3話 田中波留は異世界の洗礼を受ける

 意識が急速に再浮上してくるのを感じる。


 今回は妨害する物は何もない上に、場所が場所だからな。俺は急いで辺りを見渡し、安全を確認する。


 ……大丈夫なようだ。


 目視できる範囲には、俺以外には何もいない。

 それにクレーネさんが言っていたように、転移先は森の中のようだな。

 彼女曰く、ここが俺にとって一番安全な場所かつ、最短で異世界を攻略できる場所らしい。


 まあ正直な話、全く意味がわからないが……。


『――何があっても、私だけはキミの味方だから』


 この言葉に嘘はないだろうから、信用できる。

 ということはなるべく移動はせずに、何らかのできごとが起きたらアクションを起こした方がいいか。


 ……なら少し考えごとをしようか。

 お題は勿論、異世界で何をするかだ。


 クレーネさんの話を聞いていたときは考える時間が惜しく、何も考えていなかった。

 だが今、こうして考える時間ができたのだ。じっくりと模索するとしよう。


 まず、最終目標から決めたい……というかもう決めてることだけど、俺は元の世界に帰りたい。


 何せ、俺は現実世界に未練タラタラだからな。


 最愛の瑠美と喧嘩別れみたいな感じになってしまったこともあるし、瑠美の将来も気になる。

 俺がいないと変な男と付き合ってしまうかもしれないからな。それは何としてでも阻止したい。


 瑠美には是非とも幸せになってもらいたいし、何なら俺とずっといてもらっても構わない。

 それが叶わないというのなら、俺が認めた男と付き合ってほしい。


 俺はそれほどまでに瑠美を愛してるからな。


 後、これも重要なんだけど、両親……というか、父さんと酒を飲みたい。

 これは父さんとの約束でもあるし、俺も色々と父さんと話したいことがある。


 父さんも俺に負けずとも劣らないぐらいに、瑠美が好きだからな。一緒に語ってみたいのだ。

 それに無事、異世界から現実世界に戻れたら、異世界での話も酒のツマミになるかもしれないな。


 母さんとは……そうだな。何も思いつかないな。

 母さんは昔から、俺が無事に生まれてきてくれて、ここまで立派に育ってくれたのが最高の親孝行だからと言ってくれていたからな。


 でも、母さんとも何かしたいな。

 母さんには今までお世話になったし、一緒に美味いご飯とか食べられたらいいな。


 そこは勿論、俺の奢りだ。


 うん……やっぱり最終目標はこれ以外にないな。


 それに俺の根底には『楽に生きたい』というのもある。異世界だと楽に生きられそうもないからな。

 現代人が異世界で満足な暮らしを送れるはずがない。


 とは言え、しばらくは異世界で過ごすことは確実だから……異世界でも多少は快適な暮らしを送れるようにはしたいよな。


 なら、第一目標は『異世界でスローライフを送れるようにする』……だな。

 まあ勝手に事件に巻き込まれるから、前途多難ではあるだろうけど。


 まあ、何が言いたいかって言うと、


「詰んだ。これ、詰んだわ。丸腰でこの森から出られそうもないしな」


 さっきから獣臭さを感じてる。知らないうちにめちゃくちゃ濃くなってやがったのだ。


 これはペットの猫とか犬のレベルじゃない。マジの獣臭。下手に動いて遭遇したら即終了。

 さっきも言ったけど、俺は丸腰の状態だ。当たり前だけど。


 学校に行こうとしていたわけだから学生服で、勿論のこと武器になりそうなもの持ってるわけない。

 それに俺は運動が苦手だ。嫌いなわけじゃないけど、圧倒的にセンスがない。


 そんな俺の五十メートル走の記録、九秒後半。

 これは遅過ぎる。別にガリガリでも太ってるわけじゃない。単純に走るのが遅いだけ。

 これでわかったと思うけど、敵意丸出しの魔物にでも遭ったら逃げきれない。


 というか、普通に怖いから逃げられない。

 だって、近所の犬に吠えられるだけでビビる。こんな奴が、魔物を前にして逃げられるわけない。


 だから、魔物に見つからないようにしないと。


 そう思った瞬間のできごとだった。


 付近にある茂みの方からガサガサッという音がした。これは間違いない。

 自分の部屋に引きこもり、自家発電していることが見つからないよう、気配を察知するのが得意になった俺がそう感じたのだ。


 この感覚、何かがこちらの様子を伺ってる。

 ということは多少の知性は持ってそう。

 でも、人間であるかは不明だ。コミュ力高めなら話しかけてきそうだけど、俺みたいな陰キャは物陰に隠れてどういう奴か伺うからな。


 とはいえ、ただ突っ立ってるというのはダメだろう。

 とりあえず、物音がした方向に視線を向けてみる。

 そうすれば、姿を現しづらいはず。俺だったらまず出て行かない。


 そしてしばらくは下手に動かない。動いてしまったら、相手を警戒させてしまう恐れがある。

 でもその可能性は潰した。今のうちに打開策を――


「――ッ!?」


 風切り音。


 その現実世界ではまず聞くことがない『ヒュンッ』という音が耳に届いた次の瞬間、鋭い痛みがふくらはぎに走る。

 視線を移すと制服が破れていた。そして隠れていて見えないが、液体が肌の上を伝うのがわかる。


 ――マズイ。


 そう思った刹那、俺は地面に突き刺さっていた矢を手に取り、逃走を開始する。

 よかった、体は動く。いつも以上に。恐怖が身体能力を引き上げているらしい。


 これは火事場の馬鹿力に似た何かだろう。


 ただこれは逃走という第一関門を突破しただけで、何も変わってない。

 魔物からは逃げきれない。俺には体力がないのだ。今のペースで走れば、一分も持たない。


 というか、やっぱり知性があるな。

 二手に分かれていやがった。茂みの方に注目させて、別の場所からの狙撃。

 単純だけど俺みたいな素人には有効だ。


 そして後は物量でどうとでもできる。

 それは追いかけてきてる奴らも同じ考えだろうな。

 今、俺は追われている。ファンタジーの定番、ゴブリン数匹に。


 幸い、体格差のお陰で俺の方が速く動けているけど、奴ら武器を持ってる。小さな刃物ではあるけど、普通に死ねる。

 だから追いつかれたら終わる。タイムリミットは刻一刻と迫ってる。


 だけど。


「何も思いつかん!」


 焦りからか、それとも元々思い浮かばないだけなのか。それはわからないけど、この状況下では致命的だ。

 こういうとき、走馬灯の中で打開策を探るんだろうけど、これは現実。


 都合の良い展開はやってこない。


「クソッ!」


 やけくそになって叫ぶ。体力的に限界だ。もう走れない。いつもだったら、もう止める。

 でも、足は動かすのを止めない。少しでも生存確率を上げるために。


 正直、諦めてはいる。自分でこの状況を打開できない。それがわかりきっているから。

 今、俺が何を思って走ってるのか。そんなもの、一つしかないだろ。


「死にたくない! まだ俺、死にたくない……!」


 それに、俺は現実世界に未練タラタラで、死ぬにも死にきれない……!


 それが俺の切実で純粋な願いだ。


 だからこそ、逃げてばかりじゃいられない。

 今までは辛い現実からは目を背けて逃げてきた。それで楽な道を歩むことができていたから。

 でもそれが叶わないなら、そうできるように行動しなければならない。


 俺は楽に生きられるように、危ない道を歩むこともいとわない。


 そっちの方がカッコいいよな、瑠美。


 だから――


「異世界かかってこいやぁぁぁあああああぁぁぁ――――ッッッ!」


 

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