第13話 なくしたもの、奪われたものを、取り戻したくはないかい?

「あらら……ホントにどうしようもなく情けないわね。アタシが戻ってこなかったら、ここで一巻の終わりだったわよ」

 そんな乱暴な言葉とともに、乱暴に頬をたたかれ、意識が再起動する。

「寝たら死ぬと思って、そこで意識保ってなさい」

 そう言ったのは、もちろん芳川スイだ。視界に健康的なくるぶしとスニーカーが入ってくる。窓が開いている。寒い。そこから入ってきたのだろうか。

 携帯用のガス缶に器具を取り付けて、点火。小さい鍋に水を張って沸かす。部屋の隅には例の槍と、見たことのないリュックが置いてある。一度家に帰って取ってきたのだろうか。調理道具はそのリュックから出てきたようだった。クレイドルから出ると、こんなに不便な生活をしなければならないのか。

「ほら、ありがたく食べなさい」

「あちっ」

 押し付けられたカップには、鶏胸肉と豆のスープが入っていた。息を吹きかけて冷ましてから、一口。あたたかさが身体にしみこんでいくのがわかる。

「どう?」

 スイは僕に背を向けて、自分のスープをよそいながら聞いた。

「あたたかいよ。おいしい」

「そっか。ショウガ入れてあるんだよ。わかんないと思うけどさ」

 表情は見えないけれど、どこか嬉しそうなのが声からわかる。他人が料理をする姿を直接見るのも初めてなのだ。ショウガが入っているかどうかなんて、興味を持ったことがない。

「ほれ」

 折り畳みのフォークが飛んでくる。ナイフじゃなくてよかった。

「あ、ありがとう」

 フォークで肉を刺し、かじる。豆をすくって後から放り込む。

「それを食べたら、ちょっとアタシに付き合ってもらうからね」

 そこでようやく、スイがこちらを向く。

「何? 交換条件が……」

 思わず、手を止める。後出しとは卑怯な。

「ちょっとアララギ騎士団へ来てもらうだけよ。王(キング)がアンタに興味を持っていらっしゃるらしい……」

「キング……?」

 現代日本ではあまり自然に聞く言葉ではない。

「騎士団という名前だからね。仕えるべき王がいるのよ。アタシみたいな下っ端は会ったこともないけど……」

 巻き込まれたくないという気持ちが沸き起こる……が、スープを食す手を止めることはできない。

「はっきり言って、得体のしれない組織の本拠地に連れていかれるというのは、気分的には良くないな」

「命の恩人に口答えするの?」

「ぐぬぬ」

「正直なところ、アンタを連れて行って何が起こるのか、それはわからない。でも、命はアタシが保証してあげる」

 スイの視線が部屋の隅の槍へ移る。たしかに芳川スイは一度ならず二度までも僕を助けてくれた。信用するに足る根拠と言える。



 アララギ騎士団の本陣はH市本町にあった。那々生家からも徒歩十五分と近い。ただし学校とは反対側にあったため、ほとんど通りがかったことはなかった。かすかな記憶として、そのあたりに大きな古い屋敷があったな……というくらいの認識だ。

 政府公認の組織ではない――有体に言うと秘密結社ということらしいが、まったく隠れるつもりもない様子で、それはそこにあった。スイによると、建物自体は百五十年前からそこにあるらしい。

 塀に囲まれた屋敷。門をくぐると一階建ての木造建築が現れる。屋敷に至るまでの道は白い砂利が敷き詰められている。ほとんど庭らしい庭を見たことのない僕ですら、それが手入れの行き届いたものとわかる。梅や松。日光がさほど差し込むわけでもないのに、それなりに立派なものが植わっている。

 屋敷へ正面から足を踏み入れると、十畳の玄関の間。そこで長身の男が我々の到着を待っていた。

「お待たせしてすいません、梧桐(ごとう)さん」

 かの大男の名は梧桐タツキという。スイから後程聞いた話だ。彼女の師匠にあたるらしい。ボサボサに伸びた後ろの髪を乱雑に一つにまとめている。無精ひげでずいぶんと老けた印象を受けるが、今ここに実体として存在しているということは、彼もまだ子どもであるはず。僕らより一つ二つ年上といったところだろうか。いろいろと綺麗に処理すれば整った顔立ちをしているのだと思われるが、あまり本人に興味は無さそうだ。

「ほう、君が那々生カナタくんか」

「は、はい。どうもこんにちは」

 梧桐さんは目を細めて微笑む。長身を少しかがめて僕の顔を覗き込む。少し怖い。

「まぁいっか。俺が興味を持っても仕方がない」

 すっと顔が高い位置に戻る。表情も真顔に。

「上段の間で王がお待ちだ。今日の俺は案内係に過ぎない」

 彼はそう言って、入って右手のふすまを開ける。そこはまだ六畳の控えの間。

「この先に進めば、上段の間につながる中廊下だ。そこで待ちなさい。王(キング)の声が聞こえるはずだ。話はそこで聞くこと。上段の間に入ることは許されない」

 事務的な説明が続く。

「アタシたちも、王に直接会ったことはないの。王に謁見できるのは七本槍の頂点である団長だけ」

 スイが補足。ちょっと新しい用語が出てきたのでかえってややこしくなってしまうが。

「そこまで行ってしまうと、アタシも命の保証ができないわ」

「え……」

 約束が違うじゃないか、と思ったものの、梧桐さんがすぐそこにいる手前、咄嗟に言葉が出ない。

「こらこら、客人を怯えさせるんじゃないよ」

 目の前の襖の先に何があるのか、王(キング)とは何者なのか。わからないことは怖いことだ。

「大丈夫。君は話を聞くだけさ。そして聞かれたことに答えるだけ」

 梧桐さんがにっこり笑って襖に手をかける。

「僕は命が惜しいので、勝手なことはしません」

 一応、あらかじめ宣言をしておく。はじめから、余計なことをする気はないのだ。手早く開放してもらって、僕は学校に行くつもりだ。まともな大人の――それこそPTAあたりの保護を受けるのだ。

「そうか、それは何より」

 梧桐さんが襖を開き、僕だけを前に押し出す。一人で行けということらしい。彼は本当にただの案内係に過ぎないようだ。



 暗い中廊下。襖一枚で隔てているだけなのに、背後の気配がシャットアウトされる。まだすぐそこに芳川スイと梧桐タツキがいるはずなのだが……。

 手を伸ばせば届くくらいのところに、次なる襖がある。この奥が上段の間ということらしい。

〈久しぶりだね、カナタ〉

 襖の向こうから、ぞっとするくらい優しい声が響いてくる。顔も見せない相手にそう声をかけられても、反応に困る。そして目の前の襖を開ければ命は無いという。いよいよどうすればいいのか。

「ど、どうも。お会いしたことがあるのであれば、お久しぶりです」

 王というくらいの人物なので、無言もいけないかと思い、どもりながらもあいさつをする。

〈ボクは君と会ったことがある。カナタは覚えていないだろうけれど〉

 ちょっとわけがわからない。部屋と部屋のはざま、中途半端なスペースで、前にも後ろにも進めず戸惑う。

〈大事なものをなくしてしまったようだね〉

 大事なもの? 大事な者。心当たりは、ある。ここ一週間で、やや強引に僕のスペースに入ってきた存在。三年ぶりの、双子の妹。

「僕は……」

〈時間は関係がないんだよ。血がつながっている、家族なんだからね〉

 思考を読んだかのようなセリフ。

「ちょっと意味が……」

 若い声のように聞こえるが、その実、気が遠くなるような年輪を重ねているような感じもする。

〈なくしたもの、奪われたものを、取り戻したくはないかい?〉

 ふいに力が入らなくなって、その場に膝をつく。廊下の木目が近づく。王なる人物の声を聞いていると、どこか不安になる。それでいて懐かしい。頭の中をかき回されるようで、気持ちが悪い。

〈ボクは取り戻したくって、その方法をずっと探している〉

 この人も何か、大事なものを奪われたのだろうか? 僕がなくしたもの、みんながなくしたもの。鳶アカネの左手、那々生ハルカ。そして、母さん……?

〈この学区(セカイ)にも一人、契約者がいる〉

「契約者?」

 突然のワードに間の抜けた復唱をしてしまう。

〈そう。悪魔との契約者だ。魂を売って自らの願いをかなえる〉

 不意に、あのおとぎ話の挿絵が思い出される。『幸運の金袋』と引き換えに、影を切り取られる男。切り取ったのは、灰色のスーツを着た悪魔。

「今、この世界がその状態だということですか?」

〈その通り。契約が完了すれば――つまり、契約者の願いが叶えられれば、悪魔は影だけでなくその魂をも手に入れる〉

「どうしてそんなことが――」

 ――わかるのか。そう言葉を発する前に、王は続ける。

〈芳川スイ。彼女が別の学区からやってきたという話は聞いたかな?〉

 そう。たしかに彼女は「本当は、この学区内の子どもではないの」と言っていた。

「はい」

〈彼女がもと居た学区はすでに無い。彼女が契約者を見つけたからだ〉

 ちょっと待ってくれ……。

「さっきから、何の話をしているんです? あまり僕とは関係ないような……」

 言いかけて、慌てて口をつぐむ。僕は黙って聞かれたことに答えるだけ。そうしなければ命の保証がないと、先ほど忠告されたばかりだった。

〈残念ながら、関係がある。君が望もうと望まなかろうとね〉

「…………」

 一度言葉を飲み込んで、押し黙る。

〈契約者は、その望みが叶えられるその日まで、契約したこと自体を忘却している。すなわち契約者は契約者であることの自覚がないのだ。それによって発見が困難になる〉

「契約者を発見すれば、何が起こるのですか?」

 先ほど彼は、芳川スイがもと居た学区はすでに無いと言った。

〈契約者が己の罪を自覚すれば、デストルドーが放出され、学区(オープン)開放(スクール)がなされる〉

「学区の開放……?」

 悪魔との契約者を発見して断罪すれば、世界は元に戻るのではないのか? と考えて、さらに疑問がわく。元に戻る……『元』ってなんだ? 我々の足元に影が伸びて、父さんも母さんも存在して、大人たちとともに暮らす世界。『欠落症候群』なんてなくて、何も失われない世界。クレイドルの中で、夢の中で見せられていた、世界。

〈芳川アオイ〉

 不意に、王が言う。スイではなく、アオイ。

〈それが、芳川スイがいた学区(セカイ)の、契約者の名前だ〉

「…………」

〈彼女は自分の弟が契約者であることを見抜いてしまった。そして芳川アオイ――彼女の弟は、自ら死を選んだ〉

 芳川スイ、彼女が必死に槍を振るうのは、ある種の贖罪なのだろうか。

〈契約者を見出すこと――学区(オープン)開放(スクール)は、根本的な解決にはならない。現に彼女だって、ボクが見出さなければ野垂れ死んでいるところだった……だからボクは、他の方法を模索している。その計画に、スイくんも賛同してくれたから、こうしてこの学区に来てくれたのさ〉

 他の方法。別の計画。契約者を断罪するのではない、世界の救い方。

〈君たちが学校で出会う大人たちは、基本的に悪魔の手先と考えてよいだろう。そして、切り取られた影、すなわち『生贄の山羊(スケープゴート)』も契約者の望みを叶えるために動く〉

 先生たちが、悪魔の手先? いつもホログラムで現れて授業をする、実体のあいまいな大人たち。

〈したがって、我々は影を狩り、契約の完了を遅らせることにした〉

 影が人間を襲って『欠落症候群』を引き起こすのは、契約者の望みを叶えるため? だとすると、鳶アカネの左手は……

〈『生贄の山羊(スケープゴート)』に触れることができる槍は、全部で七本。はじめの一本を原型(プロトタイプ)として作った。しかし量産は七本が限界だった〉

 スイの持っていた槍は何と言ったっけ……霹靂(へきれき)の槍(そう)『蒼(アオイ)』。アオイ、か。あのような槍が、他に六本ある。

 僕が口をはさむ余地はなく、王の話は続く。

〈影に触れることのできる七本の槍。しかしこれは、槍の本来の力をまだ引き出せていなかったんだ〉

 なんだか嫌な予感がする。この大人は僕に何かを要求している。

――スッ

 ふいに空気の流れが変わる。

 見ると、目の前の襖が開いていた。

「いや、僕は何も――」

〈わかっている。ボクが開けたんだ。こちらへおいで〉

 恐る恐る顔を上げる。暗いが、広い空間であることはわかる。一歩足を踏み入れる。畳の部屋だ。部屋の奥には簾。その向こう側に男が一人座っている。彼が王だと思われる。他には誰もいない……ように思われる。簾の向こうから襖を開けたのだろうか。そんな様子はない。実はオートマチックなのか。自動ドアならぬ自動襖。

 暗さに目が慣れてくる。正方形の部屋。ざっと見て十二・五畳。正確には、目視で数えられる畳は十二畳である。〇.五畳分の空間――部屋の中央に、暗い穴が空いている。

〈開闢(かいびゃく)の槍(そう)『鎗(ヤリ)』〉

 簾の奥から声が響く。

〈第一の槍にして七本槍のプロトタイプ。それが地下に眠っている〉

 部屋の中央にぽっかり口を開けた暗闇。寒気が立ち上る。

〈カナタ。君がその槍を手にするのだ〉

 嫌な予感が的中する。

「なぜ、僕なんです?」

〈君は選ばれし者(トリックスター)だ。君にしかできない〉

 それは答えになっていないし、僕は特に望んでいないので、勝手に選ばないでほしい。

「僕がそれを手にすると、何がどうなるっていうんです?」

〈君が原初の槍を手にすれば、どんな『生贄の山羊』にも負けない騎士となるだろう。影を根絶やしにしてしまえば、契約は完了されない。奪われたものも戻ってくる〉

 迷いのない即答。それはあらかじめ準備されていた答えではないのか?

〈さぁ――〉

「僕は――」

 その時、暗い空間に青白い光がさす。見れば、僕のポケットが光っている。

〈シュレミウムランプか……〉

 そう。制服のポケットに、それが入っていた。スイはシュレミウム濃度がどうのこうの言っていたが、この青い光は『アレ』が近くにいることを示しているのではなかったか……?

〈やつら、ここを嗅ぎつけたか。しかしこの屋敷には入れないはず……〉

 王の言葉が終わるか終わらないかのその刹那。

 僕のすぐ後ろに、それは現れる。

 影? いや、違う。ヒトだ。つい最近かいだことのある匂い。古い、紙のにおい……?

 振り返る暇は与えられない。首筋に何か冷たいものが触れる。血管が急激に収縮し、気が遠くなる。

〈羊飼い(シェパード)……か。外の騎士たちはどうした?〉

「仲間が戦っている。でも、用が済んだら引き上げるわ」

 少女の声が答える。少女の左手には、何か武器のようなものが……。確認しようにも、意識が遠のいていく。

 ぼやける視界の端、簾の向こうで王のシルエットが立ち上がる。

〈カナタ。君はいずれまた、ここに来るだろう。それは避けられないことだ。その時にまた、応えを聞かせておくれ――〉

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