『彼女』
『彼女がUFOに拐われた。
まだはっきりと覚えているうちに、今日あったことを書き残しておこうと思う。
今日は彼女と買い物をし、レストランで食事をした。
いつも通りのデートだった。
それからふたりで家に帰る途中、暗い夜道で突然眩い光に包まれた。
その光は空から降ってきていて、昼間よりも明るいくらいの光量だった。
まるで真っ暗なステージにスポットライトが当たっているようだった。
その光は狙いをつけるように俺たちを照らしていた。
俺は咄嗟に彼女の手を握り、光から逃げようと、走りだした。
しかし、俺の手は上の方向に引っ張られた。
彼女が、宙に浮いていた。
光に吸い込まれていくようだった。
得体の知れない力が彼女だけを引っ張りあげようとしている。
俺は彼女の手を握ったままでいたから、何十センチかぶら下がった状態だったが、力が続かず、ついに手は離れてしまった。
強かに地面に背を打った。
彼女はどんどんと遠くなっていく。
やがて光は絞るように小さくなっていき、消えてしまった。
彼女と共に。
俺は突然の出来事に呆然としてしたが、現に彼女がいない。
眩い空からの光、人を吸い込んで消してしまうこと。
信じられないが、UFOの仕業に違いない。
もし違う、何らかの現象だとしても彼女が消えたことは事実だ。
俺は警察に通報した。
間もなくパトカーが数台到着し、俺は起こったことを細かく伝えた。
最初は誘拐事件として親身になって聞いていた警察も、俺の話を聞くうちに次第に怪訝な顔になり、まともに取り合ってくれなくなった。
しかし人が消えたことは事実であるため、俺は警察署に同行し、懸命に事情を説明した。
しかし警察の様子だと、真に受けてもらえたとは思えない。
誘拐現場に遭遇し、彼女を連れ去られたことで錯乱していると判断されたのだろう、朝になって俺は帰された。
誘拐事件として捜査するらしい。
しかし、俺が見たのは単なる誘拐ではない。
空に消えていく彼女を今も覚えている。
警察がどこまで頼りになるか分からないが、俺も彼女を捜す。
彼女がどこに居ようと絶対に諦めない』
俺は去年使っていた手帳に残されていた走り書きを読み終えると、思わず噴き出してしまった。
穏やかな春の日。
年度が変わるため手帳を買い換えたので、使っていた手帳を古物棚に仕舞う前に去年の出来事を振り返っていたのだ。
手帳のメモ欄に書き殴られた、妙な備忘録。
確かに俺の手帳だが、こんなことが起こった記憶も、書いた覚えも全くない。
俺の筆跡に似てはいるが、いつか飲みすぎた時にでもふざけて書いたのだろうか。
もしくは親しい誰かの悪戯か。
友人に悪戯好きは何人かいる。
今度会ったら問いただしてやろう。
それにしても妙な話だ。
彼女がUFOに拐われるなんて、荒唐無稽な話があるはずない。
その手の創作物が嫌いではないが、有り得ないからこそ楽しめるのだ。
その時、玄関のドアが開く音がして、彼女の声が続いた。
手帳の怪文書の話をすると、彼女はひとしきり大笑いした。
付き合って数年になる彼女と、今ではこうして同棲している。
これといった大事件もなく、順風満帆に過ごしている。
今、現物を興味深そうに読んでいる彼女を見つめて思う。
彼女はUFOだとか宇宙人だとかには縁遠い、いたって普通の女性だ。
ゆくゆくは結婚も、と考えているし、あんな怪文書は何かの間違いであるにしても、彼女を失うことは考えたくない。
俺は怪文書の日付に目をやり、その日を思い返した。
「たしかあの日は君が旅行から帰ってきた日だよね。
思い出したよ。
俺は君にお土産として貰った外国の食べ物に中って、しばらく寝込んだんだった。
あのときは意識が朦朧としていて、よく覚えていないけどね」
「そうだったわね。
あのときは本当にごめんなさい。
私が食べたときは大丈夫だったんだけど……」
「結局大事なかったんだから気にしないでよ。
今では忘れてしまっていたくらいの、些細な事さ」
気付くと彼女は件の手帳を読み終え、家にいるときのリラックスした姿でカウチに座っている。
身長が30センチくらいに縮んで、手足が短くなり、白くてフワフワした毛に覆われたいつもの格好だ。
見た目は丸く膨らんだフクロウに似ている。
頭にある、尖った耳がピコピコと動いていた。
身体を休めるときにはこの格好になった方が楽なんだそうだ。
昔からの癖だそうだが、恥ずかしいのか普段は人に見せたりしない。
でも、もう長い付き合いになる俺の前では別だ。
至って普通の彼女だが、俺にとっては大切な人だ。
今日も変わらずに彼女がそばに居ることに感謝しながら、俺は手帳を古物棚に仕舞った。
明日の出来事 やもめの手袋 @suminoamari
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