第10話『生贄の山羊』――スケープゴート――

 那々生ハルカがH市に戻ってきて一週間ほど経過したことになる。

 那々生ハルカ。三年間離れて暮らした、僕の双子の妹。

穏やかな日常――昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続くことをただ祈る僕にとっては、秘密を持ち続ける妹の存在は、不安の材料でしかない。

しかしたった一週間で彼女は僕の日常に再び溶け込んだ。多少は波打ったが、穏やかな日々に戻りつつある。そう思っていた――


「シュレミウムランプは持った?」

 

突然の、母の声。

真夜中だった。クレイドルの外は真っ暗闇のはずだ。どうしてこんな時間に母の声が? 反射的に、声の命ずるままシュレミウムランプを手に握る。

ビィー、ビィー、ビィー

 ただの目覚ましではない。警報だ。クレイドルのセキュリティが作動している。

東興寺ショウとの会話を思い出す。僕のクレイドルのセキュリティレベルは標準。格納してある部屋に侵入者があれば警報が鳴る。つまり、僕の部屋に侵入者がいるということだ。

「いったい何だっていうんだ」

 寝ぼけたハルカがやってきたのだろうか? いや、ちがう。家(ハイブ)の中とはいえ、夜中にクレイドルの外に出るなんて自殺行為だ。何か良くないもの、僕の平穏を破る何かが近づいている。

 どうしたらいい? どうするんだっけ? クレイドルからの避難訓練なんて、真面目にやった覚えがない。そもそも、クレイドルの中が一番安全に違いないのだから。

 目の前にスイッチが現れている。

『迎撃システム』

 これだ。迷わずタッチ。侵入者に向かって電気ショック。

「んなことしてる場合か! とっとと出て来なさいよ!」

 侵入者の声。効いていないのか?

 ぐらり。

 視界が揺れる。僕のクレイドルが物理的に揺らされているのだ。横穴からクレイドルごと引きずり出される感覚。

「だ、誰だ? 何をするんだ!」

「アタシよ。芳川スイ。アンタの後ろの席の。そんなとこで引きこもってないで、とっとと出て来なさい! やられちゃうわよ」

「やられるって、何に?」

「いいから出ろ! 話はそれからよ」

 切羽詰まった声。クレイドルの膜越しだが、確かに後ろの席の乱暴者の声だとわかる。

「イヤだ! 面倒ごとに僕を巻き込むな! この中がいちばん安全なんだ!」

 子どもは『大人の時間(アフターファイブ)』にクレイドルの外にいてはいけない。それは絶対的なルールだ。小さなころは、「オオカミに食べられてしまうから」と教えられていた。それが子どもを騙す嘘だとわかってからも、あえてその禁を破ることはしなかった。知らない世界は怖い。ここから出たくない。動きたくない。

「ったく……軟弱モンがァ!」

 ぐるり。

 視界が反転する。そして僕の身体はクレイドルの外へ強制パージされる。なんという馬鹿力。彼女の細腕は、入っている僕ごとクレイドルをひっくり返してしまった。

 目の前には制服姿の芳川スイが仁王立ち。いつもと同じ姿をしてはいるが、何かがおかしい。手に、何か長い棒を持っている。先日の走高跳で使われたポールを思い浮かべるが、違う。そこまで長くはない。

 それは、槍だ。

 くすんだ青色の槍を、彼女は肩にかけて立っていた。

 スイの後ろにはハルカが、小さな体をさらに小さくして立っている。

「来たみたいね……ここじゃ槍を振るえない。外に出るわよ」

「来たって何が――」

 言いかけて、手元のシュレミウムランプが青く輝いていることに気が付く。とっくに電池切れで、行方不明の父親の形見くらいの意味しかなかったはずのランプが、輝いている。

「ずいぶん古そうだけど、アンタも持ってるのね」

 スイはそう言って、槍の柄に引っかけられた同様のランプをカランコロンと揺らす。

「シュレミウム濃度が高まっている。近いわね」

 窓を蹴破って外に出るスイ。僕とハルカは訳も分からずそれに続く。否、訳が分かっていないのは僕だけで、ハルカはわかっているのか……。

「どこに行くんだよ。まだ中に母さんが――」

「ハァ? この家には、アンタたち二人しかいないでしょうが――」

 ヒタヒタ。

 背筋が凍る。

 ヒタヒタヒタ。

 僕とスイのシュレミウムランプによって青く照らされた街路。人気はない。しかし確実に何かが近づいてくる気配。

 ヒタヒタヒタヒタ。

 暗闇をさらに濃くしたその何かは、ヒトのカタチを為す。ただし、頭からはゆるやかな曲線を描く山羊のような角が生えている。


「『生贄の山羊』――スケープゴートよ」


 芳川スイが『生贄の山羊(スケープゴート)』と呼称したそれは、いつの間にかそこに立っていた。

ヒタヒタという湿った足音がどこかズレて聞こえる。それは黒というより、色を持っていないようだった。光は吸収されてしまって、僕らの目はうまくとらえることができない。うまく視認することはできないが、たしかにそこにいることはわかる。

 ヒト型を保ってはいるが、角が重いのか、グッと背をかがめた猫背。腕は何かを求めているのか、人間のそれと比べると長く感じる。

「なんなんだよ、あれは」

「アンタ、見えるのね」

 この状態を見えると言っていいのかわからないが、その存在を確認することはできる。

「さまよえる影。子どもが夜にクレイドルの外を出歩いてはいけない理由――やつらは己の肉体を探している」

 スイが手に持った槍を中段に構える。

「アレには触らないように。触れた部分から喰われるわよ」

 欠落症候群。

 鳶アカネの奪われた左手。

 何かが頭の中でつながる。


「霹靂(へきれき)の槍(そう)『蒼(アオイ)』――」


 スイの声に呼応するかのように、槍の先が青く光る。二メートルほどのそれを、器用に体の周りでくねらせる。身体になじませるかのようだ。

 そして上段の構え。

 一突き。

 ほとんど予備動作なしに飛び出した突きを、その影はぐにゃりとかわす。人体ではありえない動きで胴体がねじ曲がり、槍の切っ先から逃れる。

「なんの」

 突き出した位置から方向転換。

そのまま薙ぐ。青い一閃が影を両断する。

僕の目は残像を追うことしかできない。

「チッ、浅いか」

 スイは不満げだ。

 視線の先。切り離された胴が地面に落ちると同時に、そのまま下半身と溶け合う。ズルズルと自分の下半身を這い上がって、上半身が元の位置に戻る。

「コイツ――ッ」

 影は槍を無視して僕とハルカに腕を伸ばす。

なんだ? アレの目的は僕らなのか? 

ハルカの小さな手が僕の腕をつかんだ。震えている。やめてくれ、僕にはどうにもできないんだ。僕に助けを求めないでくれ。

「無視してんじゃねぇ!」

 スイが槍の石突を地面に打ち付ける。青の閃光が飛び散り、敵の動きが鈍る。

 地面を一蹴り。青のきらめきが影を後ろから刺し貫く。


 ゴォアァァア嗚呼嗚呼アアアアアアあああああああああああああああ!


 地の底から響いてくるような悲鳴。おぞけが走る。

「くたばれェ!」

 スイが力任せに槍の切っ先を天に向ける。ヒト型の暗闇はのけぞって苦しむ。

 瞬間、飛び散るようにして、それは消える。

青の光も槍の中におさまっていく。

「やったのか?」

「いや、本物の太陽の光ではないから……。『不可視(インビジブル)領域(エリア)』に退去しただけよ。完全に滅した手ごたえはない」

 出てくる単語は意味不明で説明になっていないが、スイは僕の疑問に答える。

 とりあえずの危機は去った。そういう表情だと読み取ったのだが――


!あああああああああああああああアアアアアア呼嗚呼嗚アァァアォゴ


 ――反転。

 先ほど消えたはずの声が、地の底から反転して戻ってくる。

 スイはとっさに槍を構えなおすが、遅い。

 気配はスイのいる場所よりわずかに遠く、僕を挟んでその背後にあった。

「兄さ――」

 背後からハルカの声。しかし途中で切れてしまう。

 次の瞬間、僕の身体は前方に力強く押し出される。

 僕の腕を掴んでいた小さな力が消える。

 振り返るとそこにはもう、ハルカの姿はなかった。


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