第6話 二人で食べると、おいしいですね

「おかえりなさい、カナタ」

「母さん、どうして言ってくれないんだ」

「おかえりなさい、カナタ」

「ああうん、ただいま」

何はともあれ挨拶は大切だ。

「母さん、ハルカが急に戻ってきたよ。知っていたんだろ?」

 あらためて尋ねる。

「そりゃ知ってたけど、あなたがあわただしく出ていくから」

なるほど反省……いや、今朝言うつもりだったのかよ。それもどうかと思うが。

 ハルカが世話になっていたのは母の両親である。ここよりもっと都心にある大きな集合住宅を管理しているそうだ。僕は行ったこともないが、その一室をハルカは借りていたようだ。

「ご飯の前に宿題をやっちゃいなさいね」

 そう言って母の声は消える。いつもの決まり文句。いい加減小学生じゃないんだから、毎日言わないでくれと思う。

 母さんは何か聞いているのだろう。仲間外れは僕だけということだ。別段構わないけれど。



「あ、兄さん。さっきぶりです」

ミーティングルームを開くと、すぐに猪子田セイが現れる。待ち受けていたみたいだ。オンライン上でもトレードマークのヘアバンドは外さない。

「君の兄になった覚えはない」

「あんなかわいい妹がいるなんて聞いてないぜ」

「聞かれてないから、言ってない」

「俺だって知り合いみんなに美人の妹がいるかどうか聞いてまわったりはしない」

 そうなのか……。

「いやぁ、お近づきになりたいなぁ」

「勝手にしなよ」

「いや、兄さんの許可をいただかないと」

「別に要らないだろ。双子とはいえ、別の人格だ」

「そうか、なら猛アタックさせてもらうぜ」

「どうぞご自由に」

「あの子はきっと中身も清純で優しいんだろうなぁ」

 セイは明るく、そして熱い男だ。これから何かが起こるのだとしたら、主人公はきっと彼だ。僕には無理。平穏に、心騒がせずに一生を終えたい。

 今日はそもそも一日の始まりから心騒がされている。鳶アカネの左手。身を切るほどではないけれども、ふとした時に思い出して胸騒ぎがする。ある種の喪失感だろうか。失ったのは僕の左手ではない。たまたま近くにいた人の左手。恋人でもない。ただちょっと気になっていただけのクラスメイト。そう思うことにして、心を波打たせないようにする。実際のところそうなのだ。僕には出る幕もない。同情するほど親しくもない。

 そして、突然の転校生は双子の妹。彼女自身も母親も、僕には事情を話さない。女心は難しい。

「あ、やばい。オカンが来たので俺は宿題をやっているフリをしに戻るぜ」

 慌てた声。フリじゃなくてやればいいのに。

「猪子田セイは優しくて包容力のある男だってことを、よろしくお伝えください、兄さん」



 セイがミーティングルームから出ていくのとほぼ入れ替わりにアクセス。

「カナタに妹がいたなんて知らなかったよ」

 東興寺ショウ。彼となら冷静に話せそうだ。

「まぁ、言ってないからね」

 セイよりは付き合いの長いショウだが、特に兄弟姉妹の話をしたことはなかった気がする。

 ショウの考える時間。少し待つ。

「客観的に見て、君たちが瓜二つ……というようには見えない。二卵性双生児なのかな。男女の一卵性双生児はめったにないようだから、そうだと思うのだけれど」

 ショウが参照したフリー百科事典のページが共有される。

「君が言うならそうなんだろう。僕自身はあんまり興味がないから知らないけれど」

「ところで、君のお母様は彼女のことに関して何か言わなかったのかい?」

「何もなし。僕だけ仲間外れさ」

 再び思考のための沈黙。

「カナタはいったい何を心配しているんだい?」

「心配……?」

「声の調子がね」

 何だろう。僕は何かを心配しているのか。何かを恐れている。説明のつかない何かが起ころうとしていること。いつもと違う非日常を恐れている。

「先生も、PTAの許可は下りているって言っていたじゃないか。きっと、そんなに心配することではないんだよ」

「でも……」

「同居人が一人増えたとはいえ、小さな女の子だろう?」

「そうだね」

「カナタのクレイドル、セキュリティレベルはどうなっている?」

「どうって、中学生の標準レベルだよ。部屋に物理的な侵入者がいれば、警報が鳴る。僕がスイッチを押せば迎撃システムが作動する」

 平穏無事な生活を送ってきたから、未だ使用したことは無いが、そうであることは知っている。誰でも小学生の頃に教わる。

「その警報は、家族でも鳴るのかな?」

「もちろん。母さんだって、僕の部屋に直接入ったことはない。当たり前だろ?」

「なら、問題ないさ。稀にファミリーモードがオンになっている人もいるからね。確認したまでのこと」

「別に、妹に寝込みを襲われることは心配してないよ」

「そうか……む、そろそろ戻るよ。父が呼んでいる」

 ショウが退出する。彼の父はお坊さんで、ショウも普段から家の手伝いをしているそうだ。



「兄さん、兄さん!」

「何だい?」

 次の訪問者は那々生ハルカ。しばらく前から承認申請が来ていたのはわかっていたが、少し待ってもらっていた。

「あ、やっとつながりましたね」

「ちょっと男同士の話があってさ」

「いつも、放課後はそうなんですか?」

「そうって?」

「男同士の話」

「いつもじゃないけど」

 クレイドルの中では、本人がイメージしている動きや表情も見える。同じ学区内であれば、かなりスムーズなコミュニケーションができる。クレイドル外の会話の方がよほど不便だ。わざわざ物理的距離を歩いて、会いに行かないと話もできないわけだし。

「わたし、お腹がすきました」

 お腹に手を当てるジェスチャー付き。

「何か食べればいいじゃないか」

「だって、どこに何があるかわからないし……」

 どこに何があるか……? 一瞬、何を言っているのか理解できなくて思考停止。

「あぁ、そういうことか」

 チャンネル操作がわからないということらしい。

「食事をするなら、ミーティングルームじゃなくてダイニングルームに移動しなくちゃ。デフォルトはミーティングルームになっているから、切り替えがわからなかったんだね」

 まったく世話の焼ける……と思いつつ、チャンネルの切り替え方を教える。そんなに難しいことではなかろうに。

「じゃ、そういうことだから」

「え、と……」

 なぜかもじもじするハルカ。お腹が減っているのではないのか?

「どうした?」

「あの、兄さんも一緒に食べませんか?」

「一緒にって、食事を?」

「ええ。きょうだいなので」

 家族で一緒に食事をするなんて、何時代の考え方だろう。そういった文化もあると聞いたことはあったけれども。祖父さんと祖母さんの世代はそうなのかもしれない。

「まぁ、いいよ。じゃあ僕のダイニングルームにアクセスして。許可するから」

 チャンネル切り替え。ダイニングテーブルが現れて、向かいにハルカがやってくる。

「僕はポークソテーにするよ。ハルカは?」

「わたしも同じものを」

 即答。テーブルに二人前のポークソテーが出現する。僕たちはLULLケーブルを通ってやってくるその料理を経口摂取しているに過ぎない。したがって僕は、ポークソテーが豚の肉であることは知っているし、豚がどういう動物かも知っているけれど、この料理がどうやって作られるものなのかは想像もつかないし、気にしたこともない。

「いただきます!」

「……いただきます」

 いつ食べたって、同じ料理は同じ味。クレイドル内の食事は趣味のようなもので、別に口を動かして食べる意味だって本当はほとんどない。

「二人で食べると、おいしいですね」

「そうか? いつもと同じだけれど」

 自分で思っている以上に冷たい言い方になってしまったかな、と思ったが、ハルカはニコニコと食べ進める。気にした様子はない。少なくとも、イメージ上の、僕に見えている彼女は。



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