第14話 ようこそ、『羊飼いの杖(シェパーズ・クルーク)』へ

 電車の中? いや、モノレールの中だ。

 一本のレールをくわえた車体が、町の上をゆったり進む。曇天の隙間からか弱い夕日がいくつかの線になって降り注ぐ。

 車内には僕と、向かい合って鳶アカネが座っている。

 なにか象徴的な夢でも見ているのかと思ったが、どうやら現実らしい。身体の重みを感じる。遠く離れていた意識が戻ってくる。

「あ、気が付いた?」

 アカネは背筋を伸ばして座り、ボストンメガネの奥からじっとこちらを見ていた。見慣れた緋色のコート。モノレールの揺れに合わせて流れる髪。気絶した顔をずっと見られていたと思うと、少し恥ずかしい。

「無理にしゃべらなくても大丈夫。私の方は、だいたい把握しているから。騎士団のことも、ハルカさんのことも……」

 身をひるがえして窓の外を見る。眼下にはH市の街並みが広がる。そう遠くまで来たわけではなさそうだ。

モノレールはゆっくりと南へ向かっているようだった。

「手荒なことをしてごめんなさい。緊急事態だったの」

 か細い夕日に揺らめく水面。川を渡ると山際に五重塔が見える。H市内でも有名な寺社があるところだ。行ったことはないが知識として知っている。

 駅に停車する。誰も乗ってこない。アカネも動かない。ここは目的地ではないようだ。

 僕はどこに向かっているのだろう?

 もしかしたら、今すぐ立ち上がってモノレールから降り、家に帰った方がよいのではないか。先ほどアカネは「手荒なこと」と言った。細身の少女に似つかわしくない言葉。芳川スイには似合うが、鳶アカネには似合わない。僕はもしかすると、今誘拐されているところなのだろうか? しかし何ら拘束はされていないし、アカネは向かいに座っていて、僕とはやや距離がある。車内には他に誰もいない。

 混乱しているうちに、ドアが閉まる。再びモノレールは動き始める。山間に進んでいく。この先には何があるのだったか。知識か記憶か、引き出そうとするが、出てこない。

「このモノレールの終着駅には、この国の医療機関にして研究機関、『二つの塔』があるわ」

 僕の思考を読んだのか、アカネがそのようなことを言う。


 もうすぐ五時です。ここから先は『大人の時間』です。良い子の皆さんは、速やかにハイブへ帰還し、クレイドルに入りましょう。繰り返します……


 日が暮れてしまって、窓の外は暗闇に沈む。車内アナウンスが夕方の五時を告げるが、鳶アカネは動じない。

やがて少し視界が開け、彼女の言う二つの塔が見えてくる。闇夜に浮かぶ二つの塔は、高さが違う。右手に見える塔は背が高く、左手に見える塔はずんぐりしていて、塔というよりは砦と呼んだ方がふさわしいかもしれない。

「僕らはそこに向かっているんだろうか」

「そうね」

「そうか」

 ふと思い出して、自分の首筋に触れる。何ともなっていない。気を失う直前、何か冷たいものが触れる感触がしたのだ。

「それはね、私が力を行使したの。まだ慣れてないから……痛かった?」

「いや、痛くはなかったけど……」

 アカネは自分の左腕をそっと抱くような仕草をした。左手は失われているので、仕草をするだけだ。本当に抱くことはできない。

「うーん、いろいろと説明がほしい」

「そうね。でも、『ある場所』に行かなければ、説明は完了しないわ。そこまでついてきてくれる?」

 視線はまっすぐに僕の目を捕らえる。どう考えてもそんな場合ではないのに、頬が赤くなるのを感じる。日は沈んでしまったので、夕日のせいにはできない。

「もしかすると」

「ん?」

 質問には答えず、こちらから切り出す。

「君も何かしらの組織に属しているのかな? 芳川スイがアララギ騎士団に所属していたように」

 沈黙。二つの塔が近づいてくる。

「そうね。私もある組織に所属している」

 やはり。

「そして君はその本拠地に僕を連れていく。そこには怪しい人がいて、僕に何かしらの協力を要請する。一方的に……」

 もう一度、沈黙。モノレールのスピードが落ちていく。終着駅が近い。

「半分は正しいけれど、半分は誤解ね。たしかにあなたにお願いしたい事はある。でも、お願いをするのは怪しい人ではなく、私自身よ――」

 モノレールが停車する。駅名は『中央病塔・隔離病塔』。

「――そして、これから行く場所で待っているのは……あなたに会わせたいのは、あなたのお母さんよ」



 ホームから階段で地上へ下る。改札は一つだけで、そこを出ると左右に通路がのびている。右手は中央病塔。左手は隔離病塔。小綺麗な案内板がそれを教えてくれる。アカネは迷わず左に進んだ。

 ここに母さんがいるというのか……半信半疑で彼女の後を追う。突如家から消えてしまった――あるいは、元から家になどいなかった僕の母親。

 塔と名がついてはいるものの、その実態は複数の建物の寄せ集めのようだった。駅から伸びてきた通路は枝分かれし、陸橋や渡り廊下となって各施設の入り口につながっている。大小さまざまな建物がごちゃごちゃと積み重なって、結果として塔としての形を成しているようだった。きちんと案内板のある分岐もあるし、どこへ通じているのか見当もつかない細い通路もある。

ほんのり茶色がかった長髪が二房、視線の先を揺れている。僕はのんきにも、学校の図書館へ向かうシーンを回想していた。あの時は、ハルカが隣にいた……。

「中央病塔は普通の医療機関だけれど、隔離病棟は特別」

 迷路のような通路を、しかし迷わず進みながら、アカネは話しはじめる。塔に外付けされた階段を上り、塔内の通路を横切り、今度は螺旋階段を上る。エレベーターやエスカレーターは無いのだろうか。すぐに息が上がってしまうが、アカネが何食わぬ顔で進んでいくので何も言えない。

「『欠落症候群』専門の研究機関――」

ここは、ともかく人気がなかった。改札を出てから、誰にも会わない。立ち止まった我々の目の前に、重厚な鉄の扉。研究機関とはいうけれど、その研究なるものをしているのは大人か、子どもか? 実体はあるのだろうか……?

「ようこそ、『羊飼いの杖(シェパーズ・クルーク)』へ」

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