後編

「あー…くっせぇな…」

 鼻をつまみながら愚痴を吐く。鼻声になっているからか、つづりは「あはは」と笑った。

 夕日が差し込む廊下には、俺と綴のみ。休日の高校には生徒はもちろん、教師の姿も見えない。

 キイキイうるさい車椅子を押しながら、久しぶりの母校を満喫する。

 今いるこの棟だけエレベーターが設置されていなかったので、移動が大変だった。綴をおぶり階段を上って、置いてきた車椅子を取りに戻るために階段を下りるの繰り返し。

「ショーリはどこの教室だった?」「好きな子はいたの?」「何部に入ってた?」「成績は…聞かなくてもだいだい想像できるけど、下から数えた方が早い?」

 車椅子ごと階段から落としてやりたい気持ちを抑え、適当に質問に答えていたら、問題の教室にたどり着いた。教室の扉は開かれたままだったので、後ろの方からお邪魔する。

 右に視線を向けると一クラス分の机と椅子、横長の黒板がある。あー懐かしいなーと正面に目を向けると赤黒い塊が蠢いていた。ビチビチと音を立てている。まるで叫んでいるかのように聞こえなくもない。棟に入ってからうっすら感じていた異臭の原因だ。


「やっぱだめだったかー」


 呑気な声で綴は言う。赤黒い塊の近くまで車椅子を寄せ、ゆっくりと綴を床に下ろす。

 コレは、異形だ。

 異界と現界との境目が無くなることはよくある事で、稀に気づかずにあちら側に踏み込んでしまう人間がいる。

 そして、異界から戻ってきた人間のほとんどはヒトの形をしていない。ただの肉塊で、悪臭を放つ。

「いただきまーす」

 お行儀よく手を合わせる。そして、男子高生だったモノを手づかみで食べ始めた。

「あっちにもご飯があったんだけどさ、食べ損ねちゃって。床に残ってたのくらい舐めときゃよかったなあ」

  悪臭が強くなる。あまりに臭いので、常備している鼻栓とマスクを装着する。

「何か月ぶりだろー。最近全然食べられなかったから瘦せ細っちゃうところだったよ。ほんとおいしー! 君らでいうステーキみたいなものかな?」

「やめろよ…ステーキ見る度それ思い出す」

「あはは」

 俺から見ればただの肉塊も、綴にはご馳走だ。それはそれは美味しそうに頬張って食事をしている。これだけ見るとただの小学生にしか見えない。

 人間が普段食べている食事では、綴は満足しない。そもそも味がしないらしい。こいつがまともな食事をしているのは一度も見たことがない。

 綴の身体は特別製で、こういう異形を食べることで生命をつないでいる。異形によって味が違うとかなんとか。臭いもキツイし見た目もモザイク必須なモノが、幼い体には詰まっている。

「…にしてもさ」

 食べ終わった綴にウエットティッシュを渡し、汚れた手を拭くよう促す。

「ああいう言い方じゃあ帰れるって思うじゃんか。性格悪いな、お前」

 あんなに悪臭まみれの教室も、綴の胃に吸収されてしまえば異臭もしなくなる。食べた本人から臭ってきたりしないのが不思議である。

 腹を満たして眠そうにあくびをしている綴を再び車椅子に乗せ、教室を後にする。長い廊下をゆっくり進んでいく。

「嘘はついてないよ。実際帰ってきてるし」

 キイキイと車椅子が鳴く。

「元の世界に帰りたいとは言っていたけれど、『生きて帰りたい』なんて言ってないじゃないか」

 そう言って、バケモノは笑った。


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ようこそ、異セ界へ 甲藤 @kouhuzi

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