹がすいたからってコンビニに行こうとか考えるなよ?』

『マジメな私は明日の数学の小テストの勉強にいそしんでいるんだよ! お母さんが焼いてくれたケーキがあるから、コンビニスイーツは不要なんだよ!』

『そっか、ならいい。そういえば最近会ってないが、ライキリは元気にしているか?』

『ライキリは今日も元気だよ! いつも通り私の部屋のキャットタワーの頂上から下界を見下ろしてゴマンエツみたい!』

 なら、いい。ならいい。

 樹が本宅にいて、『本家』の動的防御の切り札であるじい様の式――じい様によって調伏され使役される『怪異』――ライキリが側にいるなら危険はない。

 樹の事は、今夜においては安否も含め一切を考慮する必要がないから、今後は無視でいい。

 さて、これからどうするべきか。

 七原さんは情報源として期待できないし、七原さんにこのことを話せば必然、俺の失態も樹に伝わる。

 それは何ともよろしくない。

 いや、他にも理由はある。巻き込んじゃダメとか、そんな風な。秘密裏に処理しておきたいとか、……うん、樹の評価を下げたくないとか、思ってないぞ。

 ああ、そうだ。七原さんを連れ出してスマホを取り上げてしまうというのも――いや、俺がのちにお縄を頂戴することになる。小物ムーブの極みとでもいうべきものだ。

 ハンドルにもたれかかって嘆息を吐いた――その直後。


 かり


 小さな音。ほんのわずかな擦過音。

 ため息を吐き出した後の、空白の沈黙の中でなければ気づかなかったであろう、些細な音。


 かり


 ロードスターの後方から聞こえてくる、何かをひっかくような音。

 顔を上げて、バックミラーをのぞき込む。

 鏡面に広がる、黒い霧。

 霧全体が震え、黒い人影に収束する。

 顔と思しき部分に開いた、三日月形の空洞。


 はは……はははは……


 車体後部に張り付いた影の、つと伸ばされた、その指先が――


 かり


 ロードスターのリアガラスをひっかいた。

 人影は雲散霧消。ノイズとともに収束。


 かり


 はは……はははは……


 間隔が短くなっていく。

 だが、動けない。

 何も、考えられない。

 ただ、捕まってしまった、という恐怖だけが――

 その時、ロードスターのオーディオが勝手に起動し、大音量がスピーカーを震わせた。

 暴力的に鼓膜を叩く、かつて何度も聞かされた陰鬱なイントロ。

『暗い日曜日』――一九九三年にハンガリーで発表された、『聞いたら自殺する曲』として都市伝説になった『いわくつき』のシャンソンだ。

「……!」

 動くようになった両手で思わず耳を押さえた時には、車内は無音に戻っていた。

 リアガラスをひっかく音も聞こえない。

 バックミラーをのぞき込んでみれば、そこにはただ霧雨が漂うだけ。

 五分ほど息を潜めて周囲を窺っていたが、もはやあの黒い影は姿を現さなかった。

「……助かったよ。ありがとう」

 ロードスターのハンドルを軽く叩いた。

『オーディオが突然誤作動して不気味な音楽を流しだし、オーナーがノイローゼになった挙句、自殺する』

 その『いわく』ゆえに多くのオーナーの元をたらいまわしにされ俺のところに行きついた。

 だが実際のところは違う。

 最初の所有者をとある『怪異』で喪い、自らも廃車になりかけたがゆえに、以後その時の所有者を護ろうと、所有者に害をなそうというものを追い払おうとしていただけなのに、それが『いわく』になってしまった可哀そうな俺の愛車。

『ある種の付喪神になりかけとておるところかの』

 というのがじい様の弁だ。

 まあ、『いわくつき』の『暗い日曜日』というチョイスもどうかとは思うのだが、マイナスに大きなマイナスをぶつけて相殺しようとしているのだろう、と想像している。

 閉店を告げる道の駅のアナウンスの声はちょっと遠かったが、鼓膜は破れていないようだし、命は残った。御の字だ。




 海沿いの国道まで出て、岬の展望台の駐車場に車を落ち着けて思考を巡らせる。

 このまま、家に帰るわけにはいかない。

 じい様が――実際はじい様の指導によって俺が敷設した結界――いわゆる『避難所』は離れの建物で、我が一家の主な生活場所である母屋はほぼ無防備な状態にある。

 先刻のアレが、単に藤沢家から憑いてきたものなのか、俺を狙ってきたものなのか――俺の感覚では後者だが――確信が持てない以上、今日は外泊決定だ。

 ああ、また母にぐちぐち言われるな……急な予定変更を嫌うんだよな……

『今日友達の家に泊まることになった。夕飯いらない』

 メールへの返信はすぐにあった。

『!!!!!!?』

 色々想像して怖いから、こういうのは止めてほしい……

 続けてすぐに、父からメール。

『もう子供じゃないのだから外泊はかまわないが、連絡は早めにな』

『ごめん。気をつけるよ。急遽、友だちの課題手伝うことになってさ』

 まあ、遠からず、近からず? 父が母をとりなしてくれることを期待しつつ、スマホを助手席に放る。

 アレは『えんきりくん えんゆいさん』によって、呼び寄せられたものだと考えるとして……ただ色紙に名前を書いて埋める?

 道摩法師は安倍晴明のような、平安時代において最高レベルの陰陽師であったから呪物を埋めて呪詛を行えた。知識と素養があったからだ。

 だが、ただの女子高生や俺のような『零』能力の大学生が何の変哲もない紙に名前を書いて埋めたところで『呪い』が効力を発揮するか?

 答えは明白だ。

 するわけがない。


 ――だが、実際に『呪い』は機能している。


 ならば、『呪い』――『えんきりくん えんゆいさん』には介在している『何か』――『誰か』がいる。

 それが、『怪異』かどうか、確かめる必要がある。

 じい様とともに様々な事案に関わった俺は知っている。

 オカルトや心霊――怪力乱神といえども、突き詰めれば理屈はある。道理はあるのだ。

『道路の脇に供えられた献花を蹴っ飛ばしてから、悪夢にうなされるようになった』

 オカルト的で、理不尽ではある。

 だが、オカルトを信じていない人間でも納得して、こう思うはずだ。

 ああ、それならば、しようがない、と。自業自得であると。

 蹴っ飛ばした人間の友達の父親が急に悪夢を見るようになったりはしない。

 因果がある。

『縁切り』を願った、願われた人間の中、七原さんや他の連中が無事で、藤沢さんと俺のところにだけ、黒い影が来るのはおかしいじゃないか。

 ルールがあるはずなのだ。『呪い』ならば、なおさら。

 なのに『えんきりくん えんゆいさん』にはそれが見えない。

 恣意的――呪われる人間が選別されている、と言い換えてもいい。

『えんきりくん えんゆいさん』を行った、行われた中で、藤沢さんと俺だけが、呪われている。

 何故だ? どんな理由がある?


 警察に怒られるのはわかっているが、右手でハンドルを操作しながら、左手でスマホをタップして小笠原のじい様に助言を頼むべく電話をかける。

 じい様、じい様、頼む……

 祈りむなしく、『圏外か電源が入っていないため、お繋ぎできません』という無情なアナウンス。

 くっそ!

 毒づいてスマホを助手席に放り投げる。

 肝心な時に、とは思わない。

 じい様に繋がらないのであれば、それはきっと『俺だけで解決すべき。俺だけで解決できる』ということなのだ。

 そう決意を新たにしたところでスマホに着信。

 じい様から。

 神様、じい様、仏様……!

 決意をくるっと裏返し、縋るような思いで通話アイコンを即座にタップ。

「じい様!」

 だが、聞こえてきたのは低い、羽音のようなノイズだった。

「じい様……?」

 かすかに聞こえてくる、チューニングのずれたラジオのように、振幅する音声。

『……行われたる呪いは……なんじゃ……』

 抑揚のないそれは、間違いなく敬愛するじい様の声だった。

 ぶつりと耳障りな音とともに通話は切れる。

 会話ができたわけではないが、確かにじい様と繋がった。

 ならば、じい様の言葉には意味がある。

『行われた呪いは何か?』

 それは……『えんきりくん えんゆいさん』のはずだが。

 唸って、思い至る。


『えんきりくん えんゆいさん』

 それぞれが独立して別個の作用をするのなら、二つを抱き合わせる意味はない。

『えんきりくん』と『えんゆいさん』

 陰と陽。裏と表。対になっているのならば、意味がなければ不自然だ。

 だが、そこに明白な意図、必然性といえるはない。

 一方が成立しなければ、もう一方が成立しないという因果は、『えんきりくん えんゆいさん』にはないのだ。

 そこに関係がないというのならば、そもそも『えんきりくん えんゆいさん』は『お呪い』として成立していないと判断せざるを得ない。

 だが、にもかかわらず、藤沢さんと俺の元には『呪い』としか考えられない現象が起きている。

 くわえて――俺の手元には『えんきりくん えんゆいさん』が行われたという『情報』はあっても『証拠』はない。

 そうなれば、到達する答えは一つ。


 ――やはり、『えんきりくん えんゆいさん』はでたらめなのだ。




 県内の私立校にはJR駅の改札並みのゲートを設け、ICカードで出入管理をしているようなところもあるらしいが、県立高にはそこまでの潤沢な予算はない。

 当然、セコムなどを入れているはずもなく、正門・裏門は閉まっているものの、それを乗り越えることを妨げる障害はない。

 俺が在学していた時は、確か宿直の教師が一人いて校舎内を見回っていたが、部室棟のあるグラウンドの方まではこないと、こっそり部室棟で『自主合宿』をしていた連中から聞いたことがある。

 閉扉された正門を堂々と乗り越え、グラウンドの外壁に手を添えて暗闇の中を駆け抜ける。公道に設置されている照明の光も届くので、そこまで行動に制限はない。

 三真坂西高校の部室棟は旧校舎を改装し再利用したもので、一階と二階の半分が運動部、二階の残りと三階が文化部に割り当てられている。生物部や英会話部、吹奏楽部など特別教室を使用できる部は本校舎を使用している。

 部室棟の裏側についたところでロードスターに常備しているハンドライトを点灯する。ライトの光は本校舎の方には届かないが、高校周囲の民家の人間が不審に思う可能性もあるから、短時間で終わらせるに越したことはない。

 記憶が確かなら、男子陸上部の部室は一階の手前側から三つ目の教室だったはず。

 窓を数えながらたどり着いた陸上部の部室の裏。

 見上げた二階は第一文芸部の部室で――なんとも皮肉なものだ。

 ハンドライトで地面を照らしてみれば、最近埋め戻されたと思しきところが何か所かあった。

 ううむ。こんな適当な感じだと、掘り起こされてクラスで晒されたりしそうなものだが、そのあたりは暗黙の了解というか、むやみに掘り起こさないという紳士・淑女協定があるのだろうか。まあ、興味本位で掘り起こされた後、再度埋められたりしているのかもしれないが。

 まあ、俺には関係ないか。

 一息吐いて、やはり愛車に常備している小型スコップを地面に突き刺した。




 目的のものを見つけるには、若干の時間を要した。


 土中の水分を吸収したせいか、よれよれになっていたために広げるのに細心の注意を必要とした青い紙と、赤い紙。

 それが二組と青い紙一枚。


 一組は、俺がオカルト研究部で見た赤と青の和紙に、二人ずつ、四人の見知らぬ名前が書かれたもの。

 青い紙には見知らぬ二人の男女の名前。

 最後の一組――これがお目当てのものだった。


 青い紙には二つの名前。樹と佐野友治。

 赤い紙には藤沢春香の名前だけ。


 何故、赤い紙には藤沢春香の名前しか記されていないのか。

 疑問はある。あるが、それ以前に――


 ――様式が、違う。


 どちらも設楽が見せた和紙と同じであるのは間違いない。

 樹と佐野友治の名前が書かれた紙には、シンプルに横書きで二つの名前が記されている。樹の筆跡に間違いなく、こちらは一緒に掘り起こした他の紙と同じものだ。

 だが、藤沢春香の名前が書かれた赤紙は――『えんきりくん えんゆいさん』の様式に則っていない。

 そもそも、『折りたたんで埋める』となっているはずだが、紙縒りのようにひも状に丸められ、樹の名前が書かれた青い紙とは少し離れた場所に埋められていた。間違いなくここに埋められているはずだという確信がなければ、見逃していたかもしれない。これが時間を食った理由だ。

 ――万が一にも掘り起こされないように。見つかりにくいように。

 折りたたまれた紙片より、損壊させないように開くのは難儀だったが、その甲斐はあった。


 藤沢春香の名前が書かれた赤紙――そこには、異質な文様が描かれていた。


 風冠――風の中身を抜いた部分を縦に伸ばし、その中に複数の四角や斜線が黒い墨で描かれている。

 中央部に鳥居が描かれており、鳥居の門の部分に藤沢春香の名前が縦書きに書かれている。

 俺にでもわかる。

 これは――呪符だ。


 藤沢春香を呪い殺すための。


 でたらめな『えんきりくん えんゆいさん』

 恣意的に機能する『呪い』


 つまり――


 行われたのは『えんきりくん えんゆいさん』ではなかった、ということだ。

『えんきりくん えんゆいさん』をカムフラージュに行われた――別の『呪い』だ。


 これは、『朝の占い』の範疇を越えている。知識のない人間に作れるものじゃない。

 これを……七原さんが?

『えんきりくん えんゆいさん』の代償を不自然なまでに気にしていた七原さん。

 それは、自分が行ったのが『本物の呪い』であると、知っていたからか?

 ……違うな。

 おそらく七原さんは、自分の行った『えんきりくん えんゆいさん』が他と違うことは知っていた。知っていたが、多分、そこまで深刻には考えていなかった。好きな男の子に想われている藤沢さんが縁遠くなればいい、くらいの軽い気持ちだったはずだ。だが、予想外に藤沢さんが追い込まれることになった。それで不安になって樹に相談し、そこで俺に代償を指摘され、怯えるようになった。

 代償を心配している時点で、この呪符を作ったのが七原さんではないことがわかる。

 七原さんを唆し、自分が作った呪符を埋めさせた奴がいる。

 そいつが黒幕だ。そいつの始末をつけなければならない。


 かり


 背後で響く、擦過音。


 はは……ははは……


 次の瞬間、何も考えず、ただ土を蹴って、駆けだしていた。

 ハンドライトの光を見とがめられようが、知ったことではない。


 ははは……ひひっ……


 遮二無二走って正門を飛び越えた時には、その音も声も、聞こえなくなっていた。

 路上駐車していたロードスターに乗り込むと、わずかな音量で流れ出す『暗い日曜日』

 ギアを二速に入れ、逃げるように――いや、俺はまさしく、その場から逃げ出した。




 あの影は一旦追い払えば――時間と距離をおけばすぐにはやってこない――はずだ。

 考えをまとめる時間の猶予はある。

 県立三真坂西高校で三か月ほど前から流行り始めた『えんきりくん えんゆいさん』

 赤い紙には縁を切りたい二人の名前を、青い紙には縁を結びたい二人の名前を。

 名前を書かれた人間と縁の深い場所に埋める。

 結局のところ、これは効果のないでたらめに過ぎなかった。

 藤沢春香の呪殺こそが目的であることを覆い隠すための。

 学内で数多く行われた『えんきりくん えんゆいさん』

 根本的に無関係であったとしても、所詮学生だ。人と人との縁は容易に結ばれたり、切れたりする。

 もし、藤沢春香の身に何かがあったとしても、皆は不可解に思いつつも納得する。

『友達の友達から聞いたんだけど、こんな噂があって……縁を切られた結果、怪我をして学校に通えなくなった人もいるんだよ』

 そして、学校に受け継がれる七不思議だとか都市伝説だとかの中に埋もれていく。

 藤沢春香が狙われた理由は曖昧なままに。




「あの、どうしたんですか、急に……」

 パーカーにホットパンツというラフな姿で現れた七原さんは、胸元に手を当てて不安げにこちらを見上げた。

「遅くにごめんね。いくつか確認したいことがあって」

 七原さんが住むマンション近くの公園のベンチ。午後十時を過ぎていることを考えれば、呼び出しは拒否される可能性もあったが、七原さんは素直に応じてくれた。

 ていうか無防備過ぎないか。ああ、意外と健康的な太もも……

「これ、よかったら」

 小さく首を振って煩悩を払い、近くの自販機で買ったレモンティーのペットボトルを差し出すと、戸惑った様子で七原さんは受け取り、そのまま俺の横に腰かけた。

 自分用に買った缶コーヒーを開けて一口飲む。

 こちらを窺いつつ、七原さんもペットボトルのふたを開けた。

「……」

「……」

 無言だったのは駆け引きとかではなく、単に、やはり微糖にしておくべきだったかと内省していたからだ。

 だが、無意味に引き延ばす理由もない。

「藤沢春香さんのことがそんなに憎かった?」

 こういうのは迂遠にするべきではない。

 直球で問いかけると、七原さんはびくりと肩を震わせた。

 こちらを見て、俯いて、何かを喋ろうとして、何も言わずに唇を震わせる。

「一応卒業生だからね。夜間の警備が適当なのは知ってるんだ」

 自分が埋めたものを俺が掘り起こしたことを悟ったのだろう。七原さんははっと顔を上げた。

 こちらを見つめる瞳が、潤んでいく。

「……怪我をさせたいと、思っていたわけじゃないんです。ただ……ただ、やりきれなくて、どうしていいかわからなくて……」

 両手で顔を覆いつつ吐き出された声。指の隙間を涙が伝う。

「私は……私と椎名君との繋がりは数か月で……でも藤沢先輩と椎名君の付き合いは子供の頃からで……ずるい、って、思ったんです」

 七原さんの言っていることは幼稚だと思うが、それを責めるつもりはない。つもりはないが。

「リセット出来たらって……思ったんです。そんな時に『えんきりくん えんゆいさん』のことを知ったんです……こんなことになるなんて……」

 こんなことになるなんて。

 思っていなくても、結果としてそうなったなら、責任はとらなければならない。

 自らの浅慮が招いた結果を、七原さんはどう始末をつけるつもりなのだろう。

 涙ながらに懺悔すれば、全てが清算されるとでも?

 コーヒーを飲みながら待っていたが、七原さんの口から、泣き言以外は出てこなかった。

 だが、樹のお友達だ。

 彼女を追い詰めても、俺にメリットはない。

「つらかったね。話してくれて、ありがとう」

 なるべく真摯に聞こえるように言って、七原さんの頭を優しく撫でる。

「あ……」

 呟いて、俯いて、やがて七原さんはこちらにそっと身を寄せた。

 いや、そんな風に軽薄だから、いいように利用されるんだよ。

 まあ、いい。今後七原さんがどんな人生を送ろうと、俺には関係がない。

 確認したいことは一つだけ。

 誰が七原さんに『呪い』を代行させたか。

 当然、オカルトに詳しく、その素養がなければならない。

『本家』の娘が無用なトラブルに巻き込まれないために、市内近隣に居住している『素養がある』人間は、自覚・無自覚問わず、じい様と俺でリストアップし毎年アップデートしている。

 そのリストに名前と動機があり、かつ、俺が設楽との『縁切り』を願ったことを認知出来て、俺のもとにあの黒い影を送り込むことができた人間。

 この状況においては、もう疑う余地もない。

 ただ、これ以上七原さんを追及するつもりはない。七原さんがそいつの名前を吐かないであろうことは確実だし、『友達を虐めて泣かせた』と、樹の俺に対する印象が悪くなっては困るからだ。

 だから、七原さんには『好意を利用された被害者』でいてもらう必要がある。

『こんなことになるなんて』だ。

 もう、答えはわかっているのだから、後は単なる答え合わせだ。


 オカルトに疎い第一文芸部。

 第二との融和を目指していたという第一文芸部。

 その第一文芸部が流した、でたらめの『えんきりくん えんゆいさん』

 そこに『紛れ込んだ』本物の『呪い』

『えんきりくん えんゆいさん』はあくまで目的的――実効性のないコミュニケーションツールでなければならなかった。

 そこの破壊を目論む――第一文芸部と第二文芸部の融和を許せない誰かが関わっていた。

 そいつが、藤沢さんを標的としたのは――

「七原さん、一つ聞きたいのだけど、藤沢さんは第一文芸部だね?」

 俺の問いかけに、七原さんは頷いた。

「はい。第一文芸部の……部長です……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る