第5話 兄さんも一緒に入りませんか?
うっかり忘れていた、という前言は撤回する。僕にはたしかに妹がいた。僕とは違って私立の女子中学校に進学するということで三年前、都心に住む祖父母の家に預けられたのだった。それがどうして、兄である僕に知らせることもなくこの学校へわざわざ編入してくるのか……。特に仲良しの双子というわけでもなかったので、この三年間ろくに連絡を取り合うこともなかったが、そのくらいの連絡はくれてもいいのでは?
「席は……お、ちょうど兄貴の隣が空いているな。あそこだ」
名方先生が僕の右隣を指で示す。
「ここは、千草園くんの席では……」
「ああ大丈夫。彼はもう、ここには出席しないよ」
「あ、そうですか……」
少女はトコトコ歩いてきて、僕の隣の席に着く。セイがじろじろ眺めるが、気にしてはいないようだった。気が付いていないのかもしれない。
「ということで、那々生。あとはよろしくな」
名方先生は僕に向かってそんなことを言う。
「ちょっと待ってください。何をよろしくたのまれたんですか?」
「何をって、何もかもだよ。彼女のクレイドルはもう君の家にとどいているはずだ」
「聞いてないですよ……」
こんなドッキリ、本当に聞いていない。母さんは知っていたのだろうか。
「そりゃおかしいな……でもまぁいい。すでにPTAの許可は下りている。何も心配することはないさ。ハルカくんを連れて家に帰れば、それでとりあえずのところ、今日は何も問題はない」
それだけ言って名方先生は消えてしまう。これにてホームルーム終了。いつも大人は一方的で、説明が足りない。
PTAというのは、どこの学校にもあると思うが、ペアレンツ&ティーチャーズアソシエーションの略称だ。学校においてはPTAの決定が絶対である。
「えーっと、じゃあ、帰ろうか……で、いいのかな?」
「はいッ。兄さん」
兄さん……ね。
「いったい何から聞けばいいのだろう」
帰り道。坂上通の急な坂道を下りながら、考える。
「別に聞くことなんてないじゃないですか。かわいい妹が帰ってきた。それだけのことです」
声は後ろから聞こえる。僕の一歩は彼女の一・五歩といったところか。
「かわいい?」
「どうして疑問符を付けるんです?」
本当のところは、疑問符など付ける余地はなかった。中学の三年間。すなわち十三から十五歳への成長は、きっと毎日見ていれば気が付かないようなものなのだろうけれど、こうして三年越しに見れば大いなる進化だ。有体に言えば、大人っぽくなった。
「前の学校で、何かあったのかい? そのまま高等部に進むんじゃなかったの?」
「???」
いや、首を傾げられても。
「まぁいっか。追々話してもらえれば」
事前連絡もなしに帰ってきたのだ。何か兄にも言いづらいようなことがあるのだろう。女子校だと、イジメなんかも陰湿そうだ。全くの偏見だけれど。
「そうですね。そのうちってことで。心配するような、深い事情はないですよ。むしろ、あまりに浅はかと言うか……」
「は?」
「いえ、何でもないです」
家に着くまでに、これ以上話は進まなかった。思い返せばこの三年間、ハルカの方から僕に連絡を寄越すことはついぞなかった。逆もしかりだが。母とは連絡を取っているのだろうと思って、あまり気にもしなかった。あんまり仲の良い双子というのもかえって恥ずかしいから、そういうポーズをとっていたのかもしれない。
先生の言っていた通り、ハルカのためのクレイドルが玄関前に届けられていた。三年前にここで彼女が使っていたクレイドルはすでに破棄されている。使わないクレイドルを放置するのは防犯上よくないからだ。
とりあえず二人がかりで空き部屋に運ぶ。どの家庭でもそうだと思うが、空き部屋には事欠かなかった。基本的に家、部屋、というのは自分用のクレイドルを保管するためのシェルターの役割でしかない。外観や場所にこだわる人はほとんどいないし、僕だって那々生に与えられた家(ハイブ)がここにあったから惰性でここに帰って来るというだけで、特に思い入れのあるものでもない。したがって、三年前にハルカが使っていた思い入れのある部屋、なんていうものも存在しない。クレイドルが収納できさえすれば、外側なんてどうだってかまわないのだ。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
声は後ろから。
「いや、君に言ったんじゃないんだ」
「ハルカ」
なぜかむぅっと膨れる。呼び方のせいか。たしかに「君」というのはいささか他人行儀が過ぎるかもしれない。
「ハルカに言ったんじゃないんだ」
「では誰に?」
「誰って、家の中にいる人に言うものだろ」
しかし家の中から返事はない。少し恥ずかしくなる。
「ほら、そっち持って」
クレイドルを運び入れる。万能のパーソナルスペースにしては、軽量である。ただし基本的には卵のような流線形のデザインなので持ちづらさは否めない。
空き部屋の片隅にクレイドルを安置し、卵の腹の下あたりをコツコツたたく。中からLULLコードが出てくる。部屋の使っていないABYジャックに差し込み、準備完了。これで中に入れば、死ぬまで生きられる。
「できたよ。接続ははじめて見た? でもカンタンだろ」
部屋に入ったところで、ぼんやり僕の作業を見るだけだったハルカに声をかける。
「え、あ、はい」
なぜか頬を赤らめる。
「何か変だったか?」
「いえ、なんだか懐かしい感じがして」
僕らは双子だけれど、タッチの差で遅く生まれてきたハルカは、どことなく頼りなく、か弱かった。僕が先を歩き、彼女が少し後ろをついてくる。そんな幼少期だった。
「まぁ、とにかく入ってみなよ。祖父さん祖母さんの家とは勝手が違うかもしれない」
彼女がクレイドルの前に立つと、クレイドルのセンサーが反応してカバー部分が消える。さすがPTAの承認済みということだけあって、きちんとIDも認証されている。
じゃあね、と部屋を出ようとした僕の腕を、ハルカがつかむ。
「ちょ、ちょっと待ってください。兄さんも一緒に入りませんか?」
「なッ……」
「だって、初めての設定で、何かあったら怖いし」
呆気にとられる。わざと言っているのか?
「そんなこと、兄妹(きょうだい)でできるわけないだろ!」
ポカンとするハルカを見て、我に返る。この子は本当に何もわかっていないらしい。一人で取り乱してしまって恥ずかしい。
「うぅ……」
小動物のように震える手。
「仕方ない、しばらく近くにいてやるから。とりあえず入ってごらん。大丈夫。どこで接続したって変わりやしないさ」
「はいッ」
ハルカがクレイドルの中に横たわると、全体が彼女の小柄なサイズにアジャストされる。中に眠る人間の、もっとも心地の良い大きさに伸び縮みするのだ。そしてゆっくり幕が下りるように、再びカバーが出現する。ネットワーク接続も特に問題なく完了。
人間を格納したクレイドルは、部屋の壁に開いた六角形の穴に吸い込まれていく。
もうすぐ五時です。ここから先は『大人の時間』です。良い子の皆さんは、速やかにハイブへ帰還し、クレイドルに入りましょう。繰り返します……
聞きなれたアナウンスがクラシック音楽とともに流れる。やれやれだ。僕も急いでクレイドルに戻らないと、すぐに『大人の時間(アフターファイブ)』になってしまう。
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