第28話 駐車場の女

 ある年の冬の夜。

 東北地方の、とある商業施設駐車場での出来事。(詳細な場所はお店に迷惑をかけぬよう控えます。)


 師走に入り、年末の喧騒が始まって何かと慌ただしくなった頃の事です。

 その日、私は大掃除をこなし、夕刻も迫る時になってからようやく買い出しとコインランドリーへ向かう為に寒空の中、車を走らせました。

 東北の12月ですがまだ雪は降っておらず、天気も良かったと記憶しています。ですが最高気温が昼間でも一桁でかなり寒い日だったのも覚えています。


 目的地の商業施設は何年かほど前に新しく建てられたばかりで、大型のホームセンターや細々としたチェーン店、個人店舗も併設されて賑わっていました。その一角にコインランドリーがあります。

 車も五百台ほど停められる広大な駐車場は年末という事もあって人出が多く全て埋まる勢いで、その時は空きを見つけるのに四苦八苦しました。


 商業施設が出来る前、元々その土地は広々とした田畑でした。

 十字路を挟んで民家が立ち並び、ちょうど住宅と農地の境のような風景が広がっていたと思います。

 昔は道路に面した住宅の一角に駄菓子や生活雑貨等を扱う個人商店があり、何台かの自動販売機が設置されていました。

 今もその商店の建物はあるのですが廃墟と化しており、外壁に掲げられた看板に○○商店と塗装された文字も、もう読む事ができないほどに剥がれ落ちていて、長年放置されて朽ち果てて錆び付いた自動販売機は、撤去されずにそのまま野晒しにされている状態です。


 まだその自販機が稼働していた頃、そこの付近に住む友人と一緒にジュースを買った思い出が甦ると共に、何故そのまま建物は廃墟として残っているのだろうと思いました。

 地権者がうやむやになってしまったのか…、取り壊しに手をつけられないで年々朽ちていく個人商店の店舗と自販機に対比して、賑わいを見せる大型商業施設を眺めて、時代の流れだなあとしみじみ感じたのを思い出します。


 その時、車の中で考えに耽っていた理由は十五機あるコインランドリーが全て先客の洗濯物で埋まってしまっていたからで、車は駐車場にやっとこさ空きを見つけて停める事は出来たものの、買い出しを終えてもコインランドリーには空きはありませんでした。しかもどうやら私の前に待っている人が何人かいるような気配も察せられて。


 冬場は日が暮れるのも早く、空はもう暗くなっていました。

 今日は諦めるかと家に帰って夕飯を食べていたのですが、どうしても今日中に洗濯したいという思いが根強く、無人でもコインランドリーは夜中の2時まで開店しているのは知っていたため、我慢できずに再度洗濯物を積み込んで車を走らせて出掛けました。


 夜8時過ぎ頃だったと思います。

 まだ商業施設は開いていて夕方ほどの数ではありませんが客もまだ見えていました。駐車場は空いてきており、すぐに停める事が出来ました。ですがコインランドリーに空きはなかった。

 一台ぐらいは空いているだろうと一縷の望みを抱いていましたがその考えは甘かったです。

 買い物に出ているのか店舗内には人はおらず、洗濯中の機械だけが回っていました。表示されてる稼働時間はどれも仕上がるまでに3、40分はかかりそうでした。

 私は車に戻るとブランケットを羽織り、車内で待ちながらどうしたものかと考えましたが、ふと雑誌と温かい飲み物を買おうと思い立ち、付近のコンビニへと車を走らせました。

 車の気温計の表示を見ると外気温は氷点下を軽く下回っていたと思います。


 車を出てコンビニ店内に向かう時は吐息が白い煙を吐いているように見えるほど、外の空気は凍てついていました。こんな極寒の夜に失敗したなあと思いつつ店内をうろついていると後ろから、久しぶり!と声を掛けられたのです。

 振り向いて見るとこの付近に住む旧友でした。今や廃墟と化した商店の自販機で一緒にジュースを買った友人と本当に暫くぶりに顔を合わせたのです。

 あの時は嬉しかった。久しぶりの再会によもやま話で盛り上がり、コインランドリー待ちの事など話しているうち、何の気なしに廃墟の個人商店の思い出話になりました。


 あそこ幽霊出るよ


 そう、友人が言います。


 出るよ、というか、いるよ


 は?と、ちょっと驚いたのですが詳しく話を聞いてみる事にしました。


 あの廃墟の個人商店と商業施設のある十字路からは田園のある農地へまっすぐ続く道路が整備されているので、周辺の住民はペットの散歩やジョギングなどでよく通っていたそうです。ですが商業施設がオープンした年の冬。

 その年は例年になく記録的な積雪を観測した年でした。道路は圧雪状態でそれが凍結していた為、一台の大型貨物トレーラーがスリップを起こして歩道へ突っ込むという交通事故がありました。

 信号待ちをしていた人が巻き込まれて亡くなられたと記憶しています。その日は十字路が全面通行止めになり、かなりの混乱や渋滞があったので今でも覚えています。


 その交通事故以降、なにかしら異変が起きるようになったそうです。

 商業施設の広い駐車場の片隅に人が立っているという噂が出始めました。大きな店舗ですから客足も多く誰かしらはいつでも人がいるので当たり前だと思うのですが、その人は違うらしいのです。

 生気のない雰囲気で虚ろな表情をして駐車場にぼーっとただ突っ立っている。全体的にくすんだ灰色の人影らしい時もあればはっきりと見える時もある。ふと目を離すと消えている事もあったといいます。それは昼も夜も見えるのだそうです。

 ある人はその立っている人が廃墟の個人商店のほうをずっと見ていると言っていたといいます。いつも向いている方向の先に廃墟があると。そもそも交通事故があった現場は廃墟と化した個人商店の真ん前の道路でした。


 これは商業施設の駐車場の話ね、と、友人が言います。そしてまた別の話を聞かせてくれました。


 …もう一つあるの。あの十字路あるじゃない?。○○商店のとこ。あそこは散歩とか買い物行く時にどうしても通らなきゃならないんだけどさ、 ここら辺の人みんな言うのよね…なんか音が聞こえるって。信号待ちとかで立ってると何かをへし折るような気持ち悪い音がする時あるのよ。べきべきべきッて。ゴツッて鈍い音が響く時もある。ぼんって。急にだよ。ほんと耳に残る嫌な音で…周り見回しても木を切ってる訳でもないし。聞こえる時は昼夜関係なく年がら年中。昔あの商店、お婆さん1人でやってたけど亡くなってからずっとあの状態じゃない?。大きな事故もあったし、それ以外にも何度かちょっとした事故続いてるからねあの場所。だから成仏できずに何かいるんじゃないかって話があって。その不気味な音はうちの息子も何度か聞いてて…。


 あっ、息子と来てたんだったと友人は言うと立ち読みしながら待ちくたびれてる息子さんを連れて帰っていきました。

 帰り際に友人と連絡先を交換し、待たせてしまった息子さんにお詫びとしてジュースを何本か買って渡した後、私はコンビニを出てコインランドリーのほうへと再び戻ったのです。


 なんやかやで時刻は夜9時をとうにまわっていました。

 商業施設自体は閉店しており、数名の店員の方が外で店じまいの作業をしているのが見え、駐車場に残る車もぽつぽつと出ていく様子でした。

 肝心のコインランドリーはというと、店舗内で1人の方が洗濯物を取り出しているのが見え、機械のほうもやっと空きがあって、ようやく自分も洗濯が出来る時が参りました。

 洗濯物を機械へ放り込むと、仕上がるまで45分の表示が。なかには厚手の毛布もあり、2度目の乾燥を含めると全て終わるのに約1時間ほど待たねばなりません。

 帰りは11時頃になるかなあ…と、ぼんやり雑誌を眺め、ふと店内から外を見ると駐車場の外灯が一つ一つ消えていくのが見えます。

 洗濯の取り込みを終えた人も帰っていき、店内には私1人のみが残されました。

 しばらく雑誌を読んで待っていたのですが、急に寒さで身震いしたのを覚えています。

 店内は暖房がついているのですが節約のためか設定温度がやや低めで、客のほうで変えることも出来ないようでした。明らかに外気温の寒さに負けていたので一旦、車に戻って暖を取りながら待つことにしたのです。


 星空で風もありませんでしたが気温はどんどん下がり極寒の夜でした。

 耳を澄ましても聞こえるのは私の車のエンジン音とエアコンの音ぐらいで、とても静かな夜です。

 目の前には灯りのない広大な駐車場が拡がっていました。

 灯りはコインランドリー店舗から漏れる室内灯と遠くに見える道路の街灯、時折通りすぎる車のヘッドライトと微かな星の明かりのみ。

 目が段々と暗がりに馴れてきて、遠く十字路の方角を眺めると例の廃墟と化した商店の、屋根のシルエットが見えました。

 ふと、行ってみようかという考えがよぎり、私は車を動かしていました。


 駐車場を出て道路に出ると十字路へと向かいます。信号で止まるとすぐ側に街灯に照らされた商店の廃墟が見えました。手前に朽ち果てた自販機。少し眺めていましたが、友人が語っていた不気味な音などは聞こえず、遠くで通りすぎる車の音のみが聞こえました。ただ、割れた窓から見える店内の闇が、とても重たく感じたのを忘れる事ができません。

 眺めているとスッと店の中へ吸い込まれそうな感覚がしたので、急いで車を走らせてその場を離れ、別の進入口から商業施設の駐車場へ入るとコインランドリーの手前に戻って参りました。


 確かにあの廃墟ちょっと変な雰囲気はする…そう考えつつ、車もなく誰もいない暗く広い駐車場を眺めていた時、ほの暗い駐車場の端のほうで何かが動いているのに気づきました。暗がりの中を濃い影が動きまわる感じがして、何だろうとそれを目で追いました。

 暗い中を何かがくるくる回ってたんです。目を凝らして追っていると人影のようなものがくるくる回転しながらゆっくり移動しているようなんです。唖然としてしばらくそれを見ていました。でも瞬きしたか目をこすった瞬間だったか、見ていたそれを見失ったんです。すぐ見回して捜してみても何も動きは感じられませんでした。混乱して何度も何度も駐車場を見回している時に遠くで鳴き声みたいなのが聞こえたんです。最初、猫の鳴き声だと思ったんだ。でも違う。人の、女の声なんです。


 らぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁ


 何なんだと思いました。その歌声というか掛け声というかお経みたいな声が段々と近づいて来るんです。しゃがれたような、くぐもったような抑揚のない声のする方向をじっと見ていました。声に気を取られていると目の前の少し離れた所に何かがいるのに気づいたんです。

 見ると髪の長い女が空を見上げてくるくる回転していました。

 コインランドリー店舗の灯りに照らされたその女は、くすんだ青いワンピースから枯れ枝のような細い腕をだらしなく広げて、空を見上げて舌を垂れ出しながらくるくるくるくる素足のままで回転していました。それがラァラァラァラァと叫びながら私の車に突っ込んできたんです。ぶつかると思って目を閉じて顔をブランケットで覆いました。でもぶつかってない。衝突した音も聞こえない。消えたんです。目の前を見ました。涙で見にくかったですが目の前を確認しました。何もいないと思いました。でも気配がして横を見ると運転席のドアの側にその女がいてガラス越しに私を覗き込んでいました。生気のない灰色の顔で。斜視のようにずれた眼をして。唇をもごもごさせて何か呟いていました。


 何見てるの?ありがとぅ 何見てるの?ありがとぅ 何見てるの?ありがとぅ 何見てるの?ありがとぅ 何見てるの?ありがとぅ 何見てるの?


 車の側に立ってそう呟いていました。氷点下なのに白い息もしないで。

 私は震える手でシフトレバーをドライブに入れるとパーキングブレーキを外して車を発進させました。サイドミラーを覗くとあの女が遠退いていくのが見えました。


 らぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁラァラァラァラァラァラァラァラァラァラァ


 走っている車の側で急に声が響いてきたけど前だけを見てスピードを上げて駐車場を出ました。泣きながら家へ帰ったと思うのですがあまりそこの記憶はないです。

 コインランドリーに置きっぱなしにした洗濯物は朝に家族が取りに行ってくれました。


 それからしばらく経った後、連絡先を交換していた友人に、あの年末に起きた夜の事を話したのですが何か違うようなんです。

 友人が言うには十字路で交通事故に遭った人は若い男性の方で、その駐車場近辺に出没するのも若い男の霊だと。女の霊が出るなんて一度も聞いたことがないというんです。


 私が年末の夜に遭遇したあの女の人は、一体なんだったのでしょうか。


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