ようこそ、異セ界へ

甲藤

前編

 頭が痛い。いつもの片頭痛か。そう考えながら目を開けると、知らない顔が覗いていた。

「あ、起きた」

「う…わあっ!」

 勢いよく体を起こしてしまい、相手に頭突きをしてしまった。ゴン、と鈍い音がした。目の前で火花が散るようにチカチカして、額に痛みが集中する。

「痛ったーいなーもおー…」

 相手も痛かったらしく、若干涙目になりながら額を擦っている。日を浴びたことのなさそうな肌、茶色の瞳に短髪と、全体的に色素の薄い、年端のいかない少年がそこに座っていた。

「ごめん…てか、あんた誰?」

 自分の部屋に何で見たこともない子供が、と辺りを見渡してみると、四畳半の自分の部屋ではなかった。

「え? 学校? 何で?」

 頭が混乱している。確かにさっきまで自分の部屋で寝ていたはずなのに。

 視界に入るのは黒板、一クラス分の机と椅子、壁には大学受験に関するプリントが画鋲でとめられている。どう見ても自分が通っている学校の、自分の教室だ。時刻は七時間目がすでに終了している時間で、夕焼けで教室が赤く染まっている。でも何で床に寝てるんだ? 全然記憶にない。

「ボクはツヅリ。よろしく」

「よ、よろしく…」

 手を差し出され、思わず握手をしてしまう。ツヅリは立ち上がり、窓際にある椅子に座った。俺も立ち上がり、近くの椅子に腰を下ろす。

「えーとさ、ツヅリ君? どうしてここにいるのかな? 親御さんと一緒なのかな?」

 年下と接する機会がゼロなので、どう対応すればいいかわからない。

自分も何故ここにいるのかわからないが、小学生が高校の教室にいる方が違和感がある。ぱっと見小学3,4年の目の前の少年は「それはこっちのセリフだよ。どうやって入った?」と首を傾げた。

「は? 入ったっつーか、ここ、俺の教室だし…」

「そうかもしれないけど…、まあいいや。外、見てみなよ」

「外?」

 少年が指さす方に振り返る。腰を上げ、窓の向こうを見た。見慣れた校庭や体育館が見える。この時間帯ならサッカー部や陸上部が校庭を占領して部活動に勤しんでいるはずなのに、人っ子一人見当たらない。それに、静かだ。吹奏楽部やほかの教室でだべっている生徒たちの声が、一切しない。今日休みだっけ?

 ふと、動くものを視界にとらえた。体育館の方に目をやると、黒い塊のようなものが体育館から出てきた。ここからだとよく見えないが、人間でないのがわかる。

「なんだ、あれ…」

 犬か、熊か。黒い塊に目を奪われていると、後ろから思い切り腕を引っ張られた。

「ここに隠れてて」

 そういって、教室の隅にある掃除用具入れのロッカーに無理やり押し込められた。

「ちょ…」

 文句を言おうとロッカーを開けようとして、やめた。

 廊下から何か聞こえる。

 重たいものを引きずっている音が、遠くから響いている。



 ずり……、ずり……、



 その音が徐々にこちらに近づいてきた。

 ここは学校で、教室で、夕方で。でも、何かが違う。やけに静かだし、外にはよくわからないものがいるし、この「音」は、普通ではない別のものだと、第六感が教えてくれる。

 その音は教室の前で止まった。ロッカーの扉の隙間から見えるのは数メートル先の黒板だけで、廊下の方までは見えない。

 見つかったらヤバイ、気がする。

 息をひそめる。徐々に早くなる鼓動が、外に漏れていないかと思うほどうるさい。

 引きずる音はさらに距離を縮めてくる。



 ずり……ぴちゃ、ずり………ぴちゃ、



 引きずる音に水のようなものが混じる。ぶつかったのか、ガガガ、と椅子の足が床をひっかく音が響く。

「………」

 異臭がした。生ごみのような、下水道のような、よくわからない不快な臭い。

隙間から外を見ようとして、気づいた。


 何かが扉の前にいる。


 絶対に見てはいけない。だが眼球は自分の意思に反して、隙間の向こうに視線を向けた。


「……!!」


 隙間の向こうから、数え切れない「眼」が覗いていた。

 それは人間と同じ形をしたもので、焦点が合っていなかった。異様に蠢く「眼」から、目が離せなかった。

 あまりの恐怖に叫びそうになるが、声なんかあげたらどうなるかわからない。体から嫌な汗が吹き出て止まらない。

 隙間から入り込んでくる異臭が濃くなり、吐き気を催す。えずきそうになるのを必死に抑え、震える手で口を塞いだ。ただじっとすることしかできなかった。

 しばらくして、隙間から「眼」が見えなくなった。ずり…ずり…と引きずる音と共に、異臭も薄くなっていった。

「もう大丈夫だよ」

 ツヅリの声がしたので、ゆっくりとロッカーを開ける。床には何かを引きずった跡がロッカーから廊下にかけて伸びていた。赤茶色のその汚れは、異様な臭いを発していた。堪えていたものを吐き出しそうになったが飲み込んだ。

「もう行ったから当分来ないと思う」

「…なんだよ、あれ。てか、ここ、どこだよ。学校なのに、違うのか? 意味わかんねえ…っ」

 恐怖で声も体も震えている。奥歯がガチガチうるさいし、手の震えも止まらない。

「違うというか、なんというか、んーとね…」

 一方でツヅリは淡々としていて、どこか冷めているようにも見える。言葉が見つからないのか、眉を寄せて考えている。

「…ここは君等でいう、異世界なんじゃないのかな」

 異世界? 目の前の少年は何を言ってるんだ…?

「異世界って、小説とかアニメに出てくるアレのこと?」

 あまりに唐突な発言に、思わず質問してしまう。

「どういうものか読んだことないからわからないけれど」

 簡単に説明すると、ツヅリは眉を寄せて首を振った。

「魔王を倒したり、ゲームの世界に飛び込むとかじゃないんだよね。そういう楽しい世界ではないことは確かだよ」

「でも異世界って…」

「君が今まで生きている世界とは異なっているから、異世界。教えてくれた異世界はファンタジーに近いし、この世界はそうじゃない」

 じゃあどういうことなんだ? ここは自分の通っている学校で、自分のクラスなのに、人はいないしよくわからないモノが這っている。

 ま、座りなよ。半ば強引に俺を椅子に座らせ、ツヅリは床にしゃがみ、さきほどまで何かが這っていた場所の近くに体育座りをした。

「ここは、君の生きている世界の裏側。同じ空間に存在する、もう一つの世界。君の通う学校も、家も、町もあるし何も変わらない。ただ一つ異なるのは、此方の世界にも生きているモノがいるってこと」

 もう一つの世界? あまりに現実とかけ離れた話をされて、思わず笑ってしまった。いや、笑わないとこの現実を受け入れてしまうようで怖かった。だが、ツヅリは笑わずに話を淡々と続ける。

「ここは地球で、地球には地球人…人間が生きているよね。なら火星には火星人、木星には木星人がいてもおかしくないよね? 同じ人間のような体を持っているかはわからないけれど。そういう感じで、この世界にも、そういうのがいるんだよ」

 そういうの、とはさっきの化け物みたいなものがうじゃうじゃいるってことなのか?

 意味が分からないし、そもそも何で自分は学校にいるのか、学校には誰もいないのか、目の前の少年は何者なのか。疑問が多すぎて頭が痛くなってきた。

 いったい、今はどんな状況なんだ? これは本当に現実なのか? この少年は冗談でも言って笑かそうとしているのか? 受験勉強のストレスで悪夢でも見ているんだろうか。

 ふと、思った。ツヅリが言うようにここが異世界だとしたら。

「…ツヅリ君は、どっちなんだ?」

 化物がいても驚きもせず、冷静に状況を説明する小学生なんて本当に存在するだろうか?

 床の汚れをじいっと見つめていた少年が、こちらに顔を向けた。


「どちらでもないよ」


 笑っても怒っても悲しんでもいない、無の表情をしていた。だが一瞬にして表情を変え、少し困ったように眉をハの字にさせた。

「今回は運が良かったけど、次はないと思っていたほうがいいかも」

 次はない? 死ぬってことなのか?

「どうすれば元の世界に戻れるんだ⁉」

 そもそもどうやってこちら側に来たのかわからないのに、帰る方法なんかわかるはずもない。

 あの化物と遭ったら生きて逃げられる気がしない。自分には最大の武器も特別な力もない。ただの普通の学生で、ここは現実だ。フィクションの世界ではないんだ。

「戻れなくはないけれど…」

「お願いだ、帰りたいんだ。頼む!!」

 諦めたように、ツヅリはため息をついた。

「…わかった。戻れるようにはするけどさ」

突如、背後から鈍器で殴られたような痛みが頭を襲った。意識がなくなる瞬間、少年の口元が嬉しそうに歪むのが見えた。

「文句は聞かないからね」

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