第11話 死後の世界を知る生者がいないように、放課後の世界を知る子どもはいない
放課後、下校時刻を過ぎたら子どもたちはハイブに戻り、クレイドルに入る。日が暮れてからは『大人の時間』であって、子どもたちはその時が来るまで――大人になるまで、真の放課後を目にすることはできない。子どもが放課後にクレイドルの外を放浪することは死と同義である。死後の世界を知る生者がいないように、放課後の世界を知る子どもはいない。死人はしゃべらないからだ。
「これが、本当の放課後よ」
スイが示した先を見る。子どもたちはそれぞれの巣箱(ハイブ)でおとなしく眠っている。町を歩くのは影。無数の影が彷徨い歩く。
「なんだ、これ……」
放課後は大人の世界だと聞いていた。昼間、僕たちを教え導いてくれる大人たちが、僕らと入れ替わりにクレイドルから出てきて、生活をする時間。
子どもにはまだ早い。大人になってからの時間……。
「大人なんて、いないじゃないか」
「そう。大人なんて、とっくにいないの。いるのは奴らだけ」
スケープゴート。生贄の山羊。スイはあの影をそう呼んでいた。
「とっくに脳みそも肉体も失って、さまようことしかできない。クレイドルの中でおとなしくしていれば、直接出会うことなんてない。けれど稀に、奴らが人間と接触することがある。すると人間の肉体は、いくらか持っていかれる」
「『欠落症候群』……」
「そういうこと」
僕はフラフラと家の中に戻り、クレイドルの中へ引きこもった。しかし、僕のクレイドルはもはやその機能を失い、ただの卵の殻と化していた。帰ったら家が消失していたかのような、それくらいの喪失感。絶望。
「どうしてくれるんだ。僕のクレイドルを壊しやがって!」
「…………」
僕の完全な八つ当たりに、スイは応えない。蔑むでもなく、憐れむでもなく、ただ目をそらした。
スイがひっくり返した拍子にLULLケーブルはちぎれ、修復不可能となっていた。ハルカのクレイドルは部屋にあったが、IDを書き換えるには政府ないしPTAの承認が必要だ。今、そこまでする気にはならなかった。
僕はクレイドルだったはずの箱の中で膝を抱えて震えていた。もう母の声も聞こえなかった。
だから嫌だったんだ、だから嫌だったんだ、だから嫌だったんだ。
変化が嫌だ。
大事なものができるのが嫌だ。
どうせ奪われてしまう。最初から頑張らなければ、奪われてこんな気持ちになることもない。どうしてそれがわからないんだ。
「アタシはある組織に所属している――そして本当は、この学区内の子どもではないの。中学入学から、うまく紛れ込んだ……」
僕が促したわけではないけれど、彼女は身の上を話し始めた。
「君も転校生ということ?」
「うーん、どうだろう。ある意味そうかもしれない。ある人物の手引きで、アタシはこの学区へ潜入した」
くすんだ青色の槍を手に取る。
「太陽をよく浴びて育ったイチイの木からつくられる柄。そして、特殊な槍頭。この槍だけが『生贄の山羊』に接触することができる――」
――霹靂(へきれき)の槍(そう)『蒼(アオイ)』
彼女に与えられた槍は、その中の一本だった。
その槍を使って、ひそかに影を狩る集団があった。その名は『アララギ騎士団』。
スイはそのように語った。
「言い訳するわけじゃないんだけど――」
スイの声が聞こえる。
「――あの『生贄の山羊』はアンタをねらってきたものだと思っていた。でも、違ったようね」
「…………」
「アンタの妹、救えなくてゴメン」
「……僕には、妹なんていないんだ。いなかったはずだ」
そう。そもそもいなかったのだ。私立の女子中学校に進学して、都心の祖父母の元へ出ていった。本来ならこんなタイミングで戻ってくることは無かったのだ。悪い夢のようなもの。目が覚めたら、一週間前に戻っているはずだ。鳶アカネの左手も失われていない。転校生などやってこない。
スイは僕の声が聞こえているのかいないのか、話を続ける。
「鳶の時もそうだった。間に合わなくて、救えなかった。毎晩このあたりを見回っているのよ。こう見えて、真面目に」
自嘲気味に、笑う。
「今のアタシの力では、ふりかかる火の粉全てを振り払うことはできない。でも、今回はできる……はずだったんだけど」
君は立派だよ。僕たちが安全なところで眠っている間にこの暗闇をパトロールして……そういう物語のヒーローみたいだ。あまりにもたくましく、まぶしい。だから僕の前から消えてほしい。自分がどんどん情けなく見えてくる。どこかへ行ってくれ。
「じゃあ、アタシは騎士団に戻るわ。今回の件を報告しないと」
僕の願いが通じたのか、スイは槍を手に持って、僕に背を向けた。
「その気になったら、アンタも騎士団においで。奴らを見ることができる目は貴重よ」
こちらに顔は向けない。
「普通なら、見えないうちに、気が付かないうちに奪われて、それで終わりなんだから」
その方がいいじゃないか。見えない方が、ずっといい。
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