『絵本』

「今日は古本市でバイトをした。

行きつけにしている古い古書店に、人手が足りないからと年に一度の古本市の手伝いを頼まれたのだ。

街の古書店が通りに古本の露店を連ね、大勢の人で賑わう、本のお祭り。

それが今日だった。

バイトの内容は露店の設置と品出し、店番。

準備が整い、古本市が始まると、あとはたまの接客以外とくにやることも無かった。

なんの気なしに並べられている売り物を眺めていると、1冊の絵本に目を奪われた。

手に取ってよく見ると、確かにそうだった。

幼い頃に失くしてしまった、大切にしていた絵本だったのだ。

あの頃は外にも持ち出すくらい、その絵本が好きだった。

しかし小学校に上がるくらいの時期に失くしてしまい、方々探したが見つからなかったのだ。

その頃通っていた幼稚園もくまなく探したが見つからず、卒園してからすぐその幼稚園は閉園してしまった。

その絵本がなぜこんなところに……。

表紙の、懐かしい感触。

それからしばらく、店番も忘れて絵本に見入った。

優しくも力強い絵柄が、あの頃のワクワクした気持ちを蘇らせた。

絵本だが、説明や台詞などの言葉はない。

しかしそのために、見る度に新鮮な気持ちになれる不思議な絵本。

またいつか会いたいと思っていた絵本。

夢中でページを捲っていると、お客さんに声をかけられて我に返った。

目の前には、今持っている絵本を見つめる年配の男性がいた。

男性は、その絵本を買うと言うのだ。

まだ絵本を見たかったが、店長の手前もある。

正直に話して売らないわけにはいかない。

名残惜しくも会計し、男性に絵本を渡した。

あれからバイトが終わり今に至るまで、後悔は膨らんでいく。

あの絵本を売らないで、自分が買ってしまえばよかった!

後悔してももう遅い……。

店長によると、数日前に近くの幼稚園が閉園に伴って備品の絵本を大量に売りにきたそうだ。

そのうちの1冊じゃないかと言っていた。

それから諦めきれず、ネットでタイトルや絵本の特徴を調べたが、売りに出ているどころか、誰が書いたかも、どこの出版物なのかも何も情報が出なかった。

きっともう二度と会うことはないのだろう」


私は日記を閉じた。

あの日、幼い頃に失くした絵本に再会したのだ。

そしてあの絵本をお客さんに売ってしまったことを後悔した。

あれから何十年も経ったが、その事を思い出してわざわざ古い日記を引っ張り出して読んでいたのだ。

なぜならあの絵本にまた巡り会ったから。


昨日、毎年の通り古本市に出掛けた。

そしてある店先で、この絵本を見つけたのだ。

中身も確認せずに買うと申し出た私に、絵本を読んでいた店員は驚いていた。

家に持ち帰り、改めてページを捲ると、久しく忘れていた懐かしい感情が胸に広がった。

そして裏表紙の内側に持ち主の名前を見つけた。

それは私の名前だった。

幼い頃、大切にしていたこの絵本に、私が書き込んだのである。

これは間違いなく私の絵本なのだ。


あのバイトの日から紆余曲折を経た今、私は小さな幼稚園の園長をやっている。

しかし、その幼稚園も間もなく閉園する。

それに伴い、幼稚園の備品である絵本をまとめて古書店に売るつもりでいた。

まだ読めるものも多いし、棄てられるより必要とする子供に読まれる方が絵本も本望だろうから。

そしてそれはきっとこの絵本も同じなのだ。


それにしても奇妙な出来事もあるものだ。

幼い頃を共に過ごした絵本と別れ、2度の再会を果たした。

というより、この絵本が特別なのかもしれない。

ふと、この絵本を最初に手にしたときのことを思い出そうとしたがだめだった。

母が買ってくれたのか、誰かに貰ったのか、それとも……。

手元の絵本は子供の頃に持っていたときの状態のままに見える。

とても子供が還暦を迎えるまでの長い時間を経たとは思えない。

裏表紙の内側には、私の名前の他にも何かを書いて、消したような跡がたくさんあった。

そこだけは、確かに絵本が過ごした年月を物語るようだった。

なんとなく、この絵本と私の長い縁も、これで終わりのような気がした。

私は諸先輩方に倣い、裏表紙の自分の名前を丁寧に消した。

この絵本の次の持ち主のために。

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