第4話 猫の家

 M県K市


 猫好きのAさんはインターネットで猫の里親募集サイトに入り浸り、これから飼う愛猫を探していたという。


 数々の可愛らしい仔猫や保護された猫の画像の中から、何かしら惹かれる、どうしても飼いたくなった仔猫を見つけ、何度も画像を眺めながら紹介文をつぶさに読んでいた。


 その仔猫の飼い主はちょうど隣の市の人だった。不思議な縁を感じ、その仔猫の飼い主に即座に連絡を取ったという。


「私も猫が大好きなの、でもね、増えすぎちゃってね、それで、また生まれちゃってね」


 電話口で話した仔猫の飼い主は朗らかなおばさんだった。同じ猫好き同士で話が弾み、後日、仔猫を引き取りに向かったという。


 海岸が見えるほど海が近い場所にある一軒家。そこがおばさんの家だった。

 車を降りると家の中から猫の鳴き声がする。多数の鳴き声。飼い猫をあやしてるのか女の人の猫の鳴きマネも聞こえる。

 玄関脇の白い出窓から数匹の猫がAさんを見ていた。レースのカーテンにじゃれる仔猫もいる。

 たまらず駆け寄り出窓越しに猫達と戯れた。5、6匹ほどAさんに反応して出窓に集まってくる。猫の顔を眺めながらじゃれていると、その猫の塊の中に白い腕が見えた。猫が座った時の前足の格好を模した、細くて白い、女の子の腕だった。

 ハッとした瞬間に玄関が開き、おばさんが出てきて家の中へ招かれたという。


 玄関に入ると猫の匂いがした。奥へ続く廊下を仕切るように置かれた衝立てには猫の絵や小物が飾られてある。

 茶の間には先ほどの猫達のほかに数匹の仔猫もいて、お目当ての子も元気に鳴いていた。

 大好きな猫に囲まれ、可愛らしい仔猫を譲渡してもらえて上機嫌になり、おばさんとの談笑も弾んだ。


「今は9匹飼っているの、前はもっと沢山いたのよ、15匹くらいかな」


 お茶をいただき過ぎたのかAさんはトイレを借りたという。そこで気づいたのは廊下に置かれた大量の芳香剤だった。芳香剤の香りに紛れ、猫の匂いや糞尿の匂い、線香とお香の香りが廊下を満たしていた。猫の多頭飼いのお宅だから仕方ないかなとAさんは思った。


 トイレの入口に向かう時、白い猫が足元を駆けたように見え、猫ちゃん、と呼んだがどこにいったのか見失ってしまった。お座敷のほうへいったのかなと思いつつ、トイレに入った。


 用を済ませていると閉めたトイレのドアの外でカリカリカリカリと引っ掻く音がする。

 猫が悪戯していると思い、Aさんもドアをカリカリ引っ掻きはじめた。すると急にバンバン、とドアを手の平で叩く音がした。


 お手洗いを済ませトイレから出たがドアの前には猫も何もいない。茶の間のほうから猫達の鳴き声がする。

 ふと座敷へつながる廊下の奥のほうで白い動くものが見えた。


 大きな白いもの。


 茶の間へ戻る時、さっきは閉まっていたお座敷の襖が少し開いているのに気づいたという。

 悪いと思いつつ、Aさんはお座敷を覗き込んだ。薄暗がりの中、座敷の様子が見えた。

 奥の間の襖、座敷の内側は引き裂かれたかのようにずたぼろで薄茶色の内紙がはみ出して千切れていた。

 天井からは何か黒くて長いものが何本も何本も垂れ下がっている。

 よく見ると無数の蝿が纏わりついたハエ取りテープだった。

 干からびたような畳はあちこち食い千切られたようにほつれて、液体を撒き散らかしたような茶色い染みの跡が幾つもあった。

 畳の上には子供のおもちゃが散乱している。その薄暗い座敷の中を四つん這いの女の子がぐるぐると廻っていた。


 にゃー、にゃーと鳴きながら。



 Aさんは茶の間へ戻るとおばさんに

 お孫さんも猫が好きなんですねと聞いた。


「私はずっと一人なの、夫も子供もいないの、家族はこの猫達だけ、この子達が家族、大家族ようちは」

 おばさんは大笑いした。


 おいとましようとAさんは仔猫を入れたキャットケージを抱えると、玄関先でおばさんとお別れの挨拶をした。

 おばさんの背後の衝立ての後ろから髪の長い女の子が猫のように座り、じっと見ていた。

 複雑な思いでAさんは車へ戻った。

 家の中で多数の猫が鳴いている。それに混じって人の鳴き声も聞こえた。



 貰った仔猫も大きく育った、ある夜。

 Aさんがごろんとソファに寝そべっていると、猫がお腹の上に乗ってきてスフィンクスのように落ち着いた。すると猫は顔を上げ、一点を見つめながらそのまま微動だにしなくなったという。


 Aさんの頭のほうにはドアがあった。部屋のドアが半開きになっており、猫はどうやらそのドアの向こう側を見つめているようだった。

 どうしたの、と目の前で手の平をひらめかせても猫は動じない。Aさんは猫の顔を見つめた。すると猫の瞳に何かが写り込んだ。猫の瞳には半開きのドアが湾曲して写っていた。


 そのドア越しに白い人の顔のようなものが伸びてきて部屋の中を見回した。見たことがあるような無いような、そんな顔をしていた。部屋を見終えるとその顔はスーッと引っ込み、消えていった。


 猫の瞳に写っていたのは何だったのか、誰だったのかは結局解らなかったという。


 猫を譲ってもらったおばさんの家は東日本大震災の被害に遭われ、現在は失くなっている。

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