えんきりくん えんゆいさん 弐

 いつきが自分の食べた分の料金を置いていくわけなどなく――まあ樹が殊勝にそう申し出たとしても、固辞して三人分の支払いをしただろうが――ウェイトレスの侮蔑の眼差しに見送られつつ、ファミレスを後にした。

 駐車場の片隅に停められていた俺の相棒である、十年落ちの深紅のロードスターRSの助手席に乗り込んだゆかりちゃんは物珍し気に車内を見回してからシートベルトを身に着けた。

 まあ、ファミリー層が乗るような車じゃないからな。というか、実は『いわくつき』であることを明かしたらどんな顔をするだろう。

 そこまで意地悪ではないので、何も言わずロードスターのエンジンをかける。

 目的地は市内にある県立大学のメインキャンパス。

 教育学部、工学部など文理合わせて六つの学部を備えた、県民――特に三真坂市民に絶大な人気と評価を誇る公立大学だ。地元を離れたくない者が多い三真坂市の高校生がこぞって受験するため、割と偏差値と顔見知り率は高い。

 ゆかりちゃんも県立大学への進学を検討しているようだったので大学の話や受験アドバイスをして、続く本題への前振りとして、

「そういえば、ゆかりちゃんは、椎名君のどういうところが好きなの?」

 何気ない問いかけに、ゆかりちゃんはびくりとまぶたを痙攣させた後、完全にフリーズした。

「……ゆかりちゃん?」

 わなわなと唇が震える。何かを言おうとして、ぎゅっと口を閉じる。

 こちらを見上げるその表情は、まさに途方に暮れているという言葉通りで、逆に俺の方がびっくりした。

 ちょっと無神経だったか? それにしたって、ショックを受けすぎな気もするが……

「……ごめんね。今の質問は忘れて」

「あ……いえ、ごめんなさい……何も、考え……考えられなくて……」

 車内に気まずい沈黙が満ちる。

 だがまあ、いつまでもこうしてはいられない。情報収集は必要だ。

「ゆかりちゃんは『えんきりくん えんゆいさん』を誰に聞いたか、全然思い出せない?」

 ハンドルを繰りながら問いかけると、ゆかりちゃんは考え込むように沈黙し、しばらくしてから口を開いた。

「第一文芸部の子たちと話していた時、誰かに聞いたんだと……思います」

 第一文芸部――第一とついているからには第二、第三の――実際には第二までだが――ともかく第一文芸部から、『えんきりくん えんゆいさん』の話をゆかりちゃんは聞いたという。

 第一、第二と文芸部が二つあるのには、当然理由がある。俺の在学時に起こったことだから、その原因を知っている。それゆえに、嫌な予感が拭えない。

 簡単に言えば、オカルトやミステリが大嫌いな第一文芸部と袂を別って設立されたのが第二文芸部で、樹が手配したという協力者――『神楽ちゃん』こそが、文学部を割り、第二文芸部を立ち上げた張本人。

 なんかもう、盛大に溜息して、もやもや燻ぶるものを吐き出してしまいたい。

 ゆかりちゃんの前でするのは大人げないからしないけれども。

「『えんきりくん えんゆいさん』の発祥が第一文芸部……可能性としてはどう?」

「わかり……ません……」

 まあ、この路線はゆかりちゃんに聞いてもしようがない。

「ゆかりちゃんが樹と『えんきりくん えんゆいさん』をやったのはいつ頃のこと?」

「私と樹ちゃんが『えんきりくん えんゆいさん』をやったのは二週間ほど前で、確か……その一週間前くらい前に聞いたと記憶しています……」

 三週間ならば、発祥を辿ることは現実的ではあるが……まあ、これよりさらに遡ると考えるべきだろう。

 それ以前に、そもそもオカルト嫌いなはずの第一文芸部の部員から、というのが理解に苦しむ。

「……ところで、他の人らの首尾はどう?」

 問いかけて、これではあまりにも嫌味にすぎると思い、

「『えんきりくん えんゆいさん』は霊験あらたかだと思う?」

 少しマイルドに言い直した。

 これにもゆかりちゃんは黙考する。

「どう……なんでしょう。やっぱり、みんな誰と縁を結んだかはともかく……誰の縁を切ったっていう、そういう話は、しませんから」

 まあ、そうだよな。興味本位で掘り返す、下世話な輩もいそうなものだが。

「ただ、それでも噂では聞こえてきて……その……高橋君と波多野さんの名前を書いた赤い紙が野球部の部室の側で――高橋君は野球部で――見つかって破局したとかいう話はありましたけど……」

「そのカップルが破局したのは、赤い紙が見つかる前? それとも見つかった後?」

「……確か、見つかった後だと思います。ただその……以前から二人は険悪になってたらしいって、噂もありましたし……」

 ああ、そう。と、小さく呟く。

 この辺りは、因果関係が難しい。

 呪いが効果を発揮したのか、呪われていると意識したことで破綻すべきものが破綻したのか、まったく関係なく交際を解消することになったのか。

「青い紙はセットで見つかった?」

「それは……確か、野球部の坂下君と宮前さん――宮前さんは美術部で、二人はしばらくしてから付き合い始めたそうです……ただ、元々仲が良かったみたいで……」

 ああ、本当に面倒だな。

 恋愛事――特に告白に関することは予定調和的であると俺は思う。

『関係を深めた結果、OKしてもらえる確信が得られたから告白する』わけである。

 互いの認識の相違によって失敗する場合もあるだろうが、まあ告白というのは、既に『客観的には恋人』状態である二人が、暗黙の同意の下、関係の名前を変える儀式に過ぎない。

 関係の浅い相手を呼び出して告白する――これが成功するのは漫画か、告白する側が美形の場合だけだ。

 まあ、このあたりの追及はさほど重要ではない。

「ゆかりちゃん、今名前が出てきた生徒の中で誰かが怪我をしたとか、心霊体験をしたとか、聞いたことはある?」

 内省するように俯いてから、ゆかりちゃんは小さく首を振った。

「聞いたことは……ないと思います」

 ない、か。

 つまりは、怪現象に見舞われているのは――現状では、そう感じているらしいと表現するのが的確か――藤沢さんだけということになる。

『えんきりくん えんゆいさん』はどうにも輪郭があやふやではっきりしない。

 だがこんなものに時間をかけてはいられない。さっさと片付けてサノの排除に着手しなければ。

「あの……」

 ゆかりちゃんが昏い瞳でこちらを見上げる。

「『えんきりくん えんゆいさん』をやったら、何か……その、代償があるのでしょうか?」

 それは気になることだろう。俺も気になる。

 樹が関わっていることだから。

『本家』の樹。何をおいてでも守るべき、『本家』の樹。

 代償の存在。

 いつも思うのだが、なぜ、皆そこに思い至らないのか。

 多分それは、『えんきりくん えんゆいさん』がおまじない――朝のワイドショーの占いでの『幸運をもたらすアクション』程度の認識でしかなかったからだろう。

 荒唐無稽と考えられても、そうではないものが混じっている可能性は、ゼロではないというのに。

 ただ、現状では、

「……まだ、わからない」

 それ以外に答えようがない。




 市内の北西部に位置する我が大学のキャンパスの隅の方、農学部の実験農場やラグビー部やアメフト部用のグラウンドがあるあたりに部室棟が建っており、その周辺は割と治外法権になっている。

 運動部が芝生の上で夜通し飲み会をやらかした挙句、全裸で横たわっているなどは日常茶飯事で、バーベキューをやっていて小火を出したところもあった。水回りが完備された部室棟に住み込んでいる連中も少なくない。

 今回用があるのは、そういう、部室棟居住組だ。

『オカルト研究部』

 大学でこんな名前のサークルに遭遇することはあるまいと思っていたのだが、まあ、現に存在するのだからしょうがない。

「はいるぞ」

 ノックもなしに木製の安っぽい扉を開けると、そこにはワンルームマンションのショールームのような小奇麗な空間が広がっていた。

 出入り口の右手に二口コンロと小さなシンク、左手にはトイレとバスに繋がる扉。その奥には八畳ほどのフローリングがあり、二人掛けの革張り(合成皮革っぽいが)ソファと木製ローテーブル。窓際のキングサイズベッドはまるでホテルのようにシーツや布団が整えられている。

「やあやあ、よく来てくれたね!」

 ソファに腰かけていた長身の女が立ち上がって、大仰な仕草で両腕を広げて見せた。

 俺のかつての同級生で、今も同窓生である、設楽神楽したらかぐら

 正直、ラップ的韻を踏んだネーミングはどうかと思うのだが、厄介なことに設楽の場合は名前負けしない芸能人並みの容姿を備えているから始末が悪い。

 簡潔に言えば、宝塚の男役。本名が芸名だと言われても納得の仕上がりだ。

 ショートヘアで目鼻立ちのはっきりした男顔。加えて、170センチを越える長身で、すらりと手足は長く――発育もいい。うん、ボーイッシュと言い換えよう――特定部位の発育も非常にいい。

 設楽とは中学からの付き合いで親しくしていたが、高校の時の『文芸部分裂事件』から、三年間同じクラスであったにもかかわらず、すれ違えば挨拶はする、用事があれば会話はする、程度の付き合いになった。

『文芸部分裂事件』が主な原因であるが、それとは別に、設楽の容姿も一因ではある。その類まれなる美貌が人間関係のトラブルを引き寄せるのだ。中学時代親しくしていたというだけで俺の方にも飛び火してきたりしたので、正直もうあまり関わりたくない。ないが、今回は仕方がない。

「黙れ。喋るな。呼吸もするな。あと、近づいてくるな」

「ああ、そう? ふふふ、要は相変わらずのツンデレだなあ」

 ツンデレじゃねえ。ツンしかねえんだよ。純粋に関わる時間を減らしたいんだ。

 真っ白なワイシャツに真っ白なチノパンと、目に眩しい――正気ならばカレーうどんを食べようなどとは絶対に思わないであろう格好をした設楽は爽やかに微笑みつつ、ベッドに腰かける。

 俺は遠慮なく空いたソファに座るが、ゆかりちゃんは設楽を困惑した様子で見つめつつ、所在なげにドアの前で立ち尽くしたままだった。

「あ、ゆかりちゃん、こっち、こっち。遠慮する必要はないから」

「え……あ、はい……」

 俺自身も思ったことだが、高校と大学では同じ教育機関であっても雰囲気が全く違う。自由度が違う、と言えばいいのだろうか。私立高校などは、大学のような単位制を取り入れているところもあるようだが、三真坂西はそこまで先進的ではない。となれば、大学に足を踏み入れて気後れしないのも難しいだろう。

 戸惑った様子で俺の隣に――ゆかりちゃんは距離をあけて腰を下ろした。

「あれれ、かなめ、嫌われちゃってるのかなぁ?」

 口元に手を当て、猫のような笑みを浮かべた設楽に半眼で言い返す。

「黙れ。まだ、ちょっと……その、コミュニケーションが足りないだけだ」

 ぶっちゃけた話、樹に嫌われさえしなければ、ゆかりちゃんのことなどどうでもいいのだが、さすがにそれはこの場で明らかにするようなことでもない。

「そんなことないですよ! ただ、どうしていいか分からないだけで……」

 いや、わざわざこっちに寄ってこなくてもいいから。生真面目か。

 後で樹に告げ口されてはかなわないと、身を離すと、ゆかりちゃんはなんだか傷ついたような表情を浮かべた。あ、ごめん。これ、『告白してもないのになんかフラれた気分』になっちゃうやつか。

「要は、ほんと、残念男子だよねえ」

「残念女子のお前が言うな」

「残念女子! 要と一緒だね! お揃いだ! 褒められちゃったな! はははっ!」

 一瞬前に自分が放った罵詈雑言のカウンターを誉め言葉と受け止められる、この強メンタル――狂メンタル。まともに相手にするだけ時間の無駄だ。

「さて」

 優雅に呟いてベッドから立ち上がった設楽は、不自然に開いた俺とゆかりちゃんの間にふわりとした動作で腰を下ろした。

 こっち来るのかよ。狭い。寄るな。肩が触れちゃうだろ。

「『えんきりくん えんゆいさん』の話だね? ファンクラブの皆に頼んで既に情報は集めてある」

 顔はこちらに向けつつ、ゆかりちゃんの肩に手を回し自分の方に引き寄せる。

「え、あの……」

 哀れ、設楽の豊かな胸に頭を預ける形になったゆかりちゃんは、目を白黒させた後、頬を真っ赤に染めあげて設楽にされるがままの愛玩物――『ぬいぐるみ』と化した。高校時代、男子生徒の間で共有されていた、設楽に骨抜きにされた女子生徒を指す隠語だ。

 この『ぬいぐるみ』にされたことで人生を狂わされた女子生徒と、それを目の当たりにして性癖を狂わされた男子生徒がどれほどいたことか。『俺、女同士でしか興奮しなくなっちまった!』恍惚と羞恥の入り混じった絶叫で周囲をドン引きさせた某は元気にしているのだろうか。

 まあ、そのへんは俺にとってはどうでもいい。

 その犠牲者たちによって構成される『設楽ファンクラブネットワーク』の情報網は割と広範なのだそうだ。今も三真坂西高校や本学、市内近隣の学校にファンを増やしているというのだから空恐ろしいが、役にもたつ。

 女子中高生の間で流行っている怪談や都市伝説などの情報を、俺が蒐集するのは難しい。実際、過去に事案になりかけたことがある。その時はウェブに掲載されるような事態は避けられたが。

 じい様ほど歳を取れば大丈夫かと言えば、逆にじいさまが女子高生に付きまとわれて一騒動になったりもした。

 だから、設楽の協力は――渡りに船ではあるのだ。疎遠である、疎遠にしたい、という感情的問題さえなければ。

「ほんと、要は女性と相性が悪いよねえ。こうして優しくしてあげれば、皆、頬を薔薇色に染めて協力してくれるというのに」

 ……黙れ。

「下心が透けて見えるのかな?」

 黙れ黙れ。下心云々について、設楽に言われたくはない。いや、そうだ。下心がないから、逆に上手くいかないのだ。高校生は打算的だから自分に対して下心のない人間には素っ気なくするのだ。そうだ。そうに違いない。

 まあ、妄想じみた言い分はともかく、いつの間にか腕の位置が下がって、ゆかりちゃんの腰を撫でまわしている設楽に言われたくはない。お前の下心、ノーガードじゃねえか。

「神楽さまぁ……」

 ぽやっとした表情でもはや設楽の手に身を任せるままになっているゆかりちゃんの姿に戦々恐々しつつ――そういえば、ゆかりちゃんと設楽は面識があるようなことを樹が言っていたな――もしや、彼女もファンクラブの一員だったか。だが男が好きならそういうこともないか? いや、設楽は『別腹』だと意味不明の供述をしていた女生徒もいたな。

 このまま放っておいてエスカレートしても困るので、

「いいから黙れ。むかし貸した分の仕事はしてもらうぞ」

「うん。要に恩を売るのは、やぶさかでない」

 相殺だろうが。言っても無駄だが、一応心の中で突っ込んでおく。

 もはやゆかりちゃんと一体化した設楽は上唇をぺろりと舐めた。

「では、調査結果を報告しよう。まず! 『えんきりくん えんゆいさん』の由来からだが!」

 おお、いきなり核心から来るとは予想外だ。

 いい仕事するじゃないか!

「これはまだ分かっていない!」

 ……前言撤回。呼吸をやめろ。

「ふふ……要はきっと『前言撤回。呼吸をやめろ』などと思っているのだろうが、いつごろから流行り始めたのかは突き止めてある!」

「お、おお……!」

 一度下げてから上げる。そういう心理学的テクニックはいらねえんだよ。

「ちなみに、今のはゲインロス効果を狙ったものである!」

 ぶっちゃけんな。

「では、拝聴したまえ」

 左手はゆかりちゃんの腰に回し、右手は指先で頬を撫でつつ、設楽はゆかりちゃんの耳元に囁くように語りだした。

「私の愛すべきファンたちから情報によると、『えんきりくん えんゆいさん』が流行り始めたのは、今から二か月ほど前のようだね」

 二か月……うん、このくらいなら、手を尽くせば発生元を辿れる可能性が高いな。

『あのね。友達の友達が体験したっていう話なんだけど……』

 怪談、中でも特に都市伝説に属するものは『友達の友達』から聞いた話として語られることが多い。

 単純な伝聞であったり、或いは最初の語り手の創作であったり、或いは本人の体験談であることを隠したい、などという理由があるにせよないにせよ、怪談や都市伝説の枕詞として使われる『友達の友達』

 発生源を突き止めたければ『友達の友達』を辿っていかなければならない。

 時間が経てば経つほどに、拡散すればするほどに、根源を辿るのが困難になるというのは自明のことだ。

 二か月なら、場合によっては設楽のファンクラブのネットワークで『誰が』最初に『えんきりくん えんゆいさん』の話を始めたのかが突き止められるかもしれない。

 既に『えんきりくん えんゆいさん』についてはSNSも含めて簡単に調査したが、インターネット上に情報は皆無だった。

 多分これは三真坂という土地柄の影響が大きい。

 ほとんどの地元民は、地元に進学して、地元で就職して、地元民同士で結婚して実家近くに家を買う。地元民密度が高いので余所の民が入ってくる余地がほとんどない。

 内向的というか、インターネット全盛期の現代においてさえ、ローカルな市内の情報は市外にほとんど拡散していかない。身内の外に拡散させないという、同調圧力がある。

 だからこの手掛かりは逃せない。

「設楽」

「皆まで言わなくていい。ファンクラブのみんなには、流行時期と同時に誰から聞いたかをそれとなく調査するようお願いしておいた」

 俺とは違い、定期試験で常に十位圏内にいた設楽がそこまで手配しているだろうことは予想していたから、目顔で先を促す。

「いやあ、ファンクラブの子の中には、『えんきりくん えんゆいさん』の話を聞いて、私と自分の名前を青い紙に書いたという子も結構いてね。ははは、困ってしまうな!」

 俺にモテたいなどという卑俗な願望はない。ないが……ほんとこいつ、心の底から嫌いになりそう。

「現時点での調査結果だが、二年一組の橋田さんは二年一組の早良さんに聞いた、早良さんは一年二組の仁科さんに聞いた、仁科さんは一年二組の鈴木さんに聞いた、鈴木さんは家庭科部の部活中に出た話で誰が話し出したか覚えていない、三年三組の町田さんは三年三組の橋本君に聞いた、橋本君は三真坂西高校一年六組の妹に聞いた、橋本君の妹は一年六組の木下さんに聞いた、木下さんは通学中のバスの中で聞いたが誰が話していたかは覚えていない、一年四組の佐藤君は一年四組の春野さんに聞いた、春野さんは一年四組の加賀さんに聞いた、加賀さんは……」

「待て」

 朗々と歌い上げるように、淀みなく語り続ける設楽を遮る。

 読み上げられても記憶しきれないし、この部屋にはホワイトボードなんて洒落たものはない。脳内で相関図を構築できるほど、俺の頭は出来が良くない。

「簡潔に頼む」

「どういう風に、簡潔に?」

 長い睫毛をぱちぱちさせながら上目遣いに、挑むようにこちらを見上げる。能力の高いやつは時に相手を試そうとするから厄介だ。

 ていうか、肩が触れ合ってるんだよ。やめろよ。離れろよ。

「そうだな……学内のどれほどの人間が、『えんきりくん えんゆいさん』を知っている?」

「おおよそ七割だね」

 七割。その数字に絶句する。規模もそうだが、じい様の『一番弟子』として市内の怪談・都市伝説にアンテナを張っている俺が、二か月も捕捉できていなかったことに。

「『えんきりくん えんゆいさん』をやったことのある人間となると全学生の一割程度のようだけど」

 三真坂西高校の在学生は千人弱だから――思っていたよりも、多い。

『えんきりくん えんゆいさん』をやるには四人の名前がいる。

 百回行われたなら、単純に延べ四百人が関わっているということでもある。

 ただ、樹がゆかりちゃんの話しか持ち込んでこなかったことから察するに、学内に大きな問題はないようだが、それは現時点での話だ。今のうちに対処しておかなければならないだろうし、そもそも、樹の場合は話が別だ。

「で、『えんきりくん えんゆいさん』の話はどこから出た?」

「ゆかりちゃん」

 そう囁いて、設楽はゆかりちゃん顎をくいっと持ち上げる。

 ゆかりちゃんは目まぐるしく顔色と表情を変化させた後、最終的に目を伏せて、

「あうあう……」

 あ、人間って本当に『あうあう……』とか言うんだな。一つ、どうでもいいことの勉強になった。

「ゆかりちゃんは『えんきりくん えんゆいさん』を誰から聞いたのかな?」

「え、その……第一文芸部の誰かに……」

「誰に?」

 唇が触れるほどの距離で設楽に見つめられたゆかりちゃんの瞳が不意に揺れる。

「……憶えていない、です……第一文芸部の誰か、なのは、間違いないんですけど……」

 満足げに頷いて、設楽はこちらを見やる。

 顎くいっ、はやる必要あったか?

「『えんきりくん えんゆいさん』の出所を辿っていくと、大体第一文芸部の『誰か』に行きつく。不思議なことに、その『誰か』とは特定の『誰か』じゃないんだ。『第一文芸部の誰か』 まあ、まだ断言はできない。けれど、現在集まっている情報から察するに、『えんきりくん えんゆいさん』の起源は第一文芸部というのが蓋然性の高い結論だと考えていいようだね」

 設楽の言葉に、疑念に満ちた声を返す。

「……第一か? 第二ではなく?」

 第二ならわかる。納得できる。

「第一、文芸部だよ」

 言葉を切って言った設楽はうっすらと笑みを浮かべていた。

 侮蔑するような、酷薄な笑みを。


 進学校でも運動部が強い学校はあるが、県立三真坂西高校は伝統的に文系の部活動の方が盛んな学校だ。

 その中でも一、二を争うほどの部員を擁していたのが文芸部である。全国高等学校文芸コンクールで入賞したり、文化祭で海外から高校生を招いての国際交流を主導したりと活発に動いていた部活だ。下卑た話になるが、大学の推薦にも強い。

 だが、先にも述べたことだが、文芸部は俺の在学中に二つに分裂した。

 その主な原因が、設楽であるのも先述した。

 元々文芸部では、オカルトやミステリ、SFは軽んじられていたのだそうだ。

 純文学や随筆、俳句など、古典に属するものが文芸部では主流だった。まあ、海外から学生を招聘したりするのなら、日本独自の文化を前面の押し出していくべきだという判断は、推薦を得るためにも必要なものだったと思う。

 だが、設楽は軽んじられていたオカルトをやりたがった。

 現状ではそれは難しいと判断した設楽が、その卓越した容姿でもって無垢な部員たちを誘惑し、オカルトに引っ張った結果、文芸部は純文学を愛し創作活動にいそしむ第一文芸部と、『オカルト研究部』とでも言うべき第二文芸部に分裂したのだ。

 問題は、その分離が決して友好的なものではなかったということだ。

 と言っても、設楽支持の女生徒と当時の文芸部部長の取り巻きの間でビンタの応酬が起こったという程度のものらしかったが、この騒動で退部者や退学者も出たし、設楽派とアンチ設楽派で学内は一時期剣呑とした一触即発の状態にあった。

 ただ、混乱の張本人である設楽を表立って責めるものはほとんどいなかった。

 こんな言い方はしたくないが――設楽の美貌がそこには影響していたように思う。教師の中にさえ、設楽のファンが、『設楽贔屓』がいたのだから。

 俺は設楽のファンではなかった。中学時代からの友人だと、思っていた。なのに、全てが終わってから事の顛末を聞いた。

 中学の時の設楽は、今のゆかりちゃんのように、いつも俯いていて、何かを強く主張すること――それこそ、誰かを傷つけてでも我を押し通すことなどなかったから、『豹変』と言っていいほどの変貌を遂げた設楽を問い詰めた。

『なぜこんなことをした』

 設楽は、まるで役者のような端正で平坦な笑顔でこう返した。

『今の文芸部ではオカルトやホラーが語れない。だから、そういう場を作ろうと思った。それだけの話だよ』

 自分が部活動としてオカルトをやりたい。

 ただそれだけの為に文芸部を二つに割った設楽。

 この騒動以降、俺は設楽とは距離を置いた。

 設楽の卒業後、第二文芸部は規模を縮小した。

 元来オカルトにはあまり興味がなく、設楽目当てだった部員が大量に退部したからだ。

 今は単純に怪談や都市伝説、ミステリが好きな生徒たちが細々と活動を続けている。


 だから、第二文芸部ならわかる。

 創作か、或いはどこかで見出してきたのか。いずれにせよ、納得はできる。

 だが、第一文芸部? あいつらはオカルトを忌避していたはずだろうが。

「設楽、『えんきりくん えんゆいさん』で使われる紙を持ってるな? 出せ」

 求められることを想定していたのだろう。小さく頷いて、設楽は胸ポケットからやや萎びた二枚の紙を取り出した。

 見た感じ十五センチ四方の、赤いだけ、青いだけの紙に見える。

 表面を眺めたり、裏返したりしてみたが、不審な点はない。が、

「これ、和紙だな。意味深だが、和紙じゃないと駄目なのか? 『えんきりくん えんゆいさん』の話には、和紙でなければならない、という下りはないが」

「ああ、それはね。『えんきりくん えんゆいさん』が流行り始めたあたりで折り紙同好会の最後の会員が退会したからだよ。わずかなりとも折り紙に興味を持ってもらおうと、残った和紙製の折り紙がレシピとともに学内に大盤振る舞いされたのだね。こういう使い方をされてしまったのは皮肉というほかないけれど、ね」

 折り紙同好会……記憶にあるような、ないような……

「ゆかりちゃんが使った紙もこれ?」

 ゆかりちゃんに聞くと、瞳を左右に泳がせた後、こくこくと頷いた。

「はい……私も、これと同じ紙を使いました。結構な人数が、折り紙同好会の最終展示会で配られていた和紙の折り紙をもっていっていたと思います。あ、折り紙同好会が展示として折り紙で作ったアマビエとかくまモンとか、凄かったんですよ」

 ああ、そう……楽しんだなら何よりだ。

 どうやら紙に制約はない。ただ、赤ければ、青ければいい。

「『えんきりくん えんゆいさん』には、名前の書き方に様式はある?」

 言及されていないから、ないのだろう。

 期待もせずに問いかけると、ゆかりちゃんの瞳が激しく左右に揺れる。

 不審に思い追求しようとしたところで、設楽の手がゆかりちゃんの……その、デリケートな部分に触れていることに気づき、設楽の頭を叩いた。

「あいたっ! 淑女に暴力を振るうとは、紳士の風上にも置けないな!」

「残念ながら俺は紳士ではないし、お前が淑女なわけもないだろうが」

「また要と同じだな! 褒められてしまった! 要は本当に、私とお揃いが大好きだな!」

「褒めてないし、好きでもない!」

 ポジティブの化身かよ、こいつは。

 いかにも楽しそうな設楽の笑みを目の当たりにして、安心とほんのわずかの失望が入り混じる。

 ――中学の頃の設楽は、もういないんだな。

 思い出の中の設楽は、ゆかりちゃんの小動物的挙動と重ね合わされる。

 長身を丸めて、俺の背中に隠れるようにしていた設楽。

 あの頃の設楽は、もういないのだ。

 是非もない。

『さよならだけが人生だ』と語ったのは誰だったか。

 感傷は、今は必要ない。

「設楽、『えんきりくん えんゆいさん』の出所を辿ると、第一文芸部の部員の『誰か』にたどり着く……間違いないな?」

「うん、間違いない」

「特定の個人、ではないんだな? 『第一文芸部の誰か』」

 特定の誰かであるなら、設楽がすでに言及していたはずだ。

 いや、当然『第一文芸部の誰か』の名前が挙がっている例もあるはずだ。だが、設楽がそういう言い回しをするからには、複数名の名前が、起源を特定できない形で挙がっているのだろう。

「そう、その通りだ」

「第一文芸部は、設楽憎しでオカルトも嫌っていたはずだが」

「はっはっはっ。私のことは嫌いになっても、オカルトのことは嫌いにならないでと主張していたんだけどね――私の在校時はそうだった。現状は――現役生に聞いてもらった方がいいかな? ねえ、ゆかりちゃん?」

 恍惚とした表情で設楽に身を預けているゆかりちゃんに二度目の顎くいっ。いや、それやる必要あるか?

「ゆかりちゃん?」

「……最近の文芸部は――特に、第一文芸部の方は融和ムードになってるみたいです」

 融和ムード?

 設楽をモチーフにしたのが丸わかりなプレイボーイ(プレイガールか?)が、その低劣な人品骨柄を文芸部の純朴な生徒によって暴かれてしまい、その獣欲が露呈したことで周囲の女性にそっぽを向かれ孤独のうちに自殺するとかいう下品極まりない作品を文化祭で展示・頒布したような連中だぞ。

 今さら、融和だと?

 設楽の卒業で弱体化した第二文芸部を叩き潰そうというのならわかる。

 何故ここで融和する?

 それでは、元の木阿弥だろう。分裂の危険を再び内包するということだ。

 設楽は未だ、県立三真坂西高校に絶大な影響力を持っているのだから。

「私の長年の主張がやっと受け入れられたということだね! 要、褒めてくれてもいいんだよ!」

 腹が立つほど上機嫌な設楽に向けて舌打ちしてからスマホを取り出し、樹にメールを送る。

 内容は『最近の文芸部、第一と第二は、仲が悪いか』

「誰にメールを送っているのかな? ああ、そうだ。要、メールアドレスを変更していなかったのは、私との繋がりを断ち切りたくなかったからなのだろうね? ふふ、嬉しいな」

 こちらのスマホを嬉々とした表情でのぞき込んでくる設楽を肩で押しやりつつ、一分経っても二分経っても返信が来ず、やきもきしながら、やけに笑顔な設楽と押し合いへし合いしていると、五分後にやっと返信があった。

『皆に聞いたけど、第一は第二と仲良くしたいみたいなんだって! 私もそう思うし、ゆかりちゃんも知ってると思うよ! あとね、ジューダイジョーホウなんだけど、佐野君、歌はちょっと下手だけど歌い方が可愛いんだよ!』

 佐野……佐野……サッノォォォォッ!

 こちらを見ていたゆかりちゃんの目が見開かれたのに気づいて、慌てて頬の筋肉をマッサージして緩ませる。メール内容を盗み見たのか、設楽がにやにやと笑っているのが腹が立つ。

 融和、融和か……

 第一文芸部と第二文芸部のわだかまりは、設楽が卒業したことで解消されたということか?

 第一文芸部のヘイトは確かに設楽に集中していた、というか設楽が自分に集まるようあえて仕向けていたように記憶しているが、そんな簡単なものか?

『新ジョーホーだよ! あのね、第一文芸部は最近部員が減ってるんだって! 第一と第二、どっちに入部したらいいか迷って、結局入部自体を止めちゃう新入生も多かったんだって!』

 ――ああ、そうか。なんか、腑に落ちた。すとんと落ちたな。

 新入生は文芸部が二つに分かれていることに疑問を持つ。まだ関係者は学内に残っているから、いずれ一連の騒動を知る。

 そりゃあ、入部に尻込みもするだろう。

 誰だって、自分とは無縁のトラブルに好んで巻き込まれたくはない。

 そして、三真坂西高校において、部活動は数こそパワーだ。

 部費の配分、内申点の評価――活動内容も勿論みられるが、大所帯の部活動の部長や副部長などを務めた経験は大学進学の指定校推薦にかなり影響がある。

 融和の事情は納得した。だが、疑問は残る。

 なぜ、『えんきりくん えんゆいさん』を流行らせた?

「ところで! 要はこんなことを知っているかな!」

 首を傾げる俺の太ももに両手をついて身を乗り出した設楽がこちらを見上げる。

 やめろよ、顔が近いし、太もも触られたら、なんか、ぞわぞわしちゃうだろ!

「噂の広義な定義として『コミュニケーションの連鎖のなかで短期間に大量に発生した,ほぼ同一内容の言説』というものがある。調査の結果、現時点で『えんきりくん えんゆいさん』に伝聞の過程で変化した部分はない。これは噂に該当するよね? それで、噂は、一過的か再帰的か、道具的か目的的かで四つに分類される。一過的か再帰的かは説明する必要はないね! 例えば『一月一日に富士山が噴火する』 これは当然、一月一日に何もなければ忘れ去られる、一過的な噂だ。対して、『マクドナルドのパティはミミズの肉で作られている』 これは肉の種類が変化する類型はあれど、定期的に流布する――再帰的なものだね」

「お、おう……」

 突然まくしたて始めた設楽に気圧されて、やや身を引く。

 好きなことを語るとき、人間は早口になる。というか、谷間……谷間が見えてんだよ!

「次に道具的か、目的的か。道具的というのは有用な情報を含んでいるかどうかだ。『ウィルスの流行でトイレットペーパーが不足する』 これは真偽は別にして、有用な情報ではある。噂に扇動された人間が動けば、実際にトイレットペーパーは商品棚から消えるわけだから。目的的というのは、その会話自体が目的というものだ。『えんきりくん えんゆいさん』はこの、目的的であると、私は考えている」

 会話自体が目的……

『えんきりくん えんゆいさん』は現時点では、一過的で目的的。再帰的でも道具的でもない、という逆説から導き出される結論だが。

 まあ、シンプルな結論だ。

「……『えんきりくん えんゆいさん』を『知っていることがコミュニケーションツールになる』ってことか」

「そうだ!」

 我が意を得たりと設楽は指をぱちんと鳴らした。俺はできないからちょっとむかつく。

『えんきりくん えんゆいさん』が、コミュニケーションツール……

 共通の話題がある、というのはコミュニケーションにおいて重要だ。知らないことは語れないが、知識と興味のあることには大概の人間は饒舌になる。無論、コミュニケーション強者は自身に知識がなくとも『聞き上手』というスキルで饒舌を引き出すわけだが。

 ともかく、『えんきりくん えんゆいさん』が人口に膾炙することを目的としているなら、当然理由があるはずだ。

『えんきりくん えんゆいさん』が行われた回数は、そのまま『関係者』の数に直結する。

「……『自分』の縁結びと縁切りがセットになっていないのは、つまりは『関係者』を増やすことが目的ということか?」

 利害関係者を増やす事――『えんきりくん えんゆいさん』を誰が行ったかは秘密にしなければならないが――秘するべきことこそ、密やかに語られる。

「その可能性が高いと思うな。縁切りと縁結びが組み合わさっているにも関わらず、『自分』縛りがない時点でね」

 俺が中学生の頃に流行ったこんなお呪いがある。

『消しゴムに好きな相手の名前を刻んで、それを使い切ったら想いが成就する』

 本当に他愛無いものだ。

 けれど、中学生にとって恋愛事は勉学や部活の成績に次ぐ――或いは人間によってはそれらを上回るもので、一時期は誰もがそのおまじないの話をしていた記憶がある。知らなければ流行に疎いと馬鹿にされるくらいに。

 実際にやっているかどうかは問題ではない。知っていて、会話に加わることができるかどうかだ。

 それは、確かにコミュニケーションツール――『話題』になっていたように思う。

 だが、『えんきりくん えんゆいさん』は『話題』感がありつつ、呪物を地面下に埋めるという玄人的な呪術的側面を持ち、さらには『自分縛り』がないと、定石を破っている。

 どうにも飲み下せない、そのちぐはぐ感――付け焼刃的な感じ――

「『差別化』なのだと思うよ」

 ああ。設楽の言葉に、納得する。

『面倒くさいは、流行らない』

 じい様に付き従い、数多の『呪い』や『おまじない』等々を見た俺の感じたことだ。

 手順が複雑になればなるだけ――それを行う人間は減っていく。

 ただ、その目的が『拡散すること』なのであれば、実際に行われる必要はない。

 よくあるようで、ちょっと違う。正統派なようで、瑕疵もある。

 目新しくて、興味を引ければいいのだ。『えんきりくん えんゆいさん』をやった人間のエピソードが加わればなおよいと言える。

 流布の最終的な目的は――第一と第二、文芸部の融和。

 かつて、オカルトを排斥した第一文芸部は部員減に喘いでいる。

 かといってまだ学内には分裂騒動を知っている生徒も多い。

 そこで、第一文芸部はこう考えた。

『自分たちにはもうオカルトを忌避する考えはない』と示すことで分裂騒動の終息と部員の獲得を目論んだ。そういうことだ。

 多分、そう遠くないうちに『えんきりくん えんゆいさん』は第一文芸部発祥であることが――発表予定だった創作作品の一部が漏れたとか、そういう形で明らかになるのだろう。

『縁切り』と『縁結び』――なかなか、皮肉がきいている。

「なるほど」

「なるほど、だね」

 設楽と目が合い、同じ結論に至ったことを互いに確認する。

 まるで中学生の頃のように。

 すぐに目をそらしたが、その寸前に設楽が満面の笑みを浮かべているのを見てしまった。

 なんなんだよ、もう。

 眉根を寄せて顎をしゃくると、設楽はやっと俺の太ももから手を放し、代わりとでもいうようにゆかりちゃんを抱き寄せた。そろそろ耐性がつきそうなものだが、ゆかりちゃんの赤面メーターはまたしても急上昇。

「設楽」

「ん? 何かな、要?」

「第一文芸部と第二文芸部が統合したら、どう思う?」

「私の可愛い子犬ちゃんたちが、楽しく部活動に興じることができるなら、私から言うことは何もないよ」

 設楽は淀みなく答え、微笑みすら浮かべて見せた。

 お前のキャラクターなら、せめて子猫ちゃんだろ。子犬ちゃんて表現は『忠犬』が連想されてしまって、怖えよ。

「なら、俺は静観するが、それで文句ないな?」

「私は要の判断を尊重するよ。今までも、これからも」

 友情に満ちた、なかなかに感動的なセリフではあるが、顔を真っ赤にしたゆかりちゃんの手指を弄んでいる状態で言われても説得力がないことこの上ない。

 まあいい、『えんきりくん えんゆいさん』は片付いた。

 これから確認すべきは藤沢さんの件だ。

 癪だがこれに関する相談も、設楽にすべきだろう。なにせ、情報量が違うから、仕方がない。

「藤沢さんの件、設楽はどう考える?」

 意趣返しではないが、ふんわりとした質問を設楽に投げつける。

「偶然だと思うよ」

 返答は迅速にして簡潔。

「根拠は?」

「『えんきりくん えんゆいさん』が行われたのは現時点で集まっている情報によると百回。関係者は延べで何人になるかな、ゆかりちゃん?」

 設楽の胸中のゆかりちゃんは、一瞬目を白黒させたがすぐに応えた。

「延べ四百人に、なります……」

「そのうち『えんきりくん』に関わったのは?」

「延べ二百人……です」

「うん。そのとおりだね」

 褒美を与えるように、設楽はゆかりちゃんの頭を撫でる。

 どちらも美人なだけに、どうにも目線の行き場に困る。いっそ、女同士で興奮できればよかったのか。

「なのに、藤沢さんのような例は、他にない。藤沢さんの一件きりのみなのだよね。確率としては零点五パーセント、名前の重複分を排除しても一パーセントは越えない――ああ、藤沢さんの名前は重複していないよ――そうなると、これは」

 こちらを見やった設楽に、頷いて見せる。

「偶然の範疇だな」

「……え?」

 呆けたような、魂の抜けたような――ああ、憑き物が落ちた、という表現がしっくりくるか――ゆかりちゃんが、設楽と俺を交互に見つめる。

「つまり、だね」

「藤沢さんの現状に『えんきりくん えんゆいさん』は、何の影響もない」

「そう、そう。要、結論としては?」

「ゆかりちゃんのせいじゃない」

「その通り!」

 設楽が無駄な合いの手を入れてくるせいで、何だか息が合っているような感じになってしまった。

「え……? え、ええ……?」

 混乱している様子のゆかりちゃんの頭を設楽はその胸に抱きよせる。

 そして、意味ありげな流し目。

 嘆息したいのをこらえ、俺はゆかりちゃんに力強く頷いて見せた。

「ゆかりちゃんのせいじゃない。『えんきりくん えんゆいさん』はでたらめなんだ」

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