第33話 田代峠 実録・日本のエリア51 ②

 田代峠と航空機墜落事故


 1968年(昭和43年)1月17日。

 松島基地所属の戦闘機が田代峠に墜落した。

 この紙西一等空尉搭乗機の墜落状況が、ジェット機事故特有の爆発炎上等もなく奇妙で不可解な為、UFOと交戦した、何かしらの力で地表に引き込まれた等の憶測が生まれ、ここが起点となり噂が増殖していく。


 事故当日。同機は雲上で編隊長機と空中戦闘訓練中、急降下して雲中に突入後、当事故に遭われたとみられる。

(東京地方裁判所 昭和53年(ワ)2927号 判決)


 奥羽山脈上空では幅広い高度で乱気流が観測されている。

 田代峠付近の山々はそう高い山ではないが、冬季は下ろし風が吹き荒れる為、山岳波が発生し、機体が気流の乱れに飲まれて墜落した可能性もある。

 地表はかなり積雪しており、クッションの役目をしたとも考えられる。

 現場は数本の樹木が倒れており、機体は左翼が外れて墜落。左翼はそこから離れた場所で発見されている。

 パイロットとエンジンは機体から飛び出る形となり、機体前方の位置で1ヶ月後の2月17日、松島基地雪中野外行動訓練の最中に発見され、殉職が確認された。

 墜落事件当時は猛吹雪であり、救助活動は難航を極めたという。


 戦時中の墜落事故に関してだが、もしこれが事実であるならば、墜落機の一式陸攻捜索に出向く兵士を目撃した住民の噂が、山深い田代峠内部に秘密基地があるとの噂へ発展した可能性も考えられる。


 また、田代峠から連なって南に位置する奥羽山脈蔵王には、旧日本陸軍の秘密軍事研究施設が存在した。

 太平洋戦争が始まった1941年(昭和16年)。

 旧日本陸軍気象部は、寒冷地での軍用機墜落防止に関する研究を開始。蔵王小屋を拠点として着氷の研究や実験を始めている。


 太平洋戦争末期。

 山形県山形市では「日本飛行機」(日飛、にっぴ)の山形工場があり、ドイツ空軍機メッサーシュミットを模した日本初ロケット戦闘機、秋水が製造され、量産1号機と試作機2機を格納していたとされる。


 ロケット戦闘機秋水開発には本土防衛の決戦兵器という事もあり、それまで反目していた旧陸軍と旧海軍が協力して共同開発していた。


『金星発動機五十二型昭和十九年三菱航空機株式会社』


 高橋コウ(邦安氏)の手記にて、まるでドラッグ体験のような、サイケデリックトリップした幻視幻覚症状にも似た遭難状況の中、大洞窟内で見つけたという合金属板。

 そして1985年の塩野氏の調査レポートに見られる洞窟内の桜花に似た謎のロケット戦闘機とナチスドイツ製UFO、ハウニヴのような円盤型の機体。


 結論から言えば高橋氏の手記も塩野氏のレポートも創造の産物の可能性が高い。

 高橋氏は山形県最上町出身でもあり、旧日本軍の飛行場の歴史も知り得ていた可能性もあれば、戦時中における軍の動向や逸話も伝聞として耳にしていたのではないかとも考えられる。70年代SF映画や特撮映像、UFOオカルトブームの影響も多分にあっただろうと推察できる。

 手記にある捜索部隊消失と自衛隊ヘリ消失の件は、これがもし現実ならば、より大騒動となっていただろうし後世でも語り草になっていただろう。

(1939年12月、中国軍将兵集団失踪事件をモデルとしたのかもしれない)


 ただし、田代峠で行方不明となったのは事実であり(手記には息子と二人とあるが実際は邦安氏一人)、山奥で一人遭難した極限の精神状態の中、錯綜した記憶が呼び起こされ、幻視幻覚に結び付けられた産物なのかもしれない。


 1983年に遭難された佐藤カツエさんに関しても極限状態における幻覚の可能性があると思われる。


 塩野レポートに関しては、高橋氏の手記に基づいて、80年代SFや放映されていたオカルトエンターテイメントを絡ませて発展させた完全なる創造だと思っている。だがしかし、塩野氏もその後の消息が途絶えている。


 田代峠に存在するといわれる多くの人工的な洞窟。

 宮城県側加美町には宮崎鉱山が存在し、田代まで広範囲に採掘していたようであり、その坑道跡群の一つと考えられる。

 廃棄された坑道群は今や自然に戻り、藪に覆われている。

 その鉱山では石膏やマンガンを採掘していた。

 山形県側最上町でも金属鉱山は多数存在しており、試掘跡や廃棄された坑道跡がいくつかあったとしてもおかしくはない。


 高橋氏(手記に登場する息子さんも他界されている)と塩野氏、両者がおられない事が本当に悔やまれてならない。

 田代峠の謎は未だ残されたままである。


 奥羽山脈は下ろし風による山岳波で乱気流が発生するため、注意を要する空域であるとともに、田代峠上空は航空自衛隊のコリドー(飛行空域)となっている。

 宮城県上空に現れた白い球体事件は本来なら国防を揺るがす事態にも関わらず、スクランブルもなく米軍もアナウンスなしという事は、日本政府も米軍も正体を知っていた事になる。


 1945年3月10日未明。

 東京大空襲の日。 奥羽山脈蔵王の不忘山 ( ふぼうさん ) に米軍のB29爆撃機3機が相次いで墜落した謎の事故があった。


 2機はグアムから山形方面へ、もう1機は爆撃からの帰還途中だったといわれている。


 山形方面へ向かっていたとされる1・2番機は山形市を爆撃目標にしていたのだろうか。残骸の中に、山形市に赤丸の付いた地図があった、との証言がある。


 墜落したB29は日本飛行機山形工場、ロケット戦闘機秋水の工場を狙っていたのではないかと考えられる。


 鳥海月山両所宮の敷地内、弁天池の傍らに飛行機神社(別名日飛神社)がある。それは元々日本飛行機敷地内にあり、その場所から移転した。


 航空機関連にまつわる話で、完全な余談なのだがこのような話を耳にした事がある。


 …石巻市。

 数ヶ月前からギャンブルやパチンコで負けた事がない男性がいた。

 とにもかくにも賭け事で勝ち続けているという。

 特にパチンコは毎回の如くフィーバーを起こしているのを見たと聞いている。

 その男性が乗った飛行機が山に墜落した。

 目撃者が言うにはまるで山に吸い込まれるように激突したとの証言がある。

 どうやらギャンブルで運を使い果たしてしまったのではないか、との話を聞いた。


 ※T-2女川墜落事故。2000年(平成12年)3月22日に発生。

 松島基地、第4航空団所属のT-2練習機が訓練からの帰投中、山林に激突し墜落。


 操縦者は訓練学生A三等空尉(当時25歳)。単独飛行訓練中だった。

 その後、第4航空団は4か月後の7月にもブルーインパルス牡鹿半島墜落事故が発生。

 ともに女川原発周辺(10km圏内)での墜落事故だった。


《続》

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