第16話 ヘルメット

 二十数年ほど前。


 ある病院で長期入院していた時の出来事。


 入院生活に慣れてきた頃、主治医からリハビリがてら歩く事をすすめられた。

 最初は病棟内を往復したりしていたが、それも飽きてしまい、中庭まで足を運ぶようになる。そこからあらためて病院の外観を見ると別棟がある事に気づいた。

 その別棟には渡り廊下でつながっている。

 気になって病院内の案内経路図を確認すると、その別棟内に図書館がある事が解り、退屈しのぎにそこへ向かう事にした。


 その日の午後。渡り廊下を進んで別棟を目指した。

 廊下は閑散としていて誰ともすれ違わない。

 誰も図書館を利用しないのかと思いつつ、渡り廊下を進みきると階段が目に見えた。

 立ち止まってあらためて周りを見渡してみても別棟に人の姿はない。確か図書館は2階だったと思い出し、階段を上がりはじめた。


 踊り場の壁に大きな姿見の鏡が備え付けられてある。

この鏡ずいぶん大きいなあと思いつつ足元に気を付けながら階段を上がっていると、2階から作業着の人が降りてくるのが鏡に映った。踊り場ですれ違うだろうと思い、こんにちはと声をかけた。

 踊り場には誰もいなかった。

 誰も階段を降りてきてはいなかった。鏡に映った姿では、ちょうど踊り場で鉢合わせするタイミングだったのだが、階段には自分一人しかいなかった。

 鏡を見ると自分しか映っていない。

 ちょっと足元を見た瞬間にでも2階へ戻っていったのだろうか、とも考えた。だが2階へ上がっても廊下には誰もいなかった。

 戻ろうかなと思ったのだが、目に入るすぐそこに図書館の名札が見えた。ここまで来たしちょっと覗いて見るかとドアに手をかけたが鍵が掛かっている。そしてガラス越しに中の様子を見ると、思い描いていた図書館とはかけ離れていた。そこは医学書関連の書籍を収納した資料室だった。それに気づいたらなんだか拍子抜けてしまい、すぐさま病棟へ戻ろうとした。


 階段踊り場の大きな鏡が再び見えてくる。

 その鏡の前に何かがあるのが見えた。半球の形のものがぽつんと床に落ちている。見るとそれは赤黒く塗れていた。ついさっき通った時は、そんなものはなかった。なんだろうと踊り場に差し掛かった時によく見た。赤黒い液体まみれのもの。血塗れのヘルメットだった。驚いて鼓動が速まった。気が動転してふと鏡に視線をやってしまった。


 2階の階段上に人がいる。

 作業着姿の人影がぼーっとこちらを見て立っていた。それがスッと消えた。すると自分のすぐ側を誰かが通る気配がした。


 むせ返るようなとても濃い血の匂いがした。


 ここにいてはいけないと感じ、急いで階段を降りると渡り廊下を戻って自分の病室へと逃げるように帰った。


 後日、看護師さんに踊り場について話を聞く機会があった。


 ―あの鏡の場所は昔からおかしい


 ―鏡の付近は何か出るから誰も通りたがらない


 ―夜勤の時は特に近づきたくない


 ―別棟への近道だからたまに通るけど、鏡は昼間でも不気味に感じる


 ―浮遊する髪の毛の塊に渡り廊下を追いかけられた人もいる


 ―改築の時に事故があって人が巻き込まれた


 あの踊り場と鏡に関してそのような事を話していた。


 昔、その病院では工事の際にガス爆発事故があり、作業員の方が巻き込まれて亡くなったという。


 その後、その病院にあった踊り場の大きな鏡は取り払われ、今はもうなくなったと聞いている。

ただ鏡を外した後も何かしらに遭遇する人はおり、昼間でも異様な雰囲気がするので現在でも踊り場付近には誰も近寄らないという。

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