第15話 その状態を、私たちは『真影(ゲンガー)』と呼んでいる

 満を持して開かれた割に、そこには再び通路が続いているだけだった。長く暗くそして冷たい廊下だ。生き物の気配はいまだ皆無。廊下の両サイドには番号の振られた病室が並ぶ。

「この隔離病塔は、『欠落(ミッシング)症候群(シンドローム)』の研究のためだけに、それに特化して、中央病塔から分離した施設なの」

 静かな廊下に、静かな声が響く。アカネは話しながら歩を進めた。

「あの人たち――アララギ騎士団の人たちは、影のことを何と呼んでいたかしら?」

 それをはじめに聞いたのは、芳川スイの口からだった。

「『生贄の山羊(スケープゴート)』だったかな」

「そう、それ。ひどい名前。私たち『羊飼いの杖(シェパーズ・クルーク)』は彼らのことを『彷徨える羊(ストレイシープ)』と呼んでいるわ」

「ほう……」

 なんだかおかしなことになってきた。同じ影のことを、あちらは『生贄の山羊』と呼び、こちらは『彷徨える羊』と呼ぶ。

「あの子たち――あの影たちは、もともと私たち人間と、一心同体だった」

 声のとげとげしい感じがなくなって、落ち着いた口調に戻る。

「あの、おとぎ話だね」

「そう。あなたはまだ信じていないだろうけれど、本当にそうだったのよ」

 ハルカが話してくれた、おとぎ話の概要を思い出す。

主人公は怪しげな男と契約し、自分の影と『幸運の金袋』を交換する。金には困らなくなったが、影がないために周囲から非難される。恋にも破れる。影を奪った悪魔は、影を返してほしければ魂をよこせと言う。主人公は絶望し、『幸運の金袋』も投げ捨ててしまって旅に出る……。

「あの子たちは、私たちの足元から切り離され、行き場をなくして、さまよっているの」

 アカネは慈しみをこめて「あの子たち」と口にする。僕にはそれをうまく理解することができない。影は恐ろしいものだ。現に僕らは襲われた。芳川スイは敵意を持って黒い影と対峙していた。

「あの子たちが、明確な意思を持って可視領域にやってくるのか……それは、私たちにもまだわからない。でも、彼らはおそらく、元の形、あるべきカタチに戻ろうとしてやってくる――」

 病室の番号は「11」。アカネはそのドアノブに手をかける。

「――でも、お互いにその方法がわからないのよ」

 小さな部屋にベッドが一台。部屋の向こうには窓があるが、カーテンが閉められていて、外を見ることはできない。

「母さん……」

 たしかにそのベッドには、女性が一人横たわっていた。間違いなく僕の母親の形をしている。クレイドルの中で見ていた、母親の形。しかし、なぜか自信が持てない。確信を得られない。

「那々生(ななお)ユウ。あなたのお母様で、まちがいない?」

「ああ、そのはずだ。母さん……」

「お話は、できないと思うわ」

 アカネが背後で言う。僕はベッドわきに立って母を覗き込む。五体満足でそこに横たわっている。『欠落症候群』に特化した隔離病塔にいるというから、何かそういった欠落があるのかと思っていたが、違うらしい。

僕が近づくと目を開けてこちらを見るが、その瞳に光はない。ぞっとするほどの暗闇だ。思わず目をそらす。

「肥大化した影は時に、自我を乗っ取ってしまう」

 たしかに母は生きている。しかし、魂という概念があるのだとすれば、それが欠落してしまっている。

「その状態を、私たちは『真影(ゲンガー)』と呼んでいる」

 真の影。ゲンガー。

「大人の姿を見たのは、私も彼女が初めて。私たち『羊飼いの杖(シェパーズクルーク)』がサルベージに成功した十一番目の大人」

「サルベージ?」

 本来の意味は、海難救助だったっけ。

「そう。大人たちはおそらく、この学区の外にいる。いえ、自分の意志でいるのではなく、その身体は囚われていると言った方が正しい」

 囚われている?

「おそらくは、クレイドルと同じようなものに入って、ずっと眠っている。意識だけは私たちのクレイドルと同期して、親としての役割を果たす」

 母は再び目を閉じてしまった。もう僕らには興味がなくなってしまったらしい。

「これは、治るのかな。つまり、元に戻るのだろうか……」

 答えはわかっていたが、思わず聞いてしまう。

「『欠落症候群』で失ったものを取り戻せた人がいないように、『真影』の状態から復帰した例も、未だないわ」

 予想通りの答えが返ってくる。しかし――

 ――なくしたもの、奪われたものを、取り戻したくはないかい?

そう聞かれたのは、つい数時間前のことだ。

「あの王様は、その方法を知っているのかな」

 アカネは怪訝な顔をする。

「彼が何を考えているのか、私たちにはわからない」

「そうか……」

 僕も、どこかおかしいとは思っていた。

「私たちの仲間に――さっき騎士団の目を欺いてくれた子なんだけれど――かつて騎士団に所属していた住(すめ)良(ら)木(ぎ)メイという子がいる」

「え……?」

 裏切者ということだろうか。

「その子からもたらされた情報によって、『羊飼いの杖』も悪魔と契約者の関係を知ることができたんだけど……」

 それはまた別の話らしく、アカネは話題をもとに戻す。

「騎士団内部の人間でも、直接王(キング)と相まみえる者はほとんどいないらしい」

「うん……そう言っていた」

 アカネは肩をすくめる。

「だから結論から言うと、あの王様の考えていることは、わからなかった。おそらく騎士団の団員も、各々の目的で影と戦っているだけ。それを、あの人の目的のために利用されているのか」

 たとえば芳川スイは、何のために王に従っているのだろう。

「奪われたものを取り戻す方法っていうのは……」

「わからない……あるのだとしてもそれは、『あの子たち』にとって危険な方法だと思う。私は信用していない。だからあなたがあちらに傾く前に引き留めたかった」

 あちらに傾く……僕が?

『欠落症候群』によって失ったものは返ってこない。それは自然の摂理のようなもので、あきらめるしかない。返ってこないのがわかっているから、失われたときに傷つかないよう、僕らはクレイドルの中に引きこもって、大事なものを作らないように、何でも代替品を用意できるように生きてきたのではなかったか?

 だから僕は――そうやって生きてきた僕は、失われたものを取り戻す方向には動かなかっただろう。そう、地下に降りて原初の槍なるものを手にするつもりは、あの時点でさらさらなかったのだ。

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